81話「やる気だせ」
「な、なんでだ? 幽々子も戦うんじゃないのか?」
幽々子の能力は『死を操る程度の能力』である。具体的な効果は聞いていないが、俺が今まで出会った妖怪の中ではダントツに凶悪な能力だとわかる。人間だろうと妖怪だろうと、いかなる生者も幽々子には敵わない。この能力は、月面戦争において間違いなく切り札の一つになると思っていたのに。
「行かないわ。最初は暇つぶしに行ってみようかとも思ったけど、よく考えたら満月の夜に行くことになるじゃない?」
「それが、何か問題でもあるのか?」
「中秋の名月なのに、月に行ったらお月見ができないでしょう。お団子も食べたいし」
「おいおい……」
月見だと?
藍が行けない理由はわかる。月に地上との通路を作るほどの大規模な術式になるのだ。それを維持し続けるためには専任の術者が必要になるのだろう。だが、幽々子の理由は何だ。お月見がしたいから、団子が食べたいから月には行けない?
「おいおいおい、おいッ!」
思わず、手の中の箸を握りつぶしてしまった。何を考えているんだこいつは。抑えきれない怒りのせいで、殺気が体から噴き出す。
「てめえ、やる気はあんのかよ。これは戦争なんだぜ。遊びじゃねえんだ」
「あなたにそんなことを注意される筋合いはないと思うのだけれど?」
幽々子は殺気をぶつけられても平然としていた。いや、平然というか、ぽかんとしていると言った方がいい。なんで俺が怒っているのかわからない、といった表情をしている。紫も特に態度を変えることはない。藍だけは尻尾を逆立てて、いつでも対応できるように臨戦態勢になっていたが。
「……そうだな。すまん、俺が悪かった」
そうだ、落ちつけ。紫が月に戦争を仕掛ける理由は月人の技術力を得たいがためだ。それ以上の意味なんてない。幽々子はそんなことよりも月見の方が大事だと思ったにすぎないのだ。俺が勝手に幽々子も戦争に参加するものだと決めつけて、勝手にキレただけのことだ。幽々子は何も悪くない。俺は殺気を引っ込める。
だが、想像以上に紫たちの認識は甘かった。相手は月人なのだ。妖怪が千人ぽっち集まっただけの集団に何ができるという。それに個々の力は強いかもしれないが、おそらく統率は最低レベルの軍隊になる。月人は超兵器が使えるのだから、妖怪の力が決定的なアドバンテージになることはない。むしろ、こちらの方が劣ると予想していた方がいい。それに加えてこちらは連携がまったくとれないのだから、軍としての体裁も取れなくなるだろう。瓦解は必至。
争いもなく平和な月人たちが、油断して俺たちの侵攻を許す可能性がないとは言えない。だが、それを今考えてどうする。常に最悪手を考慮しなければ。
これは戦争の勝利を目指した作戦を立てても無駄かもしれない。数を集めた部隊を正面から突っ込ませて陽動し、別動隊が密かに遊撃に向かうという形にしてはどうか。なにも月人を殲滅する必要はないのだ。技術力を盗めば紫の目的は達成されるのだから、それでいいだろう。俺もその隙に永琳を探せばいい。
「ねえ、葉裏。あなたはどうしてそんなに真剣なの?」
俺が頭をかきむしりながら作戦を考えていると、紫が声をかけてきた。
「なんでって、俺はこの戦いに命かけてんだよ」
「積極的になってくれることは嬉しいのだけど、もっと楽にしたら? そんなに身を構えていたんじゃ、いい考えなんて浮かばないわよ。それとも、真剣にならざるをえない理由でもあるのかしら?」
そうだろうな、お前たちにとってはその程度の認識なんだろう。恐怖の権化たる妖怪の軍団が月で大暴れして月人たちを蹴散らす。その想像で頭がいっぱいだろうよ。この戦争に名乗りを上げた他の妖怪たちだって、きっと月に行くという物珍しさから参加したに決まっている。
「俺には、どうしても殺さなくちゃいけない奴がいる」
月人の都市攻略は必須だ。少しの妥協も許されない。あらゆる事態を想定し、最善の策を練る。そうしなければ、あの女に一矢報いることなど夢のまた夢だ。
「それがこの戦争と関係あるの? まさか、月人にその知り合いがいるなんて言わないわよね?」
「いるに決まってんだろ。それ以外にどんな理由があるんだ」
この言葉に、紫は目を丸くしていた。幽々子も藍も同様である。
なんだ、もしかしてこいつら、俺が月に行ったことを知らないのか? てっきり、底が知れない紫のことだから、そういった事情もすでに折り込み済みなのだと思っていた。ハクタクなんて得体のしれない連中に月人のことを調べさせたくらいだから、俺の経歴もわかっているものだとばかり思っていたが、初耳らしい。まあ、俺はあんまり自分のことを他人に話したりしなかったからな。
俺は帽子を脱いで、ウサ耳を晒す。
「そういえば、まだ言ってなかったな。俺は……」
なんと説明しようか。最初から全部話すのは面倒だ。こうして改めて考えてみると、俺っていったい何の妖怪なのだろう。もとは亀だが、じゃあ亀の妖怪なのかと言われると、自分でも首をかしげてしまう。既存の妖怪のカテゴリに当てはまらないことは確かだ。
だが、あえて俺の妖怪としての種族が何か、という問いに答えを出すとするなら。俺は永琳に出会ったあの瞬間、すべてが一変したのだ。あのときから俺は生まれ変わったのだと言っていい。そして、古い玉兎たちは死に、新たな“月のウサギ”へと生まれ変わった。月人の奴隷となり、使役される哀れな月のウサギたち。その耳はむしり取られ、偽物に挿げ替えられた。俺もその運命を背負ったのだ。だから俺は、嘘偽りない言葉で、こう言おう。
「俺は“玉兎”だ。“月のウサギ”だ」
たった一匹の奴隷兎が主人に牙をむく。いいじゃねえの。燃える展開だぜ。