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194話「アナザー・サイド・永琳」

 

 私にとって彼女との思い出は、どこをとっても苦々しいものであった。

 

 全ての始まりは、私が乙羅葉裏という妖怪を私怨から改造してしまったこと。

 

 初めは自分の気持ちが、わからなかった。彼女に不当な改造を施して処分したことが、なぜか頭から離れなかった。

 それまでにも妖怪を実験に使うようなことは数え切れないほどあった。現在のような技術基盤のない、あの頃の科学力ではまだそういった原始的な実験が必要だった。私はそのことに疑問がなかったわけではないが、否定もしなかった。理想のためには何かを犠牲にするしかない、そういう時代だったのだ。

 だが、あの事件だけは私にとって決定的に何かが違った。最初は罪悪感からくる感傷だと思った。確かに悪いことをしたと思ったし、反省もした。しかし、加害者の心理とは軽薄にできている。時間が経てば、平静に戻ろうとする。

 だから、これは違うのだ。そんな一時の感情の乱れでは説明できなかった。それ以来、心の隅に小さな影が残ったような気がしてならない。それは気にしなければ無害なもので、存在することすら忘れてしまう。ところが、ふとした拍子にその影が目に入るときがある。すると、決まってあのときのことを想起する。

 幼少期の記憶、それも強い刺激を伴う体験は、成長後も突発的に思いだすことがある。珍しくもない現象だ。そういうものだと自分を納得させた。

 

 その心理の正体に気がついたのは、それから遥かな時間が経った後のことだ。

 蓬莱の薬を飲むという禁を犯して地上へ降りた姫様を迎えにあがったときのことだ。彼女と再会した。

 まさか生きているとは思わなかった。その驚きもある。しかし、最も動揺したのは自分自身の内心の変化だった。

 それまで気にとめていなかった小さな影は、種が芽吹くように肥大化した。怒りや憎しみ、殺意など表層に現れる外形でしかない。その奥に横たわる根源的な渇望だ。何もかも爛れさせるような毒と熱。あのとき、私に刻まれたものは“穢れ”だった。私が穢れたわけではない。穢れの本質を思い知らされた。

 もし、私と彼女との関係が初めから無かったのなら、あの場で出会っていたとしても取り乱すことはなかっただろう。そうでなかったということは、思っていた以上に、私にとって彼女は特別だったのだ。頭では理解しているつもりでも、月人として穢れを遠ざけ生きてきたがゆえに、本当の意味で穢れそのものを見ようとしていなかった。彼女の姿こそ、私の記憶に残る最も古い穢れの表象であった。

 

 突然の再会に、未熟にも狼狽した私は彼女を殺そうとした。もう殺す以外に方法はなく、それが彼女を苦痛から解放する唯一の手段だと口では言った。何のことはない、目の前の障害を排除しようとしただけだ。

 ただ、その診断は間違ってはいない。試験型インターフェースを摘出したところでどうにもならない。なぜなら、あの狂気を誘発する電波はごく短時間しか発信されないように最初から設計していたからだ。長くて一日経過すれば機能が失われる。何年も電波に冒され続けるなんて事態にはならない。

 つまり電波など無くても、もう彼女の精神は取り返しがつかないくらい壊れてしまっていたのだ。異常であることが彼女にとっての正常となっていた。なぜ生きていられるのかわからないくらいだ。治療できる余地はなかった。

 

 そのとき、殺せていればまだよかった。結局、殺せなかったのだ。躊躇してしまった。くだらない情けをかけた。それが苦痛を与える結果にしかならないとわかっていたはずなのに。

 もともと、姫様を月人の追手から逃れさせるという大事な局面ではあった。私情をはさんで姫様を危険にさらすわけにはいかない。逃亡を優先せざるをえなかった。と、言い訳はできる。

 要するに、最後まで自分のことしか考えていなかったのだ。

 

 それから千年近く、隠遁して暮らす日々が続いた。

 姫様は穢れを面白いものだとおっしゃるが、私には理解できない。ただ、その点では良くも悪くも姫様を評価しているつもりだ。

 きっと、月での暮らしを続けていたのなら、私は乙羅葉裏の心境を察することはできなかっただろう。無論、彼女の心理を全て知ったなどとおこがましいことを言うつもりはない。しかし、生の熱とは、穢れとは何なのか、少なくともあの頃より私は理解を深めた。

 彼女とはいつか、また出会う時が来る。私にしては珍しいことに、何の根拠もなくそう確信していた。

 そしてそのときは、今度こそ彼女のために、彼女を殺すと誓いを立てた。それが私が果たすべき責任であり、突き通さなければならないエゴだ。

 

 月がわずかに欠けた夜、優曇華の枝は大樹となり、彼女は三度現れた。

 

 * * *

 

 私は診察の支度を整えて患者のもとへと向かう。

 数時間前、永遠亭の一室に運び込まれた彼女は死んだように動かないままだ。実際、生きていると判断していいのか迷う。かろうじて人の形を保っているものの、触れただけで崩れてしまいそうなくらい脆弱な状態だった。

 半透明な薄緑色のゼラチン状の物体。いっそのこと、死んで幽体になっているというのであれば、まだわかりやすい。妖怪の生態はまだ解明されていないことも多い。これもその数奇な一例ということだろう。

 私にはありとあらゆる薬を作る能力があるが、それにはまず材料が必要だ。また、その薬を的確に処方する腕は経験によってしか得られない。初めて見る症例を前にできることは少ない。そういった事情を度外視して無理に復調させることもできなくはないが、様々なリスクが発生してしまう。

 現状、最低限の対処療法を施して様子を見るしかなかった。

 

 この子は、永遠亭の門前に倒れていた。

 騒動の収拾に手いっぱいだった私は、てゐの報告を受けなければそのまま放置してしまっていただろう。

 これまで月人の目から身を隠すために屋敷の外の者との接触を避けてきた。医者らしいことなんてあまりする機会もなかった。せいぜい怪我をした兎を治療してやるくらいのものだ。死にかけの妖怪がいようが見て見ぬふりをしたし、それを悪いとも思っていない。

 しかし、この子は助けなければならないと思った。自分でも不思議に感じる。正義感からの行動ではない。ただ、この子の顔立ちが、なんとなく似ていたのだ。乙羅葉裏の関係者だと思わせる何かがあった。

 

 「説明してもらえるかしら、“妖怪の賢者”さん」

 

 縁側の障子の向こうに人影が現れた。先ほどから気配は感じていたが、案の定だ。普段ならこう易々と侵入を許すような失態はしないのだが、いかんせん昨晩の戦いで破損した結界の修復が不完全なままだった。だが、今はそんなことよりも彼女に聞きたいことがあった。

 乙羅葉裏の協力者であり、この異変を扇動した妖怪、八雲紫に。

 

 「なんだか、私のことを真犯人みたいに思ってない? まあ、別にいいけれど」

 

 八雲紫は姿を見せず、障子越しに話し始めた。

 

 「まず、現状を確認しておきましょうか。昨晩発生した異変により常軌を逸した“穢れ”が幻想郷に蔓延した。自然界における許容濃度を遥かに超えた穢れに触れた者は、高揚感、酩酊感、軽度の幻覚、行動異常などを引き起こし、寿命を縮めるようね。と言っても、一夜のうちに事態は収束し、各所への被害は軽微だった。もっとも、穢れの汚染は正常値にもどるまで時間がかかるし、幻想郷のあらゆる生物の寿命がわずかとはいえ縮まったのだから、ある意味では甚大な被害だったとも言える。そしてこの異変の元凶である乙羅葉裏は……」

 

 私の手によって殺した。

 というより、自殺に近い最期だった。こちらも本気で対策を講じていたというのに、それらを全て突破してきたのだ。その力の代償として、身を滅ぼして余りある禁術に手を染めていたのだろう。力を使い果たした乙羅葉裏は死体すら残さず消滅した。

 だが、私が彼女をそこまで追い詰めた結果であることに変わりはない。私が殺したのだ。

 

 「葉裏は私にとっても何とかしておきたい妖怪だった。不発弾のようなものよ。いつ、何をきっかけに爆発するかわからない。その威力については今回の異変から見ても明らかよね。だから、殺すわけにもいかなかった。これでも葉裏の精神の調整には手をつくしたのよ。それこそ爆弾の解体作業みたいだった。でも、さすがは腐っても“有史以前の妖怪”だけあって私の力が及ばない面がある」

 

 八雲紫は秩序を重んじる。乙羅葉裏の未練を少しでも消化させ、より安全な形で“爆破処理”するために彼女の復讐に手を貸していたようだ。八雲紫にとって、この異変はいつか起こると想定していたものであり、被害が最小限に収まるように対処したにすぎない。彼女の精神から発生した大量の穢れが、もし私への復讐以外の形で発散されたとしたら、どんな結果を引き起こすかわからない。

 

 「なんて、悪ぶってもしかたがないから言うけど、単純に葉裏の願いを叶えてあげたかったのが一番の理由よ。長い付き合いだしね。いつも迷惑をかけさせられたけど、同じくらい義理も情もある。八意永琳の居所を探し出して伝えることは、あの妖怪との約束だった。

 それに、本音を言えば葉裏には復讐以外の生きる道を見つけてほしかったのよ。私も葉裏を救いたいと思う気持ちはあった。できる限りのことはやった。そして、その苦し紛れの賭けの結果が、最後の最後でようやく小さな実をつけたというところね。それが、あなたが今、看病しているその子よ」

 

 「……え?」

 

 「最初は葉裏の精神の中から狂気を取り除く計画だった。でも、それをすると葉裏は死んでしまう。どうあっても外に取りだすことはできなかった。だから、分離することにしたのよ。狂気によって生み出される憎悪、復讐心、そういった歪んだ精神と、それ以外の正常な精神を分けることで狂気の侵食を遅らせようとした。ショックを起こさないように時間をかけて少しずつ、ね」

 

 もっとも、その計画が成功することはなかったようだ。当然である。精神を二つに分離させてまともな状態になるわけがない。紫の談では、もともと乙羅葉裏の精神はぐちゃぐちゃで、多少いじったところで大した違いはないだろうと思ったとのことだが、滅茶苦茶な話だ。むしろ、狂気と正気が両立してしまい、そのコンフリクトの影響で精神状態を悪化させてしまったらしい。本当に助けたいと思っていたのか疑わしいほどの愚行だ。

 だが、次の紫の言葉にさらに驚くことになる。

 

 「完全に裏目に出たと思っていた作戦だったけれど、それが何の因果か、別の形で作用した。葉裏は精神だけでなく、肉体をも分けてしまったのよ。正常な部分を切り離した、と言った方が適切かもね。狂気に対する最後の抵抗だったのでしょう。いや、葉裏にしてみれば、ただ単に復讐に専心するため迷いを切り捨てただけだったのかもしれない。その結果、自分の分身を産み落とした。狂気を持たない、まっさらな自分を」

 

 乙羅葉裏はその膨大な年月を生きる上で得た妖力のほぼ全てを、自分自身とは別の“容器”に移していたという。まるで子を残すため栄養を蓄える母のように。それだけの量の妖力があれば、あるいは可能なのかもしれない。狂気に冒されながら、狂気から脱する自分を作りだしたのだ。

 布団の上に力なく臥せる彼女の分身を呆然と見つめる。どんな方法を用いようと、彼女を救うことはできないと思っていた。そんな私の診断を覆し、彼女は自分自身の力で狂気に打ち勝ったのだ。

 

 「しかし、良い話ばかりでは終わらない。その子は葉裏であって、もはや葉裏ではない。本当に葉裏の搾りカスのような存在なのよ。彼女の精神のほとんどは狂気に染まっていたから。ずっと眠ったまま、目を覚まさない可能性もある。仮に目覚めたとしても、おそらく知性のない人形のような弱い意思しか持ち合わせていないでしょう……それで、あなたはその子をどうするつもり?」

 

 そんなことは悩む必要もなく決まっている。

 

 「この子の治療が全て終わるまで面倒を見続けます」

 

 「もし目が覚めて、あなたに襲いかかってきたとしたら?」

 

 「それでも見捨てることはありません」

 

 「もし目を覚まさず、このまま一生寝た切りだったとしたら?」

 

 「治療が全て終わるまで、と言ったでしょう」

 

 たとえ、植物人間のようにこのまま寝た切りであったとしても、最後まで面倒をみる。もっとも、そんな不甲斐ない結果で終わらせるつもりはない。私はありとあらゆる薬を作りだす処方医だ。必ず、彼女を回復させてみせよう。

 

 ずっと彼女を救いたいと思っていた。殺すなんて方法ではなく、苦痛から解放してあげたかった。彼女の復讐を果たさせたところでもはやどうにもなるものではなかった。きっと、私を何千回殺したところで苦しみは消えない。殺す以外に彼女を楽にする方法を思いつかなかった。

 私がこんな言い方をすると、どう言いつくろっても保身のことしか考えていないように聞こえるし、否定のしようもないが、乙羅葉裏は私に殺されたがっているように見えた。昨晩、彼女と邂逅し、その目を見たときに強烈に感じた。ここで死ぬ気だった。彼女にもわかっていたのだ。そして、その理由を復讐という舞台に求めた。私は彼女を満足させるために役を演じた。あのときは、そうすることでしか彼女の思いに応えてあげられなかった。

 

 だから、今度こそ彼女を救う。医者として、その債務を全うしよう。

 

 「……そう、なら私から言うことはもうないわ。その子をよろしくね」

 

 八雲紫は音もなく気配を消した。

 さて、これから忙しくなる。患者の各種検査を進めてから、早急に調剤に取りかかる必要がある。

 異変の後始末もまだ終わっていない。一番の被害は敷地内に残された優曇華の木である。月で無穢栽培された優曇華の木の枝、『蓬莱の玉の枝』が昨日の一件で急激に成長したのだ。穢れを吸って美しい実をつける性質があり、地上の穢れの濃度を測定するために用いられていたものだが、実どころか枝までが育って巨木と化した。昨晩は空を埋め尽くさんばかりの勢いで永遠亭の上空に大量の巨大な実がなり、熟した果肉を庭先にまき散らした。その撤去にも手間取っている。

 とにかく、仕事が山積みだった。が、まずはこの患者の処遇について姫様に話をつけなければなるまい。つい先日までは患者の受け入れなど考えられなかったことであるが、月の都からの監視を気にする必要がなくなった今ならば、そこまで大きな問題はないだろう。今後は養生所など開いてみるのもいいかもしれない。そんな益体のない気分を起こしてしまうのは、久しぶりに医者らしい仕事をした反動だろうか。

 あまり意味があるのかわからないが、患者に対してひとまず一応のバイタルチェックを済ませてから部屋を後にする。この子の呼び名も近くに考えなければならないだろう。乙羅葉裏と呼んで差し支えないだろうか。

 

 『...o...』

 

 部屋を出て戸を閉めようとした私は、手を止める。

 今、何か聞こえなかったか。閉めかけた戸の隙間から、中の様子をもう一度だけ確認する。

 

 『..oo......o..』

 

 聞こえた。

 急いで葉裏のもとへ駆け寄った。再度、意識や呼吸の有無などを確認する。

 どうやら声を発したわけではないようだ。念話、テレパシーのような術が使われたと思われる。発信された内容は特に意味のない雑音のようなものだったが、意識を取り戻しかけていることに違いはない。

 今度は指が、かすかに動いた。柔らかな組織を崩さないように、慎重に彼女の手を取る。確かに動いている。私が彼女の手に触れると反応が大きくなった。何かを探すようにしきりに動かしている。

 そして、その手が私の胸に置かれた。

 

 『oppaimomimomi...』

 

 To Be Continued...?

 


これにて「東方――亀兎木――」完結です。

とにかく勢いだけで書き始めた作品でした。タグも地雷臭のするものばかりだし、小説説明文も適当に書いたしで、読んでくれる人あんまりいないだろうなあと思っていました。

それがこんなにたくさんの読者様に目を通してくださり、多くの感想をいただき、本当に励みになりました。


本編はこれで終りですが、後日談のような話をあと少し投稿したいと思います。いつものギャグ回のノリになる予定です。まだプロットを考えてないので投稿は遅くなるかもです。


ここまでお付き合いいだたき、ありがとうございました!

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