187話「千扉『完全連続観測錠』」
この距離では、俺に勝機はない。接近する必要があった。
そこで気にかかるのは永琳の武装だ。得物は弓である。月人の武器だ、超科学の結晶か、名だたる神器か。いずれにせよ、決して自分の能力を過信した油断はできない。問題はその有効射程だ。接近戦を許すはずがないと見ただけでわかる。
俺と永琳との距離はたった数十メートルである。俺なら一息でこの距離を詰められる。しかし、永琳はいまだに弓を構えようとするそぶりすらみせない。俺を侮っているのか。
それは違う。永琳の注目は、ちょうど彼我の中間を捉えている。手を悟らせないよう巧妙に隠しているが、俺にはそのわずかな意識の揺れがわかる。
罠だ。俺の前方10メートルほど先に仕掛けがある。ここは敵地だ。敵に有利な陣地であることは最初からわかっている。驚いたのは、そんな手をわざわざ俺のために用意してあったことだ。驕りなく真摯に、完膚なきまでに俺を殺しにきている。
上等だ。俺はそのまま突き進んだ。
罠があるから躊躇するのか。立ち止まれば、それによって何か状況が好転するのか。戦略以前に俺の我慢がもたない。逃げたところで何の解決にもならないのだ。少なくとも、俺はそこに仕掛けがあることを知っている。それだけわかれば十分だ。後はぶち当たってから考える。
おそらく、殺傷性のトラップではないと予想する。妖力の流れに不審な点はない。地雷や落とし穴の類なら判明してからでも回避できる。永琳の微妙な注目の変化を読み取る。この罠は、俺を足止めするためのもの。
その予想は当たった。
ある一点を通過した瞬間、俺はその術の中に入った。顕微鏡のレボルバを回すように、認識が切り替わる。俺の周囲の気圧が急激に高まったかのような息苦しさに襲われる。
不確定の固定。止まり始める。空間は清浄、時間は清浄。ただ、目の前の景色が、テレビ画面一枚隔てた無機質な世界になり下がる。
こうしてただの数十メートルが、月より遠い永遠の道となる。
この術には身に覚えがあった。前にこの場所を訪れたときのことだ。この屋敷を隠していた結界がこれと同じ原理を持っていた。
一言でいえば、この結界に侵入するという行為に限定して、運動という“変化”を無効化している。よって、侵入者は永遠に結界の中にたどり着くことができない。
ひとたびこの術中に嵌れば、普通の人間なら結界に入ったことにすら気づかず追い返されてしまうだろう。だが、百見心眼を発動した俺には見えた。一分の隙もなく連続して切りとられた世界が整合性を限りなく破綻させながらも綺麗に論理的に現実として成立させられているオゾマシサを。
あのときと同じだ。いくら足を前に踏み出そうと、永琳との距離が縮まることはない。
この術が使われる可能性については考慮していた。事実、前回と同じようにこの屋敷の周囲が結界で閉ざされていることを想定していた。それがなく、あっさりと門の中に入れてしまったために警戒を解いてしまっていた。いや、そんな言葉でごまかすべきではないか。俺はこの術が使われないことを願っていた。
そんな甘さを葬り去る、不可侵の扉。前回は自分でもよくわからないうちに、この壁を越えていた。あるいは、あれはただの事故、望外の幸運が奇跡的にはたらいた結果だったのかもしれない。だが、今回はそうはいかない。二度も同じ奇跡は起きない。そんな生易しい術ではない。俺が自分の力でこじ開けなければ、この扉は決して開かない。永琳の目を見ればそれがわかる。
そして、それ以上の殺意がこめられていることもわかった。
俺が結界にぶつかった直後のこと、そのわずかな隙をつき、永琳は動いた。それはとても小さな動作だ。手に握られたワイヤレスのスイッチのようなものを押している。良い予感はしない。
永琳の後方、家屋がある方角から複数の何かが射出された。放物線を描いて落ちてきた。箱型の金属の塊だ。着地後すぐに下部のパーツが多脚のように可動し、永琳を守るように陣形を作り始める。ロボットなのか。その数、20機。
そんなものまで持ち出してくるとは、さすがにこちらも予想していない。しかし、だ。それは俺の予想の下方修正する意味での話だ。流れをぶった切る奇抜な一手だが、伏兵を投入してくる可能性は既に考えていた。この場に待ち構える敵が永琳ただ一人である保証などどこにもない。たとえば、最悪のケースを想定するなら輝夜が敵となり立ちふさがる可能性も十分すぎるほどにあった。それに比べれば、ロボット兵なんて何体集まろうが問題ない。
「殺法『百見・虚眼操術』!」
だが深く考えていたようで、その実、俺の思考は停滞していただけにすぎなかったのかもしれない。冷静になれていなかった。結果として、敵の真意を読み誤る。
ロボットたちから何かが放たれた。ほぼ無音、また高速でこちらに飛んでくる。妖力弾ではない、物質的な、目立たない何か。対処できたのは、ほとんど本能による反射的な反応のおかげであった。
体勢を低くし、顔の前で両手を構えてガードする。いくつもの衝撃が立て続けに腕に当たった。爆発した。炎に、痛みに包み込まれる。妖術もクソもない、ただの近代兵器。弾幕ごっこではなく、正真正銘の爆弾攻撃だった。
術を使ったにも関わらず、弾はそれず、真っすぐ俺に命中した。考えてみれば納得できた。弾を撃ったのはロボットなのだ。機械的な動作の連続によって攻撃が形作られているにすぎない。そこに“注目”なんてものはないのだ。操る注目がなければ、俺の術の対象にはできない。
無機物からの攻撃を能力で支配できないことは盲点だった。一度、気づけばなんてことはない弱点である。だが、その一度目をこの戦いの中で経験してしまったことは俺にとって大きな痛手だった。無人戦闘兵器からの攻撃を能力の対象とするなんてシチュエーション、考えたこともない。
そしてもう一つの失敗は、敵の攻撃の予測を能力の効果に頼りすぎていたことだ。俺は敵が“どこに注目しているか”を探ることで、次に来る攻撃の種類や範囲を推測していた。俺自身の純粋な洞察力による面もあるが、まず敵の注目か割り出すことをありきとした予測法を取っていた。
だから反応が遅れてしまったのだ。ロボットの射撃は意思を持った攻撃というより、単なる現象に近い。自分の眼で見て予測する以外に、より回避を確実とする方法はなかった。その点に全力を注げなかった。
加えて、攻撃の性質が陰湿だった。爆弾の中には無数の金属棒が仕込まれていた。爆風と炎だけでなく起爆と同時に四方八方へ飛びだす鉄針は、いかに素早く動いたところで近距離での回避は不可能に近い。頭部は腕で防御していたために致命傷は避けられたが、複数箇所に被弾してしまった。特に左わき腹に刺さった針が内臓の深くにまで達しており、重傷である。運悪く筋肉の薄い部分に通ってしまったらしい。興奮状態のため痛みはそれほど感じないが、だから無事という話にはならない。
あまりにも俺の能力と相性の悪い攻撃だった。偶然にも敵の用意していた戦略に俺が都合よくひっかかってしまったのだろうか。そう楽観はできなかった。永琳は先ほどの弾幕の撃ち合いの中で、俺の能力について考察していた。少なくとも、俺が何かの能力を使っていることはわかっただろう。奴はそこから最適な戦い方を絞り込んだのではないか。そう思えてならない。たったあれだけの短い時間で、俺の能力の本質を見破ったというのか。
気を引き締める。油断はしていなかったが、敵はそれ以上だった。おそらく、ロボットの攻撃も一発で撃ち止めなんてことはないはずだ。今度はかわしきれる。たとえ能力が通用せずとも、同じ攻撃は喰らわない。これまで以上に集中を高め、ロボットの挙動を注視する。
それでもまだ、俺の認識は甘かったと言わざるをえない。
第一の策、永遠の道程を作りだす結界。これは永琳自身が今使っている術というよりも、設置型の罠であるように思う。俺が見る限り、永琳の意識は結界の生成に割かれていない。
第二の策、無人戦闘兵器。このロボットは永琳が操作しているわけではない。自動的に機動し、こちらを攻撃してくる。
何もしていない永琳がそのまま静観を続けるわけがなかった。再び強大な妖力が奴を中心に渦巻いてきている。永琳の手による、第三の策が始まろうとしていた。