174話「決戦準備一人目」
アパートの掃除を終えた俺は幻想郷へやってきた。妖術符を使ってスキマを開き、その中に飛び込むだけ。これまでのためらいが何だったのかと思えるほど簡単に、この地の土を再び踏むことができた。やはり、都会とは空気が違う。妖力の濃さも違う。深呼吸して胸いっぱいに吸い込んだ。
今すぐ竹林に行きたくてうずうずしている。ウズウズどころの話ではない。ガクガクだ。薬中の禁断症状みたいに痙攣している。
しかし、そういうわけにもいかなかった。まず俺の装備を説明しよう。いつもの布の服にベレー帽、靴は履いていない。腰には折れた剣。アサルトライフル一丁。マガジンはベルトに固定。ドラム缶を鬼の鎖で体に縛り付けて背負っている。バックパックは仕方がないので手に持った。
このドラム缶が異質だろう。中にはリリが入っている。命令したら自分から入っていった。生まれたばかりだからなのか、全然形が安定しないのだ。これでは一緒に戦うことはできそうにない。なんとか固定化させたい。少しは時間を置くことが必要だろうと判断する。
だが、そう長く俺の気がもちそうにない。譲歩の限界は今夜までだ。永琳とは今日、決着をつける。それは譲れない。それに奴との戦いは月下で行いたいという気持ちがあった。変なこだわりだと思うが、どうしても日が出ているうちに戦うのはしっくりこない。今日が満月ではないことが残念だ。
今の時間は夕方頃である。日はかなり沈んでいるが、まだ月は出ていない。手持無沙汰だ。貴重な時間を無駄にするのは惜しい。
「おお、そうだ。あいつらを探そう」
かつての道場生、あのアホ妖怪四人組を仲間にしようではないか。戦力はないよりあった方がいい。そうと決まれば善は急げ。俺は軽快なスキップを踏みながら探索を始めた。
* * *
一人目の居場所は比較的楽に見つかった。
道行く妖怪などに尋ねたのだがおかしな挙動を取るばかりで要領を得ず、困っていたのだが歩いているうちに偶然にも発見することができた。
広い山道のわきに停められた屋台。暖簾には「やつめうなぎ」と書かれている。俺はドラム缶とバックパックを置き、席の一つに座った。
「いらっしゃいま……」
みすちーは絶句していた。まるで幽霊でも見るかのような目を俺に向けている。
「やつめうな重、ひとつ」
「は……はい! やつめうな重ですね!」
淡々と注文する。硬直していたみすちーは、ようやく調理に取り掛かる。
「あの」
「……」
「葉裏さん、ですよね? お久しぶりです」
「……」
「葉裏さんが幻想郷の外へ旅立ってから、色々あったんですよ。道場はなくなってしまいました。ご存知ですか?」
「……」
「わ、私はこの屋台で料理を作って暮らしています。結構、人気も出てきたんですよ。看板メニューはやつめうなぎで……最近は大忙しなんです! 仲間うちで相談して、チェーン屋台も出そうか検討中なくらい」
「……」
「その、葉裏さんはどうしてたんですか? なんか雰囲気変わりましたよね。もしかして具合、悪いですか? なんでそんな妖気だしてるんです?」
「……」
何も答えない。俺はただ、料理ができるまで無言で待った。
15分くらいで注文の品ができあがった。できたてのやつめうな重が差し出された。箸をつける。
「ど、どうですか?」
咀嚼。とにかく咀嚼。よく噛んで、行儀よく噛んで、味を噛みしめて。
みすちーの顔面に向けて口の中の物を吐きつけた。
またしてもみすちーは硬直していた。ぐちゃぐちゃになった食材がみすちーの顔の上を伝って、地面にべたべたと滑り落ちる。
「お、おお、お口にあいませんでしたか!?」
みすちーは顔を布巾でぬぐいながら、引きつった笑顔を見せている。恐怖しているのか。
「なあ、みすちー。このやつめうな重はなんだ? 昔のお前が作った飯は、こんなにマズくはなかった。これがお前の作りたかった料理なのか?」
「え、いや、そんなことを言われても……」
困惑しつつも、みすちーは反論する。今度は反抗するのか。料理のことについて口出しされるのは不快に感じるようだ。
「確かに今お出しした料理は最大限の手間をかけたものではありません。以前、師匠に食べてもらったときのように夜雀備長炭も使っていませんし……でも、これがあれから長い時間をかけて私なりに工夫を重ねた結果なんです。少ない手間暇で、なるべく多くのお客さんに素早くかつローコストで料理をお出しする。今の時代はそういったニーズが求められているんです!」
みすちーの熱弁を俺はほとんど聞き流していた。理解する必要もない。俺はニヤニヤと笑った。
「何がおかしいんですか」
「ずいぶん饒舌じゃねえか。まるで自分自身、現状に満足してないって言ってるみたいだが?」
「……!」
言葉に詰まった様子のみすちー。図星なのか。適当に皮肉を言っただけなのに。
というか、料理の話なんかぶっちゃけどうでもいい。会話してみてわかった。全然ダメだ。
なんてことだ。気が抜けてやがる。まるで炭酸の抜けたソーダ。ただの水。あの頃の鋭さが微塵も残っていない。こんな調子じゃ暗殺拳もまともに使えなくなっているに違いない。この様子だと他の三人も腑抜けになっている可能性が高い。
狂気が足りない。気合いを入れてやらないと。
「うおあ! しかたねえな! じゃあ、俺がお前にうまい飯を食わせて勉強させてやるよ!」
「はい?」
俺はバックパックからタッパーを取り出した。蓋を開けてみすちーに差しだす。みすちーは「うっ」と一声あげてあとずさった。鼻を押さえている。
「きゅ、急にどうしたんですか? それにそのひどい臭いのするモノはいったい……」
「心臓」
何か不吉な予感でもしたのだろうか。青ざめた顔色になったみすちーは逃げ出そうとした。無論、そんなことは許さない。翼をつかんで引きずり倒した。仰向けになったみすちーの上に馬乗りになり、動きを封じる。
「葉裏さん! 落ち着きましょう! 私のやつめうな重がまずかったから怒ってるんですか!? 謝ります! ごめんなさい! 謝りますから!」
「食べて、みすちー。たべてえええええええええええ。俺の」
「いやっ、やめて、うぐっ!?」
タッパーの中のあらびき肉をつかみ、みすちーの口に手ごとねじ込んだ。と言っても、俺のゴーレムハンドは大きすぎて全部は口内に入りきらない。みすちーは苦しそうに眼をぎゅっとつぶって唸る。
噛みつかれる。手にみすちーの歯が食い込んでくる。ばたばたと手足を暴れさせ、ばんばんと体を叩かれる。それでも俺が離れないとわかると、今度は腕を引き剥がそうとつかみかかってきた。みすちーの長い爪が俺の腕に食い込んでくる。
知ったことか。あごの骨をはずす勢いで、さらに喉の奥に向けて押し込む。
「はい、おいしいおいしい」
「んんんんんんんおおおおおおおお!」
俺はみすちーが肉を嚥下するまで手を抜かなかった。