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172話「パーティーへのお誘い」

 

 今日のバイトは早く終わった。時間は16時頃だ。俺は自分の部屋で儀式を行っていた。

 

 「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うがふなぐる ふたぐん……」

 

 魔導書(上級信者用38000円)を手に、祈祷マント(16000円)を纏った俺は、クトゥルフを讃える呪文を唱える。クトゥルフとは名前からもわかるかもしれないが、この神話を代表する有名な神の一柱である。別に一番偉い神様とか、そういうことはないのだが。

 カーテンを閉め切り、電気を消し、床に立てたロウソク(10本4860円)の明かりだけがうっすらと室内を照らしている。神々とコンタクトを取るための呪文が織り込まれたタペストリー(34800円)を敷き、その上に俺の甲羅を乗せていた。

 この甲羅は俺なりに儀式をアレンジして設置してみた。神にお祈りしようと言うのだから、少しでもこちらに気を引いてもらうために供物があった方がいい。邪神への供物と言えば生贄などが定番である。だが、クトゥルフほどの神への貢物となると並大抵のものでは役不足となるだろう。バイト代で買ったフルーツ程度では全くダメなのだ。

 そこで、俺の持つ財産の中で最も価値あるものを捧げることにした。我が半身と言っても過言でないどころか真実そのものである、甲羅だ。妖怪は一般的に長い年月を生きるほど、妖力が高くなる。俺も例外ではない。実に億単位で蓄積した妖力のほぼすべてをこの甲羅に貯蔵している。ぶっちゃけ、客観的に言えば俺自身の命より価値のあるものだと思う。これ以上の対価は俺には出せそうにない。

 まあ、だからといって俺のお伺い程度のことで神からのコンタクトがあるはずもなく、捧げた甲羅が神にもらわれるなんてことも起きない。俺の独りよがりだということはわかっている。そう簡単に願いが神に届くはずがないのだ。

 

 「いあ! いあ!」

 

 儀式も佳境に突入する。魔導書を高く掲げ、力強く呪文を口にする。陶酔感に身を任せる。こうして祈りを捧げている時間は苦しみから気がまぎれ、

 

 ギッ……ギッ……

 

 物音が聞こえた。それは耳を澄まさなければ聞きとれないほどのかすかな音だった。俺は儀式を中断して音に意識を集中させる。

 

 ギシッ、ギシッ、ギシギシッ……

 

 隣の部屋から聞こえてくる。何かが軋むような音だ。断続的に音は続いている。ゴクリと唾をのんだ。ゆっくりと部屋の隅に移動し、壁に耳を当てて隣の部屋から聞こえる怪音に耳を傾ける。

 

 『あんっ、あっ、あっ、だめえ、あっ!』

 

 その冒涜的なしらべに戦慄する。確か隣の部屋の入居者は、1週間前に来た狼男っぽい妖怪だったはず。なんかクラブで働いてるとかいうチャラい男だった。しかし、まさかこの時間帯にアレをソレしているだと……!

 そんなはずはない。これはもしや、神の啓示ではないのか。ならば聞き逃してはならない。俺はクトゥルフ教の信者としてこの冒涜的サウンドを記録する義務がある。忘れないよう、脳内に焼き付けるのだ。もし危険があるようなら、虚眼遁術を駆使して彼らの部屋に潜入し、冒涜的パーティーを観察する必要があるかもしれない。

 しばらく、はすはすしながら壁にべったり張り付いていた。15分くらい経過し、向こうは小休止に入ったようだ。いつ再開するかわからないので、壁からは離れない。

 暇になった。ふと、すぐ前にある棚に目がいった。そこは未整理の郵便物を置いている場所である。昨日、ポストに入っていた封筒があった。紫が出したものだ。

 すぐに中を見なかったのは、どうにも胡散臭かったからだ。俺は紫から手紙なんてもらったことは一度もない。年賀状すらない(藍からはもらった)。あいつは手紙なんて書くくらいなら直に会いに来て話をする。スキマを使えば長距離移動も一瞬なのだ。こんな手間はかけない。

 怪しくはあるが、読まずに放っておいたら後で文句を言われそうだ。しかたなく俺は封筒を開けた。

 中に入っていたのは符が一枚に、便せん一枚。符は妖術符だった。かなり高位の術がこめられたものらしく、俺のスキルでは解読はできないが、使うことだけならできそうである。便せんの方を読んでみる。冒頭には何も書かれておらず、便せんの下の方に三行の短い文があった。

 

 『

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  八意永琳の所在が判明。

  場所は迷いの竹林。

  一度だけ幻想郷へつながるスキマを開くことができる符を同封しておきます』

 

 

 挨拶もなく、簡潔に用件だけが記されていた。

 なのに、何が書いてあるのか理解できない。文面は知らない外国語のように見えた。視点が定まらず、文字の羅列がぐるぐる視界を飛び回る。もう遅い。読んでしまったのだ。

 俺が何千年とかかって探し求めてきた答えが、たったの20文字で表されていた。あっけがなさすぎた。

 いや、気づいていなかったわけではない。あのとき、竹林で迷ってたどり着いた場所。あそこには何かある気がしたのだ。率直に、第一に、もしかしたらそこに永琳がいるのではないかと、なぜか考えていた。行きたかった。あの建物に入りたかった。

 だが、それをしてしまったらすべてが終わる可能性がある。もしも本当にそこに永琳がいたら、俺はどうなるのか。

 

 死、以外の道はない。

 もう見つけてしまったのなら、永琳と戦わなければならないのだ。たとえ永琳が俺を見逃したとしても、俺が逃げられない。そんなことをすれば俺の自我が瓦解する。復讐が俺の存在意義であり、精神の根底なのだ。そして戦ったところで負けるのは俺だと確定している。

 だから、とてもおかしな話だが、俺は永琳を見つけるわけにはいかなかった。永琳を探しているのに見つけたくないと思うダブルバインド。矛盾している。だが、言い方を変えればそれゆえに安定していた。絶対に答えの出せない問題の上にいるからこそ、どちらを選ばなくても済んだ。自分を混乱させ、死に至る決断を先延ばしにできた。だから今まで生きられたのだ。

 一見して安定しているようだった。最近の俺の心は落ち着いているように見える。しかし、ようやく気づいた。俺の心が今、どうなっているのか。

 

 永琳の居場所がわかってしまった。いかなければならない。やつに復讐しなければならない。

 心が右に引っ張られる。

 

 永琳の居場所がわかってしまった。いってはならない。勝てない戦いをしたところで死ぬだけだ。

 心が左に引っ張られる。

 

 要するに、2方向から引っ張られたゴムひものような状態だったのだ。2つの力が拮抗しているから安定しているように見える。静かでおだやかなように見える。では、両者の間で引っ張り合いの道具にされているゴムは無事なのかと言えば、そんなことはない。限界まで引き延ばされ、千切れる寸前に追い込まれていた。

 ドックドックと心臓の音がいつになくうるさい。

 こんな手紙さえ届かなければもう少しだけもったのに。劣化した精神ゴムがブチブチと悲鳴をあげる。このままでは粉々に壊れてしまう。答えを選ばなければならない。どちらを選んでも死ぬことになる二者択一。

 

 あまりにも理不尽ではないか。焦燥と恐怖に支配されていた感情の中に、ふつふつと怒りが沸き起こってくる。なぜ、このタイミングなんだ。奴の所在が不明のままであれば逃げ切れたかもしれない。うやむやにして、諦めがついて、復讐なんて馬鹿げた妄想から脱することができたかもしれない。その可能性は限りなく低いにしてもゼロではなかった。永琳のことは許せないけど、もう不干渉。関わり合いを断って、自分の好きなように生きる。そんな未来があってもよかったじゃないか。

 それがここに来て、七転八倒しながらようやく忘れようと努力しているところに。狙っているのか。どこまで俺を苦しめれば気が済むんだ。

 

 手にしていた便せんを握りつぶしていた。自分でも驚いたのだが、俺は怒っていた。片時も復讐心をなくしたことはなかったが、ここまでの憤りを感じることはここ何十年もなかったのだ。

 久々の感覚だった。頭に血が上る。くすぶっていた炉の炎が勢いを取り戻し始める。憎悪の炎に燃料がくべられ、機関部がゆっくりと回転を始める。

 

 「……あっ!?」

 

 だが、そこからおかしくなった。急な立ちくらみに襲われる。立っていられなくなり、倒れるように四つん這いの姿勢になった。

 心臓に、ぎゅうっと締め付けられるような痛みが走った。死にそうなくらい胸が痛い。

 精神的な負荷がかかりすぎたのだろうか。妖力の巡りが変だ。正常ではない。急に炉を熱くしすぎたのがいけなかった。すっかり老朽化していたのだ。ボロボロの精神を酷使しすぎた。

 冷静になるべきだ。心を鎮めなければならない。そう頭でわかっていても、熱は全然おさまらなかった。くすぶった黒い煙を出して炉は燃える。オーバーヒートしている。言うことを聞かない。制御不能。溶ける。

 

 パンッ!

 

 幻聴でも何でもなく、物理的にそんな音がした。俺の体内でだ。

 次の瞬間、猛烈な吐き気が起こる。溶岩のように熱く感じる何かが口からビチャビチャと飛び出した。口内に広がる鉄の味。そして、急速に胸の痛みが引いていく。

 部屋が暗くてよく見えない。近くのロウソクを手にとって、吐きだしたモノを照らした。半固体状の真っ赤な吐瀉物。震える手で赤い塊をあさっていく。臓器があった。体外に取り出されたというのに活動を止めていない。ドックドックと筋肉が波打ち、中に残ったわずかな血を噴き出している。

 俺の心臓だった。

 

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