170話「自問自逃」
さて、俺は元気です。
きっと知り合いが今の俺の暮らしぶりを見たら、「お前何やってんの?」と疑問に持つことだと思う。俺自身、たまにそう思うくらいだからな。
というわけで、これまでの経緯を回顧し、たまには頭の中でも整理してみようか。
「えらっしゃっせぇーっ!」
まず今の俺はコンビニでバイト中である。普通にレジを打っている。
幻想郷にコンビニなんてものはないわけで、当然ここは幻想郷の外の世界になる。
俺は乙羅道場の弟子全員に卒業試験を課したあの日、その勢いに任せて幻想郷から抜け出した。そのとき以来、俺は今日まで幻想郷へ帰ったことは一度もない。
え、なにそれ、思いっきり竹林に行く感じだったじゃん?
うん、そう思う気持ちはわかる。現に俺は幻想郷から飛び出した後、何度も戻ろうかと思案した。今でも何かの拍子に竹林へ行こうかな、と考えることがある。
しかしだ、よく思い直してみてほしい。確かにあの竹林は怪しかった。何かいる感じがした。だが、それが一体どうしたというのだ。何か俺と関係があるのか。俺はあの竹林に異状を感じたにすぎず、その原因について一切何もわかっていない。永琳があの場所にいるというのか。そんな都合のいい話があるだろうか。俺が長年、草の根分けて探しまわった因縁の相手が実は目と鼻の先にいました、なんて皮肉ありあえるのか。ないね。ないとも。
じゃあ、何で幻想郷から出る必要があったわけ?
あー、それ聞いちゃう? 結論から言うと、大した理由はなかった。俺には放浪癖があるように思う。長期間眠っているときや、地底にいたころを除いて生活は旅を中心に行っていた。あまり長い間、一か所に腰を落ち着けて暮らすことに向いていないのかもしれない。
竹林での出来事はその元来の放浪癖を触発するきっかけにすぎなかったのだ。別にあのことが起きていなかったとしても、俺は近いうちに旅に出ていただろう。
「あの、早く会計してくださいよ」
おっと、ついぼうっとしてしまっていたようだ。目の前にお客さんが来ていた。急いで台に置かれた商品をバーコードリーダーで読み取る。梅おにぎり、ツナマヨおにぎり、プリン、チョコレート菓子……
「プリン温めますか?」
「はい? なんで?」
「温めますね」
「なんで!?」
幻想郷の外に出てからというもの、色々なことがあった。人間の世界の技術が発展し、ロケットを月に飛ばす時代になった。結局、人間は“表の月”にしか行けなかったようだが。それらの話については割愛しよう。現在はアパートの管理人をしている。このアパート、八雲紫所有の物件である。住人は俺のことを大家と呼ぶ者もいるが、正確には雇われの管理人である。家賃のほとんどは紫が持って行くので俺の取り分はほんの少しだ。妖怪世界も最近は資本主義である。
だからこうしてアルバイトで日銭を稼ぐ必要がある。能力を使って人間のフリをし、紫が捏造した戸籍情報を使って人間社会に溶け込んでいる。まあ、家賃とか食費とかかからないし、バイトは趣味みたいなものだ。金がほしいのも趣味のためだし。
適度な労働は心地よい。課せられた仕事に没頭することは、何も考えなくてもいいから気が楽だ。コンビニの他に交通整理とか土建のバイトもやっている。でも最近は何でもロボットが自動でやっちゃう時代だから、あんまり仕事がないんだけどね。
こんなふうに現代社会にどっぷりと浸かった暮らしぶりをしているわけだが、一応、紫を通じて幻想郷での出来事の話は聞いている。なにも全くの無関心になってはいない。
乙羅道場のその後についても耳にした。
俺が道場を出た後も、しばらく道場は残っていたようだ。だが、幻想郷に吸血鬼がやってくる事件が起こり、一時大荒れした時期があったらしい。不幸なことにその吸血鬼が居を構えたのが霧の湖であり、そのごたごたに巻き込まれて道場はあとかたもなく破壊されてしまったようである。いかな暗殺拳の使い手たちであっても、吸血鬼という人外界のビッグネーム相手に立ちまわれるほどの実力はない。道場生たちは死んだり消滅したりはしなかったものの、今は散り散りになって別々の生き方をしているようだ。
幻想郷では近年、異変という大事件が立て続けに起きる傾向にあるらしい。おそらくあれの影響だろう。地球温暖化。だいたいあいつのせい。俺には大して関係のないことなので気にしていない。
今日のコンビニのシフトの時間ももうすぐ終わる。ほっかほかになったプリンを客に渡したところで仕事を切り上げ、帰り支度をすべく休憩室に戻った。
* * *
俺は今の生活に満足している。バイトをして金を稼ぐのは楽しい。昔に比べれば格段にうまい飯が毎日食べられる。テレビがあり、ゲームもできて、漫画も読めて、映画も観られる。たまに紫とも会う。あいつは人遣いが荒いところがあるが、悪い奴じゃない。俺がこうして生きていけるのは紫の世話があってこそだ。不満はないし、感謝している。
閉塞感はあった。この世界には妖力が乏しい。人間は神秘に対する畏れを捨てた。妖怪は昔から何も変わらないし、変われない。このアパートの住人はみんな思っていることだろう。行き詰っていた。だが、それもいい。むしろ安心するのだ。この窮屈な空気は巣穴の中のよどみに似ている。俺の周りには俺だけの小さな世界ができていた。何も不自由はしていない。
ただ一つ、その世界には致命的な欠損が生じているというだけで。
バイトからあがり帰宅した俺は、部屋に入る前に集合ポストのチェックをする。自分用のポストの中を探ると、ゴミにしかならない小チラシ数枚と封筒が一つ入っていた。封筒は事務的な感じのしない丁寧なもの。差出人は紫だった。
 




