169話「アナザー・サイド・早苗」
「こんにち東風谷!」
「どうした早苗ぇ」
今、少女を求めて全力尾行している私は高校に通うごく普通の女の子。強いて違うところをあげるとすれば、巫女をやってるってとこかナ……名前は東風谷早苗。
あ、待ってください。通報はちょっと待ってください。言い方がまずかったですね。
先述の通り、私は守矢神社というところの巫女である。と言っても、あのおなじみの紅白の装束を着て年末年始に社務所で縁起物を売るだけのなんちゃって巫女ではない。何を隠そう守矢家第七十八代頭主、風祝の大役を仰せつかった本物の巫女にして、私自身が神格を持ち祀られる存在となっているのである。えっへん。
まあ、しかし、ではそれが具体的にどうすごいのかというと。実はあんまりすごくはない。
このご時世、とかく神秘というものが批判されやすい。科学技術が進歩した現代において、神々の力をもって起こされる奇跡のほとんどが存在意義を疑われてしまった。神力といえども有限なのだ。人々の信心がなければ奇跡も意味を失ってしまう。神職の需要がなくなってしまったわけではなく、いつの時代も宗教は人々の心の支えなのだと思うが、その在り方が変わったのだ。神社は昔より形骸化し、本気で神様を信じる人は減ってしまった。
昨今の情勢にならい、守矢神社も例外ではなく危機的状況に置かれている。経営的な問題もさることながら、最たる課題は深刻な信仰心不足への対策である。難しいことを省いて簡単に言えば、人々からの神社に集まる信仰がそこで祀られている神様のごはんなのだ。信仰が集まらなければ神様もおなかが空いて力がでない。こればかりは私がいくらおいしい料理を作ってあげても解決できないのだ。
「そこで諏訪子様、私は考えました。守矢神社の知名度を上げ、参拝客を増やすためにも大々的な広報活動が必要ではないかと」
「何する気だい」
PRには目玉となるアピールポイントが必要である。そこで私の出番だ。巫女として優れた力を持つ私は除霊技術も習得している。その能力を生かし、人々を悩ます悪しきもののけたちを退治するのだ。
それだけならただの妖怪退治屋、除霊師、祈祷師の類である。注目すべきは私が現役女子高校生という点だ。しかもかわいい。美人女医とか美人婦警とかが流行る時代、美人女子高生巫女だっていけるはず。いや、ここはもっとインパクトのある肩書で主張したい。巫女というフレーズがどこかエセ宗教臭さを醸し出している。もっとリアルさを出して、ワイルド&ダークな感じで。
美人女子高生霊能力者探偵、東風谷早苗!
これは映画化もいけるのではないだろうか。テレビ番組出演のオファーがくるかもしれない。
ただ、問題は神様が信仰心不足であるのと同様に妖怪勢力も衰退の一途をたどっているということだ。超常現象や怪異は全て科学で説明がつくと信じられている時代である。つまり、妖怪や幽霊などが出現すること自体が稀になってきており、必然的にその退治人の仕事もそうそうあるものではないのだ。
「だめじゃん」
「ふっふっふ、ところがですね。入手したのですよ、タレコミ情報を!」
うちの学校のオカルト科学検証研究会で得た情報によると、なんでも妖怪が出没すると噂のアパートがあるらしい。研究会員による調査も行われたようだが、結局そのアパート自体を発見することができず、ガセネタとして処理されたようだ。しかし、それは所詮素人の調査。プロである私なら何かの手がかりを見つけられるかもしれない。というわけで、さっそく現地と思しき場所に赴いたというわけだ。
隣町なので電車を使えば移動に時間はかからない。放課後、一端帰宅した私はすぐに出発した。その際、うちの神社の神様の一柱である諏訪子様が勝手に同行してきた。神様なだけあってその見た目に似合わず頼もしくはあるので、連れて行っても大丈夫だろう。
向かう途中、スーパーで特売しているところに目がつき、つい立ち寄ったり。豆腐と卵とカマボコの分子変弾性圧縮処理レトルトを購入。人工食料はうちの神様方の口に合わないものが多いので、それなりに食材選びには気を使っている。それと諏訪子様がお菓子をほしがったので、ロリポップを買い与える。まあ、今日は様子見といいますか、あまり深追い捜査はしないことにしよう。変にガツガツした捜索を行うより、自然体で行動した方が怪しまれないはずだ、うん。
「確か、この辺りにあるという話だったんですが……」
そこは古ぼけた感じのする住宅地だった。区画整理のされていない乱雑な住居の立ち並び。妙に薄汚れた景色に見えるのは、空気が淀んでいるからだろうか。それともただの先入観か。ただ、気の流れのよくない場所であることは確かなようだ。妖怪のいそうな雰囲気に見えないこともない。
しかし、スーパーの袋片手にしばらく歩きまわってみたが、特にこれといった異状は見られなかった。
「霊障が起きるほどの妖力の変化も感じませんし、期待はずれでしたね」
「……」
「諏訪子様?」
「……いや、気のせいかな。そうだね、ここには何もなさそうだ」
私と違い、諏訪子様は何か感じるものがあったのだろうか。だが、本人が気のせいだと言っているのだし、大したことではなかったのだろう。
だいぶ日も暮れてきた。晩御飯の用意もしなければいけないので、今日の調査は切り上げることにする。通ってきた路地を引き返していく。
一番星が黒ずんだ赤い空の上に輝き、電柱に取り付けれた街灯がチカチカと光り出した頃、道の向こうからこちらの方へ歩いて来る少女の姿が見えた。
少女は少し変わった格好をしていた。一言でいえば、コンビニのアルバイトの制服である。全国的に有名なコンビニチェーン店の制服と制帽。まさにバイトあがりといった様子で、疲れた印象を受けた。なんだか、精気が感じられない。容姿は明らかに私より幼く、中学生か、小学生にも見えるくらいだ。バイトができる年齢なのか疑問に思えてくる。
中でも一番目立つ特徴は、腕だった。両腕がロボットアームみたいになっている。最近は障害治療や機能性向上のため、肉体のサイボーグ化技術が以前より進んできている。街を歩いていると、体の一部が機械になっている人をちらほらと見かけるようになったものの、ここまでひどいデザインをした外装は見たことがない。もう少し体にマッチした見た目にできなかったのだろうか。何かのこだわりがあるのか、外装表面は木材が使用されており、着色もされていないようだ。
まあ、しかし、恰好なんて人それぞれだ。素っ裸で外を歩いているわけでもないのだし、少しくらい変な見た目をしていたからといってそれをとやかく言う権利など私にはないし、自由にしていいと思う。街には稀にそういう人もいるものだ。私は変わった少女から意識をはずす。
「待って、早苗……!」
「えっ、どうかしましたか?」
そこで唐突に諏訪子様が私の手をつかんで止めた。何事かと立ち止まって諏訪子の方を見る。
「気をつけて、あいつはヤバい!」
諏訪子様は先ほどまでの暇そうな表情から一転、真剣みを帯びた顔つきになっている。道の向こうからやってくる少女を睨みつけていた。こんな鋭い警戒心をあらわにする諏訪子様を見るのは初めてかもしれない。あの少女に何か危険があるというのか。いずれにしても、すぐに臨戦態勢に入った方がよい。今日はちょうど、妖怪対策のために持ってきていたお札があるので、それを取り出して構える。
「あやかしの類、ですか? 私にはただの人間にしか見えませんが」
「ただの人間があんな呪いを受けて平然としていられるわけがない!」
諏訪子様にはあの少女に呪いの波動を感じているらしい。それについて私にはわからなかったが、よく見れば少女の体から妖力の反応を感じる。
問題はそこではなかった。いまだに私にはその少女が人間のように見える。“人間にしか見えないようにされている”。うまく説明ができない。圧倒的な先入観なのだ。確固たる証拠は何もないと言うのに、まるで当然であるかのように少女は人間であると思い込んでしまっている。むしろ、妖力を感じるのだから客観的には妖怪であることに疑いがない。にもかかわらず、疑えない。視野が固定されているのだ。だから妖力反応に気づけなかった。いや、気づいていたのだが、それを疑問に思わなかった。
この異常を打破するためには、違和感がないという違和感を感じ取らなければならない。諏訪子様に声をかけられなければ少女の正体を見抜けなかっただろう。こんな体験は初めてだ。気分の悪い酩酊感に襲われ、眼底に疼くような痛みが走る。
「俺の正体を見破りましたか。ほうほう、これは驚いた」
ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた少女は足を止めた。近くで見ると左右の目がまるでカメレオンのように、ちぐはぐに動いているのがわかった。ギョロギョロとせわしなく、めちゃくちゃな方向へ動きまわっていたが、あるときぱたりと止まり、普通の人間の眼球の動きに戻った。
それと同時に、ようやく私に“違和感”が戻ってきた。この少女は妖怪である。人間ではない。そう思えるようになった。おそらく今まで何かの術をかけていたのだろう。その術を解いたのだ。私は戻ってきた正常な感覚に安堵する。
「さぞかし名のある神様とお見受けします。ふっふっふ」
何がおかしいのか笑う少女。その余裕に、私はさらに警戒を強めた。諏訪子様も油断なく神力を研ぎ澄ませている。
そして少女はその場でおもむろに正座し、そのまま深く、地面に額がつくまで頭を垂れた。
「さぁーーっせんしたー! 見逃してくださいぃ!」
それは清々しいまでの綺麗な土下座だった。
* * *
とりあえず、この妖怪少女に敵意はないらしい。どうやら例のアパートの件にもこの妖怪が関係しているようだ。詰問しようとしたところ、あっさり白状した。というか、別に隠そうとしている様子もない。詳しく話を聞かせてもらうことになった。立ち話もなんだ、ということで、今は少女に案内されてアパートがある場所へ向かっている。
この妖怪、改めて観察してみたが、大して強そうには見えなかった。現代に生きる妖怪としてはごく普通の、凡庸な小妖怪と言ったところか。さっきは不思議な術のせいで面食らってしまったが、私でもあしらえるほどの妖力しか持っていない。あの術はこの妖怪の固有能力だったようだ。ときとして能力は使用者自身の格を越えた効果を発揮するものも稀にある。そういう特殊な能力を持っているからこそ、人間社会の陰に紛れ生き残ってこれたのかもしれない。
だが、なぜか諏訪子様はまだ完全に警戒を解いていないようだ。
「心配しすぎじゃありませんか?」
「確かに強そうには見えない。でも、なんかさ、ヤバい呪いを感じるんだよ」
しきりに呪いのことについて気にしているようだ。私は呪いの気配なんて特に感じない。いわく、相性の問題だそうで、諏訪子様だからこそ察知できる性質の呪いだそうだ。よくわからないが、別に私たちを呪おうとしているわけではなく、呪いにかかっているのは妖怪自身らしいので、やっぱり気にする必要はないと思うのだが。
アパートには歩いて数分もしないうちに到着した。二階建ての木造建築、腐食して赤くなったトタン壁が年季の深さを物語っている。そして、濃い妖力の気配が漂っていた。複数の妖怪が建物の中にいるのだろう。ここはさっき通り過ぎたはずの場所だった。すぐ真横を通ったというのに、諏訪子様も私もこのアパートの存在に気づけなかったのである。優れた結界で隠されているのだと思われる。思わず体に力が入り、緊張感が増していく。
「そんなにかたくならなくていいですよ。ここに住む妖怪は温厚な方ばかりですから。まあ、ザコ妖怪ばかりなので万が一にも危険はありません。はっはっは」
そうは言われても信用できない。一応は敵地に乗り込むことになるのだ。緊張は適度に保っておいた方がいいだろう。気を抜かず、少女の後に続いてアパートの一室に入る。
そこが少女の住居らしかった。入った瞬間思った第一印象は、見るからに一人暮らし。生活感が溢れまくっていた。はっきり言うと、汚かった。脱ぎ散らかされた服や、雑誌が無造作に床に置かれている。さすがにゴミが散乱しているわけではなかったが、ゴミ袋がいくつも玄関前のせまいスペースに並んでいた。臭いわけではないのだが、人が住んでいると自然に発生する生活臭というか、家独特の臭いが鼻につく。お世辞にも居心地のいい部屋とは言えない。
「すみません、本当に汚い部屋で。今、お茶を出しますから」
「あ、その、おかまいなく」
「いえいえ、お気になさらず」
部屋の間取りは八畳一間、玄関横の壁際に最低限の台所設備が取り付けられている。少女はそこのガスコンロにヤカンを乗せ、お湯を沸かし始めた。
「おっと、自己紹介がまだでしたね。俺は乙羅葉裏と申します。このアパート、『ファンタジックハイム八雲』の管理人をしています」
「私は東風谷早苗と言います。こちらはうちの神社の神様の洩矢諏訪子様です」
「ああ、守矢神社の! それはそれは、こんなところまでご足労をおかけしました。ろくなおもてなしもできずに申し訳ありません。お茶受けも準備できていなくて……ああ、そうだ、よければこれを」
そう言って少女はビニール袋から何かを取りだした。プリンである。それを諏訪子様の前に差しだす。
「今日、バイト先でもらったものなんですがね。うっかりレンジでチン!してしまいまして、はっはっは。まあ、賞味期限は切れていませんから大丈夫なはずです。こんなものしか用意できなくてすみません」
諏訪子様が、何だコイツは……と言いたげな目で妖怪少女を見ている。悪気はないのだろうが、なんだろう、この独特のペースは。
「それでは、このアパートについて説明させていただきます」
ぴしりとたたずまいを正した少女がようやく本題について話し始めた。
思っていたよりも話は複雑ではなかった。このアパートの入居者は全員妖怪である。開発のため、住処を追われて行き場を失った妖怪たちのために格安で住居を提供しているのだそうだ。つまり、消滅間際に追い込まれた弱小妖怪たちの吹き溜まりのような場所であった。
「八畳一間で各部屋台所付き、トイレと風呂は共同で、洗濯場まで完備して、なんと家賃一月38000円。どうです、駅からそう遠くもないこの立地でこの値段設定は破格でしょう?」
それと同時に、入居者の社会復帰も支援しているという。希望者は“ある場所”へ送ってもらえる。その場所を幻想郷と言い、現代の人間たちが捨て去った技術革新以前の暮らしが息づく地だという。今では伝承の存在として忘れ去られてしまった妖怪たち、八百万の神たちが古い時代の在り方のままに生き続ける楽園。そんな場所が現代の日本に残っているとは信じがたいが、私も噂には聞いたことがあった。
「でも、そんな場所があるのなら、アパートの意味がないと思いますが。尋ねてきた妖怪たちは皆、幻想郷へ行くことを望むはずでは?」
アパートではなく、送迎所にしてしまえばいい。それとも、幻想郷に行くには何らかの条件を満たさなければならないのだろうか。通行人数に制限があったりとか。
「いえ、制限はありません。希望者は長くても一日もあれば幻想郷へ送れます。問題は、行きたくないとおっしゃる方が割といることですね」
このアパートを通してしか幻想郷に行けないというわけではないという。あくまでもここはルートの一つでしかない。しかし、実質的に一方通行で、向こうに行くと基本的にこちらへは帰ってこれないらしい。妖怪の中にも色々と事情がある者もいるようで、全てが新天地への移住者となることを望んでいるわけではないようだ。
「我々のような社会の表沙汰にできなような人たちには何かと厳しい時代になったものですよねえ。あ、いやいや! もちろん、俺たちのような下賤な妖怪風情と一緒にするな、と思われるお気持ちはわかっております、はい。しかし、そのー、こういうことを言うのも失礼なことと重々承知はしているのですが……最近は人間たちも以前に比べて信仰心を失っていきているでしょう?」
「まあ、それはそうですけど」
「いや、批判しようとかそういう気持ちはこれっぽっちもないんです! ただですね、信仰の新しい市場を開拓すると言いますか、あくまで参考の一つと受け取ってほしい提案なわけですが、ここで幻想郷! どうでしょう。幻想郷で一旗あげるというのは。向こうは妖怪がわんさかいるという環境にも関わらず神社が一件しかないという深刻な神社不足でしてね。それどころか、妖怪社会も今はグローバルな文化交流が盛んに行われる風潮があり、神社に参拝したいと考える奇特な妖怪も増えているみたいなんですよ。幻想郷にはそういった多大な需要が眠っているわけです」
「……そんな見たこともない場所の話を急にされても困るんですが」
「そうですよね! いや、まったくその通りで、返す言葉もございません。そこで、一つ耳寄りな情報がありましてね。なんと現在、八雲観光がお贈りします快適なスキマの旅、幻想郷日帰りツアーパックが期間限定で申し込み受付中なんですよ。こちらがそのパンフレットになります。都会では味わえない古き良き時代の香り、幻想郷の魅力をぎゅっと詰め込んだ見所満載の日帰り旅行を、驚きのこのお値段で! ご提供させていただいております」
「お金取るんですか」
「あちゃー、痛いところ突かれてしまいました。確かに我々は幻想郷発展のため、そして幻想郷に興味を抱いてくださった人々のために滅私奉公の精神で尽力しております。ですが、ごらんくださいこの充実のプラン、このサービスを無償で行うというのはちょっと……それにここで逆にタダでいいですよ、というのはいかにも怪しいと思いませんか? ええ、こちらが妖怪であるという時点ですでに怪しいということは確かにそうですが、ここで包み隠さず料金内容を明示することがわたくしどもなりの誠意だと思っています。もちろん、強制はしません! こちらのパンフレットは差し上げますので、よろしければご一読ください。暇な時にでも」
完全に話がセールスになってきた。普段なら、新聞とか訪問販売の営業で来た人に対応するときは話を取り合わずに無視するところだ。しかし、相手が妖怪であり、商売の内容が私たちと無関係ではないだけに聞き流すこともできない。
というか、そもそも私はこんな怪しげな話を聞きに来たわけではない。あやうく相手のペースに乗せられるところだった。この場所は街のど真ん中、人間の領域に存在している。さらに言えば守矢神社との距離も近いこんな場所に妖怪の巣窟を許可もなしに作るなどあってはならないことだ。危険はないと言っているが、妖怪の言うことをうのみにすることはできない。最悪の場合、事を構える展開になることも想定しておくべきだろう。こちらとしては早々に立ち退いてほしいところだ。
下手に出る必要はない。ガツンと、言ってやるべきである。
ピンポーン
と、私が意気込んでいると、間の悪いことに来客を知らせるチャイムの音が鳴った。妖怪少女はこちらに断りを入れて席を立ち、玄関の方へと向かった。
「ああ、大家さん、夜分にお邪魔してすみません」
「いやいや、構いませんよ。どうしましたか」
詳しくはわからないが、やってきた人(?)は妖怪のようだ。ドアの外に立っているため姿がよく見えないが、大きな毛玉の塊のような物体の輪郭が確認できた。妖怪少女のことを大家と呼んでいるので、このアパートの住人らしい。
「その、今月の家賃、なんですが」
「もしかして……」
「すみません! 来月になったら、これまでの分もまとめて必ず支払います! ですから、どうかもう少しだけ待ってもらえませんか……!」
非常に気まずい空気が流れた。毛玉妖怪は玄関先で丸まって、体をうねうねさせている。最初はなんだかわからなかったが、どうやら土下座しているらしい。しきりに「お願いします、お願いします」と繰り返している。
「い、いいんですよ! そんなにかしこまらなくて。そりゃ家賃は払ってもらうに越したことはありませんが、このアパートは行き場を失った妖怪のためにあるんです。チンゲチラシさんが頑張っていることを俺は知ってます。だから家賃のことは気にしないでください」
「大家さん……」
正直、悪いとは思うがそういうやり取りは後でしてほしかった。空気が、重い。
チンゲチラシとかいう聞いたこともない名前の妖怪は感極まったのか、小さく嗚咽をこぼし始めた。うずくまる毛玉に、妖怪少女がそっと手を差しのべる。
「ぐすっ、オレは本当にダメな奴です。幻想郷へも行けず、今いるこの街でもうまくいかない……大家さんにこんなに良くしてもらってるのに、迷惑ばかりかけて、自分が情けなくて」
「ほら、そんなに弱気になってどうするんです。このアパートの住人は似た者同士、運命共同体みたいなものです。一人で悩まず、誰かに頼ってくれていいんです」
「ありがとう、ございます。あっ、そうだ、家賃は払えませんでしたが、これ。どうぞ受け取ってください。こんなものしか用意できなくてすみせん」
そう言って毛玉妖怪は毛の中からゴロゴロとリンゴをいくつか取りだした。
「リンゴですか。これはどうしたんです?」
「え、あ、知り合いが送ってきてくれたんですよ! その故郷の」
「……」
「リンゴは嫌いでしたか!? すみません、気がきかなくて」
「いえ、そんなことはありません。ありがたくいただきます。ただ」
「ただ?」
「俺は信じてますよ。チンゲチラシさんのことを」
妖怪少女はリンゴを受け取ろうと手を伸ばす。毛玉はそれに対し、リンゴを渡そうとして、途中で動きが止まった。ぶるぶると震えだす毛玉。リンゴを持ったまま、硬直している。
「……そ、そのっ、本当はこれ、このリンゴ、送ってきたとかじゃなくて、盗ん…」
ドゴッ!
次の瞬間、鈍い音とともに毛玉は殴り飛ばされていた。妖怪少女が殴ったのだ。その衝撃を受けた毛玉は、ちぢれた短い天然パーマのような毛をまき散らしながら床を転げ回った。
「お前は思ったのか。俺がそんなものを受け取って喜ぶと思ったのか」
「あ、あ……」
「馬鹿野郎だよ。家賃なら待ってやるつもりだったのに、わびの代わりにこんな土産をよこしてくるとはな」
「ううっ、お、オレ、どうしても大家さんに何かしたかった……お金は払えないけど、少しでもやれることはしたくて」
「理由とか程度の問題じゃねえ。わかってるはずだろ。それをやったら、お前の居場所はもうどこにもなくなっちまう。俺はそんなこと少しも望んでいない」
「すみません、オレぇ」
「わかったらさっさとそれを元の場所に戻してこい!」
毛玉妖怪は弾かれたような勢いでリンゴを持ってどこかへ走り去って行った。叱責を終えた妖怪少女は玄関の前で肩を落として立ちほうけていたようだったが、間もなく踵を返してこちらに戻ってきた。
「いやあ、お騒がせして申し訳ありません! それで、何の話をしていましたっけ? そうそうツアーの話でしたね。それはまあいいとして、我々がどういった活動をしているのか、まだまだ説明不足な点が多々あるかと思います。わたくしどもといたしましても、これを機に守矢神社の方々と友好なお付き合いをしていきたいと考えておりますので……」
そして重苦しい空気をぶった斬って平然と再開するセールストーク。
この流れで「ここから立ち退け」なんて話を切り出せる鋼のメンタルを私は持ち合わせていなかった。そして何か攻撃を受けたというわけでもないのに、半ば逃げるように諏訪子様の手を引いて妖怪アパートを後にするはめとなった。こうして私の美人女子高生霊能力者探偵としての初仕事は苦々しい成果を残して幕を閉じる。もっとも、探偵のまねごとなんて金輪際やろうとは思わないだろう。




