151話「さらば、シャンハイ」
魔法の森の人形使い、アリス・マーガトロイド。魔女はそう名乗った。いや、魔女だなんて品のない呼び方はよそう。ここは魔法少女と呼ぶべきだよね。
アリスの怒りを鎮めるためにはキノコの毒に冒されたシャンハイ人形を治療しなければならない。だが、それは簡単にできる話ではなかった。ただの毒なら人形であるシャンハイに効果があるはずがないのである。つまり、この毒は魔力的な要因でもってシャンハイを苦しめていることになるのだ。普通の毒の治療のように、血清を投与する等の方法は通用しない。
「治せるわよね?」
「……」
しかし、泣き言は許されない。我々の前には必ずしも望ましい運命が用意されているわけではないのである。否と答えられる空気ではなかった。時刻も既に夜に差し掛かる頃である。さらに、不運を暗示するかのように急に天候が曇り始めた。一雨来そうな空だ。早く終わらせて帰りたい。
全速力で道場に甲羅を取りに行って帰ってきた俺は、すぐに準備を始める。瀕死体のリグル(状態:気絶)とみすちー(状態:猛毒)はそこらへんに転がしておくとして、チルノとルーミアにも手伝わせた。
これから行う術式は、俺も初めて試みるものである。地底封印時代、聖輦船で一輪に習った法術だ。法術には、人々を災厄から守る加持祈祷の教えがある。それを使えば、シャンハイの毒を癒せるかもしれない。
まず、地面に俺の血で陣を描く。その中心にシャンハイを置き、俺とチルノとルーミアで特別な符を持って三方から取り囲むように立つ。
「これでいいのかー」
「ああ。後は各自、さっき言った段取りの通りに頼む」
「わくわくしてきたわ!」
法術は、本当なら修行を積んだ僧にしか使えないものだ。まして信仰もしていない妖怪に扱えるものではない。それを使えるようにする方法が、この符である。聖輦船の書庫に秘蔵されていた命蓮作のハイパー徳の高い符だ。込められた神力は千年経った今でも健在である。これさえあれば信者でない俺でもインスタント法術が使用可能なのだ。
「いくぞ、精神を研ぎ澄ませ! 法力『金剛界法破魔大禍祓』!」
術式を起動させた。符が輝きを放ち、温かな光がシャンハイを包み込む。
「……シャッ、シャンハイ……」
気を失っていたシャンハイがかすかに声を上げる。しかし、その表情はまだ苦し気だ。
「シャンハイ! しっかりして!」
「落ち着け。まだ術が完了していない。このまま続けるぞ。ふぅ……
ハァー! キエエエェェ! 邪悪なる魔物よ! この者の体から出ていけ!」
「シャン、ハイ……!」
これは病や怪我、その他様々な不幸のもととなる魔を祓う術である。いったん定着した魔を取り除くことは大変な労力を要する。対象者の体にかかる負担も大きいのだ。
「ルーミア、チルノ、お前たちも祈れ!」
「悪☆霊☆退☆散、なのか〜」
「ついにアタイの隠された左目の封印を解くときがきたというわけね。この技は右目で現世を、左目で霊界をとらえることによって視界に入った全ての生物の魂を見極m」
ちなみに、この術のエネルギーは符に込められた法力で賄われており、一度発動すれば自動で術が施行される。俺たちの行為に特別な意味はない。なんか血で魔法陣みたいなの描いてみたけど、それにも意味はない。
「ジャンバッ、ジャバッ、ジャバアアアア!!」
「ちょっと!? シャンハイがこの世のものとは思えない恐ろしい表情になってるわ!」
「落ち着け、これはシャンハイの中の“魔”が外に出されようとしていることによる拒絶反応だ。もう少し堪えれば楽になる」
「でも、このままじゃシャンハイが……!」
「落ち着けと言っているだろう! 俺は地獄先生ぬ●べ〜もGS美●極楽大作戦!!も読んだことがある。その道のプロだ。必ずシャンハイを救ってみせる! ここからは……本気だ……ハァァァァ……
魔滅魔滅魔滅魔滅魔滅魔滅魔滅魔滅魔滅魔滅魔滅魔滅、魔滅食えッ、豆ぇーーッ!」
この呪文も、特に意味はない。要は気合いだ。世の中、気合いで八割方なんとかなるものだ。
「シャッ、シャシャシャ、シャバッ、しゃーーんはーーー……い……ごばっ!?」
ナンカデタ!
シャンハイの口から何か出た!
「やった、のか……?」
シャンハイから排出されたソレは小さな光の玉だった。神々しい輝きを放ちながら、ゆっくりと浮上していく。その輝きが一瞬、強くなったかと思うと、光の玉はシャンハイの形へと変化した。半透明の霊体のような姿のシャンハイが現れる。
「シャンハイ……? ねぇ、これどういうことなの!? シャンハイはどうなったのよ!」
うろたえるアリスの前に霊体シャンハイが近寄る。その表情は憑き物が落ちたように穏やかだった。
『シャンハイ……(訳:ご主人様、今までありがとう』
アリスの頬を、一筋の涙が伝う。霊体シャンハイはその涙を優しく拭うと、空に向かって飛び立っていく。
「待って! 行かないで、シャンハイ! 私を、置いて行かないでよぉ」
『シャンハイ……(訳:大丈夫だよ、私はいつも、ご主人様のこと、見守ってるから)』
「いやっ、シャンハイ、行っちゃだめ! シャンハイーーーーーーーー!!」
るーるーるるーふぅーーるーららー
霊体シャンハイは空の彼方へと消えて行った。思わず目頭が熱くなる俺。涙を隠すように見上げた空は、不思議なことに雲がなくなり、見事に晴れ上がっていた。
「そんな、シャンハイが……ううっ……」
「アリス、空を見てみな」
俺は泣きじゃくるアリスの肩に手を置き、そう促す。そこには満天の星空があった。その星々の淡い光たちは、先ほどのシャンハイの小さな光を彷彿とさせる。
「シャンハイはいなくなってなんかいないのかー。ちゃんと、アリスのココにいるのかー」
ルーミアはそう言って、アリスの手を取り、胸の上に重ね合わせた。
「生と死の宿命が紡ぐか細い糸。その連なりは儚くも、決して途切れることはない。アタイたちは大切な何かを失った。その意味を、この犠牲を、考えて先に進まなければならない……それが、残されたアタイたちにできるシャンハイへの手向けだから」
チルノは目を閉じ、厳しい面持ちで呟く。確かに俺たちは、この辛い現実を受け入れなければならない。
しかし、今は。今だけは静かな気持ちでこの美しい夜空を見上げていたいんだ。あのシャンハイが最期に見せた笑顔のように輝かしい星の煌めきを。
* * *
さて、その後の顛末がどうなったかというと、言うまでもなく地獄だった。
鬼神の如く怒り狂った魔法少女アリスのスーパー攻撃魔法教室が始まり、俺たちの真のサバイバル実戦が幕開けしてしまったのである。結界でも張られたのか、魔法の森から出られなくなり、ベトコンのゲリラに追い詰められる米兵のように一晩中死ぬ気で森を駆けずり回った。
あれから月日は流れ、もう今年で5度目の秋を迎えた。さすがに罪悪感が残った俺は、こうしてひっそりとシャンハイ人形の墓を作って弔ったのだ。実に勝手な話である。あれ以来、アリスに面と向かって顔を合わせたことはなかった。それが今日、よりによってこの場所で出会ってしまったのだ。
許されるとは思っていないが、誠意は見せるべきだ。俺はアリスと向かい合い、腕を広げて構える。
「アリス! 俺を殴れ! 気が済むまで俺を殴れ!」
美少女に殴られるなら本望、むしろご褒美。覚悟を決めた俺に対し、アリスはフッと笑みをこぼしただけだった。なぜだ、もう俺を恨んでいないと言うのか。
「あれを見なさい」
アリスが指差す方向は空だった。朝日が黄金の輝きを放ち昇ろうとしているその空の彼方に、一瞬強く星がまたたいた。いや、その星の光はだんだんと大きくなっているではないか。
「あれは、あそこにいるのは、まさか……!」
「シャンハーイ!!(訳:待たせな、お前ら!)」
それは紛れもなくシャンハイ人形だった。シャンハイは真っ直ぐにこちらに向かって飛んでくる。
「本当にあのときのシャンハイなのか!? 死んだんじゃなかったのか!?」
「そうよ、人形なんだから死ぬわけないでしょ」
シャンハイは生きていた。めっちゃ天に召された雰囲気だったけど、普通に生きていたんだ。ちくしょう、5年もの間悩んでいた甲斐がねぇ。だが、そんなことはともかく、俺はシャンハイが生きていてくれたことを心から喜んだ。
「シャンハーイ! お前って奴は心配かけさせやがってよォーッ!」
俺は笑顔でふれあうシャンハイとアリスたちのもとへ走った。これで俺たちの長年のわだかまりは消えるだろう。そうだ、今日は祝いに道場の連中も誘って、あのときできなかったキノコパーティーをみんなで……
駆け寄る俺を、アリスは熱いビンタで迎えた。
パンッ!
「あんっ」
ズザァと地面を無様に滑る俺。頬に走る痛み。何をされたのか理解できず、呆然となる。アリスはシャンハイと戯れていたときとは打って変わって、冷ややかな目を俺に向けていた。
「な、なんでや。これ仲直りする展開とちごたん?」
「何言ってるの? あなたのことはもう恨んではいないけど、別に今さら馴れ合う気もないわ。シャンハイにひどいことしたのは事実だし」
アリスはそう言い残して去っていく。その背中に向けて伸ばした震える俺の手は、虚空を掴むだけに終わる。その様子をシャンハイが見ていた。
「バカジャネーノ(訳:馬鹿じゃねーの)」
風が、強く、吹いた。
パタッ
シャンハイの、墓が、倒れた。