144話「ハニートラップ」
「ハチミツが取れたのだー」
ルーミアが森でハチミツを取ってきた。常に食い物を探して徘徊する癖があるルーミアはこういったものを見つけることが得意だ。いつものルーミアはサーチアンドデストロイの精神で、発見後間髪入れずに全て食すのだが、収穫が多いときはたまに道場に持ち帰ってくるのである。
「しかし、ハチミツか。ということは久しぶりにアレができるな」
「アレするのかー」
アレと聞いて様々な想像が諸兄らの脳内を駆け巡っていることと思う。黄金色のどろりとした粘性のある液体がルーミアの白くきめこまやかな肌の上にこぼれ織り成すエクスタシーとかそんなことを想像していると思う。
しかし、ここは神聖なる道場である。そのようなふしだらな行いは断じて許さん。第一、青少年の健全な育成を応援するこの乙羅暗殺拳道場においてかような変態的暴挙を認めるはずがないのであるよ。
「というわけで、釣りに行くぞ」
「わーいなのだー」
今回は至極健全な釣りの話です。
* * *
釣り竿を持ってルーミアと一緒に湖のポイントへ向かう。
しかし釣りとは言っても魚釣りではない。この霧の湖にはあまり魚が住んでいない。全く釣れないことはないのだが、竿を垂らして5、6時間何もかからないことがザラである。また、ときどきドデカイ魚影が水面に映るときがあるが、恐らく妖怪だと思われる。少なくとも細い竹竿で一本釣りできる相手ではない。
では何を釣るか。その答えがハチミツだ。釣り糸の先に取り付けたエサはミミズではなく綿である。この綿に少量のハチミツが染み込ませてある。こいつで獲物をおびき寄せる。
「よし、この辺にしとくか」
「うまそーなのがいっぱいいるのだー」
ルーミアが目を向けた先にいるもの、それは妖精だ。湖上には数えきれないほどの妖精が飛んでいる。そう、俺たちのターゲットはこの妖精である。
湖の岸に二人並んで腰掛け、糸を垂らす。初めのうちは警戒して妖精たちは近づいてこない。特にサイズの大きい妖精は警戒心が強いので、こちらに接近することはまずないと言っていい。
だが、しばらくすると小物の妖精たちがそわそわし始める。そのサイズはだいたい手のひら程度だ。このくらいの大きさの妖精はアホが多い。待ち構えている俺たちが何もしてこないことに安心して近寄ってくる。それまでじっと我慢して待つことが妖精釣りの要点だ。
「……」
「……」
秋の柔らかな日差しの下、俺とルーミアは岩のように黙して座っている。少しでもおしゃべりをすれば妖精を警戒させてしまうからだ。
妖精釣りは俺たち二人が開発した遊びである。互いに本気で勝敗を競う。俺は能力を使って妖精の注意を引き付けるようなまねはしない。それはフェアではないからだ。真剣に竿の先に意識を巡らし、ヒットの瞬間を今か今かと待ち伏せる。
「コレナニー」
来た。一匹の小さな妖精がふらふらと飛んでくる。チラチラとこちらを気にするように目を向けてくるが、無表情で雁首揃えて体育座りする俺とルーミアは完全に静物と化していた。
「クンクン……」
妖精はハチミツのにおいを辿って綿に近づいてくる。これまでの経験上、妖精は総じて甘いものが好きであることが判明しているのだ。獲物は必ず罠にかかる。
注意しなければならないのは、いかに冷静な態度を保てるかということだ。普通の魚釣りでは釣り餌に興味を持たせるために誘いのモーションを作るなどのテクニックもあるだろう。だが、妖精釣りではそういった工夫は逆効果である。わずかな物音でも立てれば妖精はたちどころに逃げてしまう。ただひたすらに静寂を貫くことが肝要だ。どんなことがあろうと竿を揺らしてはならないのである。無心。ひたすらに無心。無我の境地で獲物を迎え撃つ。
妖精は二つの餌の間を値踏みするかの如く飛び回る。どちらに食いつくかは完全に雲の勝負だ。果たしてその結果は……
「パクッ!」
ヒットしたのはルーミアの竿だ。俺は舌打ちしたい気持ちを飲み込む。まだ釣り上げてはいないのだ。ここからが正念場である。
すぐに竿を引いてはいけない。まずは見守る。獲物が甘い蜜によって気を緩ませるまで待つ。
「アマイ、アマイ♪」
この見極めが難しい。さらに注意しなければならない点は、針をかける場所である。妖精とは非常に繊細で耐久度紙の生き物。少しでも針が柔肌をかすっただけで簡単にピチュってしまう。傷つけないようにうまく服に引っかける必要があるのだ。
ルーミアは慎重に機をうかがう。心臓も止まるほどの緊張が続く。妖精が最大限に油断したそのときこそが勝負……今だッ!
ルーミアの目が光った(キラーン)。それまでの抑圧されていた衝動を解き放つ。竿を大きく引き、自身も地を蹴り跳躍した。
「フィィィーーーーz____シュッ!!」
「ナニゴトー!?」
釣りキチがごとく空中を舞うルーミア。パンツが見えようと構わない。水しぶきが跳ね上がり、太陽の光りを反射した。文句のつけようがない、美しい妖精一本釣りである。
「シット! 先を越されたぜ!」
俺は地団駄を踏む。この勝負、軍配はルーミアに上がったようだ。
「いただきますなのだー」
「ヒッ!?」
勝者の特権、妖精の踊り食いだ。と言っても、本当に食べるわけではない。妖精はピチュると影も形もなく消失してしまうので、いくら食っても全く腹が膨れないのだ。
では、何をするかというと、まず服を脱がす。
「むくのだー」
「キャー! ヘンタイ! ヘンタイ!」
そして舐める。ただ黙々と舐める!
「ぺろぺろぺろぺろ!」
「イヤァァァ!」
これこそが妖精釣りの醍醐味である。苦労して釣り上げた妖精の汗の味は格別だ。もちろん、ひとしきり堪能して妖精がぐったりしてきたら湖に帰してやる。キャッチアンドリリースも釣り人のマナーである。ね? KENZENでしょ?
しかし、まだヒットしていない俺は不満だった。ルーミアの勝ち誇ったようなぺろぺろタイムを見せつけられて悔しくないわけがない。だが、これだけ騒いでしまった後となっては、しばらく獲物が近づいてくることはないだろう。いかに頭の弱い妖精といえども警戒するはずだ。もし、かかるとすれば、そいつは相当バカな妖精……
ピィン!
「なに!? ヒットがきただと!?」
いつの間にか竿が引いていた。獲物は水中にいる。ものすごい引きだ。竿が持っていかれそうになる。
「これはかなりの大物だぞ!」
妖精釣りは小さな獲物をターゲットにしている。笹竹で作った細い竿ではこの大物のパワーに対抗できない。本来なら大きな妖精は知能が高いため、こんな簡単な罠にはかからないはずなのだが、こいつは恐らくかなりのバカ。餌に食いついて離れない。
力勝負で俺が負けるはずはないのだが、このままでは先に竿が折れてしまう。もう竿は手放して、水中に潜って生け捕りにした方が速い気がするが、それはもはや釣りではない。スポーツマン精神に反する行為だ。いや、そもそもこれは釣りなのか?という質問は受け付けない。
意地でも釣り上げたい。しかし、その願いに反してずるずると体が引きずられていく。
「くそっ! このままじゃ逃げられる……ッ!? ルーミア、お前!?」
地面を滑る俺をルーミアが後ろから掴んで支える。驚いて振り返って見れば、ルーミアは力強くうなづいていた。そうか、手を貸してくれるのか。勝負のときは敵同士、しかしピンチの友を見捨てたりはしない。それが、本当のライバル……釣り仲間だ!
「「うおおおおおおお!!」」
ルーミアのウェイトが足されることでしっかりと踏みとどまることができた。竿がしなる。水面に魚影ならぬ妖精影が現れる。俺とルーミアの力が合わされば、釣れない獲物など存在しない。
「おらぁっ!」
ザパァ!
熱い挿入歌でも入りそうな雰囲気の中、ついに妖精が水中から姿を見せた。釣り針に襟が引っかかって宙吊りになった、何か青いびしょ濡れのヤツが出てくる。
「アタイよ」
アタイだった。
「アタイったらチルノね」
チルノだった。
「とりあえず舐めるか……」
「キャー! ヘンターイ!」