125話「結成の乙羅暗殺拳道場」
霧がかる美しき湖畔の道場と言えば聞こえもいい。湖の水は澄んでいたが、魚はあまりいるようには感じなかった。建設予定地を探して回った。
だが、地盤が緩い場所が多く、いい地点が見つからない。妖精もわんさか飛び回っていて、うっとうしいことこの上なかった。一匹だけなら可愛いのに、大量に湧くと煩わしくなる不思議。
妖精という種族は厳密には妖怪とは異なる。自然現象が具現化した存在である。個人的見解を述べると、人間の自然に対する畏怖が結実したモノである。大昔は妖精を自然の化身として信仰する原始的な宗教があったが、後の神々の台頭に押されていつしか消えてなくなった。今では取るに足らない弱小勢力だ。
大きさは小さいもので蝶くらい。羽の生えた、かわいらしい小人だ。知能は低く、会話は成り立たない。体が大きい個体は妖力も知能も高いらしい。中には人間の子どもくらいの大きさの者もいるらしいが、俺は見たことがない。幻想郷にならそれくらいのも、いるかもしれない。本来は群を作らない性分だが、幻想郷では発生数が多すぎるのか群れているように見える。
中でも最大の特徴は肉体が破壊されても死を迎えない点である。致命傷を負おうと半日から数日程度の時間が立てば復活する。これは妖精が自然環境から抽象化されて生まれたためである。ある意味、妖精は自然そのものであり、もとになった自然がなくならない限り何度でも復活できる。
何が言いたいかというと、この目の前にいる大量の妖精を一匹残らず掃除したところで、次の日には同じ光景に戻ってしまうということだ。環境破壊をすると簡単に消滅してしまうのだが、俺もそこまで鬼畜ではない。
「場所は追々探していくか……」
湖をぐるりと一周したが、素人目にはどこに建てればいいかなどわからなかった。ひとまず休憩するか。
水際から少し離れたところにある木の陰で休む。ミスティアとリグルも枝にとまっている。
『(ジー……)』
『な、なに? そんなにジロジロ見ないでよ!』
思ったんだけど、この二匹は一緒にしていいのだろうか。主に捕食者と被捕食者的な意味で。
「何かいるのだー」
ルーミアは木のウロに手を突っ込んでいた。某ハチミツ好きの熊のごとく、中身を引っ張り出そうとしている。またお前はいらんことを。
「出たのだー」
「サイキョー! サイキョー! アタイアタイ!」
「もー、そんなところに手ぇ突っ込んじゃダメ! ばっちいから捨ててきなさい」
ウロから出てきたのは妖精だった。取り出した直後は死んだように眠っていたのだが、目が覚めると急に騒ぎ始めた。カブトムシくらいの大きさの小さな妖精だ。ただ、羽が氷でできていた。自然の氷から生まれた妖精なのだろうか。
しかし珍しいとは言っても、妖精は所詮妖精である。支離滅裂な言動しかせず、話ができる相手ではない。
「ペロペロ……冷たくて、うまいのだー」
「サイキョー!」
ルーミアはアイスでも食べるみたいに氷精を舐め出した。まったく、ペロッペロッペロッペロッ執拗に舐め回しやがって……ハァハァ。
「けしからん。俺にもペロペロさせろ」
「だめなのだー」
「ええい、師の言葉が聞けんというのか」
「だ、だめなのだー!」
「あっ、アタイ……ザイ、キョー……!」
結局、ルーミアと取り合いながらペロペロした。氷精はそのうち何も喋らなくなり、少しサイズが小さくなった気がした。
* * *
「皆の衆、ちゅ〜も〜く!」
一息ついたところで呼びかける。俺は集まった弟子たちを改めて眺める。
懸命な勧誘活動にも関わらず、結集したラインナップは闇の小妖怪一人、ホタル一匹、スズメ一羽、おまけでついてきた氷精(状態:グロッキー)という有り様だ。はっきり言ってゴミである。
しかしそこは俺の腕の見せどころだろう。逆にこいつらを一流の妖怪に育て上げることができれば、俺の指導の素晴らしさが証明されるということだ。がぜんやる気が湧いてくるではないか。
「これからお前たちに暗殺術を教えるにあたり、簡単な説明をしておこう。この技は俺が考案した独自の戦闘形態、和製アサシンと呼ばれる戦士が身につける諸々の技だ。基本的に直接的な斬り合いよりも、道具と知恵を用いた搦め手を行う。その点で正道の武術とは違うな」
『限りなく胡散臭いですね。それに妖怪がそんなの使えても役に立たない気がするけど……』
「これから俺の数々の技を目の当たりにしていく中で、その認識は大きく変わっていくだろう。しかし、その多くは俺固有の能力に由来する技だが」
『じゃあ、私たちは覚えられないチュン?』
「案ずるな。まずお前たちに教えるのは、乙羅殺法の中でも基本中の基本、暗殺体術における妖力の運用についてだ。『黒兎核狩』、『黒兎空跳』、『黒白閃兎』。この三つの技を覚えれば、乙羅暗殺拳初級として認めてやろう」
「三つしかないのなら、簡単なのだー」
俺の能力に頼った術を教えても無意味だ。符術なら覚えられるかもしれないが、あれはサポート用の技でしかない。教えても構わないが、あくまで余裕と意欲があればの話だ。
となれば、あと残っている選択肢は一つしかない。俺は妖力を循環させ始める。過活性化を開始した。
「妖力の運用、それこそが乙羅暗殺拳の基本にして最大の攻撃力を得る技だ。この三技が使えなければ話にならないな。それはそうとして、殺法『呪魂瘴』」
俺は妖力の循環によって生じた瘴気を手の上に集める。これは俺が受けた呪いによる殺法なので誰かに教えることは不可能だが、ある思惑があった。
『な、なんですかその禍々しい気は……』
基本三技の使用に必要なことは妖力の活性化だ。本来、妖怪は微量だが恒常的に体内の妖力を活性化させている。そのエネルギーの発露過程を意識的に拡大することで、活性化率を引き上げることが可能である。それによって爆発的なエネルギーを生み出すことが“妖力過活性化”だ。
「だが、そんなことが容易にできたら苦労しない。妖力は妖怪の存在を構成する最も重要な源素。過活性化による強化は精神に著しいダメージを与える。普通の妖怪では耐えきれずに自壊する。そもそも、そうならないように反射的にストッパーが働いて活性化を抑えようとする」
人間の体で例えるならば、全身の筋肉を意識して100%の出力で発揮させるようなものだ。そんなことをすればすぐに筋繊維がボロボロになり使い物にならなくなるので、脳が無意識に行動を制限している。
妖怪の肉体は人間とは比べ物にならないほど頑丈だし回復力も遥かに高いので、そんな心配はない。代わりに精神が狂うのだ。妖力は妖怪の肉体そのものであると同時に精神そのものでもある。肉体の強化に精神が耐えられないのだ。
『だったらどのみち私たちには習得できませんよ』
「やる前から諦めるんじゃねぇよ。現に俺にはできた。最終的にすべて気合いで何とかなる」
『根性論じゃないですか……無理ですって』
「安心しろ。ちゃんと段階は踏む。まずはお前たちの精神のストッパーをはずす。そうすれば、意識的に活性化できるようになるはずだ。この殺法『呪魂瘴』の効果でな」
みんな一斉に俺から距離を取った。わかりやすい反応をどうもありがとう。
『もしかしてその瘴気を私たちに中てる気ですか!? 正気の沙汰じゃないよ!』
『殺法を学ぶ前に死んでしまいますチュン!』
「ヤバいのだー。近づきたくないのだー」
「アタイ……?」
そうは言うが、自発的に活性化をマスターすることはほぼ不可能だ。意識して心臓を停止させろと言うに等しい難易度である。外部からの刺激によって強制的に活性化に慣れさせなければ覚えられない。
「精神のほどよい崩壊状態を作り出すことが妖力過活性化への第一歩だぞ。その点この『呪魂瘴』は、呪いの力で心をスポンジ状にするに適した技だ。命を取るほどの威力はないくらいに調整してるから」
『信用できないよ!』
わがままな奴らだ。なら試しに使ってみるのが手っ取り早い。ちょうど足元にぐったりした氷精が寝転んでいるので、『呪魂瘴』を使用したままの手で拾い上げる。
「アダッ、ザザザ、ザイキョー! ザイキョー! アタイタイ、アビァァアビァァ!」
「ね? 大丈夫でしょ?」
『全然、大丈夫じゃなさそーだわ!』
やれやれ、これくらいの試練に臆するようでは先が思いやられる。外部から与える刺激に慣れたなら、次は自分でその状態を再現できるようになってもらわなければならないのだ。荒療治も覚悟してもらいたい。
『ほんとにその方法で暗殺術が使えるようになるチュン?』
「……」
『ちゃんと答えてよ!』
「いやぁ、実は試したことないからねぇ」
ぶっちゃけ、単なる思いつきである。運が良ければ発狂程度ですむはずだ。乙羅暗殺拳道場はこれから多くの弟子を迎えることになる。こいつらにはそのための実験台……じゃなくて、名誉ある先達の使命を与えよう。
「に、逃げるのだー!」
「馬鹿が! 逃がすか!」
脱走は許すまじ。逃げ出そうとしたルーミアの行く手に超高速で回り込む。黒い瘴気がルーミアを包みこんだ。
「おとなしく悪堕ちしろぉぉぉ!」
「ぎゃー!」
霧の湖に響く断末魔。これ以来、湖の妖精たちはこの場所に近づかなくなりました。