122話「トップスピード」
そうとわかればすぐに行動あるのみ。まずは、この闇空間から脱出する。
『殺法『黒兎空跳』!』
足の裏に作った妖力場を蹴る。方向は障害物のない真上だ。ここはドーム型の空間だと思われるので、空に飛び上がればとりあえず抜け出せるはず。
『ぎっ!?』
術を行使した瞬間、身体の中心線上の関節が蛇腹状にへし折れるような錯覚が起きた。そして気がつけば雲にも届きそうな高さから眼下に森を見渡せた。風が肌にぶつかる感触を受けて、他の五感を取り戻していく。
しかし、とんでもない距離を移動したものだ。活性化率の上昇は予想外の力を与えてくれた。これなら細かい作戦などいらない。後は俺の正気が壊れる前に、相手にとどめをさすだけだ。
ルーミアの闇空間はばっちり見えた。広範囲に渡り森に被さる黒いドームがある。ルーミアの姿は見えないが、どうやらその中心にいるようだ。急に離脱した俺のことを見失ったのか、その視線は右往左往している。今がチャンスだ。
「くらえ、殺法『呪魂・黒兎――』」
右腕に瘴気を集結させる。呪いの霧を纏わせた拳を構えて宙を蹴った。『黒兎空跳』で一気に距離を詰める。出力が強すぎて制御が難しく、空中をジグザグに走りながら狙いを定めた。
ルーミアがこちらを発見した。その瞬間、俺のロックオンも完了する。
「『――核狩』!」
ドームに飛び込む。闇が再び俺の感覚を奪う。だが、すでに敵は捕捉した。自分を信じて前に進む。
その思考さえ一瞬の内の出来事だった。ゴーレムハンドが軋みを上げている。何かにぶち当たる感触がしたかと思うと、後ろに向かって吹き飛んでいた。
反撃されたかと焦る。しかし、その理由はすぐにわかった。これは攻撃の反動だ。敵にぶつけた拳の衝撃に俺自身が耐えきれず、後方に飛ばされてしまった。右腕のゴーレムハンドは、たった一発『黒兎核狩』を打っただけでヒビが入っていた。
ならば、それほどの攻撃を受けたルーミアはどうなったのか。宙返りして体勢を整え、森を見下ろす。そこには一本の道が出来ていた。俺の拳を受けて地面まで殴り飛ばされたルーミアは、それでも勢いが止まらず、轟音を響かせて木を折り倒しながら地上を滑っていた。我ながらやり過ぎたと思わなくもない。黒いドームは消えていた。
俺は急いでルーミアの後を追う。それと、自分の体調にも注意する。まだタイムリミットというわけではないが、ギリギリまで粘るようなことをすれば危険だ。一旦、妖力過活性化状態を解除しよう。きりがいいところで狂気から足を離し、徐々にスピードを落ち着けていく。
『gero!』
「ん? 何か寒いな……」
今日の気温なら涼しいとは思っても寒いとまで感じることはない。明らかに異常だ。狂気を抑えていくほどに寒気が増していく。熱が冷める。気化した妖力が熱を根こそぎ奪っていく。
「さ、ささささ、さみさみぃ……!」
氷漬けにされたかのように体が硬直した。歯がガチガチ音を立てて止められない。ゾンビみたいな緩慢な動きで何とか歩いていく。
フィードバック。強大な力を手に入れたのだからこのくらいのリスクはあるか。しかし、これでは狂気の連続使用は不可能だろう。憎しみの感情に頼っていた頃はここまでの出力は得られなかったが、安定して何度でも使用できた。どちらの運用が優れているか、一概には決められない。結局、強くなったのやら弱くなったのやら。
完全に活性化を平常値まで抑えるまでの間にルーミアの停止予測地点まで近づいていた。山の麓の崖に突っ込んで倒れているルーミアのところまで、寒さに震えつつたどり着く。ルーミアは下半身がなくなっていたが、まだ死んでいない。それどころか欠損部を回復させようとしていた。概念妖怪ってスゲェな。
「もっ、ももももも、もういいいだろっ! かちかちかち、おれかちかちだ!」
歯が鳴ってうまくしゃべれない。言いたいことは伝わっただろう。しかし、ルーミアの眼から戦意は消えていない。これはどちらかが死ぬまでやり合わないと勝負がつかなさそうだ。ここまで痛めつけたのにまだ諦めないとなると、勝敗に関わらず最初からおとなしく俺の弟子になるような性格ではなかったのだろう。
困ったことになった。大妖怪というのは大きな力を持つがゆえに、総じてプライドが高い。それは悪い意味ではなく、群れのトップとして君臨する者に必要な資質だ。簡単に敵の軍門に下るような性格ではいけない。ルーミアもそれに当てはまるということだ。
(まぁ、強かったら忍術なんて必要ないだろうし。次はもう少し弱めの妖怪を探してみるか……あ、そういえば)
そこで俺は閃いた。だったらコイツを弱くすればいいじゃないか。
服の内ポケットから一枚の赤い布を取り出す。これは強力な『封印符』。対象に貼り付けて術を発動させれば、その妖力を封じることができる……はず。
どうせここで見逃しても禍根が残るだけだし、かと言って殺しても後味が悪いし、というか今の俺の状況だと逆に殺されかねない。とりあえず封印して、弟子になれば解放してやるとでも言いくるめておくか。
「わたしは、まけ、ない……!」
ルーミアの体はほとんど回復していた。ただ肉体への攻撃はあまり効かなかったとしても、『呪魂瘴』が与えた精神への負荷は特攻ダメージになったはずだ。生まれたての小鹿のようにぷるぷる震えながら立ち上がろうとしている。
それに対して俺はガタがきて錆び付いたロボットのごとき動きでルーミアへ歩み寄る。何だ、この二人。ここだけ見るとアホすぎる光景だぞ。ルーミアにいたってはスカート部分がなくなったままなので、下半身丸出しだ。眼福。
俺は、まだしっかり起き上がれていないルーミアの髪に符を結びつける。
「なに、を……」
法力『金剛界法歴劫八百式禁戒』
符から溢れだす光。目を開けていられないほどの眩しさの中に、ルーミアの体は溶けていった。