113話「繰り返し」
橋を越えて奥へと進んでいく。しばらくして、縦穴が現れた。どこまで続いているかわからないが、わずかに地底のものとは違う空気が漂っている。上から風が流れ込んでいた。ここが出口か。
外に出るためには穴を登らないといけない。しかし、俺には腕がない。しかたがないので、甲羅の中からスペアの腕を取り出す。これは『腕抜けの術』を使って、事前に用意していたものだ。それを自分のなくなった腕の代わりにくっつける。
「木遁『根付接合』」
陰陽五行の“木”を応用した妖術符の力を使う。これによって一度切り離された腕でも、再びくっつけなおすことが可能だ。だが、これはあくまで応急処置である。いったん切除した腕はその時点から劣化が始まる。また接合も完全なものではないため、元の腕に比べれば反応が極端に悪い。腕を付け替えても最終的にそれが定着することはなく、新しく生えてきた腕に押し出されてしまうのだ。乳歯から永久歯に生え換わるような現象が起こり、非常に不快である。
今はこれで何とかするしかないだろう。本当にロボットにでもなってしまったかのようにブルブル震えてぎこちない動きを見せる手を使って、壁をよじ登って行く。
少しずつゆっくりと、登って行った。
* * *
どれだけの時間が経っただろうか。
腕の生え換わりを迎えて難儀した記憶があるので、少なくとも数日は経過したはずだ。
俺はずっと登っていた。遥か頭上に一点の光が見える。それは地上の日の光か。しかし、どれほど登りつづけようとも、その光に手が届くことはなかった。
光は星のように瞬きを繰り返している。随分経ってから気づいたが、その明滅は昼と夜の入れ替わりだった。
腕が疲れて動かない。やっとの思いで半身分の距離を登る間に、頭上の光はぴかりと瞬く。あざ笑うかのようだった。しまいには無駄に流れる時間を苦痛とも思わなくなり、亀のような速度でのそりのそりと進むだけだ。
だが、それでも俺は進み続けた。諦めることはできない。俺を突き動かすのは、とりとめもない一つの衝動。笑ってしまうような下らない理由。それだけのために登るのだ。引き返すことはできなかった。一歩、体を引き上げるたびに虚無感が増していく。それが俺の欲望をさらに鮮明に浮かび上がらせた。
この感覚には覚えがある。ずっと昔にもこんなことがあった。そう、俺が月から落ちたときだ。悪夢の中で必死にもがいた。高く天まで続く大樹を登り続けた。どこまで上を目指しても、頂上にはたどりつけない。ただ、あのときと違うのは俺の気持ちの在り方だ。俺は月が見たいと思った。憎しみではなく、求めていた。それは大きな変化のようであるが、実際は微々たる差異だ。俺がやっていることは、今も昔も変わらないのだから。
そして、とうとう空が開けた。
* * *
「あの、そろそろ気づいてもらっていいかしら?」
穴から出た俺は、月しか見ていなかった。昼間は寝て、夜になるとひたすら月見に興じるという生活を何日も続けたある日。朝になり日も高く昇ってきたので一眠りしようとしていたところ、誰かに声をかけられた。見れば、そこにいたのはいつかのスキマ妖怪だ。八雲紫である。
「なんだいたのか。久しぶりだな」
「私は昨日も一昨日も、あなたに会いに来たのだけどね」
それは気づかなかった。声をかけてくれればいいものを。
「かけたわよ。でも、上の空を通り越した阿呆面で月をぼーっと見てるだけの腑抜けになってたじゃない。昼間は寝てるし」
そんなに没頭していただろうか。まあ、そろそろ新月が近くなって、いい月も見られなくなってきたので切りあげるとしよう。
そういえば、地上と地底をつなぐ穴には紫の結界が張られていたのだった。俺が穴をいつまでも登りきれなかったのは、まず間違いなくこの結界の影響である。ここに紫がいるということは、俺が通ったことに気づいたからなのだろう。というか、紫なら俺が穴を登り始めた時点で気づいていたはずである。顔なじみを知ってて放置するとは鬼畜な。
「そんな怖い顔しないで。あなたを結界から出してあげたのは私なのよ? 本来なら地底の妖怪を地上に出すことはしないのだけど、あなたがあんまりにも報われない努力をしているようだったから可哀そうに思えてきて助けたの」
「もっとソフト言い方はできんのか。それより俺はどのくらいの時間、登り続けていたんだ?」
「ざっと三カ月くらいね」
「え、それだけ?」
三カ月か。想像以上に短いな。一年くらいは余裕で経過していると思ったんだが。
「……相変わらず狂った感覚してるわね。さすがに私でもそこまでの凌辱趣味は持ち合わせていないわ」
とか言っているが、三カ月は放置したわけだよ。十分、ドSである。
だが、甘いな。悪夢の中で一億年のツリークライミング歴を持つこの俺をへこたれさせるには、この程度の苦行は肩慣らしにもならない。
「それはともかく、こうして会うのは何百年ぶりかしら? あなたも随分様変わりしたみたいね」
「ふっ、真の漢は日々刻々と変貌を遂げるものなのさ」
「あなたは女でしょ」
「では、漢女と言っておこう。そう言うお前は昔と変わらず美人なままだ」
「あら、ありがとう」
なぜだ。ここで紫が顔を赤くしてフラグが立つはずなのだが、華麗にスルー。紫には効果がなかった。
まあ、幼女だから当然ですがね。




