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106話「月の昇らぬ夜」

 

 夜になった。地底には太陽が昇らないので、今が昼なのか夜なのかわからない。だから、今が夜だと決めた。俺が昼だと思ったらそのときが昼で、夜だと思ったらそのときが夜だ。

 今夜も月は昇らない。体の傷が痛む。眠りたいが、目が冴えていた。

 

 ――

 

 赤い月があったとさ

 

 青い夜空があったとさ

 

 熟れた実一つ

 

 落ちてきて、落ちてきて

 

 そだちゃあ切ってのうちしきり

 

 枝枝伸びれば

 

 月まで届くか

 

 もう寝ろ、はよ寝ろ

 

 タランランランタンタララン

 

 ――

 

 誰かが歌う声がした。デッキに横たわり、真っ黒い空を見上げていた俺の隣に、いつの間にか少女がいた。見知らぬ少女が歌っていた。澄んだ声が空気に溶けていく。

 何だろう。何かが変なのだが、それが自然である気がした。違和感がないのだ。強いて言えば、変だと思っている俺がおかしいのかもしれない。

 

 「その歌、どこで聞いたんだ?」

 

 「葉裏の心の奥底だよ」

 

 「……ふーん」

 

 まあ、そうだろう。そんな気味の悪い子守唄、俺くらいしか思いつかないはずだ。

 

 「たぶん、今日くらいかなーっと思って来てみたんだけど、やっぱり限界みたいだね」

 

 「限界って、何が?」

 

 「葉裏は今、何がしたい?」

 

 質問を質問で返されて、俺は改めて考えてみる。

 地底に来て、どのくらいの時間が経っただろう。なにしろ、ここでは日付という感覚があまり役に立たない。季節に応じて気温や天候が変わるので、なんとなく一年が経ったことがわかる程度だ。数えるのも長いこと止めていた。

 いろんなことをやった。強くなるために修行をした。

 そして、それと同じだけ諦めた。頑張れば頑張るほど、意味がわからなくなった。動けば動くほど、停滞していった。

 成長の限界だ。グラフは頂点付近でなだらかに水平の線を描く。修行しただけ無限に強くなれるわけではない。俺は月人との種族的な強さの壁というものを本当の意味で知った。

 

 「わからない。俺は何をしたいんだろう」

 

 慣れてしまったのだろうか。狂気に支配され、このままじわじわと融かされて俺はここからいなくなっていくような気がしていた。何もなし得ぬまま、誰にも気づかれず、にわかに消える。妖怪の一生なんて、往々にしてそのようなものではないか。

 

 「頭で考えちゃダメ。もっと簡単なことだよ。余計なことは気にせずに、思いついたことを言ってみなよ」

 

 「そうだな、俺は……」

 

 特に理由はないのだけれど。ただ、漠然とこう思う。

 

 「月が見たい」

 

 何かが心の奥底から浮上してくる。ああ、そうか。考えるまでもないことだった。今の俺にはそれしかないのか。今わの際に、ほんのささやかな幸せを求めるように。それだけしか残っていなかった。

 

 「だね。そんなに強く思っているのに、なんで意識してないのか不思議だったよ」

 

 強くなりたかった。いつの間にか、それが目的になっていた。だけど全部空回りだ。そうしているうちに、自分を見失った。一つずつ希望を捨てた。あとはただ、空虚なだけだ。何かに失望することもなく、ゆっくりと温度が下がっていく。

 俺はもう一度、月に行こうと決めた。だが、努力を重ねるほどに月は遠ざかっていく。

 

 「俺が地底にいる意味ってあったのか」

 

 「どこにいても一緒じゃないかな。他に何かの意味を見出せたと思う?」

 

 「いや、全然」

 

 俺は立ち上がった。隣に座っていた少女の姿を見る。それは妖怪だ。名前は古明地こいし。地霊殿の古明地姉妹の妹である。『無意識を操る程度の能力』を持っていたはずだ。

 あれ、なんで俺はそんなことを知っているのだろう。一度も会ったことがないのだが。誰かに教えてもらった記憶もない。

 

 「もう行くの?」

 

 「ああ。でもその前に一つ約束したことがあるんだ。それを果たしてから、俺は地上に行くよ」

 

 会ったことはないはずなのだが、俺はこいつの世話になったような気がしてならない。なぜかお礼が言いたい気分だ。

 

 「お礼なんて言われるようなことはしてないよ。私は葉裏の無意識で遊んでただけだから」

 

 「俺の心なんて見ても大して面白くなかっただろ」

 

 「ううん。葉裏の心は、私が見てきた人の誰よりも強かったよ。私とは正反対だね。でも、例が極端すぎて参考にはならなかったけど」

 

 こいしはクスクス笑っている。次の瞬間には、その姿は消えてなくなっていた。視線を探ろうとしても、どこにも見当たらない。それもそうか。こいしは俺の“無意識”を操れるのだ。意識できないから無意識である。俺たちは無意識のうちに何度も会っていたのかもしれない。

 

 「じゃあね、ばいばい」

 

 声だけが耳に届いた。それっきり、何の気配もしなくなる。ここにこいしがいても俺にはわからないのだが、たぶんもういないのだろう。

 さて、俺も行くとしよう。

 

 * * *

 

 聖輦船にいる連中に向けて、手紙を書いた。今の俺の手では書きにくい。ゴーレムハンドは指がぶっとく、繊細な動きはできないので筆を持つだけでも一苦労だ。みみずがのたくったような字になったが、辛うじて読めるだろう。

 内容は、今から地上に行くという家出文句だ。白蓮の復活を手伝ってやりたいのはやまやまだが、いつになるかもわからない話を待ってはいられない。急に、一刻も早く地上へ行きなくなったのだ。もとより、俺は薄情な性格である。

 その置手紙の上に福神漬けの入ったパックを乗せて、厨房の隅に置いておく。明日の朝になれば、村紗あたりが気づくだろう。

 これが命蓮寺に関わる奴らとの最後のやりとりになるのかと思ったが、特に感慨はない。むしろ、そのことが妙に寂しく感じてしまった。

 


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