あのあと、イシュの香り。
あの後イシュは多分ほとんど全部話してくれた。私を膝に乗せたままで。というのは、イシュが唇を離しても、私がまだくっついていたかったから。イシュは始終嬉しそうに笑ってたけど、マリアさんとの婚約についてのくだりは、それはそれは不機嫌だった。一つ分かったのは、イシュはマリアさんに惹かれた事なんて一度もないという事。安心するのは、仕方ないよね。正直、この事実を聞いて、嬉しくて仕方がないんだもん。
「マリアさん、どうなったの?」
「……逮捕された、毒物違法所持で、あとは殺人未遂」
「え。イシュが殺されそうになったって事?」
「まぁ、そうだな」
逮捕?しかも毒物って……コレは私の偽善心だけど、さっきまでは、曲がり並みにもイシュが好きだったのに可哀想、とか思ってた。だけどイシュを殺しそうになったっていうのは、スゴく嫌だ。……私マリアさん嫌い。
「……大丈夫だったの?」
「あァ、大丈夫」
心配そうな私を見てか、イシュがまた目をとろけさせて私の頬を撫でた。前はこういうことされると恥ずかしくて仕方なかったけど、今はそれよりも一緒にいれることが嬉しくて、イシュが私に触れるたびに心臓がバクバク鳴る。
私の話もしたかったけど、正直私は寝てばっかりだったからどんな様子だったかなんてわからない。イシュは多分、後でマーサさんかエマかサラに聞くんだろう。
イシュが着替えるために私の部屋から自分の部屋に移る時でさえ、私はなんだか不安になって、なかなかイシュの袖を離せなかった。うわ、恥ずかしい。イシュは別に気にしないだろうけど、流石に私が気にするので、自分から手を離した。
もう外は暗くなり始めていて、イシュが移動した後にはすぐ、カイが入ってきた。尻尾をぶんぶん降りながら近づいて来て私の膝に顎を乗せる。可愛いなぁもう。
「あいつ、帰って来ましたね」
「うん……ありがとね、カイ」
カイは、イシュがいなくなった時に私を支えてくれた。多分、カイがいなかったら私はあのまま暗闇に飲み込まれて、溺れたように目の前が見えなくなっていた。だからカイには、助けてくれてありがとうって言いたかったのに、カイは何だか拗ねたように俯いた。
「薫様は許すんですか。俺は嫌ですよ、あんな酷いことしておいて、ひょっこり戻ってくる奴なんて、あんな奴、俺は絶対……」
尻尾をダランと垂らしたり、突然跳ね上げたりするカイの様子はすごく、こう、ぐっとくるものがあった。真面目に話を聞かなきゃって思うのに、尻尾の様子が気になって、うかうか話も聞いてられない。
でも何となく、カイの言いたいことは分かる。あんなに仲の悪い二人だから、つまりカイは、嫉妬してるんだと思う。もちろん私の身を心配してくれてるのは分かるけど、でもやっぱり、イシュが帰ってきたのは嬉しいんだよ。
「私を心配してくれてたんだよね、カイ。ホントにありがとう。でも今は、もう大丈夫って思いたいの」
私が言い終えるか、それより前にカイは頭を上げて、決心したように宣言した。
「俺は、僕は絶対、薫様のそばにいますから!」
真っ直ぐな瞳が嬉しくって、ありがとう、と呟くと満足したようにカイは部屋を出て行った。
そのあと、私は自分からイシュを探してずっとくっついてた。今は本当に何よりも、イシュがいることが嬉しくて、抱きしめる力を強めるとイシュは何度でも言ってくれるのだ、好きだ、と。
流石にそのままお風呂タイムに突入しそうになった時は、遠慮したけど。今は書斎で、またさっきの様に隣に座って、頭はそのままイシュに預けてる。
「薫?眠いのか?」
イシュが心配そうな顔で尋ねてくる。正直いうと、少し、いや、かなり眠いんだけど、朝起きたらイシュがいなくなってたらどうしよう、とか思うと眠れない。もう大丈夫って言われても、あの恐怖は大きくてなかなか忘れることなんて出来ないんだもん。だからその気持ちを正直に話してみた。あと、すっごく恥ずかしかったけど、今日、一緒に寝ることも。
話を聞くと、イシュはたちまちにやけた。うん、嬉しいんだろうけど、その顔は何とかしないといけないと思う。いや、変わらずカッコいいけどね?何か私が身の危険を感じる。
「不安にさせてごめん、薫。大丈夫だから一緒に寝に行こう?」
そう言うとイシュは、私の返事を待たないで、そのままベッドに向かって歩き始めた。久しぶりにイシュの布団に沈み込むと、大好きなあの香りに包まれる。この香りを嗅ぐと安心して、なんかすごく眠くなるんだよなぁ、いつも。
イシュの大きな手が背中をぐっと引き寄せて、私は久しぶりに、世界で一番好きな人の腕の中で眠った。今思えば、あんなに安眠できたのは久しぶりだった。