ただいま。
マリアさんを始めて見てショックを受けた、あの日からなんらたっていない昼間のことだったと思う。なんだかスゴく嫌な予感がして取り敢えず布団に入る。なぜだか部屋にはカイもエマもサラもいなくて、空気が乾燥したまま固まったような部屋に私1人だった。
あー、布団ってあったかくて安心する。この変な予感も何か分からないし、このまま行くと確実に熟睡コースだ。まぁ最近はぼーっとしていることも多いし、このまま寝ちゃってもいいかな、とか。そんなことを考えながら目線をチロリと机の上に移した。
最近、手紙をしたためている。やっぱりほら、イシュが帰ってきた時に、言いたい事がまとまってた方がいいかなと思って。つまりまぁ、原稿。だけど、その原稿もイシュは私のことが嫌いになったのか、の問題に達した時に筆が進まなくなって結局そこで止まったまま……眉間にシワを寄せて考えているうちにやっぱり眠くなって、欲望に任せてすっと目を閉じた。
西日が差し始めたのに気がついて、ふわりふわりと目が覚める。少しずつ伸びをしながら起き上がって大きく深呼吸する。うん、大丈夫。寝起きの動作を一通り終えて、まだ布団からは出たくないなーなんて考えていた時に、部屋の扉がノックされた。
び、びっくりしたぁぁー…控えめだけど、自己主張はかかさないその大きな音は私を飛び上がらせるには十分、何といっても寝起きだし。あせって舌を噛みそうになったよ!
「はい、どうぞ?」
返事をしたにも関わらず、ドアはなかなか開かない。だけど、すぐに聞こえた返答に開かなくて本当に良かったと思った。だって、もしかしなくてもこの低くて優しげな声は、イシュ、のはず。ここはイシュの家だし、こんなことをいうのは変だけど、あまり現実感がない。
「薫?俺だ、入ってもいいか……?」
あ、ほんとにイシュだ。なんて落ち着いてられるわけないじゃん!ど、どうしよう、どうしよう!私もそりゃ原稿書いてたはしてたけど、いきなりじゃ心の準備なんててきてないし、でもイシュが前持って連絡なんてそんなことするはずないし、あれそれじゃ、いつ心の準備なんてすればいいの?
布団に入ったままバタバタと手を動かす。でも、布団でバタバタしているのも何だから、取り敢えず立ってから、まず落ち着いて、それから考えよう。新鮮な空気を大きく吸い込みながら布団から起き上がる。
イシュと会うのは本当は嬉しいはずなのに、今はどうしても不安が残ってしまうから怖い、それで会いたくないんだ。でももしかすると、会えるのはこれで最後で、今ここで先延ばしにしたりしたらもう会えないかもしれない。怖いけど、それはもっと嫌だ。
「うん、い、いいよ」
つとめて大きく出した声はそれでも震える。う、怖い。このままじゃ会った時にパニックになる!思わず書きかけの原稿を握りしめた。あぁ、こんなことなら何としてでも原稿を書き上げるべきだった。
ドアが閉まるとコツコツと床を叩く靴の音が部屋に響いて、私の前でピタリと止まった。勢いに任せてぐいっと顔をあげるとイシュの深い瞳と目が合って、ま思わず目を逸らす。
沈黙。う、しゃべって欲しい。でもとても私からはしゃべれない。
結局、沈黙を破ったのは懐かしいイシュの声。
「不安にさせたか?俺も、不安だった」
そんなこというんだったら、なんであの時あんな事言ったのよ。しかもその一言で私が舞い上がってしまった。別れを告げにきたわけじゃないのかもしれないとか、そんな期待がムクムクふくらんで止まらない。そんなことを思ったら抱きしめて欲しくなって、それでつい、その思いを載せたままイシュを見上げた。
でもすぐにまだ記憶に新しい拒絶を思い出して身が震えた。私の考えなし!傷つくのは目に見えてるのに!
イシュを見上げたまま葛藤を始めてしまったから、イシュの少し鋭い目がふわりと緩んでいることに気がつかなかった。
…………私の意識が思考回路の中に潜ってしまった後に、突然ぬくもりを感じた。あの、懐かしい大きな手が私を、抱きしめてた。
「薫……ごめん、遅くなった。ただいま」
イシュの声が静かに意識にしみる。イシュは、帰ってきた……頭の中で何回か繰り返して、やっとじわじわと現実感がやってきて、やっと理解した、次の瞬間、私は爆発的な幸福感にみたされた。嬉しくて、指先からつま先まで、身体中がパチパチと輝いている。イシュは帰ってきたんだ……!
引き攣ったような声で謝りながらイシュがきつくきつく抱きしめてくる。あ、イシュの体温だ、嗅ぎ慣れた匂い、全てが懐かしいもの。それがなんだか妙にリアルで、安心する、ああ、本当にこれは、夢なんかじゃない。そう思ったら今度はなんだか急に泣けてきて、少し鼻を鳴らす。
「イシュっ……もう、いいの?終わったの?イシュに触っても良いの?」
「もう大丈夫だ、今まで通り……ごめん」
ここで涙腺が本格的に崩壊した。イシュと話せたら出て行こうとか、そんなものはイシュに抱きしめられた時に消えてなくなってしまった。おそるおそるイシュのシャツをつかんで背中に手を回す。
もう全部もと通りのはずだけど、まだひとつ聞けてないことがある。
「イシュ、私のこと今も好き?」
イシュの目が甘く溶けて視線が絡む。
「当たり前だ。嫌いになったことも、忘れたことも片時もない……好きだ」
その言葉で遂に私の中にあった硬い石の様なゴツゴツは、しゅわしゅわ弾けるようになくなって、かわりに心臓が文字通り、まるで早鐘の様に胸を叩いた。
あぁ、きっと今私の顔は真っ赤。だって、だってだって、イシュはまだ私のことが好きだし、私だってその気持ちが変わることはない。
イシュの手が私の頬をゆっくり包んで、優しくキスされた。しゅんわり溶けてしまいそうなキスだった。それはじわじわと身体をしびれさせて、やっぱりいつも通りイシュにしがみつくようになってしまう。
イシュの熱い舌がじんわりとわたしの口内を侵食して、思考までも囚われる様な甘い感覚に酔いしれる。
あぁ、やっと長編が一段落しました……!