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資産100億円なのに半額品を買う18歳男子高校生  作者: 齋藤 雅


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1/17

【プロローグ】

夕方18時47分。


『スーパー激安』——。


鮮魚売り場。


「まだ貼らない……。」


制服姿の少年。


藤崎澪(ふじさきれい)。


18歳。


高校三年生。


れいは鮮魚売り場の前で立ち止まり、じっと一点を見つめている。


視線の先。


生食用サーモンブロック。


400円。


その横——。


白衣姿の店員。


右手には、


値引きシール。


れいの目が僅かに細くなる。


「来た」


店員が、サーモンブロックを手に取る。


ペタ。


『20%引』


れいはシールを確認すると、すぐに首を横へ振った。


「違う」


動かない。


隣。


60代くらいの女性。


チラッ。


女性が、れいを見る。


れいも横目で女性を見る。


「……。」


「……。」


視線がぶつかる。


目的は——。


同じ。


店員が次のシールを貼る。


ペタ。


『30%引』


れいは口元を引き締めたまま呟く。


「まだ……。」


そして——。


店員の手が、再び動く。


ペタ。


『半額』


れいの目が見開かれる。


「来た!」


バッ!


二本の手が伸びる。


「っ!」


先に掴んだのは——。


れい。


サーモンブロックを胸元へ引き寄せる。


「よし!」


400円。


半額。


200円。


れいの口元が緩む。


その瞬間——。


「あーっ! それ!」


れいは目を丸くして、声の主へ顔を向ける。


「んぁ?」


隣の女性が、れいの手元を指差している。


「それ、私ずっと見てたのよ!」


れいは手に取ったサーモンブロックへ視線を落とす。


「これ?」


女性は厳しい目つきのまま、大きく頷く。


「そうよ! そのサーモン!」


れいは、もう一度サーモンブロックを見る。


400円。


半額。


200円。


そして女性を見る。


「……。」


かなり悔しそうだ。


れいは数秒その顔を見つめたあと、あっさりとサーモンブロックを差し出した。


「じゃ、どうぞ」


スッ。


女性が目を瞬かせる。


「あら?」


「ずっと見てたんでしょ?」


「え、ええ……。」


女性は戸惑いながらも、サーモンブロックを受け取る。


その顔。


じわじわと緩む。


「ふふっ」


勝った。


「兄ちゃんありがとうなぁ」


「うちは4人家族なのよ、だから安くて良い物買わないと家計が苦しくてね」


そんな表情。


れいは気にせず、隣の商品へ目を向ける。


「ん?」


もう一つ。


サーモンブロック。


350円。


半額。


175円。


れいが手に取る。


女性の笑顔が止まる。


「……。」


れいは二つを見比べる。


400円。


350円。


大きさ。


ほぼ同じ。


厚み。


ほぼ同じ。


れいの眉が上がる。


「こっちの方が25円安いじゃん」


「えっ?」


女性は眉を跳ね上げると、れいの手元へ身を乗り出した。


れいが持っているサーモンブロック。


350円。


半額。


175円。


女性はすぐに、自分の手にあるサーモンへ目を落とす。


400円。


半額。


200円。


再び、れいのサーモンを見る。


「……。」


さっきまで浮かんでいた勝ち誇った笑みが、ゆっくり消えていく。


れいはそんな女性の変化には気付かず、二つのサーモンを見比べる。


「しかも、こっちの方がちょっと大きくない?」


「えっ!?」


女性は思わず、れいのサーモンへ顔を近づける。


れいも気になったのか、手にしたブロックを横から眺める。


「うん」


今度は少し持ち上げ、上から見る。


「やっぱり、こっちの方が大きい気がする」


女性の口元が引きつる。


自分のサーモンを見る。


れいのサーモンを見る。


自分。


れい。


自分。


れい。


「……そっちの方が良くない?」


れいは首を傾げる。


「そう?」


「ちょっと見せて!」


女性が身を乗り出す。


れいは何の警戒もなく、素直に差し出す。


「どうぞ」


女性は両手に一つずつサーモンを持ち、真正面から見比べる。


右手。


200円。


左手。


175円。


厚み。


大きさ。


色。


脂の乗り。


女性の眉間に、少しずつ皺が寄っていく。


「……。」


れいも横から覗き込む。


「ね?」


女性は答えない。


れいは175円の方を指差す。


「25円安いし」


女性の眉間の皺が一本増える。


れいは二つの大きさを見比べる。


「ちょっと大きいし」


さらに一本。


今度は断面を見る。


「脂ものってそう」


女性の頬がピクッと引きつる。


「もういいわよ!」


「えっ?」


突然声を上げられ、れいは目を丸くする。


女性は200円のサーモンを胸元へ抱える。


「いいの! 私はこれで!」


れいはきょとんとしたまま女性を見る。


「そう?」


「そうよ!」


女性は悔しそうにサーモンを籠へ入れる。


そして175円の方を、れいへ突き返す。


れいは素直に受け取る。


「じゃあ、こっちは俺が」


自分の籠へ。


「ラッキー」


女性の肩がピクッと動く。


れいは気付かない。


175円の値札を見ながら、満足そうに頷く。


「25円浮いた」


女性の肩。


ピクピクッ。


「……。」


何か言いたそうだ。


しかし言えない。


自分から譲れと言って、


譲ってもらった。


その結果——。


もっと安く。


少し大きく。


状態も良さそうな方を、


目の前で持っていかれた。


女性は唇を噛みながら、れいの籠を見つめる。


「……若いのに、やるわね」


れいはきょとんとする。


「何が?」


「なんでもないわよ!」


女性は籠を抱え、その場を離れていく。


れいは、その背中を見送る。


「……?」


首を傾げる。


そして自分のサーモンを見る。


175円。


ニコッ。


「ラッキー」



少し離れた場所——。


その様子を見ていた女性がいた。


まだ若い。


20代前半。


その横。


小さな女の子。


女の子が鮮魚売り場を指差す。


「ママぁ、おさかな?」


母親が少女へ視線を落とし、優しく笑う。


「うん。今日はお魚にしようか」


少女の顔が明るくなる。


「しゃけ!」


母親は少し驚いたように聞き返す。


「鮭がいいの?」


少女は元気よく頷く。


「うん!」


母親は鮮魚売り場を見る。


値札。


398円。


二割引。


手に取る。


値札を見つめる。


「……。」


少し考えたあと、静かに元の場所へ戻す。


少女が母親の顔を見上げる。


「ママ、しゃけ……。」


母親は困ったように笑い、少女の頭を軽く撫でる。


「明日にしようね。今日はお豆腐が安いから」


少女の頬が膨らむ。


「えー」


ぷくっ。


れいは、その声に反応してチラッと親子を見る。


そして自分の籠へ視線を落とす。


175円のサーモンブロック。


半額弁当。


半額のポテトサラダ。


三割引の牛乳。


食パン。


特売の納豆。


インスタント味噌汁。


半額のプリン。


れいは籠の中を確認し、満足そうに小さく頷く。


「完璧」


料理をする気配は——。


ほぼない。


れいはそのままレジへ向かう。


その時——。


コロコロ……。


何かが足元へ転がってくる。


れいが足を止める。


「ん?」


足元。


赤いカプセル。


れいが拾い上げる。


すると——。


「それ、あたしの!」


さっきの少女が慌てて走ってくる。


れいはカプセルを掲げて確認する。


「これ?」


少女が何度も頷く。


「うん!」


れいがしゃがみ、カプセルを少女へ差し出す。


「はい」


少女は両手で受け取る。


「ありがと!」


れいの視線が、カプセルの中へ向く。


小さな恐竜。


れいは興味深そうに覗き込む。


「ティラノサウルス?」


少女の目が大きくなる。


すぐに首を横へ振る。


「ちがうよ! アロサウルス!」


れいはもう一度よく見る。


「あっ、本当だ。前脚三本指だ」


少女が驚いた顔でれいを見る。


「しってるの?」


れいは当然のように頷く。


「知ってるよ」


少女の顔が一気に輝く。


「すごーい!」


少女が勢いよく母親を振り返る。


「ママ! このおにいちゃん、アロサウルスしってる!」


母親が少し慌てた様子で小走りに近づく。


「あっ……。すみません」


れいの前で軽く頭を下げる。


「ありがとうございます」


れいは立ち上がり、小さく会釈する。


「いえ」


少女は、まだれいを見上げている。


好奇心いっぱいの顔。


「おにいちゃん、きょうりゅうすき?」


れいは少し口元を緩める。


「好きだよ」


少女がすぐに次の質問を投げる。


「いちばんすきなの、なに?」


れいは顎へ指を当てる。


「んー……。」


少し考える。


そして思いついたように答える。


「パキケファロサウルス」


少女の眉が寄る。


「ぱきけ?」


れいは少女の目線に合わせるように、もう一度しゃがむ。


一文字ずつ区切るように、ゆっくり発音する。


「うん。パ キ ケ ファ ロ サ ウ ル ス」


少女は首を傾げながら、慎重に復唱する。


「パキケファロサウルス?」


言えた。


れいの顔が一気に明るくなる。


「そう!」


満面の笑顔。


そのまま、両手を使いながら説明を始める。


「頭の骨が凄く硬くて、頭をぶつけて戦う恐竜だよ」


少女は自分の頭を両手で触る。


「ここ?」


「そうそう、そこ」


れいも自分の頭を指差す。


「人間も使い方は別だけど、頭を使う生物だから一緒じゃん?」


れいは楽しそうに笑う。


「だから好き!」


少女の目がさらに輝く。


「みたい!」


れいは頷く。


「スマホで見られるよ」


少女はすぐに母親の服を引っ張る。


「ママ! パキケファロサウルス!」


母親は少し困ったように笑う。


「はいはい。帰ったらね」


少女が念を押すように見上げる。


「ぜったい?」


母親は笑いながら頷く。


「絶対」


少女が両手を上げる。


「やったぁ!」


その様子を見て、れいも少し笑う。


立ち上がり、少女へ小さく手を振る。


「じゃあね」


少女も大きく手を振り返す。


「ばいばーい!」


れいも小さく手を振った。



レジ——。


店員が商品を読み取る。


「1,482円になります」


れいは財布を開く。


「はい」


1,500円。


店員が釣り銭を差し出す。


「18円のお返しです」


れいは手のひらで受け取る。


「ありがとうございます」


18円。


きっちり財布へ。



————



スーパーを出る。


8月。


夕方。


まだ暑い。


れいはスーパーの袋を軽く持ち上げ、中身を確認するように覗く。


「今日も安く済んだなぁ」


満足そうに袋を揺らしながら歩く。


3分。


信号なし。


横断歩道。


一つ。


コンビニ。


その前を通り過ぎる。


れいが突然、歩数を数え始める。


「一、二、三、四……。」


歩く。


「四十八、四十九、五十」


ちょうど五十歩。


れいは足を止める。


その先。


新しいマンション。


月極駐車場。


その隙間。


木造二階建て。


古い。


かなり古い。


鉄階段。


錆。


外壁。


色褪せ。


廊下。


一本だけ点滅する蛍光灯。


『かたむき荘』


看板。


『荘』の文字が半分剥がれている。


れいは見慣れた建物を見上げることもなく、そのまま階段を上がる。


二階。


一番奥。


205号室。


扉の前で立ち止まる。


「到着」


扉。


古い。


鍵穴。


もっと古い。


れいが鞄を開ける。


真鍮色の鍵。


鍵穴へ——。


差し込む。


回さない。


ピッ。


カチャ。


れいは小さく頷く。


「よし」


扉が開く。


鍵を抜く。


部屋へ入る。


「ただいま」


静かな部屋。


返事はない。


れいは一瞬だけ立ち止まる。


「……。」


靴を脱ぐ。


扉を閉める。


古い畳。


低いちゃぶ台。


小さなテレビ。


最低限の家具。


壁際の古びた襖。


昭和30年代がそこに広がっていた。


れいはスーパーの袋を持ったまま、襖へ向かう。


手をかける。


スッ。


襖を開ける。


白い壁。


新しいフローリング。


対面式のシステムキッチン。


大型冷蔵庫。


浴室乾燥機。


天井埋め込み式エアコン。


壁際。


ロボット掃除機。


襖一枚を隔てた先に、まるで別の家が広がっていた。


れいは何事もなかったように中へ入る。


スーパーの袋をキッチンへ置く。


175円のサーモンブロックを取り出す。


値札。


もう一度見る。


「ふふっ」


口元が緩む。


「175円」


冷蔵庫へ収納。


続いて、


半額弁当。


半額のポテトサラダ。


牛乳。


納豆。


プリン。


次々と入れていく。


最後に食パンとインスタント味噌汁を棚へ置く。


料理をするための広いシステムキッチン。


綺麗だ。


とても綺麗だ。


ほとんど使われていないから。


れいが冷蔵庫を閉める。


制服のネクタイを緩める。


そのまま廊下を進む。


奥。


一枚だけ違う扉。


分厚い。


れいは親指をセンサーへ押し当てる。


ピッ。


カチャ。


扉が開く。


大型モニター。


十二枚。


パソコン。


複数台。


サーバー。


無停電電源装置。


壁。


五つの時計。


東京。


ニューヨーク。


ロンドン。


シンガポール。


香港。


れいは中央の椅子へ座る。


背もたれへ軽く体を預ける。


「さてっと」


カチッ。


パソコン起動。


次々と画面が点灯する。


株価。


為替。


債券。


商品先物。


企業情報。


ニュース。


中央モニター。


『生体認証』


れいが指を置く。


ピッ。


『認証成功』


画面が切り替わる。



藤崎 澪


18歳


総資産


10,428,671,980円



れいの眉が僅かに上がる。


「ん?」


数字を見る。


一秒。


二秒。


「増えてる」


マウスを動かす。


クリック。


今日の運用益。


+17,000,000円。


れいは数字を確認する。


「千七百万か」


それ以上の反応はない。


興味なさそうに背もたれへ体を預ける。


「ふーん」


画面を閉じる。


今度はスマートフォンを手に取る。


家計簿アプリ。


今日の食費。


1,482円。


入力。


「昨日が……。」


画面をスクロールする。


数字を見比べる。


れいの目が僅かに大きくなる。


「216円安い」


ニッ。


「よし!」


一千七百万円。


無反応。


二百十六円。


満面の笑み。


嬉しそうにスマートフォンを机へ置く。



その横。


机の端。


一枚の写真。


中学校の卒業式。


まだ十五歳だったれい。


その隣。


父。


母。


兄。


四人。


笑顔。



れいの表情が少しだけ変わる。


手が伸びる。


写真立てに触れる。


写真の中の三人を見る。


「ただいま」


父。


母。


兄。


順番に視線を移す。


れいは微笑む。


「今日もちゃんと増やしといたよ」


指先。


写真の端をゆっくり撫でる。


「だから——」


言葉が止まる。


視線が僅かに落ちる。


「……。」


数秒。


れいは写真から手を離す。


顔を上げる。


いつもの表情へ戻る。


「サーモン食べよ」


椅子から立ち上がる。



キッチン。


冷蔵庫。


サーモンを取り出す。


包丁。


まな板。


れいはサーモンブロックを置く。


「……。」


切る。


ただ切る。


皿へ。


醤油。


わさび。


以上。


れいは出来上がった皿を見つめる。


「よし」


料理と呼べるかどうかは——。


かなり怪しい。



投資専用ルーム。


十二枚のモニター。


誰もいない部屋。


静かに数字だけが動き続ける。



10,428,671,980円。



その金があれば、


高級マンションにも住める。


毎日、高級レストランにも行ける。


欲しい物の大半は、


買える。



それでも——。



キッチン。


175円のサーモン。


れいは一切れ摘まむ。


醤油へ。


わさびを少し。


口へ運ぶ。


モグモグ。


「うまっ」


嬉しそうに、もう一切れ。



15歳の卒業式。


その帰り道から——。


れいは、


一人になった。

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