表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひとりぼっち、ふたりきり。  作者: 言ノ悠
第一章 出会い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/11

第08話 クリスマスイブ

 十二月二十四日、クリスマスイブ。ただの平日。


 一年で最も夜が賑わう今日、美玲の家も、いつになく温かな空気に包まれていた。

 あまり家に揃うことのない父と母と共に、美玲は豪勢な食事の準備をしている。ちょうど、彼女がローストビーフを切り分けたときだった。


「美玲、これを持っていって」


 母がトレーを差し出す。美玲は包丁を静かにまな板へ置き、それを受け取ってダイニングテーブルへ運んだ。大皿の料理を一枚ずつ取り分け、整えるように並べていく。


「七面鳥、置くからどいてくれ」


 父がそう言って、美玲が並べた皿の真ん中に、大きな一羽を置いた。

 美玲は一瞬だけ目を瞬かせた。皿の中央を占めるそれは、想像していたよりもずっと大きく、表面に照明の光を受けて、ほんのりと飴色の艶を帯びている。


「……すごい」


 思わず漏れた声は、感嘆そのものだった。

 先程まで切り分けていたローストビーフだけでも十分に豪勢だというのに、こんなに大きな七面鳥まである。

 キッチンでスープを優しく混ぜている母の姿や、重たい皿を運ぶ父の姿。普段は広く感じるリビングが、今日は少しだけ狭く思えた。


 母が小さく笑って、「今年は奮発したのよ」と言った。父も「せっかくだからな」と短く続ける。

 美玲は言葉にはしなかった。ただ、並べ終えた皿の位置を指先で整えながら、自然と口元が緩んでいるのに気づく。三人で同じテーブルを囲み、同じものを食べる。それだけのことなのに、今日という日が、魔法のように特別に感じられた。


 胸の内に、静かな喜びが広がっていく。だがしかし、純粋に喜ぶだけでは終われなかった。

 何故なら、テーブルにはもう一人分の食器が並べられていたからだ。それらは主の不在を訴えるように、クリスマスを知らない彼を待っていた。


 この環境を彼がどのように思うのか。そんな不安がよぎる。それでも誘ったのは、彼がこういう日を知らないことを「寂しい」と感じたからだ。


 やがて、遠くで電子音が鳴った。玄関のインターホンだ。


「美玲、いってらっしゃい」


 母の声に背中を押されるようにして、美玲は廊下へ向かった。

 美玲は玄関の鍵を回し、そのまま重たい扉を開けた。ひんやりとした空気が、足元へ流れ込んでくる。  そこに立っていたのは、陵だった。

 外は吐く息が白くなるほど冷えているはずなのに、彼は薄手の上着を一枚羽織っているだけだった。マフラーも手袋もなく、首元も手首も寒空に晒されている。冬の夕方にしては、あまりにも軽装だった。


「……寒くないの?」「平気」


 本当になんてことないように、陵は短く首を横に振った。

 玄関扉の向かい側、その先に繋がるリビングからは、家の明かりと、さっきまでの暖かい空気が漏れ出している。美玲は一瞬だけ迷ってから、扉を開けたまま半歩ほど横にずれた。


「……とりあえず、入って」


 自分でも少し唐突だと思いながら、そう口にする。陵は彼女の顔を見てから、静かに頷いた。

 彼が玄関に足を踏み入れたのを確認して、美玲はそっと扉を閉めた。外の冷気が断たれると同時に、家の中の暖かさをより一層に実感する。照明の明るさと、かすかに漂う料理の匂いが、彼の足元まで伸びてきていた。


 陵は一歩進んでから、靴を脱ぐタイミングを測るように、わずかに動きを止めた。美玲は先にフローリングの上に上がり、来客用のスリッパを彼の前に並べた。


「ここでいい?」「うん。そこに置いて」


 美玲は靴箱の前を指さした。陵は言われた通りに靴を揃え、静かに玄関へ上がった。その仕草は、どこかよそ行きであったが、慣れているようにも見えた。


 ふと、リビングの方から、皿の触れ合う音が微かに聞こえた。


「……人、いる?」


 陵が小声で尋ねる。その瞳に、わずかな警戒の色が混じる。


「パパとママがいる。今日はクリスマスだから」


 美玲は他の誰がいるかなど、誘ったときに告げてはいなかった。だから、驚かせないように、なるべくあっさりとした声で告げる。


「……クリスマスって、家族が揃うような特殊な日なのか?」


 陵は小首を傾げた。その言葉は、彼が世間一般的な「クリスマス」の概念を持っていないことを、如実に物語っていた。


「一緒にいたい人と、一緒にいる日、かな」


 言葉を探しながら、美玲は視線を前に向けたまま答えた。


「誕生日みたいなもの……か?」

「ううん。それは違う」

「そうなんだ」


 それだけ言って、彼はまた小首を傾げる。理解したのかどうかは、はっきりしなかった。たぶん、あまりピンときていないのだろう。


「美玲、廊下は寒いだろう? 早く彼を紹介してくれないか?」


 リビングの方から、父の声がした。美玲は小さく息を吸ってから、陵の方を振り返った。


「……こっち」


 それだけ言って、先に歩き出す。陵は一拍遅れて、その後に続いた。

 廊下を抜けて、リビングに足を踏み入れると、足元の冷えが薄れる。照明の明るさと、七面鳥の香ばしい匂いがはっきりと感じられた。


「いらっしゃい」


 最初に声をかけたのは母だった。作業の手を止め、布巾で指先を拭きながら、穏やかな視線を向ける。 その声で気が付いて、父もまな板から顔を上げ、ゆっくりと陵を見た。


「……君が、美玲の友達かな」


 普段は厳しい実業家の顔を持つ父が、今日はどこか柔らかい表情をしている。 その言葉に対し、陵は一歩だけ前に出ると、背筋を伸ばし、浅く、けれど芯の通ったお辞儀をした。


「相浦陵と申します。本日は、お招きいただきありがとうございます」


 落ち着いた声だった。年齢に対して、言葉の運びが整いすぎている。それを聞いた父は、ほんの少しだけ驚いたように眉を上げ、それから表情を緩めた。


「相浦くん、か。寒い中、よく来てくれた」

「いえ」


 父のねぎらいの言葉に、すっかり子供らしくない返事をする。

 その様子を見て、美玲には、彼がまるで別の世界に生きる子どものように映った。とても自分と同じ小学五年生だとは思えない。堅苦しいほど整ったその所作は、以前テレビで目にした厳格な武家の作法を思わせた。


「美玲、紹介してくれる?」


 母にそう促され、美玲は一瞬だけ言葉を選んだ。

 父と母には「友達を呼びたい」と話していた。けれど、彼自身を「友達」という枠に当てはめて紹介していいのか、今の彼の凛とした姿を見て、ほんの少しだけ戸惑ってしまった。


「……同じクラスの、相浦陵くん」


 悩んで悩んで、口から出たのはそれだけだった。それ以上の言葉は、今の彼には不要だと思った。


「今日はクリスマスイブでね」


 父が、場を繋ぐように言う。


「よかったら、一緒に食べていきなさい」


 陵はすぐには答えず、ほんのわずかに美玲の方を見る。確認するようなその視線に、美玲は何も言わず、ただ小さく頷いた。

 それを見て、陵はもう一度だけ、深々と頭を下げた。


「ありがとうございます」


 陵は短く礼を言い、促されるままにテーブルへと近づいた。

 美玲が隣の席を引いてやると、彼は迷うことなくそこに座る。背筋は定規で引いたように伸びていて、ふかふかのダイニングチェアに座っているはずなのに、まるで正座でもしているかのような佇まいだった。


「……いただきます」


 父と母が手を合わせるのを見て、陵もそれに倣った。

 その所作一つとっても、指先まで神経が通っているように綺麗だった。美玲は横目でそれを見ながら、自分の背筋もつられて伸びるのを感じた。


「さあ、遠慮しないで食べてくれ。七面鳥なんて、初めて見るんじゃないか?」


 父がナイフで切り分けた肉を、陵の皿に乗せながら言った。


「はい。写真でしか見たことがありません」


 陵は皿に乗った肉を、得体の知れない生物でも観察するかのように凝視した。


「……食べるものだとは、思っていませんでした」


 その純粋すぎる感想に、父と母が顔を見合わせて、それから吹き出した。


「あはは! そうかそうか。確かに、日本じゃあまり馴染みがないからな」


 父は愉快そうに笑い、母も口元を押さえて微笑んでいる。

 美玲は少しだけハラハラしたが、陵は馬鹿にされたとは微塵も思っていないようで、ただ不思議そうに首を傾げていた。


 陵はフォークを手に取り、ぎこちない手つきで肉を刺した。そして、口へと運ぶ。美玲は、彼が咀嚼し、飲み込むまでの時間を、息を止めるような気持ちで見守っていた。


「……どう?」


 恐る恐る尋ねる。


「……美味しい」


 陵は目を見開いて、美玲を見た。


「焼いた鳥の味だけど、いつものより味が濃い気がする」

「ソースがかかってるからね。クランベリーソースっていうんだって」

「そうなんだ」


 陵は感心したように皿を見て、二口目を口に運んだ。その表情に、いつもの無関心さはなかった。美味しいものを美味しいと感じる、年相応の素直な色が浮かんでいた。


 それを見て、美玲は胸を撫で下ろした。同時に、自分の皿の料理も、一層美味しく感じられた。


「相浦くんは、礼儀正しいのね」


 スープを飲みながら、母が感心したように言った。


「姿勢もいいし、お箸の持ち方も綺麗だわ」

「……祖父に、厳しく言われていますから」


 陵は食べる手を止めて、質問に答えた。


「お祖父様と暮らしているのかい?」


 父が何気なく尋ねた。それは大人が子供にする、ありふれた世間話の一つだった。

 けれど、美玲の心臓が跳ねた。父は知らないのだ。彼に両親がいないことを。美玲が助け船を出そうと口を開きかけた、その時だった。


「はい。両親は死にましたので」


 陵は、七面鳥の味を伝えるのと同じトーンで、あっさりと答えた。

 カチャリ、と父のナイフが皿に当たる音が響いた。食卓の空気が、一瞬にして凍りついたように止まる。


「……あ、いや、それは……すまないことを聞いたな」


 父が狼狽して、言葉を濁す。母も驚いたように目を見開いて、言葉を失っていた。

 気まずい沈黙が流れる。けれど、陵だけが平然としていた。


「いえ。僕も顔を知りませんので」


 彼はそう言って、また料理に視線を戻した。強がりでもなんでもなく、彼にとってそれは、ただの事実でしかないのだ。

 美玲は、父と母の顔を見た。二人は困惑しながらも、目の前の少年をどう扱えばいいのか、慎重に探っているようだった。


「……そうか」


 やがて、父が静かに言った。


「相浦くんは、強いんだな」

「いえ、強くはありません」


 陵は即座に否定した。


「ただ、慣れているだけです」


 慣れるということ。

 それは強さではなく、諦めや受容に近いのかもしれない。そう言い切る彼の横顔から、美玲は目を逸らせなかった。胸に深く刺さった感覚が確かにあった。


「パパ、ママ」


 美玲は、重くなりかけた空気を変えるように、明るい声を出した。


「相浦くん、ゲームがすごく上手なんだよ。この前も、私より先にボスを倒したの」

「へえ、そうなのか?」

「うん。あとね、家のお隣が道場なんだって」

「ほう、道場か。もしかして、神源流の?」

「はい」


 陵が頷くと、父は「なるほど」と納得したように頷いた。


「あの姿勢の良さは、武術の賜物か。……どうりで、眼光が鋭いわけだ」


 父は少しだけ茶化すように言ったが、その目には好意的な色が浮かんでいた。母も「また遊びにいらっしゃいね」と優しく微笑んだ。


 再び、食卓に穏やかな時間が戻る。ナイフとフォークの音。笑い声。料理の温かい湯気。


 美玲は、隣で黙々と食事を進める陵の横顔を見た。

 彼は相変わらず無表情で、淡々としている。けれど、その頬が少しだけ緩んでいるのを、美玲は見逃さなかった。


 クリスマス。一緒にいたい人と、一緒にいる日。


 美玲は自分の言葉を思い出しながら、心の中で小さく頷いた。彼にとって、今日のこの時間が、ただの「美味しい食事」以上の記憶になればいい。

 

 外の寒さを忘れるほど、リビングはどこまでも暖かかった。


 食事の時間は、料理がなくなれば、自然と終わりに向かっていく。

 その余韻がまだ残る中、陵は壁掛け時計を一瞥し、音もなく椅子から立ち上がった。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」


 その言葉に嘘がないことは、重ねられたおかわりの回数と、空になった皿が証明していた。

 長居はしない。用が済めば、あっさりと去る。それが彼の流儀であり、美玲もそれを知っていたから、無理に引き止めることはしなかった。


「送るっ」


 ほとんど間を置かずに、美玲は彼の背中を追うように立ち上がる。


「陵くん」


 廊下へ向かおうとした彼を呼び止めたのは、母の声だった。


「いつも、美玲と遊んでくれてありがとう」


 続いた言葉は、一人の母親としての、あたたかな声音だった。


「いえ、俺……いえ、私のほうこそ。いつも遊んでもらっていて。ゲームも、ありがとうございました」


 言い直しながらの礼は、どこか不格好で、それでも誠実だった。母は小さく目を細める。


「そんなにかしこまらなくていいのよ。陵くんも、またいつでも来てね」


 その言葉に、陵は一瞬だけ戸惑ったように視線を泳がせた。招かれることに、まだ慣れていない顔だった。


「……はい」


 短く、けれど確かに頷く。それ以上長く留まることはしない。陵は改めて美玲の両親へ一礼すると、廊下へと向かった。


 美玲もその後に続いた。玄関までのわずかな距離が、妙に長く感じられた。さっきまでの温かな空気が、少しずつ背後へ遠ざかっていく。


 陵は静かに靴を履いた。来たときと同じように、きちんと向きを揃えて。


「今日は、本当にありがとうございました」


 玄関口で、もう一度だけ言う。


「こちらこそ。気をつけて帰るのよ」


 母の声がやわらかく重なる。


 扉が開くと、冷たい夜の空気が一気に流れ込んできた。暖房の効いた室内との温度差に、美玲は思わず肩をすくめる。


「送るって言ったでしょ」


 美玲は自分のコートを羽織りながら言う。


「いいよ。近いし」

「でも、送る」


 半ば強引に外へ出ると、陵は薄手の上着のまま、小さく息を吐いた。白い吐息が夜気に溶ける。

 家の灯りが背中にある。その光が、二人の影を長く伸ばしていた。

 しばらく並んで歩く。会話はない。けれど、沈黙が重くはなかった。


「……楽しかった?」


 美玲が、不意に尋ねる。陵は少し考えるように視線を前に向けたまま歩き続ける。


「うん」


 短い返事。


「いつもより、賑やかだった」


 それだけ言って、また黙る。けれど、その「うん」は、今日一番柔らかい声音だった。

 道場の屋根が見えてくる。その隣の、控えめな灯りの家。


「ここまででいい」


 陵が立ち止まる。

 美玲も足を止める。

 言葉を探すが、うまく見つからない。


「……また、来る?」

「呼んでくれるなら」


 素っ気ない言い方。けれど、拒絶ではない。


「呼ぶよ」


 美玲は即答した。

 陵はほんの少しだけ目を見開き、それから、ほんのわずかに口元を緩めた。


「じゃあ、また」

「うん。またね」


 美玲が先に手を振る。

 陵は一拍遅れて、小さく手を上げた。ぎこちない、けれど確かな仕草。

 玄関の引き戸が閉まり、灯りがひとつ、壁越しに揺れる。帰り道を一人で歩きながら、美玲は胸の奥に残る温度を確かめた。


 クリスマス。一緒にいたい人と、一緒にいる日。今日の時間が、陵の中でどんな名前になるのかはわからない。

 けれど、少なくとも、美玲の中では、確かに特別な夜だった。夜空は澄み、星がいくつか、静かに瞬いていた。

二週間分描いたので、来週はお休み!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ