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ひとりぼっち、ふたりきり。  作者: 言ノ悠
第二章 大人への階段

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第10話 入学式

 中学校の入学式当日。

 いつもと同じ時間に、いつもとは違う格好をして、美玲と陵は通学路を歩いていた。


 中学校は、通い慣れた小学校の隣にある。だから、通学路もこれまでとほとんど変わらない。


「ちょっと大きいから、少し動きづらい」


 美玲は、あまり着慣れないプリーツスカートを揺らしながら、膝下までかかるそれを、少しだけ煩わしそうにしていた。


「三年も着るんだから、大きくないとすぐ着られなくなるよな」


 手の甲にまでかかるブレザーの袖に視線を落としながら、陵は「そういうものだ」と言外に含ませるように言った。


「三年……私たち、どれくらい大きくなってるんだろ?」


 漠然とした将来に、美玲は疑問を投げかけた。


「さあ。……想像もできないよな」


 父も母も、話した記憶すらない彼からすれば、大きくなった後の自分、将来の自分を思い描くことはできない。


 それは疑問というよりも、どこか断絶に近い感情だった。


「一緒に楽しも!」


 美玲は彼の手を引いた。それはただの友愛よりも、明らかに距離の近い行為だった。


「……うん、ありがと」


 陵は彼女に手を引かれながら歩き出す。それはただの友達同士というより、まるで主人公と、それに連れられる仲間のような関係だった。


 中学校の正門に近づくと、見知った顔もあれば、まったく知らない大人や子供の姿もある。けれども、やはり多くの生徒が、美玲や陵のように一人ではなく、保護者と一緒だった。


「美玲ちゃん」


 彼女の名を呼ぶ声があった。

 振り返ると、そこには花蓮と、その母親の姿があった。


「いつも仲良くしてくれてありがとう」


 花蓮の母はそう言った。


「こちらこそ、ありがとうございます」


 美玲は丁寧にお辞儀をした。彼の手を離さないまま。


「本当に所作が綺麗よね。今日は保護者様は?」

「今日も仕事みたいで」

「あらそうなの。いつもお忙しそうだものね」

「そうなんですよね」


 少し言葉を交わしたあと、花蓮の母はふと思い出したような顔をした。


「うちの旦那も仕事が忙しくて、入学式には顔を出せないの。だから、気にすることはないわよ」

「そう……なんですね」

「そうよ。私は仕事が大嫌いだから辞めただけだけど、好きな仕事があって、それを続けているお母様もお父様も素晴らしいと思うわ。うちの旦那なんて、毎日仕事辞めたいって言ってるし」

「は……はあ」


 続いていく言葉に、少し気圧される。


「ちょっと、お母さん。美玲が困ってるでしょ」


 様子を見かねて、花蓮が二人の間に割って入った。


「あらやだ」

「それに、相浦くんと美玲の邪魔もしてる」

「相浦……ああ、あの道場のお子さんね。あらそう……あらあら……」


 どこか羨ましそうな、昔を思い出すような視線を、花蓮の母は繋がれた手へ向けた。


「ね?

 わかった?」

「わかったわ。美玲ちゃん、邪魔したわね」

「あ、いえ」


 花蓮と花蓮の母は、そのまま校舎の方へ歩いていった。


「はあ……うちの子には、いつ春が来るのかしら……」

「ちょっ、急に何言ってんの!?」


 そんな母子のやり取りを見ながら、美玲は少しだけ羨ましいと感じた。

 けれど同時に、花蓮の母に「私たちが普通ではない」と言われた気がした。だからこそ、まあいいかとも思えた。


 父も母も、仕事を楽しんでいる。

 それは、美玲にとっても嬉しいことだったから。


 人だかりができている校舎に、ふたりは手を繋いだまま足を踏み入れた。正確には、美玲が彼の腕を引いている。


 校舎に入ると、今日だけは特別にと、外履きのまま上がれるようビニールシートが敷かれていた。

 そして、そのシートの先には、今まで以上の人だかりができている掲示板があった。


「クラス分けかな?」

「かもな」


 美玲は彼の手を引き、さらにぐいぐいと前へ進もうとした。

 けれど、陵はそれを嫌がった。びくとも動かなかった。


「……どうしたの?」


 美玲は不思議に思い、恐る恐る彼の顔を見る。


「人が多いから、少し待ちたい」


 陵はそう言った。


「ん、わかった」


 美玲は素直に頷いた。


「入学式って、何時から?」

「九時半から」

「今は……八時二十分だから、まだ少し時間あるな」

「八時半から新入生の受付が始まるらしいよ」

「その前にクラス見ておきたいよね。一緒だといいね」

「まあ……そうだな」


 美玲があまりにも自然にそう言うものだから、陵は少しだけ言葉に迷ったように見えた。

 それでも、彼女の言葉を否定することはしなかった。


 八時二十五分、ようやく掲示板から人だかりがはけ始めた。


「行こう」

「ん」


 美玲が先に歩き出し、陵もその後ろに続く。二人は並んで掲示板の前に立った。


 貼り出された紙には、ずらりと名前が並んでいる。美玲は自分の名前をすぐに見つけた。


「……一組だ」


 それから、隣に立つ陵の名前を探す。


「……二組」


 ほんの少しだけ間が空いた。


「クラス、別だね」

「……だな」


 美玲は一組、陵は二組だった。今まで同じクラスだったから、とても不思議な違和感が彼女の中にあった。

 掲示板の前にはまだ何人かの新入生が残っていて、それぞれが自分の名前を確かめたり、友達と話したりしている。二人も少しだけその場に立ったまま、貼り出された紙を見上げていた。


「受付って、どこでやるんだろ」


 美玲がそう言って掲示板の横を見ると、そこには案内の紙が貼られていた。新入生受付はクラスごとに分かれており、一組は右側、二組は左側の列になっている。


「じゃあ……ここで別だね」


 美玲が少しだけ残念そうに言う。


「だな」


 陵は短く頷いた。ほんの少しだけ沈黙があった。


「入学式終わったら会える?」

「昇降口にいる」

「うん」


 美玲は頷くと、一組の列へと歩いていった。後ろから陵も二組の列に並ぶ。

 列の前では教師と上級生が受付をしていた。名前を確認し、封筒を渡している。美玲の番が来る。


「桐崎美玲さん。一組、出席番号十二番ですね」


 教師は名簿を確認しながらそう言い、茶色い封筒を手渡した。


「はい」


 美玲はそれを受け取り、列から外れる。封筒の中には、学校案内やクラス表、校歌の紙などが入っていた。


 ふと周囲を見回すと、同じように封筒を開いている新入生の姿がある。小学校の知っている顔もいれば、全く知らない子もいる。陵の姿は見えなかった。


 受付が終わると、体育館へ向かうよう案内される。廊下を進むと、上級生が「こちらです」と声をかけながら列を作っていた。


 体育館の入口の前で、クラスごとに整列するよう指示される。一組の列に並んだところで、後ろから声がした。


「美玲!」


 振り返ると、花蓮が手を振っていた。


「花蓮」

「同じクラスだよ、私も一組!」


 花蓮は嬉しそうに言った。


「ほんと?」


 美玲も少しだけ表情を明るくする。


「さっき見てきた」

「よかった」


 知らない顔ばかりの中で、知っている友達がいるだけで少し安心する。やがて列が動き始め、体育館の中へ案内された。


 体育館にはすでに椅子が整然と並べられていた。前の方に新入生の席、その後ろに保護者席がある。高い天井の下に、人の声が反響していた。


 美玲は自分の出席番号の椅子を見つけて座る。周囲では椅子を引く音や、小さな話し声が続いている。ふと横を見ると、体育館の反対側に二組の列が並んでいるのが見えた。


 その中に、陵の姿があった。


 ちょうどこちらを見たところだったのか、一瞬だけ目が合う。陵は小さく頷き、すぐに前を向いた。


 やがて、体育館の前方に教師たちが並ぶ。


「これより、令和○年度入学式を始めます」


 体育館が静まり返る。


 起立、礼。椅子が一斉に音を立てる。


 校歌、校長の挨拶、来賓の言葉、新入生代表の宣誓。式は順番に進んでいく。けれど、美玲はあまり話の内容を覚えていなかった。


 体育館の空気は静かで、どこか少しだけ緊張している。新しい制服、新しい学校、新しい人たち。


 時々、視線が横へ流れる。


 二組の列の方を見ると、陵は真っ直ぐ前を向いて座っていた。姿勢は変わらず、ほとんど動かない。


 やがて式は終わりに近づいた。


「起立」


 全員が立ち上がる。


「礼」


 拍手が起こり、入学式は終わった。


「新入生は、クラスごとに移動してください」


 教師の声が体育館に響く。一組の列が動き始める。美玲も花蓮と一緒に体育館の出口へ向かった。


 廊下に出ると、二組の列が横から合流してくる。陵の姿が見えた。


「あとでね」


 美玲が言う。


「うん」


 陵は短く頷いた。


 そのまま列は分かれ、一組は一組の教室へ、二組は二組の教室へと向かっていった。


 同じ校舎の中なのに、行き先は違う。美玲は列の流れに沿って歩きながら、ふと後ろを振り返った。けれど、そこにはもう二組の姿は見えなかった。


 一組の列は、教師の案内に従って校舎の廊下を進んでいった。

 体育館の喧騒が背後に遠ざかり、廊下には靴音と小さな話し声だけが残る。


 教室の前にたどり着くと、黒板には大きな文字で「入学おめでとう」と書かれていた。色とりどりのチョークで飾り付けられている。窓から差し込む春の光が、まだ誰も座っていない机を照らしていた。


「ここだね」


 花蓮が言う。美玲は頷きながら教室の中に足を踏み入れた。机には出席番号が書かれた紙が右上の角に貼られている。美玲は自分の番号を探し、椅子を引いた。


 席に座ると、教室の中の様子が少し落ち着いて見えてくる。知らない顔がほとんどだった。けれど、小学校で見覚えのある子も何人かいる。


 やがて、教室の扉が開いた。


「はい、静かにしてください」


 担任の教師が入ってくる。まだ若い男性だった。教卓の前に立つと、軽く咳払いをする。


「一組の担任になりました、佐々木です。これから一年間、よろしくお願いします」


 教室のあちこちで椅子が鳴り、生徒たちが小さく頭を下げる。


 担任は配布物の説明を始めた。時間割、学校案内、連絡事項。新しい学校生活の話が次々と続く。教室の空気はまだ少し緊張していて、誰も大きな声を出さない。


 一通りの説明が終わると、担任は教室を見回した。


「じゃあ、隣の人と簡単に自己紹介してみましょう。名前と、出身の小学校くらいでいいです」


 その言葉に、教室の空気が少しだけ緩む。


「じゃあ、よろしく」


 隣の席の女子が声をかけてきた。


「桐崎美玲です」


 美玲は軽く頭を下げる。


「桐崎さんって、所作きれいだね」


 その女子はそう言って笑った。美玲は少しだけ困ったように笑い返す。


 教室のあちこちで同じような会話が始まっていた。名前を言い合ったり、小学校の話をしたり。まだぎこちないが、少しずつ声が増えていく。


 しばらくすると、担任がもう一度手を叩いた。


「はい、そこまで。次は学校生活について少し説明します」


 再び教室は静かになる。


 学校の校則、生活のルール、授業の流れ。担任の話は淡々と続いた。途中で部活動の話が出る。


「部活見学は来週から始まります。興味がある人は、ぜひ見に行ってください」


 その言葉に、教室の中で小さなざわめきが起こる。サッカー、バスケ、吹奏楽。隣の席の女子も、どの部活に入るかを小声で話していた。


 美玲はその会話を聞きながら、ふと別のことを思い出す。


 陵は、部活に入るのだろうか。


 道場があると言っていたから、たぶん学校の部活には入らないのかもしれない。説明が終わる頃には、午前の時間もほとんど過ぎていた。


「今日は入学式だけなので、このあと解散です。気をつけて帰ってください」


 担任がそう言うと、教室の空気が一気にほどける。椅子の音が重なり、生徒たちが立ち上がる。花蓮も美玲の席までやってきた。


「初日終わったね」

「うん」


 二人は一緒に教室を出た。廊下には、同じように帰ろうとしている新入生の姿がある。

 昇降口に着くと、人の流れが少し混雑していた。靴を履き替える音があちこちから聞こえる。


 美玲は靴を履きながら、ふと顔を上げた。


 昇降口の柱の近くに、陵が立っていた。


「待った?」


 美玲が言う。


「いや」


 陵は短く答えた。


 二人は並んで校舎を出る。


 外の空気は、体育館の中よりもずっと軽かった。春の風が制服の袖を揺らす。


「クラスどうだった?」


 美玲が聞く。


「普通」


 陵はいつもの調子で言う。


「そっか」


 二人は通学路に足を向けた。


 少し歩いてから、美玲が言う。


「部活どうするの?」

「入らない」


 陵は迷いなく答えた。


「道場あるから」

「そっか」


 美玲は小さく頷く。


 しばらく歩いていると、ふとスカートの裾が気になった。まだ制服に慣れていない。


「やっぱりこれ、ちょっと動きにくい」


 美玲はスカートを軽くつまむ。


 陵は自分の袖を見た。


「俺も、袖長い」


 その言葉に、美玲は少し笑う。


 通学路は小学校の頃と変わらない。見慣れた道が続いている。


 ふと気づくと、美玲の手は自然と陵の腕を引いている。陵は特に何も言わなかった。

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