「ご……めんな……さい」
水屋から、コップを二つ取り出した。忙しさに買い物に行く暇は無かったので、ネットで取り寄せた。到着してすぐにヒビや傷を確認するために洗っておいたが、使うのは今日が初めての備前焼のマグカップだ。実は瀬戸焼も有る。どちらも素朴なもので、画像越しには実際の手触りや質感が今一判らず、結局どちらとも絞りきれなくて、どうせ垣内たちも来るのならと二客分ずつ用意した。
同じコップの、片方にはお茶、片方にはコーヒーを入れてテーブルに運んだ。
「磁器と違って中が白くないんでお茶の色は判らないが」
「良いよ。綺麗な形だね。こんなの持ってたんだ」
「水屋が寂しかったのと、客が呼べるようになったので少しだけ買いそろえようかなと。少なくともお前の分ぐらいは」
「それは、これからも料理を期待している?」
「はは。半分は」
「じゃあ、菜箸とシリコン製のヘラぐらいは用意しておいて。あ、やっぱりいいや。自分で選ぶ」
「希望があれば買っておくぞ?」
「良いよ。自分で見て、手に合いそうなのを選ぶから。それから、キャンプ道具に入れっぱなしの調味料はちゃんと出しておいて。賞味期限有るんだから。使って無くして、新しくしておかないと」
「判ったよ」
苦笑気味に頷けば、それでカイは満足している。少しだけ上から目線も、なんだか対等な関係になったようで頼もしくもある。ほんの少しずつではあるけれど、ガードが取れている。出会った頃に比べればそれこそ雲泥の差だと、密かに感動までする。
「ま、避難所にでもガス抜きにでも、使って良いぞってことだ、この部屋を。俺が居るとき限定だけどな」
「そんなの当然じゃん。俺だって自分が居ない時に勝手に部屋に入られたら怒る。あ、でも、玄関にこっそり土産を置いといて驚かすのは有りだな」
にこにこと笑っているから「それは止めろ」と、言いつつ、自分のカップに手を伸ばした。
車中のような狭い場所ならともかく、広い部屋の中、わざわざ頭を突きに行くことも無い。つい、動きそうになった手を、コーヒーを飲むことでごまかした。
明日は授業最後にレポートが有る。最初はそのための予習と復習。
カイはパソコンで纏める。そのために、筆記用具も持っているにも係わらず、パソコンも持ち込んでいる。
春久は手元のコピー用紙に相関図を書いていく。関連性をハッキリさせていくのが春久の勉強法で、カイは自分が作った文章を何度も読み返しながらコピーアンドペーストで順番を入れ替えて、自分が納得いくように、起承転結をハッキリさせる。パソコンならそれが楽だ。纏め方が違うため疑問点も違ってくる。逆に言えば、判っているところも違っているから、補い合える。
「プリンター要るか? 一度ドライバー入れておけばいつでも使えるだろう?」
「良いよ。要点だけ纏めてノートに写しておく」
春久は電源を延長してやったけれど、教室では電源が使えない。パソコンのバッテリーは保つ筈だが、それでも想定外のことは起きうる。だからカイは、自分が纏めた文章をノートに写していく。先に自分なりの資料を纏め終えた春久は、カイの飲み物を新しくした後、キッチンに立って二人分の食器を洗った。
洗い物、風呂の支度、それらはカイは手を出さない。出されても遠慮する。だから、一通り片付けを終えて居間に戻れば、カイはタブレットを電源に繋いで本を読んでいた。春久が戻ってきたのを見て、カイはタブレットを置いた。
「読んでいれば良いのに。ゲームにするのか?」
「違う。教科書も持ってきてるから、判るなら教えて」
通信授業用の、付箋や書き込みの入った教科書。カイは小説なども含め、読み終わっても本を売らない。自分の物として、特に教科書には直接書き込みもする。だからその教科書を見れば、ポイントも判る。判るけれど、たまにズレている。要点は別だろう?と指摘すれば、「そうなの?」と言いつつ、急いで教科書を取り上げてまた書き込む。ぱらぱらと捲れば教科書の後半は綺麗なままだ。まだそこまで手が届いていない。
「試験までに全部読み終わるのか?」
「今の俺には難しいから、一年掛けてやるつもり」
地道だけど堅実だ。入庁して数年でだらけ始めた若手に見習わせたい。もちろん真面目に努力する顔ぶれはきちんと覚えてそれなりに取り立ててやりたいと思っているが。そうすると今度は彼らがおかしな妬みに遭うのだ。戸野原の苦悩と、彼がアッサリ警察に見切りを付けた理由が、今頃になって理解出来る。彼の場合は、警察と言うよりそこにあぐらをかく若手、か。
ただ、春久は戸野原たちに守られた分、今の仕事に留まって、同じように努力を重ねて上がろうとするメンバーを守っていきたいと思っている。
そう言えばその戸野原がカイのこと、いろいろ気に掛けていた。彼にとってカイは、当時の春久と同じように守ってやりたい相手らしい。春久が戸野原と一緒に仕事をしていたころ、彼の子供たちは小学生だった。カイを小学生レベルだと評しているのだから、まさしく自分の子供と同じレベルで。
「カイ」
「何?」
教科書から顔を上げて、小首を傾げている。春久の次の言葉をしっかり待っている姿に、やはり癒やされるなあと笑みがこぼれてしまう。
「あのな。今回は俺から渡すけど、次はお前が渡せよ。戸野原さんへの土産。あの人絶対に喜ぶから」
カイは少し目を伏せ、それから真剣な目で春久を見る。
「垣内さんには? ハルさんが渡してくれるの?」
「威圧感が有るから、戸野原さんの方が苦手かと思っていたが……」
戸野原に渡せるなら、垣内にはもっと普通に渡せるだろうと思っていた。それを、そうやって聞いてくると言うことは、垣内の方が苦手だったかと、その目を見てしまう。
カイは、少しだけ口を開き掛けたけれど、すぐにきつく閉じ、視線を外した。これは、聞き方が悪かった。すぐにそう感じた春久は
「悪い。俺の言い方が悪かった」
急いで謝った。
「俺にとって戸野原さんは恩人でいい人なんだけど、どこかに上司だったっていうのが頭にある。頭が上がらない人というか。あの通りのがっちりした体型で威圧感も有るし。実際は気の良いオヤジってところなんだが」
何回か会っていてもどこかビクついていたことは指摘しなかった。言われれば尚更気にするだろう。
「垣内は高校の同級生で、同じ部活をしていたので気易い。人当たりも良いし軽口も言う。だから世渡りは上手いと言うか、上にも下にも可愛がられているし慕われている。なのでお前も垣内の方が取っつきやすいかと思っていたので意外だっただけだよ」
それで気づいた。威圧感なら、春久もあるだろう。体型は戸野原ほどがっちりしているわけでもないが身長が有る。何より現役の警察官、相手を威圧することに掛けてはプロだ。ならば威圧感で戸野原を苦手とすることは無い。
「ご……めん。ごめんなさい」
不意にカイが、膝を抱えて顔を埋めた。
「は? お前に謝られるようなことされてないぞ? カイ?」
「ごめん……ごめ……ん」
「カイ」
春久は掌を額に付け、頭を掻いた。いつもなら若手に舐められないよう、威圧感を出す意味も含めて整髪料で上げている前髪を、今日はオフだからと下ろしていた。それを掻き上げ、「はぁ」と、小さく溜息。途端に、カイがビクつく。
今にも逃げ帰りたいけれど、大人としての自制から我慢している。そんな様子にも見て取れる。春久の溜息を、呆れにも取った。
「今のは、自省だ。戸野原さんに、お前をちゃんと見てやれと言われていたし、俺は見ているつもりでもあったんだ。でも、全然足りてなかったな。あのな、カイ。お前はお前で良いんだ。お前だから友人になりたかったし、一緒に走りたいと思った。お前の作ってくれた飯は美味かったし、これからも大切な友人だ。垣内が一気に距離を詰めようとしすぎたってことだろう? 俺がお前とこの距離になるのに二年掛けたのに、あいつは一足飛びで近づいて。腹立たしいんで、しばらく出入り禁止にしても良い。後、夏のキャンプは戸野原さんだけ誘うか? 後であいつが泣きそうだけどな」
カイは無言のままだ。
「垣内にはお前が人見知りだから安直に触るなと言ったし、戸野原さんも、お前に対しては小学生レベルの会話にしておけと注意もしてくれた。それを聞かなかったんだから、放置されても自業自得だ」
それ以上は何を言っても無理だろう。春久は立ち上がり、ソファーをベッドにして、部屋から布団やシーツを運んできてその上に置いた。
「明日も早いからな。風呂も適当に入って今日は寝ろ」
少しだけ考えたけれど、うずくまったカイの頭に軽く手を当て、すぐに寝室に姿を消した。まさかこんな夜中に戻ると言い出したりしないとは思う。
一時間ほど経って、寝室を出た。テーブルを見れば、カイはそこに伏せたままだ。ソファーに用意した寝具にも触れていない。春久は再び溜息を吐いて、頭を掻いた。
静かにそこを通り抜け、風呂に入る。出ても、カイは身動きをした様子も無い。仕事柄拗ねた子供は何人も見てきた。拗ねて身動き取れなくなった子供たち。彼らと同じだと思うべきなのだろう。仕方が無いかとソファーベッドにシーツを掛け、毛布を足下に置いてから、カイの肩に手を置いた。
「カイ。起きろよ。カイ」
「ん……ごめ……ごめんなさい……」
寝てもうなされる程思い悩んでいるとは思わなかった。いつもにこにこ笑っている。たまに生意気を返すようになった。それでも、どこか遠慮が有って。
「お前は悪くないから。謝らなくて良い」
耳元で囁いた。軽く肩に回した腕を動かして、その肩から背中に掛けてリズム良く叩いてやる。カイの眉間から縦皺が消え、寝息が穏やかな物に変わっていった。
小さく息を吐き出した。それから、肩に回していた腕に力を入れる。
「カイ。起きろ。こんなところで寝てどうするんだ?」
体を揺さぶる。うなされていたことには気づいていない風を装って。
「カイ。起きて風呂に入るか、億劫ならそのままでも良いからソファーで寝ろ」
カイが薄く目を開けた。それからまぶたを擦る。
「明日も大学だ。うちからだと時間が掛かるから早起き必須だからな。そのままで良いから寝ろ。このあたりは触らないから、明日の朝急いで片付けろよ」
背中に回した手に力を入れ、起き上がらせる。介護よろしく体を押してソファーに座らせるまで、カイはされるがままだ。だからそのまま横たわらせ
「どうせキャンプじゃ、風呂が無いこともあるんだ。寝ろ」
シーツと毛布を掛ける。カイの目は開いたままだ。けれど、すぐに閉じるだろう。春久は「お休み」と声を掛けて、部屋の明かりを一番小さくして、寝室に戻った。




