二度目のホラー
カイが洗っておいたプラスチックゴミは、キッチンタオルで軽く拭いて、形を揃えてゴミ袋に。料理をするときに使った食器なども洗って先に片付けた。
「豆アジが泳いでるのか?」
「そ」
当然泳ぐなんてのは比喩だ。保存容器の中で、唐揚げにされた豆アジが三杯酢に浸かっている。カイのマメさに頭が下がる。目を細めてくれるから、ああ良いなあと思ってしまう。ささくれ立った心が穏やかになる。
「明日は車だな。食事していると真っ暗になる。明後日はバイクにすれば、お前もそのまままっすぐに帰れるな」
「それで良いよ」
春久は家に到着次第、そのまま待機だ。
インターフォンが鳴った。春久はカイと顔を見合わせた。
「悪い、頼む」
来てくれるなと思ったが、来たときのことはカイと打ち合わせをした。カイはエプロンを春久に押し付けて、玄関に向かった。インターフォンは何度も繰り返され、すぐに
「丹波警部補~。夕食作りに来ましたぁ」と、少し鼻に掛かった声が聞こえてきた。
カイはすぐに玄関のドアを開けたようだ。
「どなたですか? ここ、マンションなので騒がれると困るんですけど」
「あ、あなた誰よ!」
「そちらこそどなたですか? ここは男の一人住まいなんです。見ず知らずの女性に乗り込まれる、言われも心当たりもありませんけど」
「嘘でしょう!」
カイは嘘は言ってない。
「ちょ! 不法侵入で警察呼びますよ!」
女が入ってこようとしたのか、カイの少し焦って押しとどめる声。出て行って庇いたかったけれど、それをすると元の木阿弥。開ける前にチェーンは掛けておけと念押しをしたので、それを守っていると信じて我慢した。
「ここに丹波さんが」
「ご覧の通り、俺の靴しか無いでしょう」
春久は常に下駄箱に靴を片付ける。今日はカイが来ているからその靴と、以前カイがくれたサンダルしか置いてない。そのサンダルは、カイが履いているのだろう。そうすれば確かに靴は一足しか見えない。
ここは課長に連絡すべきかと思ったが、さすがに声の通る場所で電話は出来ない。思い付いて、カイの携帯に「追い返せそうか?」と、メールを送った。
「あなたはいったいどこの誰です? うちに何のご用ですか? しつこいようなら本当に警察呼びますよ!」
「え、ちょっと」
ドアの閉まる音、鍵の掛かる音。
「非常識が過ぎる!」
カイが少しばかりぷんぷんしている。その姿も可愛いのだが。
「外、居なくなったか?」
ドアスコープから外を覗いていたカイが「多分? でも、廊下の隅っこに居ない気がしないでもない」などと。何重に否定するつもりだ。
前回は居留守を装ったが、今回はカイが居てくれる。大声さえ出さなければ不自然ではないと判断し、課長に電話を入れた。
「来ました。カイが対応してくれましたけどね。男の一人住まいだと言っても、部屋に乗り込んでこようとしていたようです。まあ、そこは若い男なので、腕ずくで負けるようなことはなかったですけど。
「交番から回して様子を確認させておく」
「手間でしょう?」
「それが仕事だろうが」
確かにそうなのだが。
カイが玄関に向かった。
「うわ」
「カイ?」
「びびった。なんか、外を確認しようとしたら、目が……」
「は?」
春久はテレビを付けた。それで外に多少音が聞こえても、連続する生活音だと言い切れる。その間にカイは部屋に戻ってきた。
「確認しようとしたら、なんか、目がでかかった。ホラーだ」
ドアスコープから室内は見えないはずだが、最近はドアスコープ越しに室内を撮影することもできると知れ渡ってきた。春久の部屋のドアスコープにも、小さなシャッターが付いている。それを開けた途端目が見えたら、さすがに怖いだろう。
「うちの課長が交番に連絡したと言うから、任せておこう」
と、春久が言い終わらないうちに
「丹波警部補! 開けてくださいよぉ。ご飯作りに来たんですよ~。明日お休みでしょう?」
春久は頭を抱えたが、スマホの録音機能をオンにして、下駄箱の上に置いた。
「丹波警部補~」
「引っ越しするしかないか? 何だって言うんだ」
「ハルさんが格好良いってことだよ」
「褒められている気がしないんだが」
しばらくして、玄関外から女のわめき声、男の宥めるような声が聞こえてきたが、程なく収まった。それから、再びドアベルが。食事途中だというのに、カイが立ち上がってくれた。
「はーい」
「済みません。警察ですが、通報を受けてきました。こちらの女性はお知り合いですか? 住人と知り合いで食事を作りに来たと」
「知らないです。食事は今食べているところです。注文したわけでも無いのに知らない人の食事なんて、怖くて食べられないですよ」
「ですよね。済みません、お名前を伺っても?」
「ちょっと待ってくださいね」
カイは静かにスマホを回収してくれ、そのままメモ帳を持って、そこに自分の名前とふりがなを書いた。
「あの人に聞かれたくないので、これで」
「あ、ああ。そうですね。配慮に欠けてました。申し訳ありません。繰り返すようでしたら、被害届や相談の手続きをお願いする形になります」
「友人に相談します。法律に詳しい人がいるので」
「判りました。では、こちらにご連絡をお願いします」
ドアが閉まる音。カイが戻ってきた。
「何か有ればそこに連絡くれって」
カイの名前の下に同じく手書きされた警察官の名前と所属交番。
「預かって良いか?」
「もちろん」
カイは食事を再開したが、春久はひとまず課長に連絡だ。来てくれた警察官のこと、これは途中途中カイから聞いた内容も含めて報告した。
「月曜にでもまた交番に顔を出しておけ。それと、被害届もな。お前の事だから時間もメモしているんだろう?」
している。いつに来て、どういった内容をしゃべったか。二回目の分は録音までした。自宅内での録音であり、違法な盗聴には当たらないことが通用すれば、裁判でもこのまま使える。もし物的証拠にはならないと言われても、状況判断の材料にはなる。
「カイ、クッキーは作ったんだろう?」
「タネだけ。明日成型する」
「判った。課長にも渡すんで多めに」
「オッケー」
「と言うことなので、月曜日、課長にもクッキーのお裾分け持っていきます」
課長は笑いながら、楽しみにしていると口にして、電話を切った。ようやく、ゆっくり食事できる。
翌日の弁当も上手かった。むすびとチキン南蛮。温野菜もしっかり入っている。卵焼きに少々砂糖が入っているのにも慣れた。と思っていたら
「あ、ごめん、ハルさんのと、卵焼き入れ間違えている。そっち砂糖入ってるよね?」
と、自分の弁当の卵焼きを食べたカイが、焦ったように聞いてくる。
「わざわざ変えてくれていたのか?」
「だってハルさん辛党でしょう?」
カイの弁当の中から卵焼きを取って口に入れれば、確かに甘くない。だしがしっかり利いていて、美味い。その間にカイは急いで春久の弁当の卵焼きを回収しようとしている。
「大丈夫だ。わざわざ変えなくても、もちろんこっちの方が好みだが、これぐらいの甘さなら。なので次からは同じもので良い。だったら、入れ間違えたと心配しなくても大丈夫だろう?」
「ふはっ。ハルさん優しいね。でも今日はこっち食べて」
わざわざ味付けを春久好みにしてくれている卵焼き、その好意に甘えて、結局卵焼きは交換。と言っても、春久の方が多く食べてしまっているが。ま、良いか。元々常日頃から走り回っている春久の方が大量に食うし、タンパク質を必要としている。
その分は、夕食の刺身一切れで返却だ。カイも笑って受け取ってくれた。
食事をして帰れば片付けも要らない。今日の授業の復習を早々に済ませ、レポートの下書きも作れば空き時間ができる。その時間を利用して、次のキャンプとツーリングの計画だ。カイはクッキーを成型して焼くというミッションも残っている。
「そう言えば、お前、ロープワークできるだろう?」
「何?」
前回のキャンプでやっていた戸野原のロープワーク教室。長男と一緒に熱心に覗き込んでいた。
「出来ないよ」
「は?」
「だから、教えて貰ってたんだよ。ネクタイの結び方ですら、普段やらないからあやふやなのに。できるわけないじゃん」
「はあ?」
胸を張って言うことか? 生意気な。思わず笑いを零しそうになって急いで咳払い。キャンプ道具を開けば、ガイロープはいくらでも有る。
「クッキーは手伝うから、先にやってみろ。次に戸野原さんたちとキャンプするなら、素知らぬ顔でできるところを見せたいだろう」
「判った」
何度か繰り返しているうちに、なんとか体が思い出したようではあるけど。カイは小さく唇を尖らせている。
「もう、クッキー焼くから、ハルさんは風呂に入ってて!」
そうやって追い立てられてしまった。
日曜日、家に戻って、当直してくれている係長に電話。もしかしたら家に戻っての待機にしているかもしれないが。
「お疲れさまです。それじゃあ交代ってことで、帰ります」
との返事。執務室に居てくれたようだ。
「済みません、残業までさせて」
「なんの。皆が居ない時にしか出来ない仕事もありますんで。今日は下の受付も休みだったので、丹波長のところは特に急ぎの事案は無かったですね」
土日は一般向けの受付は閉まる。手続きなどは平日に行えということで。もちろん緊急通報はその限りではないのだけれど。
「緊急通報は金曜の夜にやりました。その後始末があるので、食事をしたらそちらに出向いての作業です。うちの班員は誰が居ます?」
今日の当直を確認して、電話を切った。話をしていた係長はこれからすぐに帰宅する。待機の時は基本出勤の必要は無いのだけれど、今まで待機兼用で居てくれた係長は日勤からそのまま夜まで居てくれたのだ。
カイが来てくれると、冷蔵庫の中が賑やかになる。明日も朝から仕事、これから事務所に顔を出しても、夜遅くまで残る予定は無いので、夕食分をと、冷蔵庫を開けようとして、シンクの上に袋が並んでいるのに気づいた。
「ジンジャー、ゴマ、ココア、シュガー」
思わず声に出していた。紅茶やお茶、コーヒーも書かれている。振ればがさごそと音がする。マメな奴だと思いつつ袋を開けて絶句した。昨日春久を風呂に追いやって作っていたもの、クッキーだが、いつもは四角や丸なのに、今回は様々な形があると思ったら、なんと結び目型。
もやい結び、自在結び、本結びまである。後は名前はよく判らないもの、それから、どうやって結んだんだという飾りむすびまで。凝り過ぎだろう? それも味によって結び方が違うようで、手探りでどの味かも分かる。それは素直にすごいと思う。ネクタイまであった。小さなネクタイが結ばれていて微笑ましい。結び目の盛り上がりは焼く前に押さえたのだろう、厚さは殆ど均等だから、きちんと中まで焼けている。
少し考えて各種味を少量ずつ、まとめて袋に詰めた。




