対策会議
「丹波長、昼飯何食います?」
係長の一人から声を掛けられ、通話の切れたスマホから顔を上げた。急いで咳払い。
「今度カツ丼を作ってくれるらしいので、それ以外で」
「ははぁ。丹波さんべた惚れの相手から?」
「いや、べた惚れは止めていただけると」
「そんながっつりは無いですが、ちょいとカレーでも食いに行きますか?」
「そうします」
春久も立ち上がった。机の上を片付け、引き出しには鍵をし、パソコンの蓋は閉じる。
「二人でちょっと話も有るんで、帰りが遅れるかもしれん。後を頼む」
「了解です。ごゆっくり」
班長たちに見送られ、春久は外に出て行く一陣の一人に紛れた。
「先にちょっと、一服良いですかね?」
なんだろう、目の前の男は吸わない。それが判っているけれど、彼がわざわざそう言うのであれば、と、春久は頷いた。そのまま腕を引かれて、敷地内にある喫煙所に連れて行かれた。
何人か、知った顔がそこに居た。同じように吸わないメンバーもだ。
「丹波さん、ストーカーだって?」
は? なんでこんなところで?
「警察官がストーカー被害なんて、世も末だ」
「課長たちが心配しているようで、昼食に誘うときは庶務に聞こえるように外の場所を宣言して行け、と言われたよ。一度丹波さん宅を訪ねたからといって犯人扱いも出来ず。続くようなら被害届出して貰わないと」
春久は顔の前で手を振った。
「今日、居ませんでしたよね?」
今朝ちらりと庶務に目をやって、それは確認しておいた。
「庶務にもフレックスが導入されて、勤務時間は不規則だ。ストーカーと断じることはまだ出来ないので、今回の話を知っているのは上のごく一部だから、何も知らない連中が聞かれて答えることもあるわけだ、丹波長の動向を」
噂話というのは盲点だった。一度突撃されただけで騒ぎ立てれば、被害妄想だと言われる、いや、名誉侵害だと言われる可能性も有る。
「どこに行くって宣言したんだ?」
「カレーでもとは言ったが」
「んじゃあ、ラーメンでも行くか? そこにカレーは無いがチャーハンなら有るんで、がっつり食ってくれ」
「俺でも一応、部下の前では丁寧語だぞ? 居なけりゃ同僚扱いでラフになるが」
「硬いこと言いっこなし。同じ警部補、なおかつこん中では一番の年下だ。奢ってやるから、言葉遣いぐらい目を瞑ってくれるよな」
それは良いんだが……。こんな時だけ年下扱いらしい。思わず苦笑していた。
「パシられていると知れば、冷めるかもだしな」
「だったらパシリついでに丹波長に頼んでおけば、夜食代わりにクッキーが来るかもだな。うちのメンバーはそれが届くと、丹波長のお楽しみが届いたと噂するぞ」
「おお? それは是非とも頼まにゃあな」
「無理です。そんな約束はできません」
「良いから良いから。さ、さっさと飯食って仕事に戻らないなぁ」
結局数人の男たちに囲まれるように、ラーメン屋に移動した。ラーメンとチャーハン。かなりがっつり食った。その間、隠喩と暗語をたっぷり盛り込んで、各部署の意識あわせをしていたが。
「たまにはこんな打ち合わせも有りでしょ?」
執務室に入る前に、一緒に食事をしてきた係長にウインクされた。
「確かに、有意義でした」
部屋に入った瞬間
「丹波長! 良いところに! 来週金曜の夜から待機、土日完全休みですよね。金曜の夜の待機入りますので、日曜の夜の待機、入って貰えませんか?」
驚いた。金曜の夜の待機、むしろ替わって貰えるならありがたい。カイが居ても待機の場合一人放置することもあり得る訳で、本人はそれも納得して来てくれる予定になっていたが。
「日曜は戻るのが二十時頃になるので、それ以降になりますが」
「戻るまでは待機を延長しておきます。酒が三時間お預けになるぐらい……我慢しますよ」
事務所の中に小さな笑いが広がる。春久も小さく笑いながら
「今回はどこにも寄らないんですが、今度どこかの酒蔵にでも行ったときには、気持だけお納めを」
「おお、良いですね」
「丹波長、賄賂はダメですよ」
「土産で」
「不公平だなぁ」
「はは。それじゃあ、なにか土産を見繕えるようなところに行かないとですね。最近はキャンプ場直行が多いので」
「来週もです?」
「いえいえ。来週は別口で」
「では、届くのを楽しみにしておきます。人数が多いので、係長のところの班員と副課長としては係長たちだけで充分か」
「ええ?」
今度は大きな笑いが。彼らも土産の催促をしているわけで無く、ただそうやってコミュニケーションを取っているのだ。後は男の割合が高いので、声が野太くなる。
「そうですね。丹波長からはいつもクッキーのお裾分けいただいてますから」
「以前は甘い物見向きもしなかったのに、最近は自分の分はしっかり確保しているからなぁ」
冷やかしが来た。春久は咳払い。胃袋を掴まれているのだから仕方が無い。
雑談しつつもきちんとスケジュールの変更が入ったで、確認、承認した。
金曜日。昼を食べに出るついでに、自宅まで走った。
駐輪場に行けば、見慣れたバイクが有る。そこでタブレットを弄っている姿に、思わず安堵の笑みがこぼれた。
「お待たせ」
手を挙げ、顔を上げたカイに笑って合い鍵を渡した。今までの経験上、こんな駐輪場の隅でのやりとりに気づく者は少ない。
「このままコンビニまで走って弁当を買って戻るよ。ランニング兼用で弁当を買いに行くと言って出てきたからな。車の鍵はいつものところだ」
「預かっておく。明日の弁当も作って良い?」
「もちろんだ。クッキーもオッケーだ。仕事が終わったら飛んで帰る」
それで、以前のキャンプで話していたロープワークをきっかけに、カイのロープクッキーが量産されることになるのだが、この時の春久はまだ知らない。
「判った。気をつけてね」
春久が手を上げれば、カイはそれに手を振り返して、バイクに付けたソフトケースを外し始めた。いつもと同じ、着替えとパソコン、教科書等。それらとヘルメットを持って、部屋に行く。この風景が日常であって欲しいと、少しだけ思った。
弁当を買って戻れば、執務室内に殆ど人が居ない。電話番の幾人かを残して食べに出ている。
「ここで食われます?」
「いや、食堂に行くよ。弁当の匂いが充満するのもだし」
「一緒に行こう。俺も弁当なんだ」
係長が一人立ち上がりそうやって提案してくれたから、肩を並べた。
「見ました?」
何を言おうとしているのか判っているから、頷いた。同じ部屋に居た庶務で、動きがあった。春久が食堂にと言ったときに、立ち上がろうとしていた。係長が一緒にと声を掛けてくれたから、そのまま水屋に消えたけれど。
「ターゲティングされていますね」
「勘弁してください」
課長には少し早めに上がるようにと指示された。もちろん家でもできる仕事を山ほど持ち運んでだ。それにより、少なくとも定時までは動くことが出来ない相手が、春久の後を追うことは出来なくなる。
「では、日曜の夜から待機に入ります。何も無ければ月曜日に」
頭を下げ、家に戻ると宣言した。表立って書類を持ち帰るようなことは無いが、家にある業務用PCには、係長として必要な決裁やチェックを待つ書類が届いているだろう。
「なんというか、同じ部屋にいる人間に監視されているとか思うと、ぞっとしないな。課長たちが気遣ってくれて、できるだけ俺が部屋に居なくて良いようにしてくれているんだが」
「仕事しておく?」
「そうするよ。移動時間があった分、少し遅くまでやってるけど、まあ、普段帰着する時間までには終わらせる」
「判った」
カイは食事時間に話を聞いてくれるだろう。春久も、他のメンバーがまだ職場に居るのが判っているうちに、やってしまいたい業務も、ある。業務時間内なら、相手も仕事、何かあっても電話一本で直接話ができるからだ。一言断って部屋に籠もろうとしたら、コーヒーをくれた。はぁ。やっぱり癒やされる。
途中で電話をした課長からは、仕事が捗っているだろう? 通い妻が居る間はずっと在宅にするか?などとからかわれ、即座に拒否したが。もちろん警察官が在宅なんてあり得ない。事務仕事だけならともかく、春久たちは現場で走り回るのが一番の仕事なのだから。
「日曜、待機に入れるようになったら連絡頼む。それまで酒を我慢しておく」
と、笑いながらの連絡を最後に事務所は当直組だけになり、事務仕事の庶務は全員帰ったとの報告も受けた。
空になったコップを持って部屋から出れば、カイは楽しそうに料理をしてくれている。帰ってきたときにまだ積み上がっていた食材が、殆ど消えた。それだけ手際よく食事を作ってくれている。その代わり、プラスチックトレーが山になっていた。。スーパーでの買い物は、どうしてもそんなゴミが増える。
「後一時間ぐらい仕事をしておく。それが終わったら片付けを手伝うよ」
「了解~」
「今日の夕食は何?」
そばに寄って聞けば、昔と違って逃げる様子も無く
「宣言していたカツ丼だよ。かなり厚めの肉を手に入れたから、楽しみにしておいて。トンカツで食べたいなら変更も可能だけど?」
「どっちも魅力的だな。熱々さくさくのトンカツか、がっつり食い応えのあるカツ丼か。明日は?」
「明日は食べて帰るよね?」
「明日の弁当は?だ」
「お楽しみ。でも、チキン南蛮タルタルソース掛け入り」
「だったら今日はカツ丼で」
「了解」
翌日の夕食は魚にしよう。カイの好きな刺身定食が良さそうだ。食事をして帰るのだがら、遅くなっても問題無い。仕事が終われば、早急に店探しだ。




