ネンオシャチエブクトウバシメ
その隊長が戻ってきた。
「こいつのブレーキパッド予備は有るか?」
「有りますよ。交換します?」
「いや。今は良い。今日この後使うんだろう? 遊びが大きくなっているから早めに交換だけはさせておいてくれ。他所属の人間に怪我をさせては困るからな」
「了解です」
「後、明日で良いからオイルも交換しておいてくれ。そろそろ柔らかくしても大丈夫だろう。うちのメンバーにも本格的に走らせたい」
「整備員に来て貰って、全部再確認させます。山入ります?」
「そうだなぁ。そろそろ山菜採りで山に入って遭難する事故が増える時期だからなぁ。お前のところのメンバー、山での訓練を入れておいてくれ。俺も行くから、日程決まったら教えてくれ」
「了解」
それだけを伝えて、隊長は再びコースに戻った。様子を見ていた他の白バイ隊員も動き始める。
「済みません。お二人に安全に乗っていただきたくて、自分でバイクの調子を確認したかっただけのようです」
その後、長い方の内容も一通り教えてくれた。燃料、オイル、車輪、チェーン、ブレーキ、クラッチ、灯火類、バッテリー・ハンドル・バックミラー、締め付け。
「ああ、自分のバイクもバッテリー交換してやった方が良いかもしれません。最近は車でのキャンプが殆どで、冬の間乗ってやれなかったので」
「まずは充電ですね。正常であれば、一冬ぐらいなら持つんですが……。走る予定は?」
「走りたいですね。四月になれば土日に近県へ二往復の予定がありますが」
カイと一緒に、大学の授業を受けに。久々にバイクの遠出だと、カイも楽しみにしてくれている。
「走るのお好きですか?」
問われて気づいた。またカイのことを考えている。
「そうですね。気の合う友人と走るのが。彼の趣味でキャンプにも手を染めて、たまに友人たちと一緒にキャンプツーリングにも行きますよ」
「それは良いですね。うちの子たちも連れて、やってみたいですね。でもそんなことを言い出すと、うちの隊長が一番に大喜びしそうなんですけどね」
この班長も、他の隊員たちも、だ。彼らの隊長が自慢だと判る。交通機動隊は上下関係も厳しく、特に日本大会に行くようなメンバー、血反吐を吐いて練習していると思っていた。もちろんそうなのだろうけれど、その彼らのトップに立つ相手を尊敬して、身近にも感じている。さもなければ、隊長の経歴など、知る由もなかっただろう。
「せっかくこちらともご縁が出来たので、これを機に、もう少し走り込んでおきます。冬場はどうしても荷物が多くなるので、車でのキャンプメインだったので、これからはツーリングメインでたまに泊まりがけ」
「時間取れます? うちは好きなのばかり揃ってますし、仕事を離れれば、たまに、何人かでまとまって走っているようですけど。待機も有って、班長以上になると覿面に動けなくなって。それでも事故や事件がなければ日帰りのツーリングぐらいはできるはずなんですが。……隊長は確実に呼び戻されるので」
警察官である以上、そして役職が上がれば上がるほど、待機がそのまま出動日になってしまうのは、避けられない。
「せめて待機でない時は、呼び出し無しで、と、課長に念押しして、ですね」
「ははは。うちの、念押しされる立場の人も含めて、我々ももっと走らないと。隊長。バイク戻してください」
班長が無線機を口元に持ってきて話せば、すぐにモタードが戻ってきた。
「リアタイヤ、偏減りしているから、気をつけろよ。舗装路の上なら問題無いと思うが。手の空いている連中に走らせて、均一に摩耗させるか、酷くなるようなら交換な」
「了解です。後、二人の走りを見てコース設定煮詰めて貰いたいんですが、時間あります?」
「おう」
短い返事で、隊長はひさしの下のテーブル席にどかっと座った。テーブルの上にはこの施設のコース図が載っている。朝のうちに、バイク起こしの休憩を兼ねて、それを見つつコース全体の紹介もしてもらった。
「次回ぐらいに手前に悪路作成します。それも含めて。夏までにはオフに入れるようにします」
「まあ、無理はさせるなよ。二人はベースに居ても構わないんだ。その分うちのメンバー走らせれば良いだけだ」
「了解です」
交通機動隊の隊長と班長、二人がそうやって話をしている間に、春久たちは隊員たちに手伝われてヘルメットやプロテクターの準備もなされた。仰々しいとも思うが、午前中、バイクを起こしつつ横目で見ていた訓練は決して生温いものではなかった。借りたプロテクターに数々の傷が入っているのも、その証拠だろう。
「誰か」
隊長の声に、一人が急いで敬礼をして、用を聞きに走る。この辺は日常の執務室の光景よりも厳しそうだ。隊長は鍵を出しつつ
「もどきを持ってきている。一年ぐらいこっちに置いといて良いんで、下ろしてくれ。免許区分内で走らせろ。越権するなよ」
と、声を掛けた。掛けられた相手は強い返事の後、鍵を握りしめ駐車場の方へと走っていった。
「しかし、依頼元からは大型に慣れてもらう事も入っていますが?」
班長が、上原にも大型をと言われていると話せば、
「ダメだ。災害現場が特殊でも一般道だからな。クレームは俺が受ける。お前たちの上は俺だからな。良いんだよ」
と、隊長がいなす。
「判りました。そうやって請け負われたら何も言えません。というか、相変わらず兄ちゃんなんだから。そっち(クレーム処理)は任せた」
後ほど、「もどき」の説明がてら、会話の内容を砕いて説明された。
もどきとは、白バイもどき。四〇〇CCの市販バイクにパニアやら赤色灯やら装備をいろいろ付けたもの。特に女子隊員の肩慣らしと、新人整備員用に作られているそうだ。
「走らせるときはそれぞれの免許区分内でとのことです。確かに乗れないバイクよりも現状乗れるバイクで練習した方が理に適ってますしね。実際、オフ車はそのつもりでしたし。ついでに、このもどきを組んだのはうちの隊長です。慣らしとして使われた後は彼が整備し直して、正直、ヘタな整備された白バイより、調子が良いので。
現場でこのレベルのバイクが手に入るとは思わないでください。上原さんが大型を取るまではこちらを貸し出しします。丹波さんが乗るのも練習用ですが、そちらも“専用”にすると、うちの隊長が手を出しかねないので、今のところ止めてます」
本気だろうか。冗談なのかとも思うが、そばで聞いている隊長も隊員たちも、笑うこともしない。なかなかのカルチャーショックで、カイに言えば目を輝かせる? いや、職場内のことなので口にはしないが。
「今日はそれぞれの今のレベルを確認させていただきたいので、うちのに前を走らせますので、付いて行ってください。指示はこちらから出します。あちらの司令塔にスピーカーが付いていますので。後は……」
「最初の急制動、大型は五〇、中型は四〇な。そのうち六〇と五〇にできると良いんだが。旗振りも入れてくれ」
隊長が紙を前にペンで頭を掻きつつ。
「了解です。ということで、急制動は丹波さん五〇、上原さん四〇で。うちのは六〇で突っ込むと思いますが。後、広いところで旗を持ったメンバーを立たせますので、旗の振られた反対に走って、メンバーの隣で止まってください。普通の自動車学校ではやらないので、お二人とも初体験でしょう。後、上原さんは波状路も初めてだと思いますので、都度指示をします」
最初なので課題ごとに区切ること、大型と中型で求めるレベルが違う事なども説明される。隊長命令で、やるのは免許範囲内。つまりは、大型の練習を組み込むために、上原に早く大型を取れとの尻叩きも含まれているようだ。
二人に一人ずつ隊員が付けられた。隊員たちの配置には、緊急時の補助も含まれているらしい。重いバイクに最初はバランスを取るのも大変だったが、午前中にバイクを何度も起こしたことが効いたのか、すぐに重さにも慣れた。後は反対側にと言われていたのに旗の振られた方向に走って、立っていた隊員と顔を見合わせて二人して苦笑したり。もちろん、最初の一回だけだ。動く物を追うのは、狩猟本能のようなものだと思う。
「丹波さん、ウィリーできる?」
「いえ……」
適宜、と言われて取っていた休憩中、隊長に聞かれて正直に首を振った。
「通常オンで使うことは無いけど、知っておくと急発進でフロント上がったときに制御できるから、軽く体験しておいた方が良いな。それに、オフに入ったらウイリー使えると楽になるというか、フロント上げは頻繁に使って貰う。後、握力も鍛えておいて。ここで一日走っていると手がぷらぷらになるよ」
「判りました」
「綺麗な走りしているね。後、人に合わせることも知っている」
注意やアドバイスの後は、褒め言葉が出てくる。だから、この人が隊員たちに「相変わらず兄ちゃんなんだから」だなどと言われて、慕われているのだろう。
「友人と一緒に走っているから、かもしれません」
褒められてもそこは、平静を装って答える。
「ああ、マスツーリング。良いことだと思う。俺は、仕事で走り回っていて私生活でも走るのかって、周りにも呆れられるけど、仕事とツーリングは別物だからね。なら、一度、自分のバイクでこっちに来て。許可は出しておくから。来月でも良いけど、天気だけ見計らって。さすがに雨の時は許可出来ない」
「了解です。お願いします」
業務時間内の私用バイクでの移動など、許されるものでは無い。けれど、交機の隊長がそう言うのだから、問題無いのだろう。雨の時と区切ったのは、危険度が増すから。あくまでも危険の少ないときにと言うことで。
「ガソリンはこっちで持つから、往復後にガソリン入れて、その次の時に領収書出して。実費払いになるけど」
「そこまでしていただいては」
「そうしないと、業務の一環ってことにならないからね。バイク見て丹波さんの癖が判ったら、一足先にオフを入れるのも有りかなと思うし。大型と中型のオフ、両方やって貰うとも聞いているんで、その時間を確保したい」
言いつつ、他の隊員と話している上原をちらりと見た。
中型のみの上原と違い、春久は両方乗らなくてはならない。その分時間が掛かるため、バイクを見て判断材料にするとのこと。バイクで癖が判るのか? それも凄い。さすがバイクで飯を食っている相手だ。
「判りました。ありがとうございます」
「ああ、悪い。任意保険、当然入っているよな? 保険証と車検証も、コピーして持ってきておいて。業務で私用車使う扱いになるので、関連資料を作るのに必要だから。職場でコピーするか、経費掛かったら、例え十円でも、領収書頼む。書類はこっちで作っておくので、いくつか穴埋めはして貰わないとだけれど」
「判りました。職場でやっておきます」
他にもいくつかの注意事項を伝えて、隊長は上原の方へ行ってしまった。話している間そばに控えていた隊員が戻ってきて、それでは、と訓練の続きに戻った。隊長の気さくさに春久は驚いたが、隊員たちは慣れているようで特に何も言わない。もちろん、聞き耳を立てて集中力を切らしてできるような特訓ではない。春久もバイクを動かすことに集中した。
「丹波さん、上がりましょう」
班長に声を掛けられて気づいた。あたりが薄暗い?
「丹波さんが熱心だったので、うちの(隊員たち)も止め時を見失っていたようです。済みません。丹波さんはこの後長距離移動があるのに」
「済みませんっ」
班長の隣で、春久に付き合ってくれていた隊員が頭を下げている。
「いえいえ。仕事でバイクスキルを学べるのはありがたいですから。自分も夢中でした」
手を振りつつ、謝罪は必要無いと、にこりと笑った。
「ここの一本橋十七秒なんてすごいですよ。うちの隊員も、初期はもっと短いですからね」
そうやって褒めてくれる。あの隊長にしろこの班長にしろ、褒め上手だ。調子に乗っていると痛い目に遭うんじゃ無いかと思うほど、何かにつけて褒め言葉を口にする。
「一分と言われましたけど」
班長は顔の前で手を振った。
「うちの班長レベルです、それは。それから、隊長たちと話をしていて、丹波さんと上原さん、別々のコースを使うことになりました。当然丹波さんの方がキツいですけど。それは耐えてください。後九回でうちの班員レベルには仕上げます。上原さんの目標は所轄の白バイレベルです」
「違うんですか?」所轄と交機の隊員で。
そもそもバイクを仕事にしていない二人が白バイレベルなんて、どれほどと思う。バイク訓練は残り九回。
「違います。うちの連中は日本大会に出ます。選手は基本班長以上になるんですが、それでも毎年班員からも一人二人参加させます。後、班長レベルになれば所轄の白バイ隊副隊長を務められます」
つまり目の前の男も、所轄の交通課に配備されれば春久と同じく、課長補佐や副課長として動く。交機の班長ともなれば当然か。そう考えていた春久に向かって
「たまに時間を作ってこちらに来ていただければ、当初計画外の訓練にも付き合っていただくことは出来ます。隊長が丹波さんの走りを見込んでいたので、上原さんと丹波さん、現場が二つあれば丹波さんはよりキツい方に放り出されるでしょうから。もちろんサポートに我々オフ班も出ます。なので、長いお付き合いになると思いますが、よろしくお願いします」
春久よりスキルも年も上の男に丁寧語で話され、身が引き締まる。相手の出した手を握りつつ、
「これからもご教授お願いします。それから、皆さんが駆り出されるような災害が無いことを願ってます」と、返した。
「はは。それは確かですね。来月、天気が良ければご自分のバイクで来られると聞きました。今日お話した整備、忘れずに。特にホイール周りは念入りに洗車しておいてください。さもないと、うちの隊長が整備したがるので」
それは、大変だ。交通機動隊の隊長に整備させたなどと知られたら、周りになんと言われるか。班長が苦笑交じりに言うので冗談半分かも知れないが、本気も含まれていそうだ。
「きちんと洗車までしておきます」
駐車場で二人と別れた。彼らはこれから戸締まりをして本部に戻るらしい。
上原は一足先に戻ったと聞かされた。彼の所属は近いので、業務時間内に職場に戻れるように、そこで終了時間を迎えるそうだ。春久の場合それは無理なので、交機のメンバーと共に業務を終える。これから職場に戻り、引き継ぎをする。移動時間も仕事の一環。残業時間だ。




