卒業祝い
戸野原との約束の日まで一ヶ月足らず、あっという間だった。本来なら年度末業務に充てるはずのその時期、卒業を控えた女子高生がストーカー被害。その捜査に奔走していた。犯人は高校の教師。なかなか会えなくなるからとか、卒業すれば堂々と付き合えるのだとか、受験を応援したいからとか、かなり支離滅裂な事を口にしていた。当然接触禁止が言い渡され、裁判のために、検察に証拠物件とともに被疑者の送致を行ったところだ。
コツコツと叩く音に目を開けた。車の窓が叩かれていて、相手は戸野原。それで気づいた。助手席のシートを倒して寝ていた。いつの間にか毛布まで掛けられている。
「秋津君が、そろそろ食事にすると言っているぞ」
「食事?」
戸野原の背後に見える空がうっすらとトーンを落としていた。何も手伝っていない! 飛び起きていた。
今日は戸野原親子と一緒にキャンプだ。
当初の予定通り、前日、キャンプ料理の支度をするためにカイが家に来た。到着時刻を見計らって家に戻った春久は、急遽夜間も出勤になったことを謝り、カイのソファーベッド用の寝具だけ出して寝室の鍵を掛け、後を任せて職場に戻った。朝、課長に二日間の完全休日を念押しして、飛んで帰った。カイはその間にキャンプ用の料理の下ごしらえをしてくれていて、朝、二人で荷物を運んだ。
けれど、ストーカー事件以外にも仕事に忙殺されていた春久は完徹で……。運転をカイに任せて雑談をしつつ目を開けていたのだが、途中で買い足す物があるから店に寄ると言われ、少しの間だけとシートを倒して……後は意識が無かった。
「済みません」
毛布を持って外に出た。幸いにも車がサイトに近い。
前回と同じ亠配置で、食堂兼作業場所にしていたカイのテントの周りに、戸野原のテントが二つ立っている。
「秋津君のテントの中で食事だそうだ」
言われて、バサリとテントの入り口を開けて中に入れば、カイが振り返った。
「おはよ」
「悪い。手伝えなかった。起こしてくれれば良かったのに」
「たまにはね。ハルさんのインナーテントも立てたけど、一応確認してね。後、カズ君にお礼を言ってね。ドームテント立てるの手伝ってくれたから」
カズ君……戸野原一則、弟が嗣則。
「ああ、ありがとう」
春久は戸野原の長男に頭を下げた。
「大丈夫です。色んなテントを立てる練習になりました」
「俺より上手かったよ。頭が良いんだよね。説明無くても、フレームとテント見て、パパッと立てられるんだから」
戸野原の長男は急いで顔の前で手を振った。
「どっちが前だとか、フレームどれを使うのかなんかも教えて貰いましたよ。一人で初見じゃ無理です。秋津さん、そうやって褒めるの上手いですよね」
「事実を言っただけだよ」
二人の距離が近くなっている。カイの警戒心が解けているということで、安心するべきなのだろう。
「そういえば丹波さん、何度も高校に来て大変そうですね。今日は休み大丈夫でしたか?」
は?
カイには仕事のことは何も話していない。かといって、戸野原の耳に入るとも思わない。
「高校で何度か丹波さんを見かけました」
どうやら春久が担当していたストーカー案件、被害者と同じ高校だったらしい。それは気づいていなかった。
「丹波さん以外の刑事からは、話を聞かれたこともあります。雑談って感じだったけど」
刑事……。ドラマや映画などの影響で、私服警察官、すなわち刑事だと思われているようだが、私服警察官だからといって、刑事とは限らない。ストーカー案件は生活安全課のテリトリー、間違い無く、春久の下の誰かだろう。
「聞いた話は全て記録に残せと言っておいたんだが」
記録は全て目を通している。戸野原の名前が有れば、春久も気づいた。
「二人分名前を出されて、知っているかって聞かれて知らないと答えただけで。形だけ聞いたような感じで、名前も聞かれなかったですし。ただうちは父さんがいるしで、警察だって気づいて、気にしていれば丹波さんを見かけたので」
春久は頭を掻いた。元とはいえ、ばりばりの警察官だった戸野原。彼も現役の時はそうやって走り回っていた。子どもたちはそんな父親の姿をきちんと見ていた。良い親子関係を築いているはずだ。戸野原の家庭には憧れもする。
「一応、学校側の要望を受けて、生徒の少なそうな時間を見計らうようにはしたんだけど、まだ甘かったな」
春休み前ではあったが、テスト期間やらなにやらで、校内に生徒の姿は殆ど見かけなかったと思う。
「写真部だったので、卒業式の撮影のためにリハーサルとかにも駆り出されて、放課後残っていたんですよ。他の部活は基本的に中止だったんですけど」
「それはすごい。早速大活躍だったね」
高校に入って初めて写真を触って、それで大事な場面での依頼をされて。
「人物はまだ上手く撮れなくて、結局先輩の撮った写真が新聞部のトップに使われました。当日は卒業生と家族の写真を頼まれるからとその練習。勉強になりました」
「さすが、前向きだね」
「気をつけろよ。丹波は最近ますます人を上手く褒めて使うようになったからな」
戸野原が口元に手の甲を寄せ、息子に囁くようで、カイや春久にも聞こえるような声で。
「戸野原さん」
「ははっ。だったら、丹波さんは人をやる気にさせる天才ですね」
「それを言うならカイだな。俺はカイを見習って、人の良いところを褒めるようになったんだよ」
「ハルさん! それよりもおかわりは!」
カイが焦っている。それも可愛い。可愛いけれど、焦らせるのは本意では無い。カイに問われて、春久は食器を差し出した。カイの作ってくれた料理はどれも美味い。
ポトフに白むすび、戸野原の息子は、むすびよりフランスパンの方が気に入ったようだ。
「はい」
食事の後でカイが出してくれるのは、鍋の横、ストーブの天板で焼いた焼き芋。戸野原の長男には一番大きな物を、甘い物が苦手な春久には小さめの物を差し出してきた。一番小さいのはカイだ。だから半分に割って、カイに戻した。交換しろと言えば遠慮するのが判っているから。
今使っているカイの天幕は、元々ソロデュオ用の狭いテント用のフライシートで、一辺が二メートル四方、小型の石油ストーブでも充分に幕内を温めてくれる。むしろ大型はオーバースペックな上にカイ一人では持ち運びにも苦労する。おまけに小型の方が火力が緩やかで、ゆっくり煮込み料理やオーブン料理ができる。小型にして正解ではある。
それでも四平方メートルの中にストーブや椅子を入れると身動きも取りづらいので、今回はドームテント側の入り口両横もタープを上から重ねるようにして壁を作り、テーブルなどはそちらに避難させていた。カイが戸野原たちと頭を捻った結果だろう。
春久と、料理をするカイがその跳ね上げた入り口側を陣取り、戸野原親子が外への入り口側だ。
「ストーブいいなぁ。とても暖かいです。でも、さすがにこんな大きなストーブを抱えて山に登れません」
いくら小型の石油ストーブといえど、徒歩で持ち運ぶにはさすがに大きい。
「ガスストーブならもっと小型が有るよ。バーナーに被せてガスで暖を取るの。とは言っても山岳用テントの中じゃ難しいだろうから、寝袋や服をメインに考えるだろうけど」
「そうですね。よし、それは大学で、山岳部に入ったら教えて貰います」
戸野原の長男は前向きだ。カイもにこりと笑っている。
「次は夏か? 大塚君たちも誘って大丈夫か?」
戸野原が、春久に聞いているようでカイに問いかけている。
「カイが、直火のできるキャンプ場を見つけたんですが、山の上だったのでさすがに冬場は……ってことで、そちらでキャンプファイヤーをすれば子どもたちも喜ぶかも知れません。火を付けるのは子どもたちにとっても良い体験になるでしょうし。もう一カ所、海岸で海水浴シーズンの夏と強風が吹き付ける冬を外すのはどうかと。カイが初日の出を見たところなので、朝日は綺麗だと思います」
「海岸なら直火行けるんじゃないのか?」
「最近はダメですね。焚き火台を使えばオッケーですが、直火アウトのところが増えました。カイの教えてくれた直火ができるキャンプ場は、キャンプファイヤーエリアが有るので、そこで火を囲んで料理したり話をしたりするのも有りですよ」
ルール違反をすれば、警察沙汰になることもある。まずは地域課が飛んできて、器物破損になれば刑事課が、炭などの不法投棄となれば、春久たちの出番になるのだ。山火事になって消防、なんて目も当てられない。そうならないためのルール。
春久がカイの代わりに答えれば、カイは春久を見ている。それから、戸野原の長男を。
「カズ君はキャンプファイヤーしたこと有る?」
「ありません。小さな頃ボーイスカウトに参加するかって話もあったんですけど、その頃は父さんが警察官で時間が不規則だったから、結局立ち消えになりました。兄弟年が近いので母さん一人で男二人見るのも大変だし」
「こっちはまだしも、弟の方が走り回ったからな。あの頃は一歳の差が大きかったんだ。片方から目を離せなかった」
「父さんが警察を辞めてからはあちらこちら連れて行って貰ったけど、どっちかっていうと遊園地とか公園とか旅行だったから、キャンプは未知の体験で、楽しいです」
「おおそうだ。ボーイスカウトで思い出した。大塚君、こっちに引っ越してくるかもしれん」
戸野原の爆弾宣言に、春久だけでなく、カイもその顔を見ている。
「まあ、あそこは奥さんも公務員だから、どうなるか、だけどな。単身赴任もあり得るんだが……」
「それとボーイスカウトとどういう関係が? 第一まだ人事異動も発表になってないんですけど?」
大塚の希望? それだけだとかなりあやふや。いや、三月になって、引っ越しの必要なメンバーには前もって知らされているか? 特に官舎の空き確認の為にも。
「うちの息子らの通う剣道クラブに、小学生も参加できるかどうか聞いてきたんだ。本当はボーイスカウトを探していたようなんだが、見つからなかったようで、そっちはキャンプに連れて行けば基本的なことを覚えられるかと、話していたな。つまりそういうことだろう? 確認だけだから確定では無いんだろうが」
確かに。子どもたちを戸野原の子どもと同じ道場に通わせるとなれば、大塚が一家揃って引っ越してくるということだ。戸野原の言うように奥さんが公務員だから、彼女がこちらの小学校にでも異動にならない限り単身赴任も当然あり得る。その場合は子どもたちは母親のところ、か? 警察官の生活は不規則だから、最近は警察も子育てには優遇措置が執られるようになったとは言え、一人で子どもを見ることも難しいだろう。
「いつでも遊べる仲間が増えるって事ですか?」
「いやいやいや。希望は出したものの、通ったらますますキツくなりそうだと、今から泣き言を言っていたぞ? それ以上は聞かなかったが、自分が希望出してキツくなるなら自業自得だろう?」
「はは。そうですね。こっちの交通課ですかね」
「競争率が高いと言っていたんで、交通課じゃないんじゃないのか? よくは知らん。お前も彼も、仕事については口が硬いからな」
「そうですね……」
少し曖昧な言葉で、春久はその話は終わらせた。
「彼のことは彼に聞くとして、カイ」
「何?」
呼べば素直に振り返るカイに癒やされる。
「改めて、大学卒業おめでとう」
カイが驚いた顔をしている。戸野原は笑い、テントから出て行ったが、すぐに戻ってきた。手には白い箱。
「丹波がうちの嫁にケーキのリクエストなんて言うから、何の事かと思えば。そういう意味だったんだな」
戸野原の妻に手作りケーキを頼んでいた。店に注文していたら、眠ってしまった所為で取りに行けなくて、今頃大慌てだっただろうから、先見の明があったと言うことか? それはともかく、戸野原からケーキの箱を受け取って、カイは照れまくり。
「おめでとうございます」
戸野原の息子に素直な言葉で祝われて、嬉しそうに笑っている。
最初から今日の参加メンバーは判っているし、春久と戸野原が食べないので小さめでと頼んでいたが、それでも結構大きさがある。カイは戸野原の息子と二人分大きくとりわけ、戸野原と春久には気持だけと、小さいのをくれた。ちゃんと判っている。
「よし。じゃあ、次はカイ」
「オッケー」
カイが荷物から出してきたもの。チタン製のシェラカップだ。二つ。
「カズ君とツグ君へ。ツグ君は中学卒業、カズ君は自分でキャンプセッティング頑張ったって聞いたから、記念に。ハルさんと二人から」
「ありがとうございます! やった!」
「良かったな」
戸野原が息子の頭を撫でている。
「俺だけのキャンプ道具が増えた。父さんにいろいろ揃えて貰ったけど、これからは小物類だけでも自分でも揃えて行こうと思っていたところなので、ありがたいです」
そうやって大喜びしてお礼を言うところも、高校生になっても父親に頭を撫でさせるところも、素直に育っている子どもだと実感する。つい警察官として視点で見てしまうが、良い物は良い。
「下のも次の時には高校生だからな。付いてくると思うんでよろしくな」
「こちらこそです」
公立高校の合否はまだ出ていないが、公立にしろ私立になるにしろ、子どもたちが二人とも高校生になればもっと遊びの幅も広がるだろう。




