正月早々……
課長は仮眠から戻ってきた班長と話をして、春久が返した書類を見直している。
「四月には野沢(警部補)を出すんだから代わりは警部補を寄越せと言ったんだが、来るのは巡査部長だ。班長が減るんだから班長で良いだろうと。なので警部補二人と巡査部長二人出して、警部補一人と巡査部長三人来る。今まで通りと言えば今まで通りではあるんだが。せめて野沢と同じレベルで下を叱れる奴が欲しいなあ。巡査と巡査長に関してはまだ未定だ。で、こいつは確実に出す。元々うちは大所帯だから、ここ二年ほど異動が少なかった分、二班作れるぐらいの人数が出入りするかもしれん。来るメンツの詳細は早めに把握して、中央一班にして、遊撃班一班作りたいとは思っている。もちろん両班とも丹波、お前が担当だからな」
「了解です」
そんな気はしていた。というか、係長の担当は基本変わらないと言われている。春久が来た年に管区との繋がりが出来てしまったが為に、異例として、南エリアから中央エリアに変わっただけで。
中央の一班が、今、野沢班長が担当している主に一階での受付になるだろうし、遊撃班というのが、外に出て中央を中心に全域を見ることになるだろう。岸本班長が居てくれれば彼がそのまま受け持つか。どのみち、班員は大幅に変わるだろうけれど。
「ところで、餅の礼に、クッキー持ち帰られます? 交ぜるな危険と言われてますけど」
「はぁ?」
クッキーと「交ぜるな危険」の関連性が判らないと、課長が眉を顰めた。
「三種類有るんですよ。人が寝ている間に色々作っていたようで。一緒くたにして大丈夫ですけどね、見れば判断が付くので。一気に出すのもあれなので、今日はチョコを出してます。他にジンジャーとドライフルーツです」
「なーんかあれだな。単身赴任の亭主のところに来て料理を作って帰る、マメな女房の関係に見えてきたよ、俺は」
課長の言葉に、言い得て妙だと、つい心の中で感心する。心の中だけで、ポーカーフェイスは保つ。
課長は餅の代わりにクッキーを三種類、少しずつ袋に入れたものを自分の机の引き出しに片付けて帰って行った。明日も課長と入れ替わりで春久は帰る。そしてまた入れ替わりで、春久が来る頃には課長はとっくに帰っている。丁度渡せて良かった。
明け方、休憩と気分転換を兼ねて、カイの作ってくれた弁当を開けた。むすび、卵焼き、唐揚げ、煮物、箸休めに漬け物。隅には小さなタッパーに入れたなます。ああもう、充分すぎるほど幸せだ。疲れが取れる。
家に戻ってカイが作ってくれていた食事はひとまず全部冷蔵庫に入れてしまって、風呂に入った。さすがに長丁場だった。これが明日も続くので、寝る。
起きると夕方だ。軽く食事をして、食器や鍋などを洗う。洗濯機を動かして掃除機をかける。どれも階下に響くだろうから、真夜中には出来ないことだ。ということで、一軒家が欲しい。
寝室二つあれば、カイもゆっくり眠れる。そのうちシェアハウス……は、無理か。カイの父親が家を出ることに良い顔をしないといっていた。それでも、泊まりやすくなるだろう。カイに限定するわけでは無いが客用の寝室。冷蔵庫を開けるにも風呂やトイレに行くにも、このリビングダイニングは通るから、寝ていても落ち着けないだろうから。
庭付きなら、カイなら庭にテントを張りそうだ。だったら家じゃ無く土地を買うか? キャンプができるような場所。車が置けてテントが張れて、直火が使えるような。ああ、それなら普通にキャンプに行くか。
考えつつ自分に突っ込みを入れて。つい、笑ってしまった。
出勤前に、カイにメールを入れた。
「弁当、美味かった。さっきもいろいろ食べたよ。煮物もしっかり味が染みこんでいた。それから、課長が昨夜餅をくれたんだが、どうすれば良いんだ? 玄関に重ねて置いておくべきか?」
「飾っても良いけど、正月過ぎたらひっくり返したりして、完全に乾かしてね。でないと青カビ生えるよ。搗いた餅だよね? 鏡餅あった方が良かった? コンビニにでも小さなのが売ってるからそれ買って飾っておけば良かったね。パッケージの餅は硬くならないから。今度磯辺焼きでも作ろうか?」
磯辺焼き? 急いでネットで調べた。砂糖と醤油。甘塩っぱいらしい。
「後は、雑煮だね。味噌汁に入れるのも有り。搗いた餅も冷凍庫に入れておけばレンジで柔らかくなると思うけど、せっかくだから飾るよね? だったら、カラカラに乾かして細かくして、あられかな」
「いや、冷凍庫に入れておく。明日帰りにコンビニで小さい鏡餅を買っておく。課長の心遣いだけ貰って、玄関にはそっちを飾っておくよ。どうせ俺は正月は家に居着けない。居るとしても着替えを取りに戻ったときに、ついでに飯を食うぐらいだ」
「了解~」
はぁ。癒やされる。警察官の結婚が早い理由もうなずける。ここまでブラックだと、癒やしが欲しくなる。春久の場合、最初の癒やされるべき相手を間違えたのだけれど、今ではカイと知り合うために必要な手順だったと思うことにする。
大晦日から二十四時間勤務の連続だ。家に戻れない。寝るのも職場で、基本は電話番と緊急時の対処。庶務職員は普通に正月休みが入る。なので年末年始の執務室は警察官が数人の静かな場所だ。仮眠から起きて、コンビニで買ってきた弁当を食べ、書類仕事。
電話が鳴った。飛びつくのは巡査たち。春久はそちらへ顔を向け、彼らが何か言い出すのを待つ。
「高齢者の捜索願です。家人が初詣に行っている間に居なくなったとか」
「判った。行く。詳細な場所を聞いておいて。近くの交番も確認」
「はい!」
初動捜査に、生活安全課と地域課の区分なんて有ってなきがごとしだ。連絡が交番に入ったか110番でうちに来たかの違いぐらい。
たとえ業務内容が違っていても、密に連絡を取り合う必要がある。実際、生活安全課が地域の交番も把握していないことには始まらない。
「正月の朝からで申し訳無いが、初動捜査の手伝いを頼みたい。認知症を患っている人が家人が留守にしている間に居なくなった」
春久は地域課に連絡を入れ、場所などの詳細な説明は今電話を受けた担当者に任せた。次に行うのは、出勤している班長に声を掛けること。
「交番のメンバーが家に向かってくれるので、落ち合って、現場での指示出しをお願いします」それから当該エリアの担当者に「一緒に行って」と指示を出す。長期休日や深夜で人が居ないときは、自分のエリアだけと言えないのはどの班長も判っていて、エリア内の地理を把握している担当者を引っ張ってくれる。特に初動は、迅速に動けることが大事だ。
「行ってきます」
春久は今、一番の責任者、唯一の係長として執務室に居るので、逆に動けない。現場の状況報告も入ってくるし、班長から判断を求められたときには指示も出す。これが長引いたり、他の事件が起きて春久が動くとなれば、当番……つまり待機中の係長に声を掛けて出勤を促すことになるのだ。正月から仕事の呼び出しは嫌だろうけれど、それが待機の宿命だ。現場だけで対処できることを願う。
「はい。生活安全課」
また電話。
「係長、神社で痴漢行為だそうです」
「交番に振って構わない。制服の方が制御力が有る」
「了解です」
なんで、新年早々からこんなに事件や事故やら発生するんだ? それに備えるための勤務体制だとは、判っているけれど。みんな大人しく新年を祝おうという気は無いのか!
個人のスマホに連絡が入った? 見ればメール。
「あけおめ。年賀状よりこっちの方が早いよね。今年もよろしくお願いします! 仕事頑張って! おせちもちゃんと食べること!」
カイ……。力が抜ける。なんかもう、タイミング良すぎだろう? やさぐれた気持に活が入る。気持を切り替えていこう。返信は、残念ながら休憩時間までお預けだ。
明けて元旦、担当の係長が出てきたので「食事と着替えを兼ねて戻ってきます。ついでに少し走りたいので二時間ほど席を外すけど、電話は握っているので何か有れば連絡を」と、声を掛けて執務室を出た。
まずは家に戻って、着替えを入れ替え、食事だ。カイの用意してくれたおせち。漸く食べられた。ケースを開けると確かに酒飲みが喜びそうな、少々塩辛い系のつまみが詰まっている。残念ながらアルコールは取れないので、冷凍していたむすびを温めてそれらはおかずになる。それだけでは味気ないので、適当に一品引っ張り出して軽めの朝食だ。
終われば一時間ほど走る。軽くシャワーを浴びて髭を剃って。今度は着替えの入ったバッグを掴んで、職場まで走る。
「ただいま戻りました」
「おお、時間に正確ですね。まだ五分有りますけど大丈夫ですか?」
「だったら五分走る時間が短かったって事ですね。連絡は?」
「課長が後ほど連絡をしてくるそうです。新年の挨拶だとは言ってましたが。一応午前中にはとのことなので、実際はいつになるのかは」
「了解。夜中に出て行った組は? 戻りました?」
「いえ、まだです」
応援が必要か、確認すべきか。
「はい。生活安全課。ああ、いらっしゃいますよ。係長……丹波長、外に出ている二人からです」
今は係長が二人居るタイミングだから、名前で呼ばれた。
「ありがとう」
結局失踪者は見つからず、捜索の範囲を広げることに。居なくなったのが真夜中で、交通要所は確認後固めているから、徒歩圏内だとは思うのだが。認知症でも健脚は多い。地元民にしか知られていないような細道などを通って、案外遠くまで行っていることも。そのために担当エリアの地理はきちんと把握しておくように伝えている。
「路地裏も入ってみました?」
電話をかけてきた班長は、春久の指摘を受けて一緒に行ったメンバーに確認している。見落としている細道は無いのかと。
「家人が探したという話なので、実際には見ていません。ちょっとそっちを見てから、再度連絡します。そこも居なかったら、応援要請出します」
「了解。待機させておきます」
切れる前に電話の向こうから班長が「どんな細道でも案内しろ!」と叱っているのが聞こえていた。
「新年明けましておめでとうございます」
丁度、該当エリア担当の班長がやってきた。
「明けましておめでとうございます。新年早々ですが、そちらの班員、現場に出しています。行方不明者の捜索依頼で、家の周りの細道の案内確認を怠ったので、一緒に行ったメンツから叱られているようです。適当になだめすかしておいてください」
「了解です。済みません」
「どのみち真夜中から走らせているので交代要員が必要かなと。しばらく待機して、連絡が有り次第、誰でも良いので手足になりそうなのを連れて出てもらえますか?」
そばにいた巡査が、詳細を記載した書類を手渡している。班長は素早くそれに目を通し
「了解です。準備しておきます」と、さすが班長、打てば響く。
電話だ。
「今、心肺蘇生をしつつ救急車は要請しましたが、鑑識お願いします。事件性確認のためです。家族は一度探した場所だとのことでしたが、暗かったので用水路の角の血痕を見逃したようです。少しばかり流されて蓋の下に隠れていたのをなんとか引き上げたところですが……」
「判った。すぐに要請する。ちょっと待って」
担当の班長に電話を替わる。既に仕事は彼に割り振っている。
「手数を掛けました。鑑識と一緒に動くので、要救助者の家の近くで大丈夫ですか?」
少し話をしていたが、電話を切ってそのまま鑑識と刑事課に連絡、住所を説明し「そこで人を立たせているそうなので。こちらもパトカーで出ます」と打ち合わせをして、電話を切った。
落ちる時に頭を打ったか。正月から死亡事故。いや、まだ、死亡とは言えない。死亡確認は医師でないとできない。けれど、痛ましい。班長も同じ事を思っているのだろう。小さく息を吐いて「行ってきます」と挨拶をするから「お願いします」と、送り出した。
「丹波長、課長です」
春久が書類から顔を上げれば、すぐに内線が回されてきた。
「はい、丹波です」
「正月から大変だな」
課長の業務用電話にも、パソコンで入力した事件や事故の概要は届く。それを見たのだろう。
「仕方がありません。せめて正月三が日、誰も家から出るなと言いたいところですけど、そうなれば今度は、室内での事故や事件でしょうし」
「そういうことだろうな。お前は出るのか?」
「いえ。当番班長二人とも現場に出してしまっているので、一応部屋で待機しておくつもりです。昼間はもう一人係長が居てくれるスケジュールになっているので、二人が戻ってくるか交代要員が出勤すれば、可能なら誰かを連れて中央エリアを一周してこようとは思っています」
「じゃあ、後で顔だけ出しに行くよ。明日は挨拶回りでそっちに行けないからな」
「お待ちしてます。それでは後ほど」
電話を切ればもう一人の係長から「今のうちに仮眠を取ってきてください。夜はまた丹波長一人になるんですから」
責任者が。休日の昼間は係長二人に班長三人だが、夜は係長一人班長二人に減る。班員は、夜は各班一人で、半分執務室半分自宅待機、昼間は一名ずつ執務室で一名ずつ待機。一応、昼間の方が出動が多いだろうことが前提での担当配分だ。
春久のように一日詰めるときは、人手が有りそうな時を見計らって仮眠に入るが、当然何か有れば叩き起こされる。以前それで三十六時間ほど不眠で働いていたことも有る。
仮眠前に自分の携帯を引っ張り出してきた。
「謹賀新年。初日の出は見たか? 俺は今年も執務室から見たよ。今から仮眠だ。お休み」
そうやって送るのは当然カイに宛てて。もしかしたら初日の出ツーリングから帰ってきているところかもしれない。起きた頃には返事が入っているだろう。
と思いつつ起きたら、届いていたのはカイからのメールでは無く、本庁を含めた他所轄からの使送便。中から出てきた年賀状が数枚、机の上に配られていた。
まさか、管区からも来ているとは思わなかった。前所属部署の課長から来ていたのは、同じように使送便で出したので、不思議では無い。戸野原の知り合いの警察官、大塚からも来ていた。本来使送便は平日にのみ動くのだけれど、住所を知らない相手でも所属さえ判っていれば届けられるので、それを利用して年賀の挨拶を送る人は多い。だからこそ、正月一日だけは祝日であるにも限らず、特別に動いている。喫緊の事が無い限り、次に届くのは四日以降の平日だ。
ちらりと目をやると、さすが課長の席には大量だ。課長もそれを取りに来るついでも有るのだろう。持ち帰って、出していない人には急いで用意して、四日の使送便に間に合わせなくてはならない。春久も大塚に書かなくては。まさか十二月に会っただけの大塚から来るとは思ってもいなかったのだ。それも使送便。変化球にやられた。
そういえば、朝、家に戻ったとき、郵便物を確認するのを忘れていた。時間的に届いてなかっただろうけれど、忘れていたところに、どこかで垣内のことを気にしている自分が居るのが判る。
自分の決断力の弱さにも呆れるが、それでも垣内は、出来れば無くしたくない友人だ。カイに背中を押されて年賀状を書いた。家が落ち着いたらまたツーリングやキャンプにも行こうとの誘いも。昨年一年間何も連絡が無かったのは、家の中、子どものことでばたついていたためだと言い訳できる余地も残して。
大塚も、冬キャンプの礼と、子どもたちがまだ小学生なので、気候の厳しくない時期のキャンプに声を掛けてくださいと、それから仕事の面でもよろしくお願いしますと記載されていた。
キャンプの日程は前もって年間計画をということがなかなか難しい。仕事と授業、両方の都合が有るからだ。なので、年に何回かキャンプ計画するので、都合が良いときに是非とも、と、返事を書いた。
それから、管区はともかく、他県からも来ていた。もう一年半前になるのだ、あの山頂のキャンプ場で窃盗犯を捕まえたこと。律儀にも、無事に検察の調査も終え、裁判も始まったとの結果報告だ。
前所属の課長からは「管区にまで呼ばれて活躍していると聞いているぞ。そろそろ戻ってくるだろう?」などと。
こっちに庭付き一軒家を買ったらどうするだろう。その後で前所属に戻ると単身赴任? いや、今が単身、つまり独り身だから、折角の家を空けっぱなしになる。それでは無意味だ。こっちに骨を埋める? 庭付き一軒家で、車を二三台、テントも張れるその隅で畑を作る? 垣内がくれたトマトは一年草だったので、今は土だけのプランタンがベランダの隅に転がっている。畑が出来れば、リベンジになるか? その時はカイが水をやっていそうな気がする。
寝室は二つ以上、リビングダイニング、広めのキッチン。引っ越し後に購入したオーブンレンジが置けないのは困る。カイの料理用に買ったけれど、今じゃメインはクッキーだ。まあ、有効活用されているということだ。おまけにカイが、オーブンの中でダッチオーブンを使って、良い匂いをさせるのだ。「オーブンの中にオーブンだとめっちゃ美味いよね」などと言われては絶対に手放せない。冷蔵庫も少し大きめのものが欲しい。今はカウンターキッチンになっている割に食洗機が無いので、きちんとしたシステムキッチンも必要だろう。




