ツーリング計画
カイに毛布を掛けているときに、玄関のチャイムが鳴った。急いで出迎えに行く。
「よっす。声を掛けたら、一緒に来てくれるっていうので」
垣内だ。後ろに戸野原も居る。引っ越しを手伝ってくれたときに、二人の連絡先を交換していたらしい。
「まあ、引っ越しの手伝いについて段取りすることもあるかもしれないってことで念のために。何よりお前が一緒にツーリングに行こうって言っていたからな。秋津君来てるんだろう?」
玄関に一足だけ有る靴を見下ろして、垣内が尋ねたた。春久の靴は全て下駄箱の中だ。
「入ってくれ」
戸野原が玄関の内鍵をしてくれている間に居間に続くドアを開け、眠っているカイの腕の下から、時間割表や面接授業の一覧を引っ張り出した。
「なんだ。寝てるのか」
「今、寝付いたところ。昨日夜更かしでもしたんだと思う。ゲームやら読書やらで、毎日寝るのが遅いそうだから。コーヒーで良いか? 適当に座ってくれ」
カイが床に座っているから、垣内はソファーに、戸野原はテーブルの短辺側、カイの正面の床に座った。春久は自分の本も片付け、テーブルの下に置いた。
「戸野原さん、ソファーの上のクッション使ってください。ラグマットは薄手だから床が硬いでしょう」
先ほどまで春久の座っていた場所にも同じ物が敷かれているし、カイもそれに座っている。言えば垣内が自分の座っているソファーからクッションを拾い上げて、戸野原に渡してくれる。
日頃から床に座って机として使ううちに座布団が欲しくなり、休みに大型スーパーに行ったけれど座布団は見つけられず代わりになるかと買った、ビーズクッションだ。座り方で形が変わるのが気に入った。最初は座椅子と思っていたが、形の変わる座布団の方が片付けやすいかと思い、それがクッションに変わった。赤水色青緑。四色ソファーに並べていたが、春久は水色を使っている。残り三色どれでも好きな奴をと言えば、カイは赤を取った。多分それが、カイ専用になるだろう。
戸野原はそれを受け取って尻の下に。二人はすっかり気の良い友人同士のようだ。それにしても、紹介して一月半しか経っていないのに。二人とも気が良いから判らないわけでは無いのだが。カイとの距離が縮まった日々を考えると、早すぎだろうとつい、苦笑が零れる。
「カイ、起きろよ。垣内たちが来てる」
四人分の飲み物、春久とカイの分は入れ直した物をテーブルに置くと、声を掛けた。身動きをしたのを確認して盆をキッチンに持って行くと、垣内が笑いながら「起こせば良いんだろう?」と、聞いてくる。手がカイの方へと伸ばされているのを見てとっさに
「触らない方が良い」と、口にしていた。
「は?」
「多分そいつ、極度の人見知りだ」
「はぁ?」
今度は語尾を上げられた。かなり怪訝そうだ。けれど、今までの態度、特に引っ越しの時の寮やこの部屋で二組の夫婦と会ったときのことを鑑みると、それが正しい気がしていた。
「寮からこっちに荷物を運んで貰っただろう。その時の様子が少しばかり」
初対面の体育系の威圧感もあるような奴らに馴れ馴れしくされれば、普通は引き気味になる。だからカイが及び腰だったことは判らないでもない。けれど、何度も来ていたから官舎の雰囲気には慣れているはずだ。カイを遠目に見ていた連中が居たのと同じように、カイも彼らを遠目で見ている。その上でさえ、挨拶をしているときですら少しばかりビクついていた。春久と話すときの態度には出ていないということは、慣れてくれば平気なのだろうと思うが。
「二人と挨拶していても、大人しかっただろう? 普段はもう少し表情に出るんだよ」
「で? どういった知り合いなんだ? 大学の、とは聞いたけど、あのときはゆっくり話す時間も無かったし」
「ハルさんのナンパ」
「はぁ?」
今度は春久が声を上げる番だった。
カイがもそと体を動かし、目を擦る。
「ごめん。寝てた。何?」
普通は、何の事かと確認するのが先のはずだろう?
「お前との馴れ初めを教えろと言われたんだよ。で、なんで俺がお前をナンパしたって事になるんだ?」
「ハルさんにバイクの事で声を掛けられなかったら俺はハルさんを知らないままだったし、もし授業の事で何か話をしたとしてもそれで終わってた」
そう言うと、垣内に向かって
「こんにちは」と、頭を下げる。それで、今度は戸野原に気づいたのだろう。また、びくりとしてた。
「何だ? 何で垣内にだけ慣れてるんだ?」
厳つい戸野原の外見だとは思えないが、一応そうやって聞いた。
「垣内さんは来るって聞いてた。戸野原さんも、こんにちは」
「久しぶり」
「ツーリングの話をするってんで、誘ったんだ」
「あ、俺の教科書」
「テーブルの下だ」
カイは自分の足下を見て「ありがとう」と笑って、手元に有ったコップに手を伸ばした。
「勉強熱心だな」
同じようにテーブルの下に視線をやった垣内が。教科書に次学期の予定表などがそこには纏めて置かれている。
「自分の好きなことを好きなだけ勉強出来るから。それも、一人じゃ限界が有るけど、大学の授業なら教授が居て、質問にはいろいろ答えてくれるから」
「それは良いな。うちの子もそうなってくれると良いんだけどな」
カイはいつものようににこりと笑うと、春久に向かって
「ハルさん、ごめんね、寝てた」と、謝った。
「良いよ。お前が眠ってすぐに二人が来たので、実質十分ぐらいだよ。どうせ、昨日もゲームしてたか、本に夢中になってたんだろう」
「ん~。新しいゲーム探してた」
カイがどんなゲームをするのか、聞いてみたい気もするが、今はそのタイミングじゃ無い。垣内や戸野原には興味も関心も無い内容だし、ツーリングについて決めようと集まっているのだから。
「今日は禁止だからな。明日は俺も久しぶりに休みだから、どこかにドライブに行くぞ」
「その前に、授業の計画立ててから、だね」
「そうだな」
二人だけに共通の話は区切りを付け、春久も自分の席に戻った。三人が床に座っているので、垣内も同じように床に座る。
「まずは行き先と時期、だな」
「オッケー」
カレンダーを出してきた。
まだ二月。仕事は落ち着いてきたけれど、季節的に長距離ツーリングは辛い。この時期は暖かい地方でさえ雪が降る。足止めを食らうのは勘弁願いたい。
三月は年度末。また挨拶回りと書類に忙殺される日々が続く。決算時期を終えた四月? 新年度は忙しくないか? 春の大連休? 警察官には無縁の言葉。
「丹波。あれなら俺は平日でも休み取れるぞ?」
戸野原の言葉に、カレンダーを睨んでいた春久は顔を上げた。
「新人研修は?」
「そんなもの、数年前から下に丸投げだ。何かあれば連絡が来る。今の時代、連絡は携帯で出来る」
「豪快だなぁ。でも、戸野原さんらしいな。丹波を助けてくださったって聞いてから、俺の中ではそんなイメージでした。ちなみに、俺もそれなりに下にも上にも無理を通せる立場なんで、多少なら休みはどうにでもなる。むしろ平日の方が子供には出張と言っておけば良いんで助かるかもな」
垣内が賛同の手を挙げた。
三人の視線がカイに集まる。カイは居心地悪そうに少し体を動かした。
「無理しなくて良いんだぞ。お前まだ三年目だろう」
「七年目だよ。高卒だから上になるのは大変なだけで」
動いた弾みに自分の肩に掛けられていた毛布に気づいたようで、急いで畳んで横に避け、今度は自分の荷物の中から手帳を持ってきて、しばらくぺらぺらと捲っては戻りを繰り返していた。
「月初めはキツいけど、後半なら大丈夫かも。そのかわり、連休の中日は仕事しないと締め切りに間に合わないけど」
「無理していないか?」
「有給は余ってる。いい加減使わないとなんだけど、なんだかんだと、一つ終われば次の締め切りだから、仕事してただけ。二日休みが潰れたときには洗濯のために一日休み取ったりもしてるよ」
「無理してないなら良い」
平日なら道もホテルもそんなに混まないだろうし、万一ルート変更になっても飛び込みでもホテルが取れる確率がぐんと上がる。むしろ連休前の平日ならそれに輪を掛けると思われる。
「それじゃ、日程に関しては連休前で後は丹波が何時休みが取れるか、だな。次は場所の設定と何日行くか、だが」
「キャンツーする?」
「俺は良いが……」
今度は戸野原と垣内を見る番だ。二人が顔を見合わせたり、腕を組んで唸ったりしている。カイはだんだんと力が抜けて、テーブルに両腕を置いて、そこに顎を乗せた。まだ少し睡魔が勝っているようだ。
「ホテルか旅館?」
「お前はキャンプ好きだもんな。キャンツーは別の時に付き合うぞ」
「大丈夫。梅雨入りするまでに二三回は行ってくる。ハルさんの休みと合えば連れて行くよ」
「連れて行くじゃないだろう」
「付いてきても良いよ」
「放っておくぞ」
「それはダメ」
少しずつ、いつものカイに戻ってきた気がする。引っ越しの時はバタバタと挨拶をするだけだったけれど、こうやって一緒に茶を飲み話をしているうちに気心が知れた気になって、緊張が解けてきたのか。睡魔が勝って思考が追いついていないだけのような気もしてきた。
「キャンプ道具って借りられたよな?」
「レンタルは有る。車で行くなら安い寝袋を一つ買っても良いんだろうが、バイクの場合は良い奴を借りた方が良い。収納サイズが違う。テントもある程度小さくなる」
垣内に聞かれたからそう教えた。今後もやるつもりが有るなら、リサイクルショップで誂えるのも一つの手だ。たまに、掘り出し物に当たる。
「キャンプの予定で、雨の時はホテルに逃げ込むのも有りか……」
「ノンビリたき火を囲むと、ハルさんの口が軽くなる」
「カイ」
睨めば、カイはソッと目を逸らせる。逆に垣内がニヤニヤ笑う。
「どんな話をするのか聞きたいな。仕事の話以外、だろう?」
「当たり前だ。基本的にはコーヒーとお茶で出来る話だ。カイが知らないと言うんで四年制大学の雰囲気とか、互いの趣味とか。俺たちが会って話すのは同じ講義を取ったときか、ツーリングで飯を食っている時間だけだし、ドライブの時は景色やルートの話がメインだからな。月に一度、有るか無いかだ。なのでキャンプの時は多少夜更かしをして話をする。今夜の話題を聞きたいか? カイが単位を落としそうな奴を、来学期に向けて勉強するって言うので、教える約束になってる」
「ハルさんの話は判りやすくてうんちくも含めて教えてくれるから、前は家が近くて一緒に帰ってたりもしたから、その時に説明してくれて理解が深まったりしてた。キャンプの時には本当に色んな雑学教えてくれるから、助かってるよ」
「教えるのは良い。だが、お前が誤解を招きそうな言い方をしなければ、だ」
「誤解?」
誤解って何だ?と、少しだけ首を傾げて、不思議そうな顔をしている。
「口が軽くなると言われたら、仕事上の守秘内容まで話しているようだろうが」
「あ。ごめんなさい。そんな意味じゃ無かった」
カイが素直に謝るから、戸野原が「ま、確かに、警察官が口が軽くなると言われたら、邪推する奴も居るからな」と、ぽつりと。
「ごめんなさい。今度から言い方を考える」
「そうしてくれ」
ナンパ発言に続き口が軽くなる発言。この二人だから誤解を解くチャンスも与えられてマシだったものの、他でそんなことを言われると大打撃だ。
「俺はまた、エロ話でもしてるかと思ったよ」
垣内が言えば、カイが少しばかり鼻白んだ。すぐにその顔を腕の中に隠したから、多分他の二人には気づかれていないと思う。
「折角のキャンプだぞ? ギアの事やら景色のことやら。話す事はたくさん有るよ。後は次に何処に行きたいか、どんな景色を見たいのか道具を使いたいのか、土産を目当てにするか、何を食いたいのか」
食い物と言ったところで、カイが顔を上げた。
「魚! 魚の美味しいところに行きたい!」
思いっきり乗り気だ。まあ、そこはカイらしい。二人のツーリング目的が食事の場合、カイが食べたいものを選ぶ。今までそれで外れは無かった。
「フグでも、いや、珍しいところでアンコウも良いかもな。時季が違うか? だったら本場の初鰹でも、この際マグロでも奮発してやるが?」
何でも好きな物を選べと言えば
「あ、でも、今回はお二人が食べたいものを優先する。引っ越し手伝いのお礼だよね?」
と、確認してきた。
「そうだったな。日本海側でも太平洋側でも。まあ、肉でも良いって事だろう?」
好き嫌いが無いのは知っている。何でも美味しく食べる。それから、旨い物を探すのが上手い。
「俺はどっちでも大丈夫」
「酒の旨いところは? 酒の旨いところは水が良いから、飯も旨いと聞くからな」
「戸野原さんと、カイが下戸だ」
なので酒目的は却下だと言えば、垣内は二人の顔を交互に見た。カイは今晩、春久がビールを開ける横でケーキを突くと宣言して、現物が冷蔵庫に入っている。二個入りケーキを買った段階で、辛党では絶対に違う。なので下戸だと言い切った。カイも否定しない。
「民間の秋津君はともかく、戸野原さんは警察官の時に呑まされなかったんです?」
垣内には、警察官だった戸野原が酒が飲めないという方が衝撃だったようだ。体育会系の警察に入っての酒は有る意味洗礼だ。春久自身はくだらないと思っているし、パワハラだのアルハラだのと世間の目が厳しくなって、民間の目に付くようなところではやらなくなった。目に付かないだけで、いまだ自分の酒が飲めないのかと絡むのは居るし、女性職員に接待させようとするのも居る。
戸野原は春久を見て、仕方が無さそうに笑った。酒が絡むと彼にとってもあまり良くない思い出になる。
「二回ほど急性アルコール中毒で救急車の世話になれば、さすがにそれ以上は無理強いしてこなくなったよ」
「ああ、それは辛い。じゃあ、二泊三日で、一日魚で一日肉だな。高原で肉、海で魚、になるかぁ」
垣内はアッサリその話題から離れた。警察官が急性アルコール中毒。これも、笑い話ではなく、つい最近までよく有ったことだ。
警察を離れた後の戸野原に飲みに連れて行って貰ったこともある。彼は最初の乾杯か二杯目まではビールだが、後はソフトドリンクで済ませる。それを知って、トラウマまではなっていないようで良かったと、彼の離職後初めて飲みに誘われたときは、安堵したものだ。
「晴れていればスーパーで良い肉買って、キャンプ場で焼き肉も良いな。どこかの飯屋で注文でも良い」
「判った。まずは連休がいつ取れるか、だな。で、一応、長期予報で天気が良さそうな時を狙うが、ダメだったらどうする? 車でも良いか? 長旅で雨のキャンプはキツいだろうから、その時はホテルか旅館を探す」
「バイクで付いて行っちゃダメ?」
「駄目だ。大人しく男四人、車に乗っていけ。途中運転させてやる」
「判った」
「ふはっ」
垣内が笑う。吹き出した後は口を押さえ、そのまま横を向いて、しばらく笑っている。
カイはそれを不思議そうに見ているし、戸野原は、肩を竦めている。
「秋津君、良い子だな。素直って言うか。俺は癒やされた」
「秋津君は、運転好きなのか?」
戸野原が聞けば、カイは頷く。
「車もバイクも。ハルさん、車の保険は誰でも運転可にしてくれてるから、俺も運転させて貰ってるよ。ドライブの時はハルさんの車で、キャンプの時は俺の車で行くけど、片道は絶対に運転させてくれる」
「丹波長が夜勤明けで寝てないときは安心だな」
戸野原は笑みを浮かべている。
「戸野原さん」
「丹波ちゃん?」
「は?」
「丹波ちゃんって呼ばれているの? ハルさん」
「ちゃんは止めろ。丹波班長で、丹波長だ。巡査部長だったときに班長を任されていたから、そうやって呼ばれることが有るだけだ」
「え~。タンさんと丹波ちゃんで、タンちゃん、かと思った」
「だから、ちゃんは止めろって言ってるだろうが」
「ぷくくくく」
垣内が、再び口を押さえて笑う。こいつはここまで笑い上戸だったか? そう思わせるほど、今日はよく笑っている。
ツーリングコースを決めるために集まった四人。うたた寝をしているカイ、少しばかり寝ぼけ眼で話し合いが始まりました。




