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あと1単位

 十月の班編制では、春久担当の中央エリアについては変更なしとなった。ちなみに、二人の班長は夏の警部補試験には落ちた。だからといって、それで終わりというわけにはいかない。試験の手応えを聞いて弱点を補強しなくてはならないのだから。班が変わらないということは、中央エリア独自の業務を覚え直す必要がないということで、その時間を、少しでも勉強に充てられる。

 カイの上司は相変わらずのようだけれど、カイが

 「事務室に大きなポスターが貼ってあった。『NO!ハラスメント!』って。色んなハラスメントの事が書かれていて、処罰対象だって。高卒がって言われたら誰かが咳払いしてくれたり、ポスターを指さしたりしてくれて。その上司以外は前の関係に戻れたかな。なので少しマシ」

 と、にこりと笑っていた。労働局に掛け合った甲斐があったようだ。もちろんカイには内緒だ。本庁の生活安全部を通して、目に見えないところでハラスメントが横行しているようだ、ポスターを掲示させるなんなりして、気づかせることが大事ではないのか、と、提案した。

 掲示されただけで劇的に変わったわけではない。けれど、誰かが注意を促せる「理由」ができた。

 

 県内の多くの事業所や公共施設などに貼られたそれは、春久たちの執務室にも大きく場所を取っている。お陰で野沢班長が「警察官のくせにハラスメントと叱責の区別も出来ないのか!」と、叱る日が増えた。「お前の行動に問題があるから叱られているんだ!」そう言われて小さくなる班員が、野沢の上司である、春久を見る。だから春久はにこりと笑って

 「騒がしい現場でも指示命令を出さなくちゃならない立場だから、どうしても地声は大きくなる。むしろ、褒めるときはもっと大きな声で褒めてくれる人だ。君の行動が改まれば、彼の言っていることが理解できるようになるよ。叱ってくれるのは愛情だと思って、頑張って」

 と、野沢の声の大きさ、適切な叱責を褒め、班員にエールを送って自席に戻った。声の大きさには威圧も含まれているのだけれど、彼ら巡査が本当に警察官として成長すれば、自分で知ることになるだろう。

 

 「お前、いなし方が巧くなったな」

 課長が笑いつつ。

 「そうですか? 本心しか言ってないんですけど」

 「まあ、たまにはお前もでかい声で叱れ」

 「え? ここじゃ叱るようなこと、何も無いですよ。班長たちがきっちりしてくださっていますから。むしろ、管区の手伝い中に叱ることが多くなりました。俺が叱らないと、もっと上から叱責飛んで、叱られた方がますます萎縮するので。

 直上司から叱って貰えるのがありがたいことだって、判ります。彼らも、班長を飛び越えて係長や課長から叱られるようなことにでもなったら、何をしたんだって目で見られますからね」

 「ははは。だそうだ。班長に叱って貰えてありがたい、と思えって事らしいぞ」

 課長は、二人の会話に聞き耳を立てていた巡査や巡査長たちに向かって、そう口にした。特に今まで野沢班長に叱られていた相手。

 「班長たちが叱ってもダメだと思ったら、言ってください。係長が叱ります。係長でダメなら課長から。でもその頃には、進退問題になっていると思いますよ」

 課長の言葉に追加をすれば、そこにいた職員たちは全員、急いで自分の仕事に取りかかった。班長に叱られることの意味、そこにもっと上が出てくることの意味を、理解したらしい。

 

 「お前はどうなんだ? 管区で叱ると言っても、相手はお前と同じ警部補もいるだろう」

 「そうですね。その時は(管区)限定副課長の肩書きが有効です。特に新警部補研修を受けるような相手は、基本、班長までなので。無理を通してでももその肩書きを付けてくださったことに、感謝してます」

 「それじゃあ、その感謝で、北の係長のフォローを頼む。

 最近北が荒れてきてるようなんで、お前が副課長権限で一緒に(挨拶回りに)付いて行ってくれ」

 「了解しました。いつでも声を掛けていただければ。その前に資料だけくださいね」

 「お願いします」

 「ま、順当にいけば北は来年度異動するからな。新しく来る奴のサポートに入れるだけの知識は付けておけよ」

 「了解です」

 そちらが本命。担当の係長が居る今のうちに、しっかり北エリアの情報を教えてもらっておけと。まだ半年、しかしもう半年しか無いのだ。

 

 

 「疲れた」

 春久がソファーでごろんと横になる。

 「ハルさん、スーツ、脱いで」

 「どうせクリーニングに出す」

 「ダメだよ。ハルさんのとんかつ半分にするよ」

 急いで立ち上がった。たまに作ってくれるとんかつ。初めての時は春久も手伝ってカツ丼にしたが、最近は千切りキャベツをどっさり切って、その上に載せてくれる。熱々の白いご飯とそれがよく合うのだ。

 秘訣は、厚切りブタ肉と、筋切りした時に塩胡椒とともに、隠し味としてたっぷりすり込まれる辛子。それが食欲を刺激しまくりだ。そう言えば以前のサーモンマリネの時はわさびを利かせてくれた。食べて初めて判る意外感と刺激。季節と相まって、かなり走り込まないと太ってしまいそうだ。もちろん、食べ過ぎで。

 

 着替えてキッチンに戻る。カイはキャベツを切っている。

 「ハルさん、丁度良いから、ご飯交ぜて。今年の初物だよ」

 「判った」

 炊飯器の中は、栗ご飯だ。カイが塩水に浸けていた栗を持ってきて、来てすぐにちまちま剥いていた。栗は、塩水に入れたタッパーに漬け込んだものを、自宅の冷蔵庫に隠していたそうだ。冷蔵庫にあるものについては、父親もチェックしないので、母親にだけ断って。

 栗の匂いに、一年前にカイと一緒に鄙びた一軒家で食事をしたことを思い出す。

 春に行こうと思っていたのだが、予約が取れなかった。垣内の事もあり、積極的に取ろうとしなかった春久に、一番の問題があるのだが。カイはそれには何も言わなかったし、カイ自身、新しく来た上司の件で参っていて、ツーリングに行って、春久のうちで料理をしてとして、気分転換をしていた。来年は連れて行ってやりたい。

 

 「次にお前が来るときまでに、新米を買っておく」

 「オッケー。じゃあ、次は松茸ご飯かな。炊き込み飯の素だけどね」

 「はは。それじゃあ年中同じだな。けど、確かに国産松茸は高いものな」

 「だよね」

 「サンマでも良いな」

 「あ、賛成! あれも美味しいよね。たっぷりの大根下ろし……って、ハルさんち、おろし金有った?」

 「無いと思う。元々料理をしなかった男の家に有ると思うか?」

 「結婚してたときに、奥さんが使ってたりしなかった?」

 「知らないな。別れるときに必要な物は持ち出しただろうし、こっちに引っ越してくるときに、古いものも捨てたからなぁ。まあ、高いものじゃないんだし、買ってもしれてるだろう?」

 「うん。百均に売ってる」

 「だったら気づいたら買っておく」

 「いいよ。今度こっちに来るときに買う」

 話しながらも、手早くテーブルに料理が並ぶ。相変わらず汁物はインスタントだけれど。春久が松茸の話をしたからか、松茸の吸い物が出てきた。そこにスダチの皮を薄く削いで細く切ったものを二本ほど入れ、それだけで香りが複雑に、尚更旨そうだ。

 「いただきます」「いただきます」

 カイに少し遅れて、春久も手を合わせた。カイへの感謝の気持ちもたっぷり込めて。

 

 「あのね、ハルさん、上手く行けば、単位集まるんだ」

 「え?」

 食事中に言われて、一瞬何の事だと、カイの顔を見た。カイはにこりと笑って満足そうだ。

 「大学。無事に卒業できる」

 「それはめでたいな。おめでとう。そうか、卒業か」

 「来年になるけどね。三月には卒業だ。お祝いしてくれる?」

 「もちろん。何が良い?」

 「ツーリング」

 「はは。それぐらいお安い御用だ。俺の日程に合わせて貰う必要は有るけどな」

 「全然オッケー」

 「そうか。卒業か。だったらもう、大学で会うこともなくなるのか……」

 それは辛い。

 

 「なんで? 辞めさせないでよね。卒業したらまた再入学するよ。コースを替えれば良いんだから。ハルさんと一緒にツーリング兼ねた県外授業とか。一緒に机を並べて勉強したり、判らないところ教えて貰ったりしたい。それに、目標の大学卒業を果たしたら、今度はハルさんみたいに、仕事に役立つ勉強を増やしたい」

 「そうか。そうだよな。お前は勉強家だものな」

 そうだった。だったら今まで通り何ら変わりはない。カイに学位という卒業証明書が一つ付くだけで。ただ、それがカイの仕事に、少しでもプラスになればいいなと思う。

 「違わないけど違うよ。俺が再入学してでももっと勉強したいと思えるのは、ハルさんが居てくれるからだよ。ハルさんは俺の中で特別凄い人なんだから。一緒にツーリングやキャンプにも行きたいけど、大学で授業のことをあれこれ話すのも楽しいからね」

 その評価は面映ゆい。

 「だったら、これからもよろしく、だな」

 「こちらこそ、よろしくお願いします」

 春久が出した手を、カイもぎゅっと握ってくれる。握手しても逃げないほど、春久には気を許してくれているのも、特別で嬉しい。

 

 

 十一月になった。

 「ハルさんハルさん、ここを教えて! 後一単位でも落とすとこの春卒業出来ないっ!」

 カイが悲鳴を上げるのは、先日の面接授業、仕事で出られなかったからだ。春久もがっかりしたが、カイにとってはもっと切実だった。その単位が取れなかったお陰で、楽しみにしていた卒業が遠ざかるかもしれないのだ。それも、カイに学歴ハラスメントをしていた男の所為で。

 

 なんと、自分が納期を間違えていて、その尻ぬぐいのために開発に関わっていた者全員が土日返上。大学が有るからという理由は効かず、カイも出勤して仕事をしていた。

 「みんなもう、カンカン。自分は椅子に座ってふんぞり返って、かと思うと長時間席を空けて。だったら詫びに差し入れでも買ってくるかと思ったらそんなこともなく、帰ってきたら平然として、まだ出来ないのかなんて言うんだよ。特に俺の方を見て。

 だから先輩が「意欲を失わせるのなら他に行ってください」って言ってくれて。あれは格好良かった。

 別の先輩が途中抜けて、軽食や飲み物買ってきてみんなに配ってくれたりもした。なので日曜の遅くになんとか仕上がった。で、先輩が連絡したら、黙って家に帰って酒飲んで寝てるって。なので、主査が部長に直談判したらしいよ。パワハラのこともあったから、その場で異動になった」

 と、少しばかりすっきりしたと、教えてくれたのだ。カイも聖人君子じゃない。それぐらいの鬱憤晴らしはあってもいい。

 「左遷ってことだろう?」

 「だよね。きっとね。急だったし、まだ人事発表になっていないから」

 カイのストレスの原因が一部解消されたのはありがたいが、だからといって単位は降ってこない。念を入れて多めに通常授業を入れていて良かったが、一教科も落とせなくなって猛勉強だ。

 

 「ほら」

 カイの手元に置いてやったのは、小皿に載せたアイスケーキ。ケーキと言いつつ、実際はカップアイスだ。スプーンと一緒に熱いお茶も置いた。

 「ありがとう!」

 「ヒートしてる頭を冷やすには、丁度良いだろう」

 「やった。頂きます!」

 蓋を開けて、早速一口。

 「ん~~ん~~~。美味い~」

 なんとも力が抜ける。けれどそれで幸せそうなのだから、ま、買って正解って奴だ。

 

 「ちょっと待って。今日、中間レポート出してしまう!」

 そう言って自分のパソコンを引っ張り出し、画面とにらめっこ。一時間もしないうちに顔を上げて、パソコンの蓋を閉じた。

 「終わった。とりあえず中間レポートは出した。これで受かれば本試験に参加できる。ってことで、また何回か教えてください」

 「そのつもりだ。遠慮無く聞いてこい」

 「ありがとう!」

 その後はいつもの通り鼻歌交じりで料理に取りかかる。

 

 以前カイは春久を大型犬に例えたけれど、カイは猫だなと、思う。逃げてばかりいた猫が、この家に居着いたようだ。もっともカイの場合は居座ることなく自分の家に戻るのだけれど。たまに来て、自分の居場所と決めたソファーとキッチンでは、伸び伸びとしている。


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