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見守る期間

 六月末のオートキャンプ。あいにくの雨だが、車中泊に食事は外と決めたので、のんびり車を走らせる。

 それから、車内に張るロープは運転席から助手席側後部荷室までのものは取りやめ、運転席サイドと助手席サイドの窓の上にだけ張った。使ったバスタオルやハンドタオルなどで窓を軽く塞ぐだけにする。最近の車は気密性が良いから、運転席と助手席の窓は少しだけ開けておく。

 本来なら二人別々のパーソナルスペースを確保しようとしていたラインを無くしたのは、カイが弱っているから。

 「本当に、介入してやるぞ? お前が無理してキツい思いをすることはないだろう?」

 「きっとね、俺が話したんだってバレる。そうしたら俺の方が居場所が無くなる。今から転職もキツいからね。我慢できる分はするよ」

 

 後部座席は両方とも倒した。助手席をできるだけ後ろに移動させてから、背もたれも最大限に倒した。その上で春久は助手席に寝転がっている。遮るものがなくなり、そのまま体を回せば毛布にくるまっているカイの頭に手が届く。毛布の上から、軽く叩いてやれば、カイは小さく頷いている。

 「仕事が大変なのは、ハルさんも同じ」

 「そうだな。同じだな。お前は頑張ってる。だから時々俺がお前を褒める。それから、ケーキを買って甘やかせてやる。お前は泊まりがけでうちに来て、料理をしてくれる。バランス取れてるってことだな」

 「う……」

 カイが泣くところは初めて見た。キツい、苦しい。そんな経験は誰にでもある。中でも人間関係はどす黒い。その弱みを、春久にだけ見せてくれる。大切にしてやりたいと思う。

 

 「山のキャンプで、少し早いお前の誕生日会をやるか? 保冷剤を入れておけばケーキも持って行けるだろう? 車だからハードクーラーボックスを使える。いざとなったら、新しい職場を紹介してやるぞ。そこにお前の味方はいないのか?」

 「い、いる。味方と言うより普通に接してくれる人はたくさんいるよ。だから、大丈夫」

 カイはタオルで、涙に濡れた顔を覆った。

 そうか、いるのか。だったら大丈夫だ。問題はその、新しく来たパワハラ上司だけだな。というか、そのまた上は何をしているんだ? きちんと下を見ていないんじゃないのか。春久も自省することは多々必要だけれど、そこまで酷くないと自分を信じたい。

 

 

 「丹波、どうした? この間から小六法に首ったけじゃないか。何かあったのか?」

 課長に問われて顔を上げた。

 「そうですね。症例を一つ、身近に見つけたので。警察としてどこまで介入できるのかと思っただけです」

 「症例?」

 「ハラスメントです。どうしても上下関係って有りますので。正しい叱責ならともかく、学歴ハラスメントの場合は、どのように対処すれば良いのかと。今の上司が来るまでは、人間関係は円滑だったようです。けど、正社員として八年働いて昇進すら無し、昇給も殆ど無いようです。そこに持ってきて、新しい上司が明らかに学歴をネタにかなりのパワハラをしてくるようで。そのまた上司についても気になりますが、本人が公にしたくないようなので、尚のこと、どうにか方法は無いかと」

 「お前に助けてくれと?」

 「いえ。症例だと言いましたよね。直接的な手出しはできませんし、しません。本人がこれから頑張って大学を卒業しても、その上司はきっと、大学名で差別するんだろうなあと、思う訳です。なので、同じような問題を抱えている人がいればその時助けになれるように、もう少し勉強もしておきたいと思いまして」

 「相変わらず勉強熱心だな。確かに法律を知らないと、我々じゃあ動くことが出来ないのも現状だからなぁ。不当逮捕だなんて言われないよう自衛するためにも、だな」

 「そうですね。まあでも、うちの班員は、班長からして勉強熱心ですから。過去の事件簿も確認したり、書類の合間で実用書も確認したり、それから直接歩いて現場を何度も確認したりしてます。なので彼らに負けていられなくて、せめて得意分野ぐらいは、相談してもらえるぐらいになりたいですからね」

 「まあなぁ。けど、労働局の管轄でもあるからなぁ。……クッキーの、か?」

 「です」

 「本庁管轄か?」

 「です」

 クッキーを作ってくれた相手か、その職場は本庁の管轄内に有るのか、課長はそれだけを聞いて、自分の席に戻っていった。

 


 八月まで、カイは頑張った。涙目になって春久のうちに来ることもあったが、それでも辞めるとは言い出さなかった。

 なので山の上で使うのは、大型テントとインナーテント二つの組み合わせにした。そうすればテントの中でぼそぼそと話もできる。テントの外とか狭いテントの中だと、逆に目立つ。

 

 カイが料理をして、戸野原の息子がそれを覗き込むように見ている間に、春久はカイの状況を戸野原に説明した。知恵が欲しかった。きっかけでもいい。なんとか状況を動かす手立て。

 「その気になれば、うちの職場もあるぞ。SEというか、社内システムがメインで、注文されての作成じゃないんで、まあ、どちらかといえば社内業務の効率化ぐらいではあるが。後は事務作業も必要になってくるなぁ」

 「実際、あいつが自分で動くまでは、見守るつもりなんですけどね」

 「それであのでかいテントか?」

 「良いでしょう、ドームテント。中はそれぞれのインナーテントを入れて、間に荷物を置けるので、真冬のキャンプでは暖房の節約というか共有ができたし。あいつとの距離は空けられるので、安心していられるだろうと思いますし。夜露が落ちるときも荷物をテントの中に全部入れられますしね。昨年のようなこともありますし」

 「ああ、あれなぁ。確かに」

 昨年の同じキャンプ場で起きた、盗難騒ぎ。春久たちも関わりを持ってしまったが、他県の管轄だからと、あまり触れないようにはしていた。その後も、春久が警察官ということでたまに関連の連絡は来たが、春久たちの中では終わった事件だ。

 

 「暗くなっても車に片付ける必要も無いし、車の中を空っぽにできる。見るからに荷物の無い車を漁ろうとするようなのもいないでしょう? ついでに、電子キーはアルミ箔で包んで、乗り込むまでは電波を出せないようにしています」

 「そこはさすが警察官、ってところだな」

 「発散できるところを作ってやるぐらいしか、今の俺には出来ないですから。逃げても良いんだってことだけ、判らせておけばと思ってます」

 「そうだな。そうやって気遣ってくれる友人が居てくれるだけで、彼も心強いと思う」

 「それは、戸野原さんに教えていただいたことですから。ちなみに、あいつは盆休みの日程をずらして三連休なので、明日ここを出たら、うちでもう一泊です。好きなだけ料理を作っていいと言ってます」

 「はは。そうだな。さっきも言った通り、俺の伝手で良ければ仕事を探すのは手伝ってやれるから、無理はするなってことだけは言ってやれ。まあ、俺が話を聞いたことは黙って、な」

 「判りました。戸野原さんなら口が硬いことも含めての相談ですから。その時はお願いします」

 「判った」

 

 「カイ」

 「何?」

 「ビール飲んで良いか? 明日の朝までに抜けなければ、お前が運転することになるんだが」

 「オッケー」

 軽い、いつもの返答に、春久は戸野原と顔を見合わせて笑った。仕事から離れて、きちんとリフレッシュになっているらしい。

 「俺はノンアルだな。これなら、明日までに抜けないって事は絶対に無いからな」

 戸野原は自分のクーラーボックスからノンアルコールのビールと、小さな缶ビールを取りだして、一つを奥さんの方へと差し出した。

 「良いのかしら? 秋津さん、飲まないんでしょう?」

 「あいつには熱いお茶を用意しているんで大丈夫ですよ。後、食後のお楽しみも」

 そう言って、春久は自分の側に置いているソフトクーラーボックスを開けた。そこにはケーキの白い箱。

 

 「ホールなので、一緒に食ってやってください」

 「お祝い?」

 「少し早い、あいつの誕生日です」

 「あら。そうと知っていたら何か用意したのに」

 「ケーキを一緒に食ってくれる人がいるだけで、充分だと言いますよ。あいつは」

 

 「父さん、うちもダッチオーブン買おうよ! めっちゃ良い匂いしてる!」

 「うちの息子どもは秋津君のファンだからなぁ。彼がやることなすこと全部、真似したいようだ」

 「はは。そうですね。俺は人生で良い選択をしたと思うことが、二つあります。一つは警察官になったこと。お陰で戸野原さんと知り合えた。そしてもう一つが大学であいつに声をかけたこと。バイク乗りだったことが、かもしれませんね。でないと共通項目が無くて、話しかけるなんて出来なかっただろうから。出来たとしても、不審者扱いで逃げられたかも」

 「ははは。まあ、縁なんていうのはそう言うものだろう。お陰でうちの息子は進路が決まったんだ」

 

 「以前いただいたクッキー、私が職場に持っていこうと思っていたら、先に息子たちに食べ尽くされたわよ」

 「お陰でうちには、小麦粉と砂糖は常備されるようになりましたよ。後はタマゴか。毎回一袋分ぐらい作るので。またお声がけします。チーズ入りが良いですね。その前のドライフルーツのもなかなか美味かったけど、チーズだと少し塩辛さも有って、酒のつまみにもなりました。

 うちの執務室だと二つに分かれますね。甘い奴が良いっていうのと、塩辛さのあるのが良いのと。課長が気に入っているので、課長の分だけ別にして持っていってます。でないとあの人に当たりそうにないので」

 

 ビールを飲みながらたわいない話をする。戸野原は肉ばさみでBBQ台の上をひっくり返しながら、春久の言葉に頷いてくれる。戸野原の妻は、たまにカイのところに行って、その調理を息子たちと一緒に覗き込んでいる。

 

 前回は皆それぞれのテントの前で料理をしていたけれど、今回は隣合った場所での料理だ。

 戸野原が結構食材を持ってきていて、

 「秋津君、オムライス作れるか? 材料とフライパンは用意しているが」

 と、声をかけた。

 「作れます。ハルさんがガスコンロ買ってくれたから。車で行くときは便利だろうって」

 戸野原が春久を見る。

 「甘やかしてるのか、甘やかせてもらっているのか」

 「甘やかせてもらってます。ガスコンロがあれば色んな料理作ってもらえるし。うちのガスコンロ、二口なので、もう一口有ればカイも煮込み料理をしながら炒め物と揚げ物もできるので」

 「秋津君、丹波は楽して旨い物を食おうという、下心たっぷりだからな。たまには自分で作らせろよ」

 カイはにこりと笑うが、春久に作れとは言わない。作り方を教えてくれと言えば嫌とは言わないけれど、春久の冷蔵庫を満タンにするのは自分だと決めているかのように。

 

 春久リクエストのダッチオーブン料理、戸野原リクエストのオムライスは、カイがチキンライスを作って、春久が一人分ずつタマゴで包むことに。とは言え、他の料理もあるので小さめのを六つ。スパゲティミートソースは、カイの指導を受けて戸野原の息子たちが作った。奥さんと戸野原はBBQの火加減係で、男たちが満足するほどに肉が山盛りだ。

 「いただきます!」

 「カイ。腹は空けておけよ。お楽しみがあるんだからな」

 「デザートは別腹!」

 「ふはっ」

 戸野原が笑っている。あのケーキを別腹と言い切るカイは、ある意味子どもだ。戸野原の息子たちと話も合うはずだ。

 

 「あ、別腹で思い出した。戸野原さんの奥さんに渡しておかないと」

 「あ? ああ、あれか」

 春久は別のハードクーラーボックスを開けて、中からカイに言われていた物を出してきた。

 「カイが朝から作ってた奴です。俺が荷物を詰めている間に」

 「クッキーのタネです。棒状にして3ミリぐらいに切って焼くだけ。ハルさんでも焼ける」

 「それは余分だ」

 「事実だ」

 「事実でも余分だ」

 「以前も丹波が焼いたと言っていたな。確かに。今回は何が入っているんだ?」

 「ハルさんが苦手なブロックチョコ」

 「お前は~」

 「俺が食う奴! ハルさんのは冷凍しておいたのがある! チーズで良いんだよね! 明日帰ったら焼く!」

 「それならうちの子たちがやるわね。お父さんの口に入らないかもしれないけど。ありがたくいただくわね」

 「へへっ」


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