袖の下とミートソース
朝、忘れないようにカバンと一緒にクッキーの入った紙袋を持つ。
「おはようございます」
「おはようございます」
自分の席について、パソコンを開いた。さすが連休明け。連絡がどっさり入っている。
朝礼の後、自分の下に付く班長を二人、同じ部屋の打ち合わせ席へと招いた。そこなら班員に何かあればすぐに判る。来客用ソファーとも言うけれど、一階に受付があるので、中まで招くような人は殆どいない。
「課長ともこの後お話させていただくんですが、先にお二人に。来年度、野沢班長が異動されることはほぼ決定のようなので、今から、岸本班長に、ご自分と巧くやれそうな班長をお一人、選出していただこうかと。他の班長たちも異動の可能性が有るので、確定ではないのですが。その方を優先的に中央に回していただくべく、課長に相談することと、十月以降、スムーズに引き継ぎをするべく、中央に近いところに配置していただくことになるので。班長だけでなく、班員の入れ替えも含めてくださって結構です」
「今、ですか?」
「班員評価のついでに、です。今すぐの返答は求めていません。八月末まで三ヶ月で、ご自分の作りたい班を考えていただければと思います。野沢班長が居なくなってすぐにだらけそうなメンツも、確認お願いします」
「了解しました」
「野沢班長、サポートというかフォローをお願いします」
「了解です」
「面白そうな話か?」
課長が来ていた。春久が横に寄ると、課長がそこにどさっと座る。
「警部補試験の書類だ。二人分有る」
「え?」
「岸本も一度は受けても良い頃だろう」
「二人抜けられると中央エリアがやっていけませんけど?」
思わず戦線恐々としてしまった。
「一度で受かるような奴はそうそういないぞ? 夏の試験は、うちの課からは二人だけしか推薦はしない。まあ、二人とも受かっても、来年度までは班長のままだしな。野沢は今年二回のチャンスをモノにしないと、班長のまま異動になるからな。警部補で異動するのと、巡査部長じゃ待遇も変わる。岸本が受かれば、来年度はそのまま中央の係長にしてやるよ。そうすれば、中央は一年間二人係長体制だ。メインが岸本だ。丹波には本格的に副課長の仕事を叩き込んでおかないと、そろそろ俺が異動になりそうなんだ。新しく来る課長のサポートの為にも」
「い、いろいろ責任重大なんですが」
岸本班長の方が焦っている。春久も、声には出さないまでも焦る。課長が異動? こんなに早く? それは思い至らなかった。
「あれだ。部下に優秀な奴を欲しがるのは誰しも同じで、丹波を引っ張るか自分が課長として赴任して来るかの二択。で、丹波は異動してきたばかりなので、五年は据え置ける。出す気は無いと、突っぱねられるってことだ。ただそれには、それなりの仕事をこなしているという、実績が必要だ。野沢班長が警部補を受ける気になってくれたんだ。岸本班長も一緒に仕事の段取りをして、勉強の時間を作れ。フォローは丹波がやる」
「頑張ります」
「丹波は、潰れる前にヘルプ出せ。そうすれば少しは手加減してやる」
「あ……袖の下渡しておきます」
「なんだと? 警察官が賄賂か?」
三人とも笑っている。春久は立ち上がり、自分の机から紙袋を持ってきた。
「いつもの奴です。今回はドライフルーツ入りだそうで。前回のナッツ入りも良かったですけど、俺はこっちの方が好みですね。今度チーズ入りのを作るとか言ってましたけど。チーズは溶けるからどうやるのか、興味津々です」
課長用にと小分けの袋を渡す。こうしないと、なかなか課長まで渡らない。そして課長は案外、こういったものが好きだと判った。
「こんな袖の下なら、黙って受け取っておくよ」
「お二人ともどうぞ。いつもの友人作です」
春久は自分の分は袋に入れたまま、大袋を引っ張り出して、口を開けた。
「では、遠慮無く」
二人が一つずつ、袋から取りだして、口にする。
「気に入ったら適当に持っていってください。どうせここに置いておけば無くなるので、早い者勝ちで」
「丹波長(の分)は?」
「自分が休み時間につまむ分は、別に取り分けています。だけど毎回小麦粉一袋使うのはちょっと、と思いませんか? 他の料理にも使うからと言って一キロ入りを買って、ほぼクッキー用です。タマゴも一パック買って、半分料理で半分クッキーです。俺が使わない砂糖も一キロ買って、毎回半分使ってますよ」
「丹波、お前それは惚気か? お前のために料理をしてくれるという」
春久は少しだけ片唇を上げた。
「お互い様です。相手は料理を作ってストレスを解消して、俺は手作り料理を食って、力を貰っている。ちゃんと材料費は払ってますよ」
「夫婦じゃ無いんだ、それは当然だな」
「確かに当然ですね。俺からのお返しは、勉強を見ることと、ツーリングの時に昼飯を奢るぐらいなので、また何かで返しておきます」
「勉強って、相手は学生ですか? 未成年って事は?」
「俺と同じ社会人学生ですよ。たまに同じ講義を取ってます」
「それを聞いて安心しました。先ほどの朝礼でも言われていたでしょう、警察官を名乗る不届きな連中が、女子高生と不純異性交遊って奴です」
「ああ、少年課との合同啓発ですね」
県庁所在地は(本庁の)少年課が動くので、各所轄は生活安全課がと、言われた奴だ。決めたのはここではなく、本庁。つまり本庁生活安全部少年課が、所轄の生活安全課よりも上に立ち、全面的な指揮権を持つということだ。こんなところに立場の上下が影響してくる。
学校巡りには春久も付いていく。そのため、回る順番を係長間で調整してもらう事になっている。
「本当に中央エリアは動かなくて良いんですか?」
「少年課が各市町村の教育委員会に掛け合ってくれるというので、大丈夫だと思いますよ。大船に乗った気で任せましょう」
にこりと笑った。
「それにお二人には勉強の時間も取っていただかないとですから」
課長が立ち上がると、班長たちもそれぞれの書類を持って立ち上がる。春久は最後に立ち上がり、袋の口を開けたクッキーをその場に残した。
独り者の春久には気軽に残業を頼めるようで、今日も残業だった。けれど、帰れば家にどっさりと手料理が待っている。冷食も有るけれど、どれも温めるだけで食べられる。
疲れた日には、オムライスだ。カイが「オムライス」と書いたことが未だ壺で、思わず楽しくなってくるから。オムライスのタマゴは自分で焼く。チキンライスを温めている間に、タマゴを溶いてフライパンに入れる。そのまま半熟になってきたところで、温めていたチキンライスを載せ、フライパンの隅に寄せるようにして形を整える。
「失敗しても大丈夫。食べるのは自分。でもってそのうち巧くなるから」などと言いつつ、コツを教えてくれた。なので、成功するに越したことは無いが、失敗して破れたタマゴでも、美味しくいただいている。タマゴを調理している間に同じく冷凍室から取り出したのは、今日はとんかつ。一枚を半分に切った大きさで作ってくれたので、疲れて食欲が無いときとか、あと少し何か欲しい時とか、食べる量を調整できる。いろいろ考えてくれたものだ。さくっとレンジで温める。
野菜室から取りだしたキャベツは、手で毟ってしまう。カイが居るときは数枚剥いて、それを細く切ってくれたりもするのだけれど。それが面倒臭いときはざっくり切ったキャベツをそのまま囓れば充分。丸のままスライサーで細く切ると、切り口から傷むからと注意されたことも懐かしい。
ついでに、製氷室に入っていた物、アイス用の小さな冷凍室のものを全て大きな冷凍室に移動させた。これで氷が作れる。
「明日は、ドリアだな」
冷凍室の中を確認しながら呟いた。ドリアに掛かっているホワイトソースは、小麦粉から作った物。それを作るためにと小麦粉やバターを買って、大半がクッキーで。結局あれも、半日持たず、全部無くなっていた。職員たちが喜んでくれるならオッケーだと、カイなら笑うだろう。
「有休取った、休んだ」
そう言ってカイが転がり込んだのは、春久も休みの平日、ただし待機中。
前もって連絡があったので、前日の仕事終わりに、約束のケーキだけは買っておいたが。
「新しい上司と全然話が合わない。人の話を聞かない!」
あの穏やかなカイが珍しい。それでも、チーズケーキはぱくぱく食べている。ケーキの供は相変わらずの緑茶だけれど。カイが満足しているなら、それで良しだ。
「悪いな。待機でどこにも食べに連れて行ってやれなくて」
「いいよ。ケーキを買ってくれたから。ハルさんも良いよって言って。二ヶ月我慢した!」
二ヶ月、四月に新しい上司が来て以来ずっと、ストレスに曝されながら頑張ったようだ。ああ、それで料理の量もかなり増えていたのか。
「よく頑張った」
「次のお楽しみはハルさんとの車中泊旅行までお預けだぁ。早く来い~~~」
「ああそうだ。お前の作ってくれた料理が半分になったんで、適当に冷食も買い足したし、自分でも何か作ろうかと思って、肉なんかも冷凍している。何か作るか? それとも作ってやるから食うか?」
「ハルさんの残してる奴、俺が食ってしまう~~」
「それは止めろ。俺の楽しみを取るな」
「ハルさん」
「どうした?」
「頭撫でて。頑張ったなって、もう一回言って」
これはっ! カイに堂々と触れられる。そこまで気を許してくれるようになった。三年半の付き合いは伊達では無かった。
「頑張ったな」
軽く触れる程度の強さで、言葉と一緒に頭を撫でてやる。そのまま、ぽんぽんと頭を叩いて、手を離した。
「うん。これで頑張れる」
カイは顔を上げた。
「高卒と大卒だと、待遇が全然違う。ってか、あの人が高卒を馬鹿にしている。俺だって大卒と同じだけの仕事している!」
「見る人は見ているよ。戸野原さんなんて、お前を気に入ってるだろう。あの人結構シビアに人を見るんだけどな」
「だったら、戸野原さんに可愛がられたっていうハルさんが、特別だね」
「それは誇りに思ってる」
「うん。……判った。有休駆使して耐える。来年度部署替えさせてくれないかなぁ。あ、でも俺ができるのSEだけだぁ」
「なんだったら、パワハラで捕まえても良いぞ、そいつ」
「ははっ。はははっ。そうだね。うん。どうしてもダメならお願いするかも。はは。そんな約束が有るなら我慢できるかな。ごめんね、ハルさんに愚痴を聞かせて」
「なんで? 俺はいつも聞かせてるぞ。お互い、ストレス解消出来たら良いじゃないか。で、何を作ってくれる?」
「ミートソース作る」
「スパゲティは無いぞ? 使った」
「冷凍うどんを見つけてるから大丈夫。ミンチとタマネギとホール缶使うね。コンソメは、オニオンスープ作ったときに買ったのが有るはず!」
手作りミートソースの大半は冷凍され、フライパンに残った少しで、レンジで解凍したうどんと絡める。ミートソースうどん? うどんは味が淡泊だから、なかなかイケる。おまけに手軽だ。うどんはレンジで解凍するだけだ。ただし食べるときは気をつけないと、白いものに飛ぶと後が大変だ。
「温かいご飯を軽く炒めてこれと交ぜると、チキンライスならぬミートライスだね。オムライスにも使えるよ」
「なるほどな。ああ、オムライス、タマゴで包むのはかなり巧くなったんで、今度作ってやる。今日はチキンライスが無くなっていたんで、それも作ろうと思ってはいたんだ」
「もしかしてオムライス好き?」
「お前の、オムライスに『オムライス』と書き込む行動に癒やされたからな。アレを思い出す」
「思い出さないでよね」
「俺の癒やしの一つだ。それぐらい許せ。それから本当に、パワハラが酷いようなら言えよ」
「うん。ありがとう。味方が居てくれるってだけで心強い」
食事の後、春久が食器を集めてシンクに置き、テーブルの上を拭いている間に、カイはソファーの座面にべったりとうつぶせにもたれ掛かった。ケーキは後からの方が良かったか? 多分カイのことだから、復活はすると思う。ある意味、春久に甘えているからこそこんな姿を見せる。
春久はカイの隣、ソファーに座ってカイの頭に軽く手をやる。
「いつも気を張ってるものな。ここには俺しか居ないから、気が済むまで愚痴でも何でも言え。聞いてやるぞ」
「言わない。もう充分言った。これ以上ハルさんに心配掛けたくない。それより、旅行の話か、キャンプの話をしたい」
ああ、キャンプ。日程のことも決めなくては。




