失踪案件発生
「こんばんは。夜勤お疲れさまです。また彼女の手作りクッキーですか?」
職場に出た途端、春久の手に持っている紙袋を素早くチェックされた。彼女ではないが、手作りクッキーという点は正しい。
「俺の疲れ直しだよ」
「ええ? 今日は何ですか? この間のも旨かったですけど」
中から二つ、ビニール袋を取り出した。一つを課長の机の上に――彼が結構この手の物が好きだと分かったから、置いた。もう一つは春久の机の上だ。カイの心づくし。きちんと食べる。三つ目の袋を出した。それで全てだけれど、三つ目はかなり大きい。来客用のテーブルにそれを載せた。
「ここに置くから」
「やったぁ!」
紙袋は畳んで自分のバッグの中に片付けた。手頃な紙袋は案外少ないのだ。なので持ち帰っておく。
「彼女さん、ケーキとかは作らないんですか?」
「ケーキなら本人が食う。第一、こんなところに持ってきたら喧嘩になるだろう」
「残念」
「明日の朝八時きっかりに帰るんで、書類関係が有れば早めに頼む」
朝起きてからあれこれやっていて、昼寝もしてない。朝にはいきなり業務延長になることも少なくないのだ。これから十三時間勤務。途中の仮眠を早めに取れるよう、スケジュールも調整する。
仮眠室に、人が入ってきた。他エリアの班長だった。
「丹波長。寝入りっぱなに、済みません。案件です」
言われれば起きるしか無い。こんな時に起こされるのは、班長レベルでは判断に困るもしくは、重篤な事件、事故。
静かに、他に寝ている人を起こさないように外に出た。
「何?」
外に出て、改めて問いかけた。南エリアで認知症を患っている高齢者の行方不明。
「行く。話は誰が聞いている?」
「南エリアの班長が捕まらないので、北の班長が。ただ、土地勘が無い場所だったので、訪問の約束をして、いったん電話を置きました」
「判った」
担当の班長が捕まらないなら係長の出番だ。申し訳ないと謝りつつ、出勤は不要なので班長に連絡だけ付けて欲しいと話をした後、パトカーの助手席に乗り込んだ。ハンドルを握るのは、南エリア担当の班員だ。判断は下せなくても、現地までの誘導は任せられる。
「到着まで三十分ぐらいですけど、寝てください」
「さすがに助手席で船をこぐことは出来ないからね。起きてるよ。情報を」
「あ、はい」
電話の相手、連絡先、住所、失踪者の名前、年齢、失踪時の格好。失踪に気づいた時間。
「地図を貸して」
「あ、どうぞ」
後ろに乗っていた相手から住宅地図を受け取り、急いで確認。
「この時間ならまだ公共交通機関は動いていないけど、一応、駅に人が居ないか確認。近くの交番に連絡して」
「判りました」
生活安全課と地域課の連携。班長レベルなら自分で手配できるのだが、班員では、上の命令待ちになる部分が多い。仕方が無い。
電話だ。
「はい、丹波」
「申し訳無い。班長、寝ていたらしくて、ようやく連絡つきました。ただ、酒を飲んでるので繰り上げ出勤させられず、代わりに出ます。何処に行けば良いですか?」
南エリアの係長から連絡が入った。班長が捕まらないので係長に連絡が行き、彼から改めて班長に連絡を入れてもらった。班長も待機組ではないので、飲酒を咎める事はない。逆に、休みの時に無理矢理連絡を入れられて大変だと思う。皆、経験があるから、むしろ、同情される。
「いえ。現場には既に向かっているので大丈夫ですよ。失踪者なので、今晩探しますが、見つからなければ明日の朝、引き継ぎをお願いします」
「了解。それじゃあ、手数を掛けますが、よろしくお願いします」
「こちらこそ。途中で起こしてしまいましたが、きっちり睡眠取ってくださいね」
「了解しました」
むやみやたらに探しても、見つかるものではない。家族に聞いて、よく行くような場所や知り合い、心当たりなどを順に確認して、近隣の交番に連絡を回す。駅担当者からは、居なかったとの連絡受け済み。こんな時に交番のネットワークが発揮される。
「川沿いを走ってみましたが、人影はありませんでした」
「主要道路、現在のところ該当者無し」
「事故報告等、ありません」
「集中力の切れた者から、交代」
「係長も、パトカーの中で寝てくださいよ。仮眠取ってないんですから」
「南の係長が朝から出てくれるそうなので、それで交代するよ」
にこりと笑って見せた。失踪者を心配している家族の側で寝ていられるわけがない。それぐらいなら署に戻って寝る。とはいえ、班長レベルすら居ないこの場所では春久が欠ける訳にもいかず。
「悪い。少し外を歩いてくる。誰か同行を頼む。立って寝そうになったら悪いけど起こして」
「行きます」
近くを巡回してくると家人に断って、家を出た。夜明けが近い時間だ。東の空がうっすらと明るくなってきた。
「出勤時間が近づくと、人に紛れてしまいますね」
「そうだね」
朝の八時。交代で現場に出てきた係長と交代して、パトカーで執務室に戻った。
「悪い、少し寝る」
上階の仮眠室は、既に道場の機能を取り戻しているはず。なので会議室を一つ、押さえてそこに入った。爆睡だった。
「丹波。しっかり寝たか?」
執務室に戻れば、課長が問いかけてきた。しっかり、ではないけれど、一時間ほど寝たと思う。
「伝達だけ済ませれば、家に戻って本格的に寝ます」
「そうしろ」
「夜間緊急出動が一件、高齢者の失踪です」
書類は一緒に行動したメンバーが作ってくれている。それを見ながら説明し、説明しながら自分でも確認、印鑑を押してから課長に提出。本来なら説明する前に目を通しておくべきだが、そんな気力は無かった。睡魔に負けないよう、目を開けておくだけで精一杯だったのだ。
「担当係に引き継いでいます」
「判った。戻って良いぞ。しっかり寝ろ」
「了解です」
「で、これはお前だろう?」
課長は机の上に置いていたクッキーの入った袋を持ち上げた。
「です。お裾分けです。面会用の机に置いたのはどうなったのかは不明です。それだけ取り除けておきましたので」
「サンキュー」
「本日は夜の十時入りですので、何か有ればご連絡を」
「判った」
課長に挨拶をして、他の係長班長たちにも軽く挨拶、「後をよろしく」と言い置いて、家に戻った。そのまま、ソファーに横になって、起きたときには夕方になっていた。仕方が無い。そんな仕事だ。
皺にしてしまったスーツを脱いで、シャワーを浴びる。ひとまず洗濯機を回しつつ、冷蔵庫を開けた。
春久が普段居なくても安心して放置出来て、居るときは甘えてくれる存在。甘えさせてくれて、春久が特別だと言ってくれる存在。高望みしすぎか? でもなぁ。一人だけ、いるんだよなぁ。ただ、難点は、二人が一緒に暮らすなんて夢のまた夢の話だということ。本人から聞いた話だと、友人とのルームシェアも許されそうにない。
今のまま、たまに会うぐらいが丁度良いのか? 最近はメールよりも電話の方が多くなった分、声も聞ける。
いろいろ考えているうちに、肉じゃがは温まった。そう言えば、朝も昼も食べてなかったのだと、今頃思い出した。
「夜中に出て朝帰ってきたんだが、そのまま寝てしまって、スーツをダメにした。クリーニング行きだ。結局朝も昼も食べてないんで、お前の飯がありがたかった。今日も夜中に出るんで、言いっぱなしになるんだが礼だけ伝えておこうと思って。夜更かしするなよ」
メッセージを送った。
「はぁ」
食事を済ませたことと、カイへの連絡をしたことで安心して、二度寝してしまった。
「済みません!」
「ギリギリですね。珍しい」
幸いにして遅刻では無かったけれど、本当に数分前、だ。
「つい、二度寝を」
正直に答えた。不規則な勤務時間に体が悲鳴を上げる人も多い。仕事中にはアドレナリンが出て殆ど眠気を感じないのに、一歩仕事から離れると、そのまま倒れてしまう人もいるとか。
「丹波係長。本日の送り合わせです。昨日の南の失踪者、見つかったそうです。ただ、怪我をしていて病院に搬送となってます。それから、今日の昼間、詐欺事件が二件、これも南ですが、幸いにもどちらも未遂です」
「南はベッドタウンだからなぁ」
春久が南エリアの担当係長だったときに思ったこと。夜になると人が多い。昼間は子どもと高齢者ばかりになる。反対に中央や北、西や東でも北寄りは昼間の人口が多いが住民では無い。オフィス街、工場街で、昼間のトラブルが多いところだ。だが、最近の詐欺事件は、高齢者をターゲットにしている分、昼間の南エリアの事件が増え始めている。
「南の巡回と、高齢者を対象にした講習会を開きましょう。各地域の公民館や支所を通じて、ついでに交通課にも声を掛けて、事故防止の講演会と一緒にして貰えば、人手は何とかなるはずなので。課長に具申してみます」
「この上なおも仕事を増やします?」
「好きでしょう? 仕事」
「鬼だ。丹波長、課長に似てきましたね。さらっと仕事を増やしてくるんだから。判りました。原案作ります。それぐらいの手柄譲ってくれますよね」
「やる気が有る人は大歓迎です。任せます」
「はい!」
書類は任せても、それを課長に上げ、交通課と折衝するのは春久の仕事だ。
「自分から仕事を作れる奴は頭を取れる。指示待ちじゃあ、どんなに頑張っても下っ端のままだ。俺は、そう教わった。いつ、どんな指示を出すのかを見極めるのも、大事だがな」
そう言いつつ、課長は春久の出した書類に印をくれた。
「今回は、課長同士で話を通してやる。向こうに担当を決めさせる。こっちの担当はどうする? お前が抱えるか?」
「いえ。そこまでお願いできるのでしたら、後は班長レベルに落としたいと思っています。南の班長二人で組んでもらって。そうすると南の係長の仕事も増えるんですけど、折角この書類を出してくれたんです。彼の所属する班を中心に、それをサポートする班。係長にはアドバイスをお願いしたい」
「だそうだ」
課長は南エリア担当の一角に向かって。
「希望があれば、今のうちに中央の係長と相談しておけよ。もちろん、全域担当の副課長に訴えるのも有りだ」
「それ、どちらも同じですよね?」
中央エリアの係長は春久だが、全域担当というか補佐も春久なのだ。
「全く違うぞ。他のエリアの係長にヘルプを頼むのと、上役に相談するのでは。その上で、南のエリアを相談出来る全域担当係長は、南に詳しい、前南担当係長だってだけの話だ」
「南を離れて半年以上です。既に南の詳細な地図は頭から消えてますよ。詳細が決まれば、うちの班長と一緒に市役所への訪問は動きます」
「班長と言えば、そっちの野沢、今年はなんとか引き留めたが来年は無理だぞ? 警部補になる決心は付けさせたのか?」
「話はしているんですが」
「あいつが警部補になれば、係長が増える。そうすれば全員が楽になれるぞ」
それを言われると、他の係長たちからも期待が掛かる。
「彼にとっての利点は何ですか? 単純に彼の仕事が増えるだけだと思うんですが」
「給料が上がる。下っ端に言うことを聞かせやすい。そのまま、警察学校の教官への口を利いてやれる」
課長が指を折りながらそう、教えてくれた。最後のは?
「あれだけ面倒見が良いんだ。警部補になっても数年で異動は避けられない。その行き先に警察学校なら、あいつには似合いだと思わないか」
頭を抱える。
「野沢さんは責任感からいろいろ抱えてくださってますが、教官を望むかどうかは」
「そこをうまくやるのがお前の仕事だろう」
そうだった。春久が彼の直属の上司だ。そして、四月に彼が異動になることは避けられたけれど、彼と岸本、二人の班長がいなければまったく動けなくなる。そのためにはなんとしてでも彼を警部補に? 課題が山積み過ぎるだろう。




