自覚
「悪い。月曜から出張だから、バタバタするんだが」
土曜日、一足先に大学から戻っていた春久は、カイを出迎えて開口一番そう謝った。春久は県内、カイは県外だった分、春久の方が家に到着するのも早かった。
「邪魔だったら大丈夫だよ? 帰っても良いし」
その肩をがしっと捕まえた。
「いや、頼む、居てくれ。ここでお前に帰られると、俺のストレスが溜まる。お前が言っていた、パンとタマゴも買ってきているんだ。明後日から出張なのに放置も出来ない」
「判ったから」
「あ、ああ、悪い」
泣きそうな声を聞いて、急いでカイの肩から手を放した。
「けどな、いきなり帰ろうとするお前も悪いんだぞ。バタバタすることは先に謝った方が良いだろうと思って、伝えただけなのに。お前が作ってくれた料理は全部食べ尽くした。お前が帰ると、食う物が無くなる」
「何それ……」
カイは少し困ったような泣き笑いの顔。
「今日の授業ノート、後で写すだろう。まあ今度、お前の時間があるときにゆっくりでも良いんだが。今なら聞かれても答えられる。はずだ」
「ハルさんは……。先にご飯作るよ」
「炊飯器は仕掛けている。もうすぐ出来る」
「判った」
カイはいつものエプロンで、さっそくキッチンに立ってくれる。
「そうだ。お前の作ったジンジャークッキー、職場に持って行ったら、あっという間に無くなった。うちに置いていた分は、出張中に食った。で、家に戻ってお前の冷凍してくれていた料理も全部食った。今日の分は約束通り寿司とインスタントのすまし汁を買ってきている。他に作る物あるか?」
「明日の朝食は?」
「むすびにした。弁当を楽しみにしている」
カイは鍋を出してきて水を張ると、湯を沸かし始めた。作ってくれたのはインスタントすまし汁を使ってふわりとタマゴの浮いた、少しとろみのあるすまし汁。それだけで手作り感がすごい。そしてとろみが付くと冷めづらい。熱い汁のまま飲めるのもありがたい。
お互いの授業内容を説明するのは次回にして、夕食の後は、翌日のレポートに向けてのまとめをすることにした。それを済ませた後で、カイは保存用料理と弁当の用意をするという。
「トマトソースも冷凍しておけば、スパゲティを茹でるぐらいはするよね?」
「する」
「カレーも冷凍で良い? 煮込んだら一回分ずつ小分けにしておくし」
なんと、カレーの具材を煮込んでくれているらしい。それも辛口。
「冬キャンプで作ってくれた野菜とベーコンとチーズの奴、作るのならダッチオーブンがあった方がいいか?」
「家で作るなら無くて大丈夫だよ。ハルさんのところはオーブンが有るから。次の時に作るよ。食材を買ってこないとね。ああ、キャンプの日程も決めないとだよね」
「本当は、大型連休前に連休を取る様に言われていたんだが、また出張だ。なので五月の終わり頃に予定している。車中泊しながらどこかに行きたいとは思うんだが、お前の休みが取れそうなら付き合うか? 片方が運転席か助手席を倒して、片方が荷室を使うようにすれば男二人でもなんとかなるだろう?」
荷室に横並びで二人、になると、絶対にカイは逃げる。その距離感は無理だ。
「どこに泊まるの?」
「キャンプ場とか海岸とかだな。車と接続できるテントにして、俺が外で寝ても全然良いんだけどな。コットも有るし」
「料理は外でやらないと、炭や薪が使えないね。ガスを多めに持っていかないと。俺はOD缶用のシングルバーナーしか持って無いから。車中でアルコールバーナーも危ないし」
「まあ、いざとなったらどこかで食べるでもコンビニおにぎりでも構わないなら、だな。お前は食べ物に希望は言っても文句は言わないから、その意味では行動しやすいと思っているが」
「二人だけ?」
「二人だけだな。大学の授業も有るから、それも勘案して休みを調整するんで、何日になるかもまだ決めてない。そんな変則に付き合えるのはお前ぐらいだ」
「そうだね。俺は基本土日祝日は休みだから、それに有休絡めれば大体はオッケーかな。それに、車中泊ならホテルの予約しないから、急な変更も対応出来るってことだよね」
「そういうことだ」
話をしながら、料理をしているカイの手元を覗き込む。今度は鶏肉を切っている?
「いつの間にそんなモノを買ってきたんだ? 言えば買っておくのに」
「冷凍室の奥にあったよ。ハルさん忘れてたでしょ。もう四ヶ月も前だよ。肉が乾燥して白っぽくなり始めてた」
「え? そんなのあったのか?」
「日付見て」
カイに言われて、包装していたラップに付いている値札を確認。十二月頭のクリスマスパーティの時、余分に買っていた奴だった。
「何を作ってるんだ?」
「唐揚げ。明日の弁当のおかずと、後は冷凍しておく」
唐揚げ……と来れば小麦粉? またクッキーか? けれどカイはそんな様子は見せない。タマゴはたっぷり割っていたけれど。これから、だろうか。
「ちょっと空気を入れてよく振っておいて」
肉やらハーブやら胡椒やら、当然小麦粉もで、いろいろ入っているそれを受け取り、空気を入れて、底を支えるようにして袋を振った。アジの南蛮漬けの時にやり方は教わった。
「タマゴは何にするんだ?」
「卵焼き。普通のやつと、後はサンドイッチ用に厚めのだし巻きかな。暇なら食パン全部にバター塗っておいて。バターは少し柔らかくしているから。片面だよ」
「判った」
「有るタッパー、片っ端から使うよ。それとビニール袋」
「好きに使え。足りないなら買い足しておく。今すぐは、店も閉まっている時間だから無理だな」
「ビニール袋が有るから大丈夫だよ。そっちも買い足しておいてくれるとありがたいけど。キャンプ道具の中にも入れてるよね?」
「ああ。箱の奴だな。出しておく」
料理が冷めるまで勉強して、春久が風呂に入っている間に料理を小分けにしてくれて。本当なら客のカイを先に風呂に入れるべきだろうが、
「俺が風呂に入っている間に片付けをしてくれるつもりなら、先に入って」と押し切られた。
食パンの塊が三つ、ラップされている。それ以外にもいくつか料理が皿に載ったままラップ。空の保存容器が二つ、それらはテーブルに移動している。
「弁当は明日の朝詰めるから。それ以外は全部冷凍室に入れた。明日学校から帰ってきたら適当に温めて食べてね」
「助かる」
唐揚げを後からしたはずなのに、油の入った鍋が無い? 使った皿や鍋が全部シンクの中だ。そう言えば、仕掛けて置いた炊飯器の中は使わなかった? けれど、炊飯器の中釜も水に浸かっている。
「油は何に使ったんだ?」
「野菜とか、肉とかを油で煮揚げにして三杯酢に漬けたのと、それでも残った分はチキンライスにした。いくつかむすび作っているから、カレーはそのむすびを二つぐらい解凍して掛けて温めれば行けるとおもう」
冷蔵庫を開けてみた。黒っぽい液体に浸かっている野菜、肉?
「次の時にはタルタルソースも作るよ。ピクルスの瓶詰めも売ってたよね」
料理の話をしているカイは楽しそうだ。
「早く風呂に行ってこい。長湯して良いぞ。お前が出てくるまでにここが片付いたら、ソファーの用意をしておいてやるが、片付かなかったら自分でやってくれ」
「オッケー。じゃあ、お風呂頂きます」
着替えを出して、いそいそと風呂に行く後ろ姿。はぁ。可愛すぎだろう。
きっかけは課長の言った言葉か。ようやく自覚した。カイとなら一緒に暮らせる気がする。カイの気質も家庭事情も仕事事情も丸ごと知っているから、それは叶わない話だということも判っているのだが。後は、カイが男だということが一番のネックか。
課長が「この際男でも」などと言うから、その一番のネックに対する箍が外れた。もちろんこのままの関係を続けていきたいから、カイを前にそんなことを一切口にする気は無い。ただ、あの仕草や行動を愛でるのぐらいは許されないだろうか。
カイをそばにと意識したのは一年以上前、引っ越しの日に、「お帰り」と迎えられたことかと、今にして思う。外回りから執務室に戻ったときは言われる「お帰り」の言葉だが、それが自分の私的空間で言われたことがかなり響いた。
それまでもツーリングやキャンプに一緒に行き、気遣いもするし優しい奴だと思っていた。友人として、良い相手と知り合いになれたと。
ああそうか。友人では物足りなくなってきているのか。旨い飯を食わせて、あの少し照れたような笑みを見たくなっていた。腕白坊主のような、少しだけ威張った笑みでも良い。今回のようにカイの料理が食べられるのが楽しみだ。後は……もう少しだけ触れたい。頭を撫でるぐらいでも構わないから。
ま、今は無理か。焦るとろくな事にならない。辛抱が肝心。それは警察官として事件や事故に携わってきたから身に染みている。そのうちもっと心を開いてくれると信じておこう。
どうせ春久も仕事メインで、殆ど家で食事もしない。月に一度の逢瀬。今はこれで十分だ。
「良いお湯でした。お風呂ありがとうございました」
カイが出てきた。
「悪い。まだ洗い物が終わってない。なのでソファーは自分でベッドにしてくれ。お前の布団は後で部屋から持って出る」
「おっけー」
カイはすでに慣れた手つきでソファーの背を倒し、横に広げた。うまく出来ていて、最近のソファーベッドは背もたれと座面の間の凹みも気にならない。薄手のマットレスとシーツを掛ければ寝床はばっちり。上は季節に応じてシーツに毛布か布団になるが。春久はエアコンを見た。
「冷え込むことが有るから、夜は空調利かせておこうか?」
「要らないよ? 空気が乾燥するしね」
カイは自分の寝床を形だけ確保すると、またテーブルの前に座り、食事を作り始める前にやっていた、勉強に取りかかった。春久も残りの洗い物を手早く水すすぎして、乾燥棚に並べた。カイの隣で勉強出来るチャンスも逃したくない。カイに「格好良い、凄い」と思われたいのだ。
「他に必要な物は?」
「熱いお湯」
「判った判った。お茶で良いんだな」
「インスタントのお茶は持ってきてる」
「お前一人が飲むぐらいは有るぞ。それは仕舞っておけ」
カイ用に緑茶のティーバッグは用意している。それをコップに入れてお湯を入れ、カイの前に出してやった。
「そう言えばお前、明日お湯とお茶を持っていくんだろう。水筒は? 一緒に洗って伏せておけよ」
そこは洗ってやるとは言わない。カイが遠慮するから。カイは忘れていたとばかりに自分のバッグを漁り、水筒二つを出してきた。春久が空けたキッチンで、急いでそれらを洗っている。この家を自分の家のように使ってくれれば良いなと、その姿を微笑ましく見守った。
洗い物が終わったキッチンに、カイは明日の弁当用の食材を避けた。テーブルの上を再度拭いて、春久が勉強する場所も空けてくれた。カイがお茶なら春久はコーヒーをとも思ったが、眠れなくなって翌朝寝過ごすのもマズイ。カイは濃く出したお茶でも平気だそうだが。なので春久は薄めのお茶にした。同じコップに同じ緑茶だ。何となく息が合っているようで、それも楽しい。
翌日は弁当の時間が楽しみだった。春久が支度を済ませたときには弁当は既に包まれていて、その横には水筒も準備万端で。それらを持ってバイクのリアバッグに入れただけだ。ソファーも元通りになっていたし、その一角に、シーツと毛布も畳まれて置かれていた。早すぎだろう。
「じゃあお先に! またね!」
県外のカイが先に出かけるのも当然で。それを見送った後、前日朝食用にと買っておいたむすびを口にした。やはり、一人だと味気ないと思う。前夜の夕食が楽しかっただけあって、余計だ。まあ、今日は昼にお楽しみがある。四月とは言え、暑い日も寒い日もある。なので弁当の上には保冷剤が載せられているようで、少しだけひんやりしていた。
弁当の中身は、まずはサンドイッチ三種類。厚焼きタマゴ、ツナマヨ、チーズハム。どれも零れそうなほどに具材が入っている三角形……。つまり三角に切った残りの半分は、カイの弁当だ。同じ物を遠く離れていても食べる。これが弁当効果かと思う。また作ってくれないかな。言えば作ってくれるだろうか。中でも一番好みだったのは厚焼きタマゴだ。
それから、鶏の唐揚げ。これも旨い。少しピリ辛で一味が入っている、出来合ではなかなか無い味。その隣に入っている卵焼きはパセリ入りだ。朝、その切れ端が皿に残っていたので食べてきた。サンドイッチの厚焼きタマゴとは風味が異なる気がする。タマゴサンドを一番に食べてしまったので、比べられないけれど。それから、小さなオムライス。タマゴ使いすぎだろう? とは思うけれど。たまにだから、ありだ。チキンライスでも良かったはずなのに、手を加えてくれた。今度大きなオムライスを作れば、またケチャップで「オムライス」などと書くのだろうか。
自分がつい、思い出し笑いをしてしまっていることに気づき、急いで口元を引き締めた。
横にはラップで包まれた葉物野菜。ラップを開くと少し酸味のある匂い。野菜のマリネ。菜花やアスパラガスの鮮やかな緑。きっと、野菜が足りないと入れてくれたのだろう。
管区への出張帰りに、また何か買って帰ろう。前回と同じ物でも喜ぶと思うけれど、驚かせたいとも思う。
「弁当旨かった」
「良かった。俺も料理出来て楽しかった。またキッチン貸してね」
電話の向こうから聞こえてくるのは、少しの安堵と甘えの交じった声。
「いつでもオッケーだ。休みの予定はちゃんと知らせるから、お前の都合に合えば来れば良い。待機の時は放り出すことになるけど、それは勘弁な」
「オッケー。待機の時は前もって教えてくれてるから、問題なし! 借りたタッパー、今度返すからそれまで待ってね」
「良いよ。あんな旨い物食わせてくれるなら、また買っておく。後、冷蔵庫にもいろいろありがとうな」
「あった物使っただけだよ」
「明日から出張で、お前の飯がお預けなのが辛い」
「また泊めて貰ったときにね。あ、五月終わりの車中泊旅行でも良いよ。俺もレパートリー増やしたいな」
「ジンジャークッキーが好評だったし、他に何か作れるのか? その、戸野原さんや垣内にもお裾分け出来るような物。ほら、垣内にはあたらなかったら。まあ、あそこは子どもが小さいからジンジャーは無理だろうし。その意味では戸野原さんだけで良いとは思ったんだが」
最後は言い訳がましくなってしまった。垣内のこと、季節一つ分変わったのにまだ結論は出ない。このまま疎遠になってしまうのかもしれない。
ただ、垣内の奥さんの友人と……の話は断って当然だと思っている。少しでも結婚に未練が有るのなら別だろうが、全くその気になれないのだ。カイとなら……いや、それは無理だ。カイも自分が恋愛対象にされていると思えば避けるようになるかも知れない。それだけは絶対に、嫌だ。
「ネットで見ておく。五月末の車中泊旅行は、日程が決まったら教えて。なるべく合わせる」
「判った。楽しみにしておく。じゃあな。今日はさっさと寝て、明日の移動に備えるよ。本来なら今日のうちに移動しておくべきだったんだが大学は落とせない用事だからな。朝一番の出発だ」
「それも大変だ。じゃあ、早めに休んでね。気をつけて行ってらっしゃい」
「またな」
電話を切って、始発に間に合うように起きるにはと、アラームをセットする。夕食に野菜のマリネと冷凍されていた唐揚げ、同じく冷凍されていたむすびを引っ張りだして食べた。そのまま風呂に入ってまだ二十一時前だというのに、就寝だ。警察官を九年もやっていると、変則な時間でも眠れるようになる。




