新しい部署での初めての正月
年末に異動になった春久。毎日忙しい日々を過ごしています。
正月三が日も休み無く働く春久の癒やしはカイから届くメール。
翌日、夕方になって垣内がやってきた。プランターと土、野菜の種を持って。
「ベランダに物を置くのはあまり良くないんだが、隅っこで自分が使うぐらいの野菜を植えるのは有りだからな。引越祝いだ。花より団子で、野菜にした。春になれば植えてくれ」
「サンキュー。入ってくれ」
寮と違って気軽に友人を招き入れられるのはありがたい。
「秋津君は?」
「昼過ぎに飯食わせてから見送ったよ。明日から仕事なのに、土日を潰させてしまったからな」
「まあ、お前が元気そうというか、一緒にツーリングに行ける友人が出来て良かったと思うよ」
「車なんだろう?」
「車だ」
確認して、二人分のコーヒーを入れた。
「ソファーにでも座ってくれ。テーブルは明日到着する。それまでは、キャンプ用の奴だ」
「準備が良いな」
ソファーとキャンプ用の椅子の間にあるキャンプ用ミドルテーブルに、コーヒーを載せ、春久は自分の椅子に腰を下ろした。
「たまたまだよ。カイとキャンプもやるようになって揃えた奴だ。それまでは殆ど何も持って無かったから、アドバイスも貰った」
「秋津君なぁ。大人しい子だったけど、お前引っ張り回してないか?」
「子、という年でも無いが。まあ、俺の休みがカレンダーに合うときは、声を掛けていた。前の寮は三十分もあれば準備万端で合流出来る距離だったし。一応、名物を餌にしてたけど、百円のアイスとかなら喜ぶけど、千円超えるといきなり遠慮するから、そこは鑑みながらだ」
「ははは。そうか。まあ、俺も子供が小さいんで放っておくことも出来ないからなぁ。いつもは無理だが、たまになら付き合うんで誘ってくれ。折角近くなったんだから」
「そうするよ。そっちも暖かくなったら、だな」
コーヒーを口にして、新品のカーテンの引かれた窓を見る。朝、カイが早くから朝食を作ってくれた。本当に枕が変わって眠れなかったのかと心配すれば、カーテンが薄くて朝日がまぶしくて目が覚めたんだと苦笑していたのを思い出した。
「何笑ってるんだ?」
垣内に指摘されて顔に出ていたことに気づき、思わず顎を摩っていた。
「今朝、カーテンが薄いと文句を言われたよ。なので、遮光性の高い奴にした。値は張ったけどな。大体昨晩車で寝るつもりだった奴の台詞じゃ無いなと」
「それは意外だな。黙ってハイハイ言うだけかと思った」
「それは無い。結構ハッキリ言うぞ? 昨日はなんだか大人しかったけどな」
本を読んでいるときに邪魔すると怒る。ゲームを中断するのは何も言わないのに。そう言う意味で、優先順位が人とズレている気がする。普通はゲームの邪魔をされると怒るだろうに。
ただ、昨日、引っ越しの手伝いをしてくれているときは、借りてきた猫のように静かだった。たまに声を掛けられてビクついていた。相手が警察官だからかと最初は思ったが、警察官なら春久もそうだし、この垣内たちと挨拶を交わしていたときもぎこちなかった。確認しようかとも思ったのだが、今回は止めた。なんとなく、そのうち話してくれそうな気がしないでも無い。ツーリングの時か、キャンプ時の四方山話にでも。
「ようやく冬至も終わって少しずつ日が長くなってくるけど、寒さは厳しくなってくるんだよなぁ。それにしても、真冬に異動なんて珍しいな」
マグカップを見ながら、コーヒーを飲まない男のことを考えていた。垣内の声に気づいて顔を上げた。
「俺の前任者が異動になった。あまりの急展開に、俺も驚いているんだ。深くは追求しないでくれ」
「おっと。それは突っ込まない方が良さそうだ」
仕事の関連には守秘義務が働く内容が多く発生することは、警察官に限らない。なので垣内もあっさりと理解を示してくれ、話を終わらせてくれた。
「それが良い。明後日からすぐに本格的に仕事に取りかかるんで、少なくとも年度末までは纏まった休みが取れそうに無い」
「それって、三ヶ月も、か?」
春久は頷くしか無い。前任者の後始末、役職が上がった分責任も増える。知り合いになっていた関係者とは離れ、新たな関係を築いていかなくてはならない。職場だけでなく地域全体に対して。
「なので、ツーリングは暖かくなってからだ。早めに連絡するので付き合ってくれ」
「判ったよ。ああ、先に秋津君誘って出かけて良いか?」
「俺が一緒にツーリングに行くようになるまで、知り合って半年近く掛かったからな。その前に何回か、大学で会って話をして、連絡先交換して、一度県外の授業が重なったときに車を出して道中いろいろ話をして、だな」
「今時の女子でもそこまで身持ちが堅くないけどな。ほいほい付いて行かないところは、父親としては安心出来る。ああ、彼が娘だったら、の話だけどな」
「そうだな。あいつが男で良かったよ。お前みたいな父親が居たら、おちおちツーリングにも誘えない」
「はははは」
垣内は豪快に笑う。幼い娘を持つ父親としては、カイにあやかって欲しいほどらしい。
「基本がソロだと言う奴だから、仕事の都合でドタキャンせざるを得なくなっても許してくれるのはありがたい。次に会うときに土産が届く」
「ははは。うん。良いな。戸野原さんだっけ、あの人が、お前はツーリングとかのストレス解消出来る方法があるから潰れずにいられるんだろうと言ってた。地元の道場紹介してやるから、たまには汗を流しに来てくれ。それなら子供たちも連れて行けるんだ」
垣内が誘うのは、合気道の道場。高校時代の部活で垣内と一緒にやっていた。おまけに趣味がツーリングで。だから今もこうやって友人づきあいが続いている。警察官になると、柔道や剣道が中心になる。それでもぽそぽそと続けていられるのは、垣内が居るからだ。そうやって言えば、目の前の男はにこりと笑う。
「判った。春になったら参加させて貰うよ」
参加したい旨を伝えれば、相変わらず気の良い返事を残して、垣内は帰っていった。
昨日はカイが居た。先ほどまでは垣内が。
独身寮では誰か彼かが賑やかだったから、夜とともにいきなり静寂が押し寄せてきた気がする。
カイが居たので湯船に湯を張ったけれど、一人ならシャワーで済ませる。朝食は握り飯を買ってきた。職場の近くにコンビニが有るのも確認したから、職場に通うようになれば朝はそこで済ませることも出来る。玄関と窓の鍵を確認して、ダイニングキッチンの電気を消し、寝室に入った。
昼間カーテンを付け直すのに邪魔でマットレスの上に畳んでおいた布団を、広げる。忘れずにリビングから持ってきたキャンプ用のローテーブルにパソコンを広げ、布団の上にあぐらをかいて座った。
「無事に帰り着いたよ。来週はみぞれ混じりの雨らしいよ。昨日今日、天気が良くて良かったね。来週は俺の読書デーだ。中間レポートも忘れないように」
カイからの帰着メールは、力が抜ける。明後日、職場に着いたら一番にローテーションの確認をしなくてはならない。学校や地域住民との折衝が主業務の生活安全課だけれど、夜勤が無いわけでないし、当然カレンダー通りの休みとはいかない。
立ち上がって冷蔵庫からビールを引っ張り出してきた。
「二日間、助かった。ゆっくり休んでくれ。ツーリングの日程が決まったら連絡する」
それだけ書いて送り返した。
カイはパソコンからメールを書くので、すぐに戻ってくることの方が少ない。そのうち届く。ビールを一口飲んで気分を変え、仕事のメールに目を通し始めた。休みだが引っ越しのための特別休暇なので、移動出来る範囲は寮から新居までの間だけだし、荷物の片付けの合間に仕事もしなくてはならない。元の職場からの問い合わせや明後日から行く職場からの連絡事項。カイが書いてきたように、大学のレポートもまだ手つかずだ。
空になったビールの缶を横に避け、少しだけと横になった途端、意識は無かった。
「ちゃんと寝なきゃだめだよ。疲れてるんだから」
カイのそんなメールを目にしたのは、朝になってからだった
垣内にも話をしていたとおり、翌日からはめまぐるしく日々が過ぎて行く。
出勤一日目から会議や打ち合わせの連続で。最初に庶務で書類関連の手続きの後、署内の案内・係長毎の担当地域の説明がなされ、春久の仕事内容は課長面談で詳細を渡された。他の係長たちとも話をして、自分が受け持つ班長たちとも個別面談。班長は主任の中から選ばれて、それぞれ五六人の班員を取りまとめている。係長はその班を同じように四班から五班、受け持つようになっている。人数や班数は、担当エリアの大きさによる。班員たちの顔と名前を一致させて……。
さっそく正月一日からのローテーションに組み込まれて、引っ越ししたばかりだから大掃除も必要無いだろうと、大晦日から四連勤で泊まりも入っている。
「丹波長、甘い物食えます?」
「食べられるよ」
少しなら、の部分は押さえた。カイと行動を共にするようになって、多少は食べられるようになった。だから嘘では無いし、ここで固持するより甘いものの付き合いも出来ると思われた方が、今後の人間関係もスムーズになることを知っているから。
「うちの正月は出勤者にぜんざいが出ます。後、晦日に搗いた餅のお裾分けも来ますよ。玄関に飾れます」
独り者じゃあ、そんな習慣も無い。独身寮の玄関には大きな鏡餅が有ったけれど、個人の部屋は年末も年始も変わりはしない。そう言えば今年は年賀状が届くのか? いつも出しているところには引っ越しのはがきも出さなくてはならないのを忘れていた。辞令が急で、賀状は既に出した後だった。寮に届いた分はそのうち、仕事の書類と一緒に使送便で転送されてくるだろう。
周りが、そろそろ再婚すればどうだ、家の事は女房がやってくれるぞなどと言うけれど、そんな気になれない。だったら、全部自分でやるしかない。
「あけおめ~今年もよろしくお願いします!」
そんな脳天気な年賀メールが送られてきたのが、元日の午後だった。さすがにそこに元旦と入れる程世間知らずではないようだ。もっとも春久が開いたのが夜、夜勤のために一度着替えに戻ったときだったから、元旦チェックを入れる前に、送信時間は確認した。
「おめでとう。こちらこそ、よろしく。これから三日まで昼夜ぶっ通しで四十八時間署に詰める。なので次の連絡は四日だな。良い正月休みを」
そう、書いて送信ボタンを押した。
ちなみに、ぜんざいは一日中走り回っているうちに全て消費され、残っていなかった。甘い物は無くても良かったのだが、謝られたことの方が申し訳無くて、今回は縁が無かっただけだよと笑って済ませたことで、むしろ懐が広いと思われたようだ。
正月三が日は土地勘を養うために相手をとっかえひっかえで巡回に組み込まれ、御用始めからは前任者の尻ぬぐいを兼ねての挨拶回り。慌ただしく過ごしている中、たまにやってくるカイのお気楽メールに力が抜ける。それとともに、深呼吸が出来るのだ。職場の知り合いは仕事内容のキツさに同情してくれるし、時には慰めてもくれる。けれど仕事関係者ではない友人は守秘義務と相まって話せないことが多いけれど、逆にこうやって仕事から離れて息抜きが出来る。頭の切り替えが出来ると、ホッとする。
次の授業は欠席になるかもしれない。そう書いて送った。年間数回しか参加出来ない面接授業。以前の職場ならそれなりにローテーションを変更してくれて極力参加出来るようにしてくれていたのだが。異動したばかりでは無理も言えない。それも、尻ぬぐい中に。
部屋に戻って翌日のスケジュールを確認。カレンダーを捲って、面接授業の日程についても。自分だけの面接授業は心理学がメインだ。仕事に直結していると言って優先させることも不可能ではない。が、趣味の授業についてはこの忙しいときには無理だ。そういった授業は得てして、カイと一緒に選んだ奴で。知り合いになって、友人になって、一緒に授業を受けるようになって、二人でどれにしようかと悩むのも楽しかった。互いに受けたい物をすりあわせるけれど、大抵はカイの受けたい授業を優先する。心理学については譲れないので同じ日に別の教室での授業になることも有る。たまに強制的に「こっち」と指定することは有るけれど、それは「遠方だからツーリングかドライブを兼ねて」と言えば、釣れる。
今回は近場だし、もともとカイが受けたいと言っていた授業だから、春久の参加有無については何も言わないだろうけれど。それはそれで少々残念な気がする。引っ越してきてからこっち、寮と違う静けさは考え事をするには良い環境なのだが、時折軽い雑談で頭を切り換えたいと思う時にはその相手が居ない。
溜息を吐いた。
ピンポン いきなりインターフォンが鳴り響いた。
「はい!」
「配達です~」
は? と思う。思わず時計を見ていた。二十時を過ぎている。こんなに時間に宅配便の心当たりは無い。その前に、声が。インターフォンのモニタを確認してから、ドアを開けた。
「こんばんは」
「お前明日仕事だろう?」
第一声に出たのがそれだった。
ドアの前に立っていたのは、先ほど考えていた相手だった。少しだけ顔を上げてにこっと笑っている。
「そうだよ。これだけ渡したら帰るよ。今からなら十時ぐらいには家に着くし、急いで食事して風呂に入れば良いだけだから。めっちゃ寒いから風呂が楽しみ」
差し出された袋を受け取って、ドアを大きく開けた。
「飯まだなら入れ。お前が食う分ぐらいは何か有るはずだ」
「ええ~。良いよ。これだけ渡したら帰る。どうせ居なかったらメモだけ残してバイクのミラーに引っ掛けて帰ろうと思ってたところだし」
「良いから」
半ば強引に引き入れた。カイは抗うことなく、玄関に入ってきて、手に持っていた白い袋を差し出してきた。
「ハルさんへのお土産だから。持ってて」
受け取れば、そこにしゃがみ込んでブーツを脱ぎ始めた。食事をする気になったようだ。だから先に中に入って、カイのまだ見ていないテーブルに土産と言われた袋を置いて、キッチンに。
「肉と魚とどっちが良い?」
「早いほう」
「判った」
廊下から部屋に入ってきたカイは、テーブルを見て「大きくなってる。成長した」と、笑う。
「テーブルが成長するか。俺の懐が薄くなった分だ」
「奮発したんだ」
「したよ」
みんなで集まって飲み食いできるように、長辺に二人、短辺に一人ずつ坐れば六人がゆったりできる長方形のローテーブル。ローテーブルとは言え、キャンプ用のローテーブルとは意味が違い、ソファーの座面と高さが変わらない。床に座っても使える。春久もよく、床にあぐらをかいて机の上で書類を確認していたりもする。宅飲みをするときには、この高さの方が楽な姿勢が取れるし、何より椅子から転げ落ちないので安心だ。そのうち座椅子を買い足そうかと思ったりもしている。
「で? 明日仕事じゃないのか? こんな時間に」
再度確認した。明日はカレンダーの上では平日。春久も仕事だが、カイはもっと切実に仕事日の筈だ。それがこんな暗い時間に。ここから家まで、まだ二時間近く掛かるだろう。だからこそ、食事だけでも少しでも早くと引き留めてしまったのだが。
「仕事だよ。今年二回目のソロツー帰り。もう少し早い時間になる予定だったんだけど、事故渋滞。あ、ハルさんちに寄るのは予定に入ってた。なんか、煮詰まってそうだったし、来週のツーじゃなくて授業、無理そうなんでしょ? なので羨ましがらせがてら陣中見舞い」
「はぁ?」
思わず声を上げていた。羨ましがらせがてら? 嫌がらせの一種? 妬みや嫉みが欲しいと?
「初日の出ツーから帰ってメール入れたら、三日まで連勤とか書いてたし。そしたら今度は授業も受けられないって言うし」
冷凍室から適当に引っ張り出した冷凍食品を温め、その隣で、熱いお茶を入れて出した。
「これでも飲んでいろ。後数分だ」
「ありがと」
「これから帰るなら、カイロ要るか?」
「大丈夫。背中とおなかに貼ってる」
「冬場は本当に近場だけにしておけよ。長距離は泊まりにするとかして、一日の走行時間は短めにしておかないと事故の元だぞ」
「判ってる。事故渋滞がなければ、二時間は早く到着してた。見てない? 玉突き事故による通行止めで、迂回路も大渋滞」
「テレビは見てないし、連絡も来てない。交通事故はそもそも管轄外だからな」
話をしながら、レンジから出した物をカイの前に並べた。カレードリアと鶏の唐揚げ。どちらも冷凍食品で、こんな物は常備している。
「ごはんだけでよかったのに」とカイは言うけれど、タンパク質は大切だ。




