新体制
「話を聞いてくれ」
「ハルさん、グロッキー気味?」
電話から聞こえる声だけで、判ってくれる。カイは天使か?
「気味ではなくて、マジにグロッキーだ。ああもう、話が合わない奴とはとことん合わない」
「心理学、学んでるのに? 効果無かった?」
大学ではあれほど熱心にやっていても、やはり机上と実際は違うのかと、心配そうな声。
「言い方も変えた。周りからのサポートもフォローも貰った。けどなぁ。自分に自信がある奴は……。何をしても聞く耳を持たない。絶対に自分は間違っていないと。周りが全然見えてなくて、だからこそ却下されたことが判ってない。お前に何もかもぶちまけたいけど、仕事の内容については口に出来ない。ジレンマも良いところだ」
「夜も奢ろうか?」
「俺が奢る。ケーキも要るか?」
「大丈夫だよ。ケーキはまた今度で」
それは、また次も一緒に食事の約束にほかならない。その時のために頑張れる。
「仕事、忙しいのか?」
カイがツーリングだのキャンプだの口にしないのは、彼も自分の仕事が詰まっているときだ。
「ん~。今はまだね。でも、もうしばらくしたら平日に有休取れるかな」
「走りに行こう。キャンプでも良い」
「珍しいね。ハルさんがそんなことを言い出すなんて。よっぽど煮詰まってる? ああ、疲労困憊なんだったね。それでリフレッシュ出来るなら良いよ。何が食べたい?」
「それは、次の夕食の話題にするよ」
「オッケー。毎日遅いの?」
「あ? ああ、これからまだしばらくは、遅くなる。今日の予定も、変に粘られたお陰で、執務室でやろうとしていた作業が結局出来なかった。もう少し遅くなる予定だったんだが、ひとまず深呼吸して気分を変えるってことで、今戻ってきたところだ。明日からは着替えも持って行って業務が終わるまで数日、泊まり込みになっても大丈夫なようにしておく。仕事中だと、お前に連絡できないからな」
「そっかぁ。じゃあ、ハルさんのバイクにお土産引っ掛けておくから、忘れずに見てね。この土曜日!」
「判った。楽しみにしておく」
「甘い物でも良い? 食べられるものが良いよね」
「この際だ。甘くても良い」
「そんなに疲れているんだ。じゃあ、極甘チョコ……」
「それは止めてくれ」
「ははっ。判った。じゃあ、お土産で行き先探してみる。それも楽しいよね。どんなお土産届くか、楽しみにしておいて」
「そうするよ。ありがとうな」
「じゃあね。またね。お休み」
カイとの電話が切れた。スマホをぎゅっと抱きしめる。何、思春期のようなことをしているんだと、自分でも思う。思うけれど、カイと話をしていて救われたことは事実なのだ。
課長が「納得出来ないのなら、そこがお前を選ばなかった理由だ。自分に何が足りないのか、もっとよく考えてみろ」と、班長に向かって言ったことで、その場は解散になった。
西エリアの係長と二人で話をした。
「まあ、確かに中央がほぼ一班体制になるのなら、そっちの判断が正しいと思いますよ。鼻っ柱の高いのを折るのは慣れているので、そのうち謝ってくるのを待ってください。課長も、選ばないだろうと言いつつ自分で選択をしたという事実が大事なんだと、一応警部補になろうとする意欲のある奴を候補に入れただけなので」
「そうなんですか?」
「管理職になると判断の連続ですよ。相手が納得しなくても同じ警察官なら権力で押さえても良いのに、丹波長はそれが出来ない人だから。課長は押さえつけることも期待していたみたいですけど、それは無理だったようですし。その役目は俺がやります」
「申し訳ありません」
「来年度からは、ご自分でやってくださいね。というか、やれるようになってください。俺たち係長をも押さえなくちゃならない立場になるんだから。自分で押さえきれないと思ったら、やれる係長にやっておけ、で済ませるのも一つの手ですけどね」
最後の言葉に、少し笑った。
「管理職は重いですね」
「軽くは無いでしょう。それだけの権限も給料も貰っているんだから。副課長って、給料上がるんですか?」
「上がらないと思いますよ。何度も言いますけど、それは管区に出張時用の肩書きですから。うちでは今まで通り係長です。ただ、名目とは言え副課長と付けた分、広範囲を見なくちゃいけなくなったのですけどね。どんな仕事をしているのか聞かれたときの為に」
「だったら、もうしばらく係長で頑張って、課長を目指すしか無いなぁ。その前に警部試験か。やってます? 試験対策」
「今はそれどころじゃないです。課長から十年はと言われているので、それまでに力不足だなんて言われなくても済むように、仕事を頑張ります」
「課長が期待していることも判っているので、潰れられると困りますし、面倒なところは振ってください。我々も勉強だと思ってお手伝いぐらいはさせていただきます」
「よろしくお願いします」
頭を下げた。
春久はまだまだ新米係長だ。免許で言えばぴかぴかの初心者マーク付き。管区の横やりが入っていきなり副課長なんて、肩書きだけは偉そうだが、横並びの係長たちの中で一番下っ端。だから、頭を下げれば皆、快く教えてくれ、力になってくれる。
だがそれも今のうちだけだ。心して、教えて貰えていることに感謝しつつ、一つ一つ自分のものにしていかなければ。
九月三十日付けで二人出て行き、十月一日付けで二人やってきた。
一人は南に、一人は東に組み込まれて、新体制が整った。体制だけだけれど。これから半年このまま……と思っていたのだがそう言えば課長が、途中で係長が一人変わるかもしれないと言っていた。ただ、それも決定するまで公にされることは無い。
課長が二人を紹介をする。その後、各係長を紹介された。今度は係長が自分の受け持つ班と班長を紹介する。班員間は……自分たちで回って相互に挨拶しろということだ。主に自分の班と、同じ担当エリア。後は係長単位でのコミュニケーションだ。
「それでは改めて。中央エリアはこの二班のみとなります。野沢班は主に一階の受付。岸本班が主に外回りとして、私と一緒に動くことになります。少数精鋭ということで、班員は各班から引き抜きさせていただきました」
教育だなんて言わない。受付業務用の班だと念を押す。もちろんそれも事実。庁舎が有るのが中央なので、受付に持ち込まれる案件は中央の仕事だ。ちなみに、私服警察官になりたいからと異動してきた本人は、受付担当で当然連日活動服。日頃の行いが原因だからそれは諦めて貰うしか無い。
「班長への苦情は直接私が聞きますが、それ以外の事は全て、班長を通してください。私への苦情を課長に通したい時も、です」
それで班長たちが苦笑した。
「ちなみに、十月頭から管区に出てこいと言われたのは蹴飛ばしましたから、後でそっちから苦情の電話が入るかも知れませんが、改めて電話をする、で終わらせてください。出張依頼については課長を通せと言われてますので」
「管区は手伝いで、こっちが本業ですよね?」
「もちろんです。優先順位はこちらが高いです。ただ管区への手伝いは本庁経由で要請が来ているので、一切行かないという選択肢はありません。その代わり業務は選ばせてくれるように、課長と二人で嘆願してきました。私が中央部を纏めつつ全体も見ることを名目に、出来るだけ些末な業務で呼ばれることの無いようにと、してくださっています」
一人一人の班員を見回す。班員六名、班長一名、それが二班。
「それぞれの業務についてはこの後班に分かれて班長から詳細を伝えていただきます。ただ、私からも。受付業務は全エリアの住所を把握してください。早急に。何処のエリアから持ち込まれてもすぐ担当班に引き継ぎできるように。当然、全ての班が何処を担当しているかの把握も、です。班長に任せずに自分たちで確認して、共有するなりしてください。全員自分の足と手を使う、それがあなたたちの仕事です」
再び息を吸い込んだ。
「それから、岸本班長のところは、担当区内の全ての地理、ランドマークになるもの把握してください。緊急時に相手が必ずしも明瞭に答えてくれるわけではありません。そんなときにも出来るだけ早く駆けつけられるためにです。地図を確認したら、住宅地図を持って交互に外に出てください。地図が古くないか住人が変わっていないか。特に高齢者と子どもの居る家、マンション、アパート。異変が無いかを」
「はい!」
こういったところでも違いが出ている。黙ったままの集団と、打てば響く集団。春久は野沢班長を見た。班長は頷いている。春久が言いたいことが判っているようだ。
「会議室借りても大丈夫ですか? ちょっと叱ったら、すぐに一階に二人下ろします」
「お願いします」
「うちは、全員席について。さっそく明日からのスケジュールを組む。十月いっぱいは相手を取り替えて、以降は固定の相棒で組んで貰う。巡回中に話をして、自分が気持ちよく仕事の出来る相手を見つけてくれ」
班長が二手に分かれたのを見て、春久は自分の新しい机に着いた。脇机の引き出しから出してきたコースター。コップを置いて水筒からコーヒーを入れる。深い色合いが、とろりと春久の緊張を溶かしてくれる。ゆっくりと口に含んだ。
「丹波、一息入れたら、椅子と管区から来たスケジュールを持って来い」
「はい」
他の係長たちは班が多いので、まだ互いの紹介やテリトリーの確認などで忙しそうだ。課長は目ざとく、一服していた春久を見つけて声を掛けてきた。
「どうだ? やっていけそうか?」
「やるしか無いと思っています。既に課題は渡しましたので」
「課長! 最新の住宅地図、購入して大丈夫ですよね?」
他の集団から、班長の声が聞こえてくる。隣で係長が苦笑している。
「春に購入したのが有るだろう」
「ボロボロです!」
「あれほどコピーして使えと言っておいたのに」
課長は額に手を当て、すぐに「庶務に購入請求しておけ! 最新版を一冊だけだぞ!」
「はい!」
各係長の下に一冊ずつ、管轄の住宅地図が有る。自分たちの担当箇所がメモ書きで埋もれてしまうと、他の係の地図と交換する。それでもあっという間に真っ黒になっていく。仕方が無い。生活安全課はそうやって地図とにらめっこするのも仕事だ。
「丹波長! 一階受付から! 中央の班に回して大丈夫ですか!」
電話を受けた班員が、春久に問いかける。受付担当班は出て行っばかりだ。外回り担当の岸本班長が軽く手を挙げた。
「こっちで引き取る」
内線が回され、班長が話を聞きつつ、二人、一階へと走らせた。
「済みません」
「いえいえ。受付経験者が居たのでひとまず。客が来たなら、下を空けっぱなしにも出来ませんからね」
「助かります」
その間課長は管区から送られてきたスケジュールを見ていたが、春久が班長との話を終えて振り返ると、いくつかを斜線で消し、いくつかに丸が入っていた。
「これは必ず参加だ。こっちは行く必要は無い。残りは、気が向いたら、というか、お前のスケジュールに合わせて決めろ」
「参考までに選択基準をお伺いしても?」
「上との顔繋ぎは欠席するな。下との顔繋ぎは不要だ、こっちの仕事を優先しろ。研修のヘルプなら参加しろ、お前の身に付く。講演会の手伝いは行かなくても良い、所詮裏方、往復の時間の無駄だ。土日を挟んでいるものは、お前次第だ」
「ああ、大学の。勘案していただいてありがとうございます。そうですね。自分の予定と比べて決めます」
「年始の挨拶はどっちで受ける? 所轄限定とは言え、お前は正式な副課長だ、こっちで受けるなら本庁にも連れて行かなきゃならん。管区で受けたければそれを止めろとは、うちの上は言えん」
「こちらで。正しい方ですか、それとも盛る方ですか」
正装と盛装。本庁での年始会であればどちらが必要なのか、確認が必要だ。間違えると課長に恥をかかせることになる。
「我々は、正しい方で良い」
「助かります」
「上役の盛り方と比べられると自分がいかに貧素か痛いほど感じるぞ。盛るのは警視が着く肩書きになるまではお預けしておいた方が良い」
「はは。なるほどです」
「こっちに居るなら、所轄の新年会も顔出し出来るな。今年は来てすぐ走り回らされたし、不祥事で自粛ムードだったから、まだ話をしたことの無い管理職も多いだろう。他部署の管理職との挨拶は必須だ。ああ、副課長の名刺が要るな。係長の名刺も捨てるなよ。外回りで副課長なんて出すと、自分の首を絞めるぞ。
来年の仕事始めは上の武道場で署長の挨拶を拝聴、翌日は本庁だが、酒が入る。飲めると言うと際限なく飲まされる。運転手だと言って、ノンアルコールに徹しておけ」
「判りました。アドバイス、ありがとうございます。管区には、後ほど参加出来るものと出来ないもの、連絡しておきます」
「ついでに、人事異動時期は大切な顔合わせが有るんだ、呼ぶなと言っておいていいぞ」
「そうですね。こちらでの顔合わせを疎かにするようなスケジュールでは、これから先も困ります。優先順位については釘を刺しておきます」
「そうしろ」
課長はスケジュール表を返してくれ、席に帰れと手を振った。すぐに次の係長が呼ばれた。
席に戻れば班長は二人とも戻っている。が、どちらも班員が二人ずつ欠けていた。
「丹波長、申し訳ありません。岸本班長の二人、もうしばらくお借りしたいのですが。班長は、係長が良いならとのことで。こっちから行かせた二人の様子の確認と、日誌を見てどのような問題が発生しているのか確認しておきたいと」
「了解。岸本班長もありがとうございます。確かに、下で受ける案件の大半は中央管轄ですし、知っていると話が早いですね」
野沢班長の要望を了承し、既に対応してくれている岸本班長にも礼を言う。
春久も日誌を見て、オフィス街の中央と田園風景の南では問題の質が違う事を、改めて感じた。
「しばらくうちは、一人ずつ休ませて、一人を下に、二人を外回り、二人を書類に分けます。下を任せて良くなれば、二人同時に休みを入れ、片方を待機にさせるんですが」
岸本班長がこれからの事を説明すれば、
「うちは二人ずつ休ませますが、同じく片方待機で。二人受付二人書類です。後ほどスケジュールを出します」
と、野沢班長もすかさず、今後のやり方を報告してくれた。
「よろしくお願いします。お二人ともきちんと休みを取ってくださいね。お二人が要なので、お二人が倒れると俺の首が回らなくなるんです」
「了解しました」
春久も、課長、四人の係長、二人の班長たちのスケジュールを確認しながら、間に管区への出張も含め、調整しなければならない。




