班員交渉
班長に先に部屋を出て貰い、戸締まりと明かりの始末をして、春久も外に出た。飲み終わったペットボトルを捨てて自分の席に戻ると、課長からのメモ書き。
「先に帰るんで、お前もさっさと帰れよ」と。
時計を見た。今日は九時出勤だから、六時で業務時間は終わっている。後は残業になってしまう。今居るのは、夜の十時までの班と、出勤してきたばかりの班だ。
「丹波長、丁度良かった。二十一時まで残れませんか? 夜間担当が少し早めに出てきてくれるというので、それまで。うちの係長戻ってこられなくなって、今課長に連絡しようとしていたところです」
「それぐらいは構わないよ。交代が来るまで居るよ」
「ありがとうございます! ひとまず課長に連絡をして、許可だけ取ります」
「よろしく」
今日は机の前に居られなかったので、仕事も溜まっている。担当エリアの班長からの活動報告書にも、まだ目を通せていない。
「そう言えば丹波長、夕食どうします? 何か買ってきましょうか?」
春久は顔を上げ
「なぜか、昼間課長に貰ったパンが有るんで、これで凌ぐよ。きちんとした食事は家に戻ってするから大丈夫。ありがとう」
本当に、何というタイミングだ。
課長も、まさかこんな使い方をされるとは、思ってもいなかっただろう。
すぐに課長からも電話が掛かって来た。
「いつまでも残っているから貧乏くじを引いたな」
「良い体験をさせていただきました。後、パンを頂きます」
「ああ、そう言えば昼に渡したとき食べてなかったな。悪いが交代が着くまで頼む。あとはメールに、異動の二人から希望官舎を知らせてきているはずだ。俺と連名になっていたからな。残っているなら、ついでに手続きもしてやってくれ」
「判りました。やっておきます。ゆっくり休んでください」
「頼んだ」
それで電話が切れ、春久は書類に取りかかった。
「今帰ってきたんで、今日は電話は止めておく。早めに風呂に入れよ。昨日は遅くまで悪かった」
「お帰り&お疲れさま&お休み」
カイの簡潔なメールにフッと、力が抜けた。職場での慌ただしさがメール一通で切り替わる。垣内や戸野原とは、忙しい間は疎遠になるし、それを気にしたことも無い。けれど、カイとは疎遠になりたくないと思う。
買っておいた冷凍食品を出してきて、レンジで温める。残業になっても、翌日の始業時間に変更はない。明日は一時間早いほうの、八時出勤だ。風呂に入って汗と疲れを流し、さっさと寝るに限る。ああ、明日は体錬がある日で、柔道着を持って行かなくてはならないと思い出した。課長に班長が決まったことも報告して、判断を仰がなくてはならない。やることが多い。
翌朝、課長は九時出勤だ。それまでに、異動の二人にこれから作って貰う書類を渡し、昨夜官舎を押さえたので、きちんと取れれば直接本人宛に手続きのメールが届く旨を伝えた。もちろん春久と課長にも連名だが。
自分のスケジュール、班長たちのスケジュールも確認。班長たちも出勤時間は微妙にズレる。むしろ、全員同時に出てきて同時に退勤、が出来ない仕事だ。誰が居て誰が居ないのか、どこに行くのか、何をするのか。それらを把握出来もせずに管理職は名乗れない。
課長のスケジュールを見て、空き時間を予約する。自分の名前を入れて、面談と記載するだけだ。それからパソコンを持って、南担当の班長の一人を呼んで、別の部屋に移動した。
「お忙しいときに申し訳ありません。現在、係長のエリア交代に伴う伝達事項を纏めているところでして。早急に確認したいことが二点。班員たちへの通達がまだなので、こちらに来ていただきました。一点目、班員を移動させても大丈夫ですか? 一人です」
「構いません。一人ぐらいならフォローは出来ます。一日から通常運転で」
「ありがとうございます。助かります。それから、来週から二週間、係長二人体制になります。二週間の間に終わる案件は自分が引き受け、それ以上掛かる案件は新しい係長にお願いすることになります。南担当の班長の持っている全ての案件で、長期と短期分けていただきたいのですが、それをお願いできる時間はありますか? 新しく来る班に求められることではないのと、係長交代後に、係長のサポートの中心になっていただきたいのです」
途端に目の前の班長は腕を組み、少し俯いた。頭の中で現在の仕事量と、他の班長との折衝時間を勘案している。
「一度、係長が現南の全班長の招集を掛けていただけますか? 各班で持っている案件を出して貰いたい。それを纏めるぐらいならば、やれると思います」
助かる。
「判りました。班の案件については、来週、いろいろ確定してすぐに告知しようと思っていましたが、それより早いほうが良ければそうします」
「早いほうが助かります。うちと中央だけ、係長が変わるので。まあ、班長が全員居るので話は早いと思いますけどね」
「では、後ほど全員に伝えておきます」
「よろしくお願いします」
頭を下げあい、班長が出て行った。春久はそのままそこに残り、パソコンに確認した項目を記入しておく。と、課長から電話だ。
「班長は帰ってきたが、お前は空いているのか?」
「おはようございます。今は一人ですので、戻ります」
「いや。良い。お前が昼まで会議室を押さえているようなのでと思っての確認だ。そっちに行く」
「お願いします」
課長がやってくるまで、引き続き手続きに書類。メールの確認。二人の引っ越し先についてはまだ連絡が来ていない。
ドアがノックされ、「どうぞ」と言えば課長が入ってくる。
「おはようございます」
立ち上がろうとするのを課長は手で止め、自分も近くの椅子を引っ張り出して座った。
「で? 話とは?」
「下に来ていただく班長を決めましたので、そのご報告と、引っ張りたい班員がいますので、一人は班長からは許可を貰えました。誰をと聞かれなかったので、大体見当は付いているようですけど」
「ああ、だろうな。お前が留守勝ちになるので、中央地区に留守を任せられる優秀な奴を集めるとは言っておいたからな」
「ありがとうございます。お陰で話がスムーズに進んでありがたいです」
「班長の事は、後で二人が揃ったらこっちに来るように伝えるんで、二人が納得する理由を話してやれ。何故選ばれなかったのかを知るのも、彼らの成長に繋がる」
「了解しました」
確かに、下について貰う班長には理由を話した。もう一人にもきちんと納得できる理由を話す必要がある。ああ、やはり課長にはいろいろ教えて貰っているなあと思う。
「それでお前はこれから自分の班員をどう動かしたいか、筋道は決まっているのか?」
「決めました。一人は、教育に徹して貰います。もちろん、仕事時間を教育に当てるのですから、きちんとした仕事をしている人たち以上になれるように、厳しく。それまで外には出しません。制服を着て内勤と一階の受付のみです。
残りの一班が実質中央を仕切ってもらう事になるので、俺の叶う限りの権限は渡します。その権限の重さを知っている人たちを、選びたいと思っています。が、それは自分一人で出来ることではないので、課長を始め、係長班長、皆さんに助けていただくことになります。南からは欲しい人材を二人、抜いてきます。一人は班長の許可を得たのでもう一人、次の班長と話をしなくてはなりませんが」
「班長もだが、引き抜く班員を決めるのも早かったな」
「南だけです。南の人間とは、十ヶ月近く一緒に仕事をしてきましたから」
「そうか。お前もきちんと見ているってことだな。判った。ただし、南以外の班員選定は来週確定してからだ。南の班長と相談だけは可だ。今のところはお前のテリトリーだからな。班員にも引き続き伏せておけ」
「ありがとうございます」
「まだこの部屋に居るのか?」
「そうですね。引き続きもう一人の班長に、引き抜きの許可を得ないとですので」
「だったら、それが終われば声を掛けてくれ。一人が中央で、もう一人が西の班長だ。西担当の係長も呼ぶべきだな。時間調整はしておく」
春久が最初に話をした二人の班長の、これからの所属。一人を中央に引っ張れば、残りは西エリアに所属する。春久の判断次第で班長移動が発生するからとの心遣いで、係長もと言ってくれる。
「ありがとうございます」
春久はノートパソコンを持って課長と一緒に部屋を出、朝とは別の、同じく南の班長を呼んで再び部屋に戻ってきた。
「十ヶ月、本当にお世話になりました。といっても、これからもお世話になるんで、よろしくお願いします」
「係長が居てくれると話がスムーズに進むので、こちらこそ、助かりました。法律に強いのは良いですね。イレギュラーなことにも明確に回答が出来たお陰で、相手からも信頼をされる。自分では、調べて来るので時間をください、が関の山でした。」
「ありがとうございます。その代わり、教育や心理学的なことに疎くて、皆さんにご迷惑をおかけすると判っていても、社会人学生を続けさせていただいています」
「そうやって学ぶ姿勢があるから、次は副課長なんですね。係長から一年経ってませんよ」
「それは……管区の横やりが入ったからというだけで、俺の実力でも実績でも無いんですよ。課長には人身御供だとまで言われてますから。一応、所轄全域も担当だと言われてますので、何か有れば呼んでください。飛んでいきます」
「はは。飛んでこられるような事が無いことを願いますが、電話でヘルプを求めさせていただくことは、あるかもしれません」
「もちろん。南は係長として初めて担当させていただいた区域ですから」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。それから、一点お願いが」
「何でしょうか?」
「班員を一人、動かしても構いませんか? 交代というか、中央に来ていただければと思う人が居て」
「ああ、どうぞどうぞ。一人ぐらいなんとでもします。問題児はそっちに全員引っ張っていただいているので、普通に仕事をしてくれる奴が来てくれるなら、問題ありません」
「皆さん、俺を甘やかせすぎですね。でも、ありがとうございます。そう言っていただけると助かります。ああそれから、九月の最終週と十月の一週目は係長二人体制です。南の班長たちは皆さん、いきなり右も左も判らない俺のような新人係長を押し付けられた経験者ばかりですので、一日付けで交代してもと思ったりもしていたのですが、課長に、引き継ぎ無しはあり得ないだろうと言われてしまいました」
「まあ、丹波長が引き継ぎ無かったのは事情が事情の、例外中の例外ですから」
前任者の懲戒解雇、そこに代理で入れられる係長クラスが居ず、巡査部長から警部補になったばかりの春久に白羽の矢が立った。
「その代わり、班長たちにかなりフォローをしていただきました。その方たちが揃っていらっしゃるので安心なんですが」
「まあ、二人体制ってよりも中央と南を二人でフォローし合うと言うことでしょうし。中央はエリアが狭まった分班も減ったので、そちらの方が大変でしょう。手が空く奴は手伝いに行かせますんで、いつでも言ってください」
「ありがとうございます。助かります」
頭を下げた。南エリアを担当して十ヶ月、こんな関係を築けていたことがなによりも嬉しい。
課長に、南の班長たちとの折衝が終わったと伝えた。課長は、春久にどちらか選べと言っていた班長二人と、西エリアの係長を連れてきた。
「さて、丹波の見解を聞かせて貰おうか。で、片方は中央、もう一方は、予定では西だ」
だから西エリア担当の係長も一緒に来ている。
「結論から言うと……」
課長は「妥当な選択だ」と、言った。西の係長は、「意欲が有る奴が来てくれるのはありがたい」と、フォローしてくれた。班長の一人は、既に話を付けて宜しくと言っているから、そこでは黙っていた。
収まらないのが、残った班長。どうして自分ではダメなのか! 自分なら春久の居ない間も指示を出せると、食ってかかった。
「指示を出されては困るんだ」
と、理由を話しても納得出来ない。指示を出すのではなく、上役である春久の判断を伝え、それが遂行できているか確認するのが班長の役目だ。班長が多いところなら、他の班長がサポートに回れる。実質一つの班しか無い春久の下に必要なのは、春久をサポートできる人物。
春久は咳払いをした。
「君は、私がここに来て十ヶ月の間、何をしていたか判っているかい?」俺では無く、私と、言い方を変えた。そして知っているではなく、判っているかと、問いかけた。
「ぜ、前任者の後始末です」
「それは最初の二ヶ月で終わっているな」
課長が言葉短く、そんなことに時間を使っていたわけではないと、否定をしてくれた。
「南エリア全体の巡回と、班長たちが出す書類の確認です」
「少し違うな。私の認識とは」春久が応えた。
「課長のサポートや、他の係長たちとの連携も」
「いや。それは出来ていなかった。これからやらなくてはならない事だけれどね」
「だったら、尚更!」自分のような指示が出来る人間が必要ではないのかと、後半部分は口にしなかったけれど、その目がハッキリと詰め寄っている。
「それを行うために私が必要としているのは、代わりに指示を出すことじゃない。私の足りない部分を補ってくれる人だ。それから、私がやってきたのは、できる限り多くの人の話を聞くこと、だよ」
「それが出来ていないと今ご自分の口で!」
「事務所内では話が出来ていなかったと自覚しているよ。まずは、南エリアの住民たちとの話を優先したからね」
「住民?」
「南担当の班長たちは、嫌な顔一つせずに、私と同行してくれた。一緒に話を聞いて、地域の問題点も考えてくれた。係長として未熟な私を支え、育ててくれた。決して前に出ること無く」……。




