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新たな決意

 「ハルさん」

 「どうした?」

 「今日は付き合ってくれてありがとうね。お休みまで取ってくれて。本当はキャンセルしようと思ったんだけど、ものすごく勿体なくて。来てくれて良かった」

 「こちらこそ、誘ってくれて良かったよ。いろいろ煮詰まっていたし、考えることも多かったんで、課長に、緊急だと言って休暇届を押し付けた」

 「ははっ。緊急だったんだ」

 「ストレス解消は緊急事案だろう?」

 「そうだね」

 

 しばらく黙って、庭を眺めていた。時折、食事を口に運びながら。ふと、気づいて、二つある栗の渋皮煮の、大きい方を一つ、カイの皿に入れてやった。

 「良いの?」

 「甘そうだからな。お前好きだろう」

 「うん。好きだよ」

 柔らかな笑みにどきりとする。それからまた、庭に顔を向けた。

 

 「あのな。課長が、望むなら本庁に戻してやると言うんで、断った」

 カイがじっと春久の顔を見ている気がする。

 「本庁になったら、多分、大学に通えることなんか殆どなくなる。平巡査だった時ならともかく、警部補なんてものになっては特に。県外なんてもってのほかだ。それに、本庁近くの官舎は余ってるようだからな。部屋の良し悪しは知らないが。そうするとまた、気軽に訪ねてこいなんて言えなくなるし。垣内や戸野原さんも、今みたいにひょいっと顔を出してくれることもなくなる。お前とツーリングやキャンプにも行けなくなるかもしれない。ま、今回のような事件に巻き込まれるのは想定外で」

 

 春久はカイを見た。カイも春久を見ている。けれど、少しだけ首を傾げている。

 「栄転じゃないの?」

 「そうなるんだろうなぁ。でも、それよりも俺は今の方が気に入っている。お前と遊ぶには少し遠いけど、また、ドライブ兼ねて来るだろう? 十二月のパーティも有るんだし」

 カイは何も答えない。

 「お前は、お前の知り合いが偉くなっていくのと、今まで通り遊べるのとどっちが良いと思う?」

 今度はカイが、庭を向く。

 「ああ、言い方が悪いな。お前に決断しろと言ってるわけでも、答え合わせをしようと思っているわけでもない。ただ、俺は断ったんだ。課長は呆れていたけど、今のところでやりたいことも有るしな」

 「ハルさんが……やりたいことが有るのならそれで良いと思う。やりたいことも無いのに知り合いとの関係だけで燻っているなら、ハルさんらしくないけど。俺は、ハルさんがいつか後悔することの方が嫌だな」

 「そうだなぁ。ああ、そうだ。うん。やりたいことが有る。だから今のところに居る。なのでまたうちに来て料理もして欲しいし、ツーリングやキャンプも誘ってくれ。大学の面接授業も可能な限り合わせて、お前と話をする時間を作ってくれ。それで、俺はいつも助けられているんだ。今日もお前のお陰で、煮詰まっていたのが解消された。深呼吸が出来たんだ。明日からまた、頑張れる」

 すとんと、何かが胃の腑に落ちた気がする。春久の判断で間違いは無かったと、後押しされた気がして。

 

 カイは春久を見て、にこりと笑ってくれる。

 「次は面接授業で、だね」

 「そうだな。楽しみにしておく。昼何が食いたい?」

 「考えておく。あ、車で行って、お昼はコーヒー煎れるところ見せて貰わなくちゃだから、カップラーメンかなぁ。お湯を沸かすついでだね。むすびとインスタント味噌汁でも良いよ?」

 「ははっ」

 カイらしい答えに、声に出して笑っていた。

 車でというのは、大学は基本、火気厳禁だから。一部化学実験室や調理室などの熱源探知警報器の付いていないところも有るけれど。駐車場の車の中でトランクのドアを全開にしてバーナーを使うぐらいは目こぼししてくれるだろう。それもダメだと言われたら、カイを攫って家に連れ戻る。

 

 食後のコーヒーが届いた。カイにはお茶と小さな和菓子。

 「中が抹茶餡の薯蕷饅頭になります」

 お茶だけではと、気遣って茶菓子も付けてくれたらしい。それもカイの好きな抹茶味。

 「ありがとうございます」

 「お前、本当に甘い物好きだな」

 「ハルさんのコーヒーに砂糖入れてあげようか?」

 「要るか。俺はブラックが良いんだ」

 「ケチ」

 「ケチじゃないだろう」

 

 薯蕷饅頭を小さく四つに切ったもののひとかけらを、コーヒーに付いているスプーンの上に置かれた。カイの目がいたずら坊主のようにきらきらしている。食わない訳にはいかなそうだ。食えないわけでも無い。スプーンを取って口に入れた。

 「甘……」

 けれど、抹茶餡はほろりと溶けて消えた。口の中に残った薄皮は、二、三回の咀嚼で空っぽだ。

 「美味いな」

 「でしょ?」

 「売ってるところを聞いて、買って帰るか? 戸野原さんと垣内には土産にして羨ましがらせよう。春に来たいと言い出すように」

 「次は四人でだね」

 楽しそうなカイに、笑って頷けば、ゆったりとした昼食の時間も、終わりに近づいていた。


 

 朝、春久は既に来ている課長を見つけ、二人で別室へと移動した。

 本庁から帰った後で、課長から課題を出されていた。その返答のためだ。もちろん本庁に行くことは一番に拒否した。その上での課題、だ。

 回答はしばらく待つと言ってくれたが、なかなか決心が付かなかった。数日悩みに悩んでいた。

 そこへ、カイからキャンセルするのが勿体ないから、もし都合が付くならと、昼食の誘いがあった。ネットにも出ていない、知る人ぞ知る、一日一グループ、多くても五人までしか受け付けてもらえない、山の中腹に隠れるようにして有る、食事処。

 課長に無理を言って急遽休みを入れて貰い、返事を考えるために、カイには本庁に呼び出しを受けたときのことを話した。話して自分自身で整理したかった。念のため、本庁内のことは、機密事項に当たらない程度なら話しても大丈夫だと、課長にも確認を取っておいた。

 

 「すっきりした顔をしているな。決めたのか?」

 決まったのか、ではなく、決めたのかと、聞かれた。強い意志を持って決定したのかと。だから頷いた。

 「後悔しないようにと言われましたので。お話をお受けしたいと思います。ただし、約束通り、必要なときの土日の休みは確保してくださいね」

 後半は念押し。最初に話を聞いたときに呈示した条件だ。今更ひっくり返されると困る。

 「大学と、煮詰まったときの気分転換、だろう。月に一回や二回ぐらいならなんとかしてやる。その代わり、大学が休みの四ヶ月は土日祝日の休みは確約できないぞ」

 再び頷いた。大学の授業が有る四月から七月、十月から一月までは大学の授業優先で土日に休みを取る。なんならキャンプにもツーリングにも行く。

 代わりに、夏休みと春休みはほぼ平日にしか休みは取れない。完全に友人たちとの予定が合わない。それ以外にも、家庭人が優先のため大型連休は当然として、年末年始の休みもほぼ、無い。そうしないことには今度は春久が、地位にあぐらをかいて優先されていると、不満も出てくる。

 

 「判っています。お願いします。さもないと潰れますからね、絶対に。俺はまだ、三十の若造なんですから」

 「お前、それを自分で言うか? 三十の若造と言うが、キャリアの連中なんぞ二十二の若造が警部補だぞ?」

 「彼らは書類仕事でしょう。ノンキャリは現場に足を運んでいくら、です」

 課長は軽く手を振る。

 「判ってるよ。俺だって靴底すり減らして走り回ったんだ。だがまあ、お前はこれからもっと走り回ることになるんだ。休みは確約してやる。その代わり、仕事では泣き言を言うなよ。後、大型連休分はカレンダーより前に取ったほうが良いぞ。さもないとどんどん後に回されるからな」

 「それは、まあ、そのために息抜き休みも頂くことにしていますし、どうしても外せない時にきちんと休みが取れるのであれば、それ以外の時は他の人を優先しますよ。気持ちよく働いて貰いたいですしね」

 「おし。んじゃあ、人事にも経理にも書類を出さないとな。仕事に値する給料は欲しいだろう?」

 課長はにっと笑う。本当にいい人だ。

 

 「そうですね。昨日の昼食は奢って貰ったので、実は折半にしようと話している大きな買い物が控えているんですが、それをクリスマスプレゼントにして驚く顔が見たいなと。テンション上がりそうですし」

 「だからそんな女が居るのなら、さっさと結婚しろと」

 「居ませんよ」

 「丹波」

 まだ隠すのかと、課長があきれ顔だ。

 「男ですよ、昨日一緒に食事に行って話を聞いて貰ったのは。友人に女は一人も居ません。友人の奥さんや子どもには居ますけど。まだ男友達と騒いでいる方が楽しいし、男だからこそ解り合える部分もあって」

 「男と二人で飯に行って、そんなすっきりした顔をしているのか? はあ? 俺はまた、プロポーズでも成功したからこその決断だと思ったんだが」

 「済みません。俺はまだ、男連中と遊んでいる方が楽しいんです。結婚している人はどうしても家族優先されるので、独身男たちでツーリングに行ったり、旨い物を食いに行ったりと。課長も結婚前にそんなことしてませんでした?」

 独身男たちと、わざと複数形にした。四人の中で独身なのは春久とカイだけだけれど。そんなことを課長に話す必要は無い。

 「十二月にも、俺がクリスマスなんて仕事なの判っているので、その前に、独身男が集まってクリスマスパーティの予定です」

 垣内も戸野原も、その日は独身に戻って貰う。あの家に奥さんと子どもたちは連れてこられない。

 「まだヤローで遊んでいる方が気楽だなんて言ってるうちは、結婚は遠いな」

 課長は長い溜息を吐いた。いい加減そのことは諦めてくれたかと思っていたのに。友人と二人で食事に行きたいのでと断って休みを取ったのが悪かったのか? けれど、結婚の話は今は勘弁してくれと言ってから、まだ一月も経っていないのに。

 

 「コーヒーミルはうちで使って見せるから、授業の日、うちに泊まらないか? 食事は帰りにどこかで……ああ、高速を途中で降りていつものショッピングセンターでも良いけどな」

 そう、書いて送った。

 「ハルさん、昨日の今日なのに、落ち込んでる?」

 こういったときのカイは、何故か鋭い。普段はのほほんとしているのに。

 「大学から高速に上がらず下道通って行くと、途中でお魚定食の美味しいお店が有るよ。食べてから高速上がるのも有りだよね」

 「OK。高くなければ奢る。高かったらお前は絶対に別々でって言い出すからな」

 「にひひ。お昼の予定が変わるから、お昼を奢らせてあげるよ」

 「お前が昼を奢れ。俺が夜を奢る」

 「昼二回が俺で、夜一回がハルさんなら、バランス取れそうかな」

 あっさりとOKしてくれてホッとした。すっかりカイに依存しているなと思う。カイが女だったら……けれど、女だったら今の関係は無かったことで。何度も同じところをグルグル回っている。大事な相手だ。親友だと言ってもいいんじゃないかと思う。カイの思惑は判らないけれど。そんなところでも足踏みしている。

 多分……カイに、二人は親友か?と聞けば、「違うの?」と、小首を傾げそうな気がする。親友の定義は何なのか。けれど、違うと言われたら立ち直れないかも。


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