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寄り道

 翌朝、春久は久しぶりに正装に袖を通した。

 「人事部長の話を聞いている間だけはその格好だ。後は制服の上は脱いで良いからな」

 そう口にする課長も、きっちりした格好で、たまに首元に指を突っ込んでネクタイを緩めては締め直す。帽子は腹に抱えて、二人とも後部座席に座っている。

 

 「こんな大事になるような事なんですか? 研修の結果を受け取りに行くだけですよね?」

 「管区がくれと言い出すような奴だからなぁ。と。その話は後だ」

 課長は視線で運転手を示す。春久も頷いた。誰にでも聞かせていい話ではない。特に、これから体験しなければならない巡査部長以下には。

 「そうでしたね。異動についてどうなったか、ぐらいはお伺いしても? 自分が出張していた間の扱いについては、昨日班長から教えて貰いましたが」

 課長は少しの間唸っていたが、「まあ、良いか」と自分に言い聞かせるように呟いて

 「詳細は班長に聞け。十月の異動は二人だけだ。後半年面倒を見ると言い出してな」

 「面倒見が良いですね」

 「俺には理由は言わなかった。自分で係長と話をすると言ったんだ。昨日話したかと思ってたが」

 「いえ。昨日は自分が居ない間の命令系統の話をしていました。自分の代役が課長だと言ったら、恐縮して何も言えなかったらしいですね。ひたすら班長が戻ってこられるのを待っていたとか」

 「そうみたいだな。一度、班長の戻りが昨日と同じような時間帯になったことがあってな。まだ残っていたので、班長に、なんで居るんだ!と、一括されて。許可を貰えないと帰れない、と言い訳を始めるから、留守の時の判断は課長だと言っただろう!とまた。

 自分より下だと思えば威張り散らして、相手が怒らないと思えば舐めてかかって、そんなことだから上にきちんとした報告も出来ないんだろう!と。班長に睨まれ、今日は課長に頼めとまで叱られ、おどおどしながら来たから、どうぞ、と。それで話は終わりだ。泣きそうな顔をしていたな。昨日お前の席に来たときと同じように。お前が居なかったらまた班長に怒鳴られるとでも思ったのかも知れないな」

 

 春久は少し頷いた。

 「仕事は出来るし、部下の面倒見も良い。叱り方も上手いと思いますけどね。巡査部長で終わらせるのは勿体ないなあと。まあ、若造である自分が生意気なことを言える立場では無いんですが」

 担当の野沢班長のこと。

 「いや、お前が言えないなら誰も言えないぞ? お前は評価をしなければならない立場なんだから。ただまあ、憎まれ役も必要な事も判っているし、本人が警部補の試験は無理だと言うしなぁ。お前があいつに警部補試験を受ける決意をさせたら、(お前を)本庁に戻すよう、人事部に交渉してやるが、どうする?」

 は? 春久は思わず課長の顔を見た。警部補は無理だという相手に試験を受けさせろと? ああでも、合格させろ、ではないらしい。彼の事、本人がやる気になれば、合格は付いてくるだろう。

 

 「もっとも、あいつも来年四月には異動のはずだ。人事部次第だが。新しいところに行かれたら、通って説得することになるな」

 「いえ。それは良いんですが、本庁に戻すって、自分、今のところで力不足でしょうか」

 「むしろ役不足だろう? そうじゃなくて、お前こっちに」

 こっちと言いつつ、親指で窓の外を指し示し

 「女、居るんだろう? 一年でも早く戻ってきたいんじゃないのか?」

 女?

 「居ませんけど?」

 窓の外はいつの間にか懐かしい風景が続いていた。課長が言うこっちとは、冬まで居た所轄という意味では無く、県都のことらしい。

 「今更隠すようなことでも」

 「ちょっと待ってください。本当に居ません。こっちに戻れば大学に通うのは楽になるんですけど、本庁は特に、仕事が増えます。ようやく大学の面接授業を優先して貰えるように話が付いたばかりなので、少なくとも数年は置いてください。後、今のところの方が長年付き合いの有る友人たちとの行き来も楽なんですよ」

 一人を除いて。

 

 「本庁はお前を返せと言ってるらしいが?」

 「俺は元々所轄希望です。異動希望は出しませんよ。班長たちとも数年は居ると話しましたし、それで計画を立てるって事じゃなかったですか?」

 課長自身がそう言った。

 「官舎が空いてなかったこともあって今は民間のマンションを借りていて、そこなら友人も呼べるので、十二月には早めにクリスマスパーティでもやるかと話してるんです。それだって男しか居ませんけど。県外の授業に行くのに土日二往復するような民間人を泊めたりも出来るので、大変気に入ってるんですが。本庁に来なくちゃダメですかね」

 「今年、来年の話にはならないぞ?」

 「それでも、色々慣れてきて居心地が良いと思っているところから、早々に放り出されると、少しばかり辛いかなと。友人の一人は、うちに来るまでがツーリングだの、ドライブだのと言い切る奴なので。その楽しみも残しておいてやりたいですし」

 課長は呆気にとられていたが、苦笑した。

 

 「本当にお前は変わった奴だな。判った判った」

 車が本庁の玄関に入るのをきっかけに、課長は口を閉じた。春久も同じく口を閉じ、帽子を被る。春久が一足先に車から出ると、課長も同じようにして隣に立った。

 本庁の玄関を見る。

 戸野原は、本庁は所轄以上に不夜城で、家に戻れなくなるからなと口にしていた。異動希望を出すなら所轄にしておいた方が身のためだ、特に大学に通いたいのであればと注意された。それ以上に、本部長以下トップがずらりと在席しているここは伏魔殿と言われるほど様々な思惑が行き交う場所で、決してきれい事だけでは済まされるようなところではなく、あまりお近づきになりたくない。今日、今からも、何が出てくるのやら。

 

 課長に背中を叩かれ、ビルを見上げていたことに気づいて、軽く咳払い。中に入って受付に所属と名前、行き先を伝えた。

 

 

 「人事部に行って、人事部長から直接全員に声を掛けられた。研修を労う挨拶だけだけど、あれは、一人一人を見極めていたと思う。人事課長から総評を教えられ、それぞれの成績は各課長に渡された。俺の分は後で課長がちらっと見ただけでくれたが。その後公安に顔を出して、世話になった巡査のその後を課長が報告。もうしばらく様子見をするという話になって。公安のメンバーと一緒に昼食を摂った。次が刑事部刑事課」

 とりあえず守秘義務に当たらないところは全て、カイに話す。外はあいにくの雨。今はドライブの途中で、他に誰も聞かれない状況だから出来る話だ。

 「大忙しだね」

 「問題はここからだ。以前のキャンプ場での窃盗犯。あれの関係で、うちの刑事部に連絡が行ったらしい」

 「お手伝い?」

 「違う。全国規模の犯罪だったって話は以前しただろう。四月に四人で行ったキャンプ場、そこも被害に遭っていたらしい。詳細な日時までは覚えていないらしく、四月後半というので、管理簿を頼りに片っ端から連絡を入れていて、俺の名前で予約を入れていたからな、うちの刑事部に捜査協力依頼が来て、そこから俺が呼ばれたってことだ」

 なんで他管轄のキャンプ場のことまで関わってくるんだと、あのとき心の中で悪態を吐いたことは口にしない。必要も無いのにカイが責任を感じるから。

 

 「あのときは近くにほかのキャンパー居なかったよね?」

 「ああ。それに常に二人組で行動してテント場には二人が残っているようにしていたからな。問題無いとは伝えた。残りの三人の連絡先をと言われたのは、拒否した。俺が個別に連絡を取るからと」

 「そっかぁ。お疲れさまだね」

 

 カイは言葉を切って、手持ちのプリントを見比べていたが「ハルさん、次の信号右ね」と、指示を出してきた。

 カイはナビに載っていない店へと誘導してくれている。ナビだと店名でも住所でも出てこなかったのだ。なので、話をしながらも、助手席ナビ、地図読みを優先する。

 

 「でも、ハルさんの連絡先あったはずだよね。ハルさんに直接連絡してこなかったんだ」

 「俺だけじゃないな。一応各県警に連絡して、地元の警察から詳細を聞いて貰っているようだ。いきなり他県の警察だなんて言われれば、身構えるし、詐欺かと思われるかも知れないだろう?」

 「それもそうだね。突き当たり左ね」

 「判った」

 それで車は田舎の一軒家に着いた。看板も出ていない。ただ、車の音に気づいたのか、カイが傘をさそうとするより先に、家人が出てきて、それぞれに傘をさしかけてくれた。

 

 「秋津様お二人ですね」

 「そうです。よろしくお願いします」

 「雨の中大変でしたでしょう」

 「優秀なナビゲーターが居ましたので」

 春久が言えば、カイがにこっと笑う。

 「川魚や山菜が美味しいって聞いて、楽しみにしていたんです」

 「次は春に是非。秋とはまた違った山菜が有りますから」

 「また予約しないとね」

 「そうだな。今からしておくか? なかなか予約も取れないんだろう?」

 「うちの親も一緒で良い? 一日一組だけだからって、ものすごく楽しみにしていたんだ」

 今回はカイの両親の結婚記念日にとカイが予約を入れていたものを、二人が急に都合が悪くなり、折角の予約が勿体ないとのことで春久と二人で来ることになったのだ。

 「ああ、じゃあ、俺が邪魔だな」

 「邪魔じゃ無いよ。じゃあ、二回取ろう。うちの親たちの時と、平日だったら戸野原さんと垣内さんも出られるかな。確認してからだね」

 「そうだな」

 「親にも確認して早めに予約を入れさせていただきますね。ちなみにお薦めの時期って有ります?」

 

 カイは楽しそうに話している。人見知りのくせに、こういったときは愛想が良い。ああでもなんだか、話している後ろ姿がピリピリしている? 春久はカイの背中に手をやった。

 「どのみち、仕事の都合も有る。年度末は無理だしな。ゆっくり決めよう」

 「判った」

 「では、お電話お待ちしてます。さ、お席にどうぞ。山菜懐石です。天ぷらは揚げたてをお持ちします」

 カイの背中に入っていた力が抜けるのが、掌から伝わってきた。

 「無理するな」

 小声で言って離れる。カイは頷いて、すぐに奥へと案内されるままに付き従い始めた。

 

 畳の部屋のふすまは開かれ、長い廊下の向こうのガラス窓も開け放たれていた。

 山の中腹に有る庭は、川の流れる音、様々な色の紅葉の擦れる音。秋の音に包まれている。

 「一足早い紅葉だな」

 言いながら座卓の前に用意されている座椅子に、あぐらをかいて座る。カイも正面に座った。

 「綺麗。うちの親、絶対に残念がる」

 

 「春は梅やら桜やらで趣が違いますよ」

 声が掛けられ、運ばれてきた盆。それとは別にくりぬかれた太い青竹、そこにはほかほかの

 「栗ご飯!」

 カイが嬉しそうだ。

 「初物だぁ」

 川魚の塩焼き、山菜の佃煮。ナメコの味噌汁。野菜と鶏肉のがめ煮。小玉カボチャのヘタを取ると中は茶碗蒸し。紅白なます。だし巻きタマゴは色鮮やかで、放し飼いの鶏の卵だと教えてくれた。少し遅れて、まだ油の跳ねる音がするような、できたての天ぷら。甘味は大粒の栗の渋皮煮が二個。食後の飲み物を聞かれて春久はコーヒーと答えたが、カイは

 「お茶が良い。絶対にお茶が合う」と。

 「お茶ならいくらでもおかわりをしてください。最後のお口直しに、ですよ」

 「秋津は、お茶が一番好きなので。抹茶とかあったりしますか? もし有ればそれを。無ければ濃いお茶を最後に出してやってください」

 カイを秋津呼びするのは何となく落ち着かないのだが、他人に対してはそれが正しい。

 「判りました。では、ごゆっくり」

 

 調理場に続く廊下側のふすまは閉められ、二人きりだ。

 「なんだか、色んな事がどうでも良くなりそうだ。キャンプと同じで、のんびりできる」

 「俺も仕事の山場は乗り切った-。二人ともご苦労様だぁ」

 確かにカイの言う通り、二人ともご苦労様、なのだ。

 

 「研修の結果は満足いくものだった? 大変だった成果は出た?」

 「一応は。俺が実感するというよりも、上の評価対象になるらしい。帰りの車中で課長に、修了書授受の代表だったのかと聞かれてそうだと答えたら、それを早く言えと苦笑されたけどな」

 「じゃあ、ハルさん、一番だったってこと?」

 「まあ、既に係長の役職を頂いているんで、それが強みになったんだと思うけどな」

 「絶対にそれだけじゃないと思う。でも、そもそもその年で係長っていうのが凄いんだけど」

 「話も良いが、先にしっかり食え。一日一組だってことは他に誰も来ないんだろう? 熱々の飯を食って、ゆっくり話せば良いだろう」

 カイの評価が照れくさくなって、食事をしろと話を逸らせた。すぐに人を褒める奴で、褒められて嫌だと思う奴も少ない。春久も何度褒められても慣れなくてそのたびに面映ゆく感じている。

 「そだね」

 カイは大きな口で「初物」と喜んでいた栗ご飯を頬張った。

 

 「美味い」

 春久は、味噌汁からだ。確かに美味い。

 「作れるのか? こんな味噌汁」

 「インスタントで良ければお湯を入れるよ?」

 思わず笑ってしまう。確かに、インスタントが便利だ。なかなか入手出来ない素材でも、インスタントなら簡単に出来る。

 「栗ご飯は?」

 「栗の皮剥いてくれるのなら。あれなら、サツマイモの甘い奴買って、サツマイモご飯も良いよね」

 「甘いのか?」

 「ん~~。調整次第? 炊き込みご飯でも良いよ。その上に季節のものをどっさり入れて」

 熱々の天ぷらの中に、キノコが入っていた。よくこんなものを天ぷらに出来るものだと思う。けれど、どれも素朴で美味い。


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