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ステイ

 夜八時前。最後の一人が証書を貰ってバッグに入れつつ、走って行った。本人は、この電車を逃すと今日中に戻れない、と焦っているのに、県内だからなんとしてでも、なんならタクシーででも帰るだろうと、教官たちは平然としている。

 「終わった終わった」

 春久よりも講師や教官の方が背伸びをしている。

 「丹波も、部屋に戻って良いぞ。スーツの上は脱いでこい。何ならネクタイも要らない」

 「ありがとうございます」

 「財布は持って来いよ。飯の払いは心配しなくて良いが、ここいらが酔っ払ったら、一人でここまでタクシーで戻ってこなくちゃならないからな」

 「はは。了解しました」

 それでもスーツは着ておく。警察手帳は常に携帯しているし、業務用電話も必携だ。それらでポケットが膨れるのを隠す意味でも。

 「お前は生真面目だなぁ」

 と、脱いでこいと言われたスーツを脱がなかったことに関しては、何も言われなかった。

 

 居酒屋の隅の座敷に、春久を含め、八人が席を占めた。

 「遠い連中や、外部講師は帰ったからな。まずは、一週間、一人の脱落者も居なかったことに乾杯」

 七人がグラスを合わせる。春久もそれに少し遅れて、合わせた。

 「脱落者居るんですか? あれだけ手厚いフォロー有りましたよね?」

 「はは。さすがだな。フォローと来たか」

 「面接の時も仰ってましたよね。体力に関しては年齢に反比例して量を減らして、三十代が一番走らされていると」

 「そうだな。体力はな」

 「授業中の問答に関しても、若手ばかり指名してましたし。面接に関しても、同じように一般的な範囲で留めたかと、そこは予測しました」

 「ほう。どうしてそう考えたんだ?」

 「俺ならそうするかなと思っただけです。新警部補研修が他の研修に比べて特に厳しい事は聞きました。ただ、同じ新警部補でも、これからまだ上を目指すだろう人たちとこれで良いと思う人たちでは、目指すべき到達点も違うのではと。それは、下にいる班長たちと話をしながら思ったことでも有るんですけどね」

 「やっぱりお前は面白いな。どうだ? こっち側に来ないか?」

 「圧迫面接官ですか?」

 「ははは。管区だよ。仕事の幅が広がるぞ」

 管区の警察官と県警では、指示範囲が違う。春久たち地元の警察官を纏めるのが県警、県警を纏めるのが管区、それを纏めるのが警察庁だ。

 

 「今の仕事が気に入ってるんですが。それに、もうしばらく大学にも通い続けたいですし」

 「何を学んでいるんだ?」

 「主に心理学です。生活安全課はどうしても多くの住民と接しますから。様々な人たちと上手くやっていかねばなりませんし」

 「専攻は? 卒業した大学の」

 「法学です」

 「六法全書丸暗記、か?」

 「やってましたね。ただ、司法試験を受けられるほどにはなりませんでした」

 「ああ、元々の志望は? 裁判官、検察官、弁護士」

 「元々警察官志望でした。警察官として必要だと思って、法学に進みました」

 「丹波、なーんかお前、面白くないぞ。良い子過ぎないか? 下に舐められるぞ」

 春久は目を細めた。

 

 「結構頑固だと言われますよ。自分から折れることを学んだのは、友人と接していて、です。元妻ともアッサリ離婚しましたし」

 「お前たちの事を知らない上司が、紹介しようとしてきた女か?」

 「そうですね。二年付き合って、入籍してすぐに半年警察学校生活で殆ど家に戻ることも無かったので、その間に浮気されたようです。それから半年しないうちに離婚しました」

 「それでその女が再婚したのは知ってたのか?」

 「知っていました。そういうのを耳に入れたがる人間も居るので。流していたら、そのうち聞こえなくなりました。ですので今どうしているのかは知らないのですが」

 「今狙っている相手は居るのか?」

 研修中より、こちらの方が圧迫面談をされている気になる。いや、これこそ尋問か? 興味本位で根掘り葉掘り聞き出そうとしている? 聞かれて困るようなことは口が裂けても言わない。そのために、酒は控えめにして、食べる事に力を入れている振りをする。

 

 「狙っているというのは居ませんが、そうですね。無くしたくない友人は居ますよ。色んな事に気づかせてもらったし、他の人には頼めないようなことも頼める。仕事がらみ以外ですが。ストレスが溜まってるときはメールのやり取りで癒やされます」

 「そいつ、か? 土産を渡したい奴は」

 思わずにこりと笑ってしまった。

 「そうです。甘い物が好きなので、とは思うのですが、次に会えるのは一月以上先なので、何にするか悩みます。

 以前、うっかり机に冷たい飲み物を置きっ放しにして結露で書類を皺にしてしまったという話をしたら、コースターを土産にしてくれるような、気遣いです。この研修に来るのも、大変な研修らしいと零したら、一人用のコーヒーミルとサイフォンをプレゼントしてくれました。コーヒーを飲んで出がらしをロッカーに入れておくと消臭剤になるからと教えてくれて。お陰で洗濯物が溜まっても、汗の臭いは籠もらなくて済みました」

 「そんなの飲んでいたのか」

 「夕食時に食堂で水筒にお湯を貰って。その水筒も、友人に勧められたものですね」

 「良い目しすぎだな」

 「友人に恵まれたお陰です。ですので、土産探しは切実です」

 「研修よりもか?」

 「研修は仕事の一環ですから。……まあ、そこから離れたら、友人を大事にしたいですね」

 「それなら、仕事に潰される心配も無さそうだな。管区に来たければすぐに呼んでやるぞ」

 「今のところで頑張ります。異動してきたばかりで、ありがたいことに、まだ四、五年は居る事を期待されて、長期計画をと言われていますので」

 

 結局遅くまで飲んで、教官用宿直室に泊まると言うメンバーと一緒に、研修場まで戻った。

 友人たちの事は話した。とても大切で、春久の自慢だ。仕事のことについては一切口を塞ぐ。こんなところで守秘義務も守れないと信用を無くすことは出来ない。そうやってバランスを取りながら話をしていたから、あまり食べた気はしないけれど。でも、美味かったとは思う。いつかカイにツーリング先として紹介するのも有りかと思うほどには。

 「お休み。明日適当に起きてこいよ。土産を買った後で、駅まで送ってやる」

 酔っ払いのだみ声に、ありがとうございますと頭を下げてから、自室に戻った。

 

 「お帰り。これ見ているって事はそうだよね? 支払いはしたよ。振込手数料のおつりは預かってる。返して欲しかったら」

 それでメールが切れていた。は? 相変わらず理解不可能な奴だなと、苦笑する。けれど、ああ、帰ってきたのだと思う。このメールを見ただけで、いつもの笑みで「おかえり」と出迎えてくれる声が聞こえるような気がする。

 「送信ボタン押した。ごめん。返して欲しかったら、九月中のハルさんのお休みの連絡求む! まだ暑いけど走りに行こ!」

 次のメールに続きが書かれていた。三通目のメールも入っている。

 「俺は通常の授業も面接授業も全部当選していた。ハルさんは? 振込金額は預かっていたけど、通常授業分か面接授業分かは、聞いてなかったと思って。コーヒーミルを使いこなしているところ、早く見たい」

 なんだかあれもこれも盛りだくさんで、意気込んでいる感じが見て取れ、思わずクスリと笑ってしまった。

 

 「無事に戻ってきたよ。お前がくれたコーヒーセットと、コーヒーの出がらしの使い方を教えてくれたお陰で、リラックスも出来たし溜まった洗濯物があまり臭わなかったのも助かった。戻って速攻、コインランドリーに行ってきた。休みについては、この後出勤するのでその時に確認する。戻ってくるのは明日の朝だ。それまで待っていてくれ」

 量もあったので家で洗濯するよりはと、多少の皺は許容範囲なものはコインランドリーで乾燥までさせた後、スーツやワイシャツなどを併設のクリーニング店に出した。制服に関しては職場契約のクリーニングに出す。バタバタしているうちに、あっという間に出勤時間だった。

 

 まずは課長に研修終了の報告と、出張後の諸手続が有る。

 小さな会議室に籠もって、春久の延泊について再度説明後、県内から一緒に参加した警部補数人について問われた。課長はそれを細かくメモに残した。研修の結果については後日改めて上司宛に送られてくるが、当事者が感じた評価を課長間で相互共有するそうだ。

 

 「大抵はこの新警部補研修を受けた後でそれなりの役職を付けるんだが、お前の場合は研修を終えるのを待つ余裕も無く既に係長だからな。研修も無理言って半年以上遅らせて貰ったし「巡査」と「警部」との壁なんてとっくに経験済みだ。大抵はこの研修で下を使う意識が出来ていないと叱られるんだ。俺も毎日毎日、滅茶苦茶怒鳴られたぞ。いつまで巡査部長の意識のままだ! そんなにそっちが良ければいつでも降格してやるぞ! とな。その部分は既にクリア済みでも、全員必須なんだから受けさせないわけにはいかなかったんだ。お前なら、知った上で受けることで得た部分もあっただろう?」

 と、問いかけられた。

 「そうですね。若手と経験者のやるべき事に、気づかれないように差を付けているんだなとは、思いました。今回は若手中心に絞られたのですけど、実業務でも一律に仕事を振ってるだけじゃあ何も見えてないのだと。ただし本人たちには気づかれない程度に。そのためには頻繁な面接も必要で、研修中の毎日の面接にはその意味もあったのだろうと」

 「差?」

 「俺たち三十代は、五十代の倍以上走らされたらしいです」

 「そうなのか?」

 「それ以外にも様々なところで差はついていましたね。最終日、皆が帰った後で教官たちと一緒に食べに出たときにそんな話をしていたら、管区に勧誘されました。断りましたけど」

 「そりゃそうだろう。誰もそんなこと思わないからなぁ。ま、お前だからな。管区への勧誘か。それは断ってくれて良かったよ。ただ、手伝いの名目で呼ばれることが増えるかも知れないが、それは自業自得で頑張ってくれ。これからの業務に生かせよ」

 「了解しました」

 つまり、研修は終わった。これからはそれを実践の中で生かさなければならない。

 研修を受ける前には判らなかった「係長」重さを、今更ながら実感することになった。

 

 課長面談を終え、夜勤で残っている班長や班員と話をし、九月の休みを確保。待機との兼ね合いでツーリングに行けそうなのがまた平日しか無さそうだと肩を落として帰ってきたところに……。

 

 「ステイってことだね! 判った」

 目にした途端に、吹き出した。

 

 

 「俺の業務に、下との面接が増えた。休み自体は取りづらくなるんだが、逆に授業名目なら休みを確保出来そうだ。今までより面接授業には参加しやすくなる。ツーリングは平日メインだ。済まん!」

 先に謝ってから、九月十月の休み予定を書き連ねる。下との面接は、今回の研修でもっと話をする必要があると感じたことと、先日のような班員の不祥事に気づくのが遅れた事への反省だ。班長と班員、一人一人と話をしていれば起きなかったかもしれない、と。さすがに研修中のような毎日は無理だが。他の業務が止まる。

 

 カイから返ってきたメール。数少ない、土日と重なる全ての休みに予約を入れられてしまった。授業の予定日は当然として。

 「俺の意思は?」

 「無いよ」

 いともあっさり。ちょっと待て。

 「お前の平日有休は?」

 「でかい仕事が入ったから、急病以外じゃしばらくは無理! でも十一月に入ったらキャンプも出来るようになるよ」

 仕事……。それは何も言えない。春久も仕事を優先して、今までカイに有休を取らせてしまっているのだから。

 「九月十月でお前の泊まりは? うちに、だ」

 「県外授業の時だけ泊めて。二往復するよね? それから、秋キャンプは良いけど、冬キャンプ前に大型テント買いたい。なのでもう一回、ショッピングセンターか別のスポーツ用品店に行きたい」

 秋はそれぞれのテントで過ごす。冬は、大型のドームテントの中に寝室用のインナーテントを二つ入れて、共有部分で食事を作ったりする予定だ。そうすればプライバシーは守れて、かつ暖も取れる。真冬のキャンプはまだ未体験だから、最悪車の中に逃げ込むことになるかも知れないけれど。それはこれから経験値を積んでいく。そのために、まずはテントを準備する。

 春久は薪ストーブも良いなと思うのだが、カイは、薪ストーブの手入れは出来ないから、ポータブル電源を用意して電気ストーブが安全だと口にする。確かに、電気なら二酸化炭素も一酸化炭素も関係無い。そこはこれから二人で話し合って決める。押し切られそうな気がしないでも無いけれど。

 

 「判った。予定を入れる。と言うことは、お前の料理は十二月の早めのクリスマスパーティまでお預けってことか?」

 「あ……。十一月なら大丈夫かな。うん。豆アジだよね」

 春久の好物が豆アジの南蛮漬けで定着してしまいそうだ。急いで

 「別に他のものでも良いけどな。ああそうだ。研修の最終日に連れて行って貰った飯屋が美味かった。今度ツーリングで食いに行くか?」

 と、別の食べ物の話を振った。

 「判った。場所だけ教えて。営業日とか営業時間とか確認するから」

 そうだった。それは大事だ。

 「後で調べておく」

 

 積み重なっていくメール履歴。私用メールアドレスであっても、仕事のメールも入るし、垣内からの道場へのお誘いやダイレクトメールなど、いろいろ来る。なのにそれらに浸食される隙が無いほどカイの名前がずらりと並ぶのを見ていると、何となく安心する。

 大学時代、元妻とのメールですらこんなにやり取りしたことは無かった。もっとも彼女は同じ大学で、毎日のように顔を合わせていたのだけれど。あの頃は何を話していただろうかと思う。少なくともツーリングやキャンプの話ではなかった。


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