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特別補講

 新警部補研修。到着した日に荷物を置いて室内を整える。時刻までに制服に着替え、教室に集合。

 「起立! 教官に敬礼!」

 警察学校時代を思い出させる号令。

 「直れ!」

 直立不動のまま上官の挨拶を聞く。座って配られている書類の確認をする。一日のスケジュール、注意事項。

 春久と同じような年齢の者も少しは居るが、春久が最年少のようだった。しわ寄せが来るのは覚悟しておいた方が良さそうだ。

 

 警察学校と同じように体力訓練も行われる。ただ、年かさの警部補は走れないと最初から半分あきらめ顔で、その分、春久たち若手組は尻を叩かれ走らされる。

 「さすが若い奴らは」

 などと言われても、限度というものがある。

 

 自分の所属する課と、他の部署との連携。これは警察学校時代には無かった。特に春久たちは下を持っている。だからどの部署をどう動かすか。そのためには他部署での業務内容にも精通しておかなければならない。

 そして、取り調べさながらの圧迫面接まで。

 どれもこれも時間だと追い立てられ、さっさとしろと怒鳴られる。

 

 小さなケースに入れてきたコーヒー豆とミルとサイフォンセット。お湯は食事の時に保温用水筒に貰っておいた。睡眠前に飲むそれが、唯一の息抜きだ。多分、コーヒーだけならそうは思わなかった。カイがくれた物だから、癒やされる。

 一人部屋とは言えあまり良い香りをさせておくのも憚られるのだが、そこは気づかない振り。今回は紙フィルターを入れてきた。使ったフィルターごと軽く絞ってシェラカップに入れ、ロッカーに置けば、簡易消臭剤として使える。前日使った古い出がらしはラップと紙に包んでゴミ箱に。ゴミは毎朝ゴミ箱のまま廊下に出しておけば、空っぽにしてくれる。そこは警察学校と違って当番制とは言われなかった。

 

 「お前やつれんなぁ」

 何度目の面接だろうか。一人に対して面接官三人。同じ事が別の部屋でも行われている。順番なので面接が無い時は外での走り込みか筆記の詰め込み。春久も先ほどまで走っていたが、この後は筆記が待っている。

 「さすが最年少だけのことはある。三十代の連中は退職間近の連中の倍は走らせてやってるのに」

 「生活安全はそんなに走り回るところじゃないだろう」

 「丹波警部補は柔道をやってるのか?」

 「やっております」

 新人巡査のように声を張り上げなくても済むのはありがたい。巡査部長あたりまで来ると、指示を出すのが日常茶飯事になり、それなりの声量も出来る。少し大きめの声で対応すれば、焦りを嗅ぎ取られることも無い。面接官たちは鋭いのだ。焦れば必ずそこを突かれる。

 「剣道は?」

 「逮捕術に応用できる程度のたしなみではありますが」

 「マラソンやランニングは?」

 「定期的なものは行っておりません」

 業務の合間を見つけて走るのは当然の話なのだから、そのことを口にする必要性は無いと判断した。

 不要なことはしゃべらない。ポーカーフェイスを貫く。その上で、問われたことにはきちんと答える。オラオラ言われようと、理不尽に怒鳴られようと、だ。面接官は毎回変わる。けれど情報は共有されている。特にどのような話題がウイークポイントか。それを見せないための策だ。

 

 「お前、鋼の心臓持って無いか? 毛が生えていると言われてるだろう」

 「そのような事実はありません」

 「丹波警部補。お前怖い物は無いのか?」

 「有ります」

 「教えてくれ」

 だんだんと、面接というより、尋問に近くなってきていた。

 「今は、強いて言えば女の変わり身の早さ」

 「は?」

 「先日たまたま、今の所轄の別部署の上役に昼食に誘われ、ずるずる話を延ばされておりましたが、先約を待たせておりましたので断って一足先に店を出ました。何気なく窓越しに上役を振り返れば、そちらに女が向かっており、その相手を紹介されるところだったのかと理解しました。それが、知り合いでした」

 「昔の女か?」

 「昔離婚した女です」

 それには面接官たちも唖然としていた。逆に春久はにこりと笑う。

 「離婚したのは七年ほど前なので、その後彼女は再婚したと聞いていたのですが」

 「よく似た別人ということは?」

 「恋人期間を含めて三年付き合っていましたから、さすがにまだ間違えるほどには」

 「あ……なんだ。その、顔を合わさなくて良かったな」

 それ以外に言いようが無いといった顔だ。

 

 「そうですね。先約してくれた相手に感謝です。なので土産を買ってやりたいと思っています。何かお薦めしていただけませんでしょうか」

 「いや、お前、今面接中だと判ってるよな?」

 「判っております」

 「本当に心臓に毛が生えてるな。まあ、それぐらいでないと、贈賄で捕まった奴の尻ぬぐいなんて出来ないか」

 前任者の事は、例え警察内部の人間にでも、担当者以外とは話してはならない。特にここは管区だ。だからその話には乗らず

 「溜まったストレスを解消させてくれる友人が居ます。心配もしてくれているので、土産でも渡して元気に戻ったと伝えるきっかけにしたいと思っております」

 と、自分の希望を口にした。

 

 「職場には?」

 「課長からは、土産は考えても無駄だと、そんな暇は無いとも言われておりますので」

 職場に土産は持ち帰らない。けれど、その友人にだけはどうしても渡したい。笑みでその意思を強調した。

 「で、この大学っていうのは何だ?」

 「社会人学生をしている事でしょうか? 心理学を中心に、今も知識の補充、アップデートを行っております」

 「そう言う意味か」

 面接官たちは腕を組んだり、少しだけ体を動かしたり、互いにアイコンタクトをしていたようだが

 「丹波、お前一日研修延長な」と、言い出した。

 

 「理由をお伺いしても宜しいでしょうか」

 「宜しくないが。全員、最終日には荷物と室内の片付けを終えた後、家に戻れる最終便に合わせてみっちり授業が入っている。その前日には、見えるか、あの山頂まで往復走った上で、だ。かと言って荷物は制服が入っている。置き忘れた、じゃ済まない。みんなくたくたのまま、神経張り詰めて戻るんだ。それこそ土産なんて悠長なこと考えていられないぐらいにな」

 宜しくないと言いつつ、実情を教えてくれる。そうか、聞けば良いのだ。それもコミュニケーションの一つなのだから。

 「一晩寝て帰れば、楽だぞ。部屋の片付けも翌日やれば良いんだ、他の者が片付けをしている間も体を休めていられる。片付けが終われば、土産物を買うのぐらい付き合ってやる」

 「ありがとうございます。助かります」

 にこりと笑う。

 「後ほど課長に、一日帰宅が遅れること伝えておきます。よろしくお願いします」

 

 休憩時間に課長に電話を入れ、居残りになったことを伝えると、少し待てと断りを入れられた後、場所を移動したようだ。周りのざわめきが聞こえなくなった。

 「お前ならやらかしそうな気がしたよ。けどな、居残りの理由は誰にも言うなよ。数年に一人二人は居るんだ」

 毎回、では無いらしい。

 「ご存知だったのですか、居残りについて」

 「警部以上の研修で話題になるな。今年は居残りがいたかどうか、何処の部署から成績優秀者が出たかなんかは。

 延長には、重大事件発生による中断分の補講扱いは当然として、便宜を図られての居残りが有るんだと、俺も初めての警部研修で知った。

 巡査の括りから警部の括りになったってことは、指揮命令系統の中位に配置されるってことだ。そのことを骨の髄まで叩き込むために、新警部補研修は特別キツい」

 課長の声は、少しだけ懐かしさを含んでいる気がする。指揮命令系統の中位というのは、その上には署長や部長たちのような警視が居るからだ。巡査部長までは、降りてきた命令を飲み込む。けれど、警部補からはそれらを自分のものとして、下に命令を振り分け、時には出来ていないと叱る立場になる。もっと上になれば、命令そのものを自分で考える。

 「連日ヘトヘトになって、最終日はストレスと緊張でフラフラになる。研修を終えて緊張が切れ、その場で寝てしまいたくなるが、制服を抱えているんだ、揺れと空調が睡魔を呼び寄せる電車や車の中で、目を瞑ることすら出来ない。

 だからこそ便宜を図られての居残りなんて例外が生まれた。と言うか、講師連中がそこまで面白いと思った奴と飲んでもっと話をしたいってことが発端のようだが。なので新警部補研修以外の研修ではその手の居残りは絶対に無い。警部補になった初っぱなにしかチャンスが無い貴重な経験をしているってことだよ。

 土産は買ってくるな。例外を知らせるわけにはいかないからな」

 「判りました。そうします」

 「部下に便宜での居残りが出たら自慢して良いと言われるぐらいだ。俺の下ではお前が一号だ。楽しんで来い」

 「そうですね。残り数日、きちんと学んで帰ります。では、署に顔を出すのが一日遅れますので、うちの班長、班員たちの事、引き続きよろしくお願いします」

 電話を切って、息を吐く。これも、カイのお陰だ。

 

 最終日、全員私服のスーツで、春久以外は荷物を持って教室に入ってきた。春久はいつものノートと筆記用具だけで、身軽だ。

 「今日で終わりだと気を抜くな! 公共交通機関の最終便の時間までは講義がみっちり詰まっているからな!」

 「はい!」

 制服の入ったバッグを肌身から離すわけにはいかないからか、最終日の体錬は無いようだ。その代わり、最後まで分厚い資料の説明と急な指摘による問答、答えられないときは叱責が飛んでくる。

 

 昼食のベルが鳴った。講師への挨拶を終えた後、教官の一人が

 「昼からは順次、時間になったら名前を呼ぶ。修了証書を渡して、駅まで送る。切符はすぐに出せるようにポケットに入れておけ。信号の都合で、ギリギリになることも多々あるからな」

 「はい!」

 「それから丹波」

 「はい」

 「お前の成績付けに一番時間が掛かった。ゆ、え、に、お前には特別待遇で補講をしてやる約束だ。今日も泊まりだな」

 「よろしくお願いします」

 その言葉をどう捉えたのか。近くで嘲笑が聞こえた。逆に心配そうな顔も見える。

 新警部補研修など、人数も限られている。一週間の間に全員の顔と名前も一致しているのだ。今後誰と付き合って誰と距離を置くか、良い判断基準になる。そんな意味でも、これも得がたい体験だ。研修の講師たちも一人一人をしっかり見ている。それは、七日間の面接を通じて、一番感じた。

 

 「部屋に持ち帰っておけるお前が、全員を代表して受け取りだ。さすがに最年少だけあって、フットワークが軽いな。走れなくなる奴が多い中、山登り、トップだったからなぁ」

 「ありがとうございます」

 フットワークと言うより、下っ端として走り回されていた経験によるものだ。現場でも「若い奴が走れ」と、飛び回らされていた。

 

 教官が全員の前で修了証書を読み上げ、手渡してくれた。これからの活躍を期待するとも言われ深く一礼をした。

 元々泊まりは言われていたので、部屋も片付けていなければバッグも持ってきていない。食事の前に修了証書を部屋に放り込み、一人身軽なまま、食堂に赴いた。

 

 「丹波警部補、特別補講なんて大丈夫なんですか?」

 「ご心配いただき、ありがとうございます。講義中の不明点を問いに行ったところ、今は全員足並み揃えての講義中なので、終わってから補講をしてくださるとのことになりました。一日延泊になりますが、うちの上司にも許可を貰えましたから」

 先ほど心配そうな顔をしていた相手には、にこりと笑って答える。

 「基本、(本庁生活安全部)少年課と(所轄の)生活安全課ぐらいしか経験が無く、他部署の仕事に関わる部分については、経験不足から来る知識不足で」

 「ああ、確かに今は強行軍での詰め込みですからね。自分など、貰った資料を頭に詰め込むだけで精一杯で、質問なんてところまで理解すら出来てませんよ。おまけに体力も徹底的に奪われて、毎晩資料に顔を突っ込んで寝てました。戻ってまた勉強です。次回の警部補研修までにはなんとか理解出来るようにしておきたいですね」

 「同じですよ。帰って他課の警部補たちの仕事も見て盗む必要もありそうです。ただまあ、ここで理解出来る部分はして帰らないと、上も下も含め、様々なところに迷惑を掛けることになりそうなので」

 「確かにそうですね。自分たち若手には足りない経験の部分をどうやって補うか、は、大切なことでした」

 

 「丹波警部補」

 「はい」

 「今日の夕食と明日の食事は無いからな。全員が帰った後で教科の講師と食事に行くから、腹を空かせておけ」

 「了解しました」

 「全員! さっさと食事を済ませて、すぐに教室に戻れ! まだ講義は残っているぞ! 修了証書を持たずに帰るか! ああ!」

 「はい!」

 「丹波も途中でうたた寝なんぞしてたら、いつでも撤回してやるからな」

 「ご容赦を」

 春久はにこりと笑った。心の中では焦っていても、顔には出さない。カイに、研修が終わった証を貰えなかったなどと、口が裂けても言えない。


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