ついでに
数日、真夜中にバイクを走らせる日が続いた。夏だから夜だろうとアスファルトがしっかりタイヤに食い込む。峠を攻めようとは思わないが、高速道路を巡航するぐらいなら安心していられる。冬場の高速道路は、タイヤが暖まるまでは足下不如意だから。
下道は無茶をするのが居るから、高速道路に上がり、サービスエリアでコーヒーを飲み、気が済んだら下道に降り、再び高速に上がり直して家に戻る。一度など、古巣に戻るインターまで走っていて、急いでUターンした。そうやってでも気分を変えたくなるような毎日だった。
「ハルさん、疲れてる?」
楽しみにしていた約束の日、ショッピングセンターの駐車場、出会い頭に聞かれてしまった。
「疲れてる」
自分でも驚く。カイの前でそんな弱音を吐くなんて。けれどカイなら、そんな春久を見て幻滅するようなことは無いと信じたい。
「ハルさん、今日、泊めて貰える?」
「え? お前明日は?」
「明日は土曜日だよ。ハルさんは仕事だから、ハルさんが出るときに帰るけど。ここ、一階に食品スーパーも入っているから、買い物して帰ろう。夕食作ってあげるよ」
思わず目が動いていた。それは、嬉しい。
「判った。じゃあ、昼飯は俺の奢りだな」
「違うよ。お昼は俺が奢るから、ハルさんは夕食の食材購入担当だよ」
「何でも買って良いぞ」
「俺はそんなに金食い虫じゃないよ。タマゴはあるの?」
「無い」
「ケチャップは?」
「無い」
「コンソメ」
「無い」
無い無い尽くしで、家でちっとも料理をしていないとバレてしまった。ついでに、前回のキャンプで片付けたときのまま、調味料もしまい込んだままだと言うことも。
「リクエストはあるの?」
「前に作ってくれた豆アジの南蛮漬け。どこででもは食べられない」
「判った。豆アジ居たらね」
あったら、ではなく居たら……。そこにカイの茶目っ気を感じて、つい、笑みになる。
「無かったら近所のスーパーにも寄ってみるよ」
楽しみだと言えば、カイは少しだけ苦笑している。
戸野原には、キャンプ用に真空マグカップを赤と青でペアにして購入した。カイが少しでも出すと言ったのは断った。これは今回いろいろ世話になった礼として、春久が思い立った物だ。カイには、今度ツーリングに行ったときに彼への土産を買ってくれと頼んだ。戸野原との付き合いについてはカイも判っているので、それで納得してくれた。
「ああ、そう言えば戸野原さんに聞かなくてはならないことがあったんだ」
「夕食の量増やす?」
反射的にそう聞いてくれたから、笑って首を振った。
「後で電話をするだけだ。あの人も今日は仕事だからな」
戸野原に、この間会った公安課の男がなぜああも詳しく春久のことを知っていたのか、聞くのを忘れていたのだ。春久は彼が戸野原の親しくしている後輩だとは知らなかった。彼のことは聞いたことも無かったのだ。なのに何故。
戸野原のことは信用も信頼もしている。けれど、この間からいろいろ有りすぎて、人間不信に陥りそうだ。
「ハルさん、鍋ありったけ出して。で、お米研いで水を計って。フライパンは油を使うからそのままにしておいて」
「炊飯器は?」
「炊けるだけ炊いて。で、用意が終わったら寝室で戸野原さんに電話して良いよ。浸水の時間も有るからね」
家に戻るなりそうやってキャンプ用のメスティンまで出させて、鍋五つほどに米を仕掛けた。そんなに何にするのか。
ショッピングセンターは戸野原へのプレゼントを買った後、昼だけ食べて結局マンション近くの大手スーパーに移動した。そこであれこれ、調味料を入れて万の単位の支払いになった。春久のビール六本セットと、カイのケーキ二個入りも含めて、だが。
買った物は冷蔵庫や棚にしまい、後を任せて良いと言われたので、寝室に入って鍵を掛けた。
カイが寝室に入ってくるとは思わないが、それでも、戸野原と揉めるかも知れない電話を聞かれたくなかった。
「お疲れ。そっちも仕事が終わったのか?」
戸野原の声に、ホッとするとともに、もやもやもする。
「こんばんは。ちょっとお聞きしたいことが有るんですが、宜しいですか?」
「俺に? どうしたんだ?」
「単刀直入に質問します。公安課に知り合い、いらっしゃいますよね?」
「公安? いや。居ないぞ」
「先日、仕事の事で公安課の担当者と知り合う機会があったんです。その彼が、戸野原さんと俺の関係を知っていたので」
「名前は? どんな奴か、でも良いんだが」
名前は……送られてきた調書に書かれていた名前が彼の物かどうかは不明だ。なので特徴を少し。
戸野原はしばらく考えていたが、心当たりは無いと言う。
「けど、俺の経歴をよく知っていましたよ。大学で奨学金貰っていたこととか、何故か俺の入庁したときの成績まで……。あ……いや、戸野原さん、そんなの知っている筈が無いですよね?」
「知らん」
「トノさんの後輩だろう、今も付き合いのある、って俺のことを示したんですけど」
「俺のことをトノさんなんて呼ぶ奴は居ないぞ」
「え?」
「そんな偉そうな呼ばれ方お断りだからな」
だったら、誰だ? 春久のことをそこまで詳しく知っている「トノさん」とは? 今も付き合いのある後輩、なら、春久が今も付き合っている先輩ということで。
そこへ、寝室のドアがノックされた。
「ハルさんごめん、ちょっとコンビニに行ってくるから、鍵だけ掛けて。帰ってきたらインターフォン鳴らすから」
「ちょ、ちょっと待て!」
春久は戸野原に断りを入れて、鍵を開けた。そのままスーツから出してきたキーケースを渡す。
「家の鍵だ。持って出てくれ」
「判った。預かっていくね」
それでカイはすぐに離れて行く。春久は戸野原に謝りながら、寝室のドアを閉めた。
「誰か来てるんじゃ無いのか? ほっといて良いのか? 用事がそれなら、知り合いに聞いておいてやるが」
「来てるのは、カイです。今日、俺の休みに合わせて有休を取ってくれたので、二人でキャンプ道具見に行って。俺が仕事で結構めげていたのを見抜かれて、夕食作ってくれてます。それも大量に飯を炊く支度して。今外に出るというので鍵を渡しましたけど。俺が明日また仕事なので、早朝に放り出すことになるんですが、朝からドライブだって笑ってくれました」
だからこそ、春久は救われる。
今出て行ったばかりなので、帰ってくるまでにまだ時間が有るし、料理についてはもっと時間も掛かるだろう。
「さすが秋津君だな」
「話を戻しますが、戸野原さんのつきあいの有る後輩、何処に所属しているのか聞いても大丈夫ですか?」
「今も付き合いがあるのはお前以外には一人だけで、交通部だ。本庁で巡査部長なんで、多分班長ぐらいやってるんじゃないか? 俺も警察内部のことは聞かないようにしているからな。まあ、出世したり異動になったら伝えてくるだろう。去年、それで奢れと言ってきたぐらいだから。お互いに知り合いたけりゃあ紹介ぐらいしてやるが」
確かに戸野原は、春久がアドバイスを求めたときは自分の経験を元にいろいろ考えてくれるが、春久の話さないことについては聞こうとはしない。アドバイスに関係する部分は情報を求めもするが、あくまでも世間一般で話しても良い範囲だけだ。
「あ、いえ。戸野原さんは、必要だと思えば紹介してくださるでしょうし。今回は、俺が相手のことは名前すら知らないのに自分の事を知られているのが不可解で。戸野原さんがそういうのを話す人じゃないとも思っていたのですが、なにせ相手が「トノさん」と言うし、俺の知り合いでトノ……と来れば、戸野原さんしか居なくて」
「まあ、そうなるよなぁ。トノ、トノ……お前の先輩だったら、同じ部署に居ただろうし。トノなぁ」
戸野原には全く心当たりが無いことに、安心する。やはり戸野原は人の事を気軽に話す人じゃ無い。信用して良いのだと判っただけでも。
「あ、それとは別に、明日か明後日の夜、空いてます? 渡したい物が有るんですが」
土日なら戸野原も仕事は休みで、夕方、多少の時間は融通が利くだろうと考えての質問だ。
「そっちは今日はどうなんだ? お前じゃなくて秋津君、だ。こっちも渡したい物が有る。お前に預けても良いんだが。まさか今日会っているとは知らなかったんで、もっと前に渡しておけば良かったな」
先ほど春久が失礼にも不信感を抱いていたことが判っているのに、戸野原は屈託が無い。春久としては救われる。この人の懐の広さを見習わなくてはと、何度でも思う。彼こそが上司の器だ。
昼間のショッピングセンターで、戸野原に聞きたいことがあると言えばカイは当然のように「夕食増やす?」と聞いてきた。垣内になら言わないだろうし、垣内も子供たちのところへそそくさと帰る。
「うちに来られます? 今からでも。カイは今買い物に出てしまったのでもうすぐ戻ってくるとは思いますけど、夕食はまだ遅くなりそうだし」
「そうだなぁ。秋津君が大丈夫だったら、だな」
「戸野原さんなら保証します。第一、次にカイに合うのは十月過ぎないとですから、カイへの荷物を預かっても、渡せるまで一月以上空きます」
「だったら、邪魔させて貰うか。また後でな」
「はい。では。お待ちしてます」
電話を切って、寝室から出た。カイが戻ってきた様子は無い。トイレに行くついでに玄関を見たが、カイの靴も無い。昼間ショッピングセンターで目にした、タブレットや水筒の入ったバッグはソファーにもたせかけているのでもうすぐ戻ってくるだろう。
それにしても、一体何を作っているのか。
キッチンを覗いたが、皿やアルミ箔にラップに袋と、いろいろ出ていてよく判らない。結局触ることも出来ず、ソファーに座ってテレビを付けるだけだ。
先にカイが戻ってきた。
ガチャガチャと鍵を開ける音がして、ドアが開く。内鍵を閉め、きちんとチェーンもしてから、ドサリと廊下に荷物を下ろす音。彼は紐靴だ。靴の脱着は大変だけど、いつも楽しそうに紐を解いたり締めたりしている。しばらくして、手に袋を持って部屋に戻ってきた。
ああ、これが人の居る生活だ。何年ぶりだろう。少し懐かしく、心が揺れた。
「お帰り」
「ただいま。ご飯炊けるまで、もうちょっと待ってね」
「手伝うことあるか?」
「俺の楽しみ取らないでよね。電話は終わったの?」
「ああそうだ。戸野原さんが来るからな。お前に渡したい物があるらしい」
「ごはん増やす?」
「はは。どうだろう。あの人のことだから気を遣って渡したらすぐに戻りそうな気もするけどな」
「準備だけしておく」
炊きあがった炊飯器からごはんを移して、次の吸水済みのコメをそこに入れ、再びスイッチを押す。油の跳ねる音は、リクエストの豆アジ南蛮漬け。
「何を買ってきたんだ?」
「一味とみりん? 後、まさか砂糖が切れてるとは思わなかった」
確かに、使わない。コーヒーに砂糖を入れるなら、せめて角砂糖でもとは思うのだが、コーヒーを飲まないカイは当然砂糖を使わないし、他は全員ブラックだ。
「塩むすびでも良い?」
「今日の夕食?」
「違う。冷凍しておく奴。家に戻って食べる物が無い時には温めて食べて」
「判った。助かる」
コンビニが有るなんて無粋なことは言わない。手作りの料理は、それだけで気力が沸く。
「ハルさん、ハルさん」
肩を揺すぶられて目を開けた。今度は春久が寝ていたらしい。
「戸野原さん来たよ」
目を開けると、戸野原が部屋に居た。カイが招き入れてくれたようだ。チャイムの音にも気づかないほど寝入っていたらしい。
「お疲れだな」
「いらっしゃい。済みません。なーんか、色んな緊張が一気に解けて気が緩みました」
「自分の家だから、それで良いんじゃないのか?」
「戸野原さん、一緒に夕食食べます? 順番に作っているから、少しだけ待ってくれれば出来る」
「大量に飯を炊いているって?」
「ハルさんの夕食の作り置き」
「至れり尽くせりだな」
「俺もそう思います。カイに開口一番疲れているかと聞かれたときにはどきりとしましたよ。そんなに顔に出ていたかなと」
「俺もストレス溜まってたから、料理してストレス解消させて貰ってる」
そう言ってカイはにっと笑う。
「だったら、言葉に甘えるか。ついでに丹波の方、もう少し答え合わせもしておくか」
「はは。よろしくお願いします」
戸野原もソファーに座り、春久はクッションを持って床に座った。
「あ、戸野原さん、ちょっとベランダに出ません?」
「それは良いが」
「カイが動いているそばで座っているだけだとなんだか手持ちぶさたで申し訳無い気がして。落ち着かないんですよ」
「ははは。そうだな。秋津君、少しの間丹波を借りるな」
「どーぞ」
軽い調子で貸し借りされてしまった。




