日常の綻び
席に戻り空き室の確認をして予約を入れている間に、班長は班員を捕まえている。春久は三人のところに会議室番号を書いて、班長――野沢長に声を掛けた。
「で、連絡は取ったのか」
「ま、まだです」
相手は班長では無く春久を見ている。春久の方が班長よりかなり年下で、その分いなしやすいとでも判断したのだろうか。
「なんで言われたことも出来ないんだ? ああ?」
「で、出先なのに電話なんて掛けたら叱られますよ。話の邪魔をしたって」
「邪魔をされたくない話なら留守電にしている。伝言を残すことぐらい出来るだろう。大体、お前たちに電話の邪魔をされて困るような仕事は振ってないぞ!」
春久に助けを求めるような視線を送られても困る。にこりと笑って
「君たちの仕事内容は野沢さんが一番把握しているからね。今からでも電話を掛けて」
年上の相手をあえて「さん」呼びすることで、同じ“長”付きでも春久の方が上、班長にすら言い訳出来ないようであれば春久はもっと高い壁になるのだと、思い出させる。
「え」
春久は彼の前に業務用の電話を置いた。
「出先の確認だよ。どこに居るのかの把握は大事だからね。それから、一人での行動は許可されていない。同行者の名前と所属も当然確認しないとね」
「い、家です! ふて寝してるから適当に書いておけって命令されました!」
これ以上隠しきれないと思ったのか、そう白状した。
「お前それは、幇助だってこと、判っているのか!」
「ですが! あの人、怖いんですよ! 守らないと殴られます!」
「そうか。それじゃあそれ、課長の前でも証言してもらえるかな。録音の許可も貰いたい。当然、これから彼の家に行って証拠を固める」
「話したことがバレたら……」
「彼の希望に合わせた異動先を探していたんだが、無駄になったね」
春久は電話を拾い上げて課長の内線に。課長が来てくれるのを待ってレコーダーを起動し、話を促した。
「し、四月の異動で新しく来た人たちが活躍の場を貰えているのにって、その頃から……」
最初は口ごもり、ポツリポツリと口にする。
「最初は……去年は、二人一組が決まりだからと俺たちの誰か引っ張られて、時間つぶしの手伝いさせられていました。それでも、月に一度か二度だったんです。たまに面白くないことがあったからと」
そこで息を吸い込み、
「でも、四月過ぎからだんだん頻繁になって暴力も伴い始めて、一昨日からは完全にボイコットしてます」
感極まったのか、最後は少し語気が強くなっていた。
「一昨日というのは、丹波長への電話を受けてから、か?」
課長に問われて、声は平常に戻った。項垂れたまま、淡々と話を続ける。
「そうです。なんか、電話が切れた後で、受話器を叩きつけるような。でもって、メモだけ書いて課長の席に置いて、そのまま何も言わずにどこかに。休暇願だと思ったんです。班長も係長も居なかったから課長に出したんだろうと。でも、昨日班長がホワイトボードに『無断欠勤』って書いたから違うと判って。で、今朝、休むなら連絡をしないとと、こちらから電話をしました。そうしたら、適当に書いておけと」
課長が溜息を吐いた。
「公安に任せるしか無いな。膿が出たって事だな。四月より前にも暴力は振るわれてなかったのか?」
「知っている限りでは、たまに物に当たっているのを見てました。四月以降も、気が良いときは奢ってくれたりしていました。夜勤の弁当とか。でも、機嫌が悪いときはパシリなら良い方で、外から見えないところを蹴られたり殴られたり」
「お前たち同じ巡査だろうが」
「同じでも、先輩です」
課長は額に手をやって、天を仰いだ。本当に巡査なのだ。五年も警察の飯を食ってきて、未だ巡査長ですらない。
「悪かったな。気づくのが遅れて」
春久はそう言って男の肩を撫でた。
「あのな、警察機構はでかい。その分光もあれば陰も出来る。ただ、幸いなことに是正機能は働いているんだ。ちゃんと上司に相談しろ。この班長なら大丈夫だが、頼りにならない上司だと思えば頭を飛び越えて訴えることも出来るようになっているんだ。不正の為の頭越えは許さないが、きちんとしたことなら、ちゃんと見る」
「で、でも、係長に直接出したら班長から突き返されて滅茶苦茶叱られたって言ってました!」
「それは、不正請求のことか?」
「え?」
なぜ叱られることになったのか、その原因については初耳だったのか、班員は目を瞬く。
何度か「タンさん」などと親しげに呼びながら、様子を窺っていた。他の班員にも同じように呼ばれ、班長がそれを苦々しく思おうと春久は気にしないことを見て取った。それを、コネで取った役職だから脇が甘いと受け取った。そこで出してきた、捜査費名目の弁当代。それも他の書類に紛らせて。
当然、見つけた瞬間一蹴した。
「はぁ。なんで丹波長が年末年始のくそ忙しいときに班長から係長に抜擢されて、こっちに来たと思ってるんだ。前の係長の尻ぬぐいをたった一月二月で終わらせた手腕を何だと思ってる」
「係長にするには異動させなければならないんで丁度良いが、二年ぐらいで返してくれと言われたからなぁ。お断りだと言っておいたが」
班長と課長の相次ぐ言葉に、春久の方が驚く。二人に高く評価して貰っていること、ありがたいが面映ゆい。
「確かに班長の頭越しに受け取る必要のある書類もあるから、壁を感じさせないことは係長として必須のスキルだけどな。それは甘く見て良いって話じゃないからな」
班長はそう言って頭を掻くと、「うちの班員全員集めて話をした方が良さそうだな」と呟いた「いろいろ勘違いしてやがる」。
「ところで」
春久は再び、三人の上司の前に座らされて小さくなっている男を見た。
「彼から暴力を受けていたのは君だけかい?」
「いえ……。彼より年下は全員、少なくとも一度や二度は……。一緒に殴るように言われたことも有りますが、さすがにそれはみんな、警察官で居られなくなるからと断りました。少なくとも自分が知っている範囲では」
課長が立ち上がった。
「俺は公安に連絡を入れた後、本庁の課長と、うちの署長に話をする。係長と班長、二人で寮を訪ねてくれ。寮に居るようなら、明日からの出勤停止を言い渡せ。帰ってきてから班員一人一人から話を聞いてくれ」
「判りました」
「謹慎だからな。遊び歩くなと念を押しておけよ。寮の管理人にも伝えておいてくれ」
「留守なら張り込みしておきますか?」
「連絡をくれ。刑事課の連中の手を借りる。特に班長、早めに戻ってきて、こっちの班員のフォローを頼む」
「了解です」
留守にしていた男は結局、帰ってきたところを刑事課と本庁から足を運んできた公安に押さえ込まれた。逃げようとしなければそのまま同行で終わったのに。
「公務員だからなぁ。職務態度については、世間の目がキツいんだわ。ちょ~っと話を聞かせてくれ」
「手ぶらで良いからな。ひとまず宿直室は有る」
「そいつが!」
いきなり、一緒に居た春久に向かって怒鳴りつけた。
「コネで係長なんかになったくせに! 好き勝手して! 領収書一枚ぐらい目こぼししたって訳ないだろうが! お陰でこっちは」
その口は隣に居た男に塞がれた。
「お前、何を言ってるんだ? ああ? 不正の目こぼしなんて出来るわけないだろうが」
「その前に、この人にコネなんて無いぞ。親のすねかじりだからと少しでも負担を減らすために、奨学金貰って大学通って、同期の中では一番二番の成績で入庁したんだ。で、自力で奨学金を返し終えたら、今度は社会人学生になって自分に不足している知識を吸収しているって、俺の先輩が嬉しそうに話してたよ。努力と実力で警部補になったんだ。お前のように人の事を見下して甘い汁だけ吸おうと思っているような奴と一緒にするな」
なんで、そんなことがバレているんだろう。公安課に知り合いなど居ないのだが。
「トノさんの元部下でしょう。今でも時々連絡を取っている」
相手がウインクしてくるから、春久も笑った。戸野原が交流のある、春久以外の警察官時代の後輩とは彼のことだったらしい。
「色んなところで助けられています。コネはないですけど、先輩には恵まれていると思いましたよ」
「それじゃあ、連れて行く。家捜しするなら令状取ってからな」
「それは、俺の管轄では無いので。課長に現状報告はしておきます。また何か有ればご連絡いただけますか」
「判った。きっちりした調書を出すよ」
春久が頭を下げて覆面パトカーを見送ると、同じ寮に暮らす野次馬も、少しずつ数を減らした。管理人に騒がせたことの詫びを入れ、刑事課のメンバーと一緒に署に戻る。それだけで夕方が来ようとしていた。
課長に経過を報告し、一足先に帰って自分の部下たちを捕まえて話をしていた班長と、改めて話す
「書類を蹴られたことで無断欠勤なら減給一ヶ月かと。特にその書類が、弁当代がどうのと流行っていた頃でしたから。もしくは出勤停止二週間。ただ、それに暴力が付くと状況によっては依願退職、懲戒免職までは行かないまでも、彼の今後に陰を落とすことになります」
もちろん本人だけで無く、班長係長課長と、上にまでそれなりの処罰が付く。監督不行届、だ。
「暴力は、今となっては証拠が無い。病院に行ったわけでもなく、証言だけです。おまけにうちの班はねぇ。あいつらもすねに傷持ってるので強くは言えない。簡単に証言を翻すでしょうね」
少しばかり目を閉じ、考える。もう少し彼らを知るべきだろう。
「全員早上がりの日はありますよね?」
「どうされます?」
「少し遅いですが、ビアガーデンでも行きますか。飲めない人にはソフトドリンクで。うちの係全員に声を掛けます。ローテーションが有るので全員というわけにも行かないんですが」
「それは、ありがたいですが、係長の下全員は止めた方が良いでしょうね。うちの班は癖が強すぎて。うちだけ別にしたと言っても、他の班は納得しますよ」
「仕事の割り振りは同じぐらいだと思っているんですが」
「うちは積み残しがあります。班の現状を知っている他の班長たちが黙って助けてくれています。係長には内緒でね」
班長は頭を掻いていたが、観念したように話してくれた。積み残しとは、仕事が消化しきれていないということ。褒められたことでは無いが、仕事が偏ってる場合、同役間での多少の融通はある。手伝いというか。けれどそれが日常化しているのであれば見過ごせない。役割分担の見直しは上司である春久の役目だ。
「それじゃあ全員の負担が大きいでしょうに。成果は目に見えるようにしないと、他の班員から不満が上がりますよ。特に十月に班異動の後で。教えてくださってありがとうございます。少し時間をください。他の班長たちとも話をしたいので」
「判りました。お任せします」
外向きが終わって順調に回り始めたと思えば、今度は中。隠れていた、見えなかった問題がだんだんと表面化してきた。溜息を吐きたいが、班長の前でそれは出来ない。飲み込んで
「予定が無ければ、今日は上がってください。いろいろお手数をおかけしましたし、お疲れでしょう。俺も早めに上がって、気分転換しておきます。明日から、班長一人一人と話をしてみます」
「了解です」
一人になって大きな溜息を吐いた。無条件でかわいがれる相手が欲しい。かわいがって甘やかせて。そうやってこの溜まったストレスを消化してしまいたい。ああそうか、それが家庭、なのか。
けれど結婚は今のところ考えたくない。いっそのことペットでも飼うか。いや。これだけ不規則な生活でそれも無理だ。今日は待機が無い。だったら一度家に戻って、走りに行く。
夜間検問に引っかかったのをきっかけに、家に戻った。他部署もそうやって忙しくしているのに、春久が腐っているわけにもいかないと、気分を変えて。
ソファーにもたれてビールを空ける。
「ハルさん、戸野原さんの持っているキャンプ道具って把握している? 俺はオイルランタンとかアルコールストーブなんかのちょっとレトロな火器類が好きだけど、戸野原さんはソロじゃ無いから多分、LEDを使うだろうし。この間は大きなBBQコンロ持っていたしね。それとなく確認よろしくお願いします」
ああ、カイのメールに癒やされた。こんなメールが入っているならもっと早く戻ってくれば良かった。
とっくに日付も変わっているから二人とも眠っている時間だ。戸野原に確認出来るとしても明日だ。
「一応聞いておくが、アウトドアメーカーの保温マグカップをペアでどうだ? 奥さんと二人か、長男と二人か、多分三人ってことは無いと思う。一人か二人か四人だろう、動くとしても」
「適当に当たりを付けておく」
風呂上がりに、返信を見つけてしまった。
「お前、明日も仕事だろう。寝ろ」
「まだ起きてるハルさんには言われたくない」
「朝から面倒な打ち合わせの連続で、気分転換中だよ」
「じゃ、お互い様だね。お休み」
「お休み」
そうか、カイも気分転換中か。だったら同じだな。春久はビールの缶を捨て、部屋に戻った。敷きっぱなしの布団に横たわる。目覚ましだけはセットして、そのまま睡魔に一直線だった。




