調整
結局戸野原に愚痴ったのは、警部になるには結婚は絶対だと言われたことだけだ。
「水を差すようで悪いが、警察を辞めるという手段も有るからな。お前にとっては最後の手段だろうが。後は、警部は蹴るってのもある。定年退職まで巡査部長も多い中、警部補で御の字だと思えるのなら。意欲があるなら、独身でも関係無いと言わせるほどの手柄を立てるとかな。その班長が言った“出会って三ヶ月で結婚するような相手”に、この先出会うかも知れないんだ、気を病む必要は無いと思うぞ。抜け道はいろいろ知っておいた方が良いだろうが、なるようにしかならないし、お前が嫌々結婚して、これからの仕事と家庭を上手くやっていけるとは思えないんで、今のお前に結婚は悪手だ」
悪手とまで言われてしまった。確かに今結婚して仕事に支障をきたさないかと問われれば、首を傾げる。
「上司の紹介はもっと止めておけ。後々面倒臭いことになりがちだ。警察を辞める辞めないで大げんかしたあげくに離婚して離職した奴も知っている。離婚の原因が女房の父親だと来た日には、目も当てられないだろう」
「それは……嫌ですね」
「再婚した後は自営業で、女房の父親と比べられたあげく出世しろと尻を叩かれまくった頃に比べれば、生活はキツくなったけど、精神的にはかなり楽だと言っていたな。そんなもんなんだよ」
「確かにそうですね」
「今は秋津君に遊んで貰っていろ。彼が結婚する頃にはお前もその気になって、二組の夫婦で遊べるようになるかも知れないぞ。彼ならしがらみも無さそうだし、一緒に走ったりキャンプしたり出来る相手を選ぶだろう」
「それは良いですね。もちろん、戸野原さんも夫婦参加でお願いします」
「ははは。任せろ」
戸野原は笑い、すぐに口調を変えてきた。
「ただし、上からの話を無碍に断るようなことはするな。それなりに理論武装はしておけってことだ。未熟者だからでも、気になっている相手は居る、でも構わない。真っ正面から相手の顔を潰すな。今は大事にして貰っているんだろう。それを敵に回すのは得策じゃ無い。お前ならそこは上手くやれるだろう」
「そう……ですね。結婚話に対して、過剰に反応しすぎてました。どうやら苦手意識を持ってしまっていたようです」
「お前の歳なら周りから言われるからなぁ。もうちょい歳を食えば言われなくなる。それまでの辛抱だよ」
「ありがとうございます。俺は戸野原さんが居てくださって、こうやって相談に乗ってくださることで本当に助けられています。結婚話はもう少し上手く流すようにしておきます」
「それが良い」
もう一度礼を言って、電話を切った。周りに結婚結婚と言われて、意固地になりすぎていたようだ。戸野原とカイぐらいだ、それを言い出さないのは。
カイで思い出して、急いで次学期の授業申請をした。次いでカイに「登録はした。昨日言っていた県外二回、県内三回だ。プラス冬キャンプ用に休みは確保する」と、メールを入れる。
「俺は昨日登録したよ。全部当選すると良いね。後、月に一度ぐらいなら平日に休み取るから、行きたいところある? その前に次はショッピングセンターだよね」
そんな返事にホッとする。
「仕事でというより、職場の人間関係で煮詰まっていた。ツーリングは何処でも良い。お前の行きたいところを優先するから、平日に付き合ってくれ」
「おっけー」
だから、返事軽すぎだろう?
「は……はは……」
テーブルに座って見ていたパソコン。カイの返事を見て、そのまま後ろに寝転がった。カイの返事に救われる。
「キツく」て「危険」な仕事だけれど、警察官にはなりたくてなった。それなのに、「嫌い」の3Kになりそうだった。たかだか結婚話を持ち出されただけなのに。七年も前のことが、そこまで尾を引いていたのか。
カイの声が聞きたいなあと思う。思うが、自分のわがままでカイの邪魔は出来ない。電話は諦める。上体を起こして
「ショッピングセンターの日程、決めてくれ。八月中の休みだ」
そう書いて、後ろに休みと、待機の予定を並べた。並べたと言ってももう半分も過ぎているので二三日だけ。午後から待機の時は早めに帰っておかなくてはならない。
「じゃ、ここ一択じゃないか。この日で良いよ。明日、職場に行ったら、即休み入れておく。駐車場はこの間のところで良いよね」
「OKだ。それから、戸野原さんに日頃の礼で何かキャンプに使えそうな物を送りたいんで見繕うのを手伝ってくれ」
「おっけー」
断らないよなぁと、思う。パソコンを少し押しやり、テーブルに腕を置いて額を載せた。戸野原とカイには助けられまくっている。カイには何をすれば喜んでくれるだろう。やはり旨い物を奢ってやることぐらいしか思い浮かばない。というか、他に何も欲しがらないのだ。ツーリングに付き合ってくれるから、キャンプに一緒に行ってくれるから、それで充分だと言って。
戸野原に贈れる物を一緒に探してもらいながら、カイの欲しいものを探そう。そう決めた。
翌朝、春久は職場で課長を見つけ、すぐにお茶に誘った。と言っても、廊下の隅にある自動販売機前のソファーに座って、だ。会議室を使うほどでも無い時には、よくそこが雑談兼情報伝達の場になっている。
「昨日は済みません」
「どうした?」
「結婚の話です。自分でも知らない間にかなりナーヴァスになっていたようで。課長がいろいろ心配と気遣いをしてくださっていたことは判っていたのですが」
「する気になったのか?」
「これから探します」
それで見つかるかどうかは別問題だが。
「ただまあ、すぐには無理だと思いますので、気長に見守っていただければと」
「判った。お前ならその気になればすぐに口説き落とせるだろうからな。紹介が欲しければいつでも言ってくれ」
「はは。そうですね。その時は是非。話は変わりますが」
さっさと変える。チェンジだ。ひとまず神妙に謝って、結婚話にはアレルギーがあることとそれでも前向きにはなっていることだけ伝えれば、それ以上その話に振り回されたくなど無い。
「昨日の班員変更の話、今日明日にでも本人に伝えて大丈夫ですか? こちらでのやり方を判っていないので、熊野係長に聞く前に課長に許可を頂いてからと思いまして。熊野さんとの相談だけで良ければ、そうします」
「ああ、熊野と相談してくれて構わない。二人でいつからと決めて、六人で話をしろ。お前と熊野、担当班長二人と本人二人。その後で、残りの一人も面談はしろ。班長を入れて。ごねるようなら俺も入るんで知らせてくれ」
班入れ替えと異動する班員のことは六人で話し、問題児については班長と本人の三人、場合に寄っては課長も含めて四人の話し合い。
「判りました。ありがとうございます。では早速スケジュール確認して、早めに面談終わらせます」
執務室に戻り、五人全員在席していることを確認。それぞれにこの後の予定を聞いて、空いている会議室を押さえた。
「え? 今から班の変更ですか?」
班員二人は驚き、そして青ざめている。こんな時期に班間であろうと移動させられるようなことを何かしたのかと。驚いているのは本人だけでなく、彼らを抱える班長も、だ。
「悪い意味じゃ無い。二人はこの十月に、本庁に異動して貰うつもりだ。進路希望を叶えられると思っている。ただ、今の段階ではまだ未定だ。本来なら新しい係になると地域が変わって顔見せになるが、二人には主に一階の生活安全課の窓口に座っていてもらう。その合間で、希望の課のメンバーに話を聞いたり手伝いもして。そこで本当に自分がやっていけるかどうか。まずは体験して欲しい」
「判りました」
「窓口なので、二人とも異動までは制服だな」
「はい」
春久が説明するのはそこまでだ。説明役をチェンジする。
「この後部屋に戻ったらすぐに机の中の物を移動して、班長の指示に従ってくれ。班長も二人は異動することを念頭に置いての指示出しを頼む。外回りに連れて行くときも制服着用のままだ。そうすれば一々紹介も要らないだろう。制服は大いなる身分証明書だからな」
熊野班長がそう、説明をしてくれた。
「判りました」
「その後順調に進めば、九月後半の二週間程度、二人は丹波長の下で異動用の書類作成だ。本部異動なんで、引っ越しの準備もあるしで早めに告示されるはずだ。そこは、今年の一月一日付けでの異動してきた丹波係長が詳しいからな」
いきなり春久の背中を叩かれた。痛い。
春久が実際にここで業務を開始したのは十二月の末からだが、それは本来有るべきはずの引き継ぎ期間も含めてであって、辞令は一月一日になっている。
「出世も丹波長にあやかれ。それは頑張っている二人への課長からの伝言だ」
「俺にはそんなこと一言も」
「面と向かって言ってくれと?」
「いや、良いです。要らないです」
顔が赤くなるかと思った。急いで咳払いし、スーツの襟を直す。
「班長も今頃の班間異動で大変だが、後一月ほど、二人の面倒を頼む」
「了解しました」
「ああそうだ。班長に課長から。今年の班異動、丹波係長のところは含めない予定だったが、彼が慣習に従うというので彼の下の班も一部異動する。二人には面倒を掛けることもあって、先に伝えておく。彼の下に付きたいなら早めに希望を出しておけば融通利かせてくれるかも、知れない。かもだからな、かも」
熊野係長が余りにも念押しするから、班長たちも笑っている。
「これからの異動の可能性が一番少ないのが丹波係長だろうしな。今年来たばかりだ。長期の計画を立てるなら、彼の下に付いた方が、途中でちゃぶ台返しをされる可能性が少ない」
「ちゃぶ台?」
「おー。丹波長はちゃぶ台を知らない世代か? 食卓だな。ローテーブルの。昔の根性漫画では、よく頑固親父がひっくり返してたぞ。なので、ちゃぶ台返しと言われて、まあ、権力の有る奴がそれまでのお膳立てを根本からひっくり返すって奴だ」
聞き慣れない言葉に引っかかれば、班長の一人が笑いながら教えてくれた。
それは何かで聞いたことがある気がする。
「へぇ。今のダイニングテーブルじゃ、そう簡単にはひっくり返せませんよね、確かに」
春久より若い班員が、なるほどとばかりに頷いている。
「今でも畳の部屋だと使っていることはあるな。特に高齢者の一人暮らしなんかは。使わないときは壁際に寄せられる。俺の親世代も使っていたし、田舎に行けば、爺さん婆さんのところには今も有る」
「そうなんですね。知っていると話が広がるのでありがたいです。うちも引っ越しに伴いローテーブルは入れましたけど。そんなのがあるならそっちでも良かったかな。洋間で、ソファーを入れているんですけど合います?」
「合わないな」
「確かに、洋間はまだローテーブルの方がしっくりくるな」
係長だけでなく、班長にも言われてしまった。
そのまま少しだけ雑談をして解散。雑談は大切だ。多少砕けたところで判る人柄も有る。それが終われば自分の席に戻り、別の班長に声を掛けた。
「今日は?」
昨日話をした班長に声を掛けた。その声掛けだけで班長には伝わる。無断欠勤した男。
「来ていません。ああ、今日も、ですね。直行直帰の連絡を受けたと言うんですが、肝心の出先も聞いていないなんてバカなことを。責任持って行き先を確認しろと叱ったところです。それから、ローテーションの変更が有るんで、俺のところに直接連絡を入れさせるようにも言いました」
「判りました。申し訳無いですが、よろしくお願いします。出てきたらすぐに、異動の話もしたいと思っていますので、声を掛けて貰えますか?」
「了解です」
ちらりとホワイトボードに目をやった。昨日班長が無断欠勤と記載していた赤い文字が消え、直行直帰と書き直されている。
「で、電話もまともに受けられなかったのは?」
文字の癖で大体判っているが。春久の見ている方へと、班長が顎をしゃくって見せた。
「次の予定までまだ三十分は有りますが。呼びますか?」
問われたので頷いた。
「そうですね。それから、班長は後期もうち(の係)でお願いします。いろいろ助けられているので、今班長に居なくなられたら自分の首を絞めるの、判っていますので」
班長は課長席を見て、それから春久の袖を引っ張った。朝、課長と一緒に話した場所に、今度は班長に連れられて。
「そろそろ係長も気づいていると思いますけど、うちの班は問題児ばかり集められてますよ? なので、係長持ち回りなんです。丹波長の前の係長がバカやって飛ばされたので、丹波長、貧乏くじ引いているんです」
「そうですか? 彼らを纏めることが出来るって事は、班長に力が有るって事でしょう?」
「買いかぶっていただけるのはありがたいですが、俺が係長間異動すれば俺の下の班員全員手を離れるので楽ですよ?」
「班長に世話になっているのは、班員の事だけじゃありませんから。俺は歓迎しますよ。是非とも後期も居てください。あれなら課長に直談判しますけど」
「自分も五年目終わるので、来年度には異動の可能性も高いんです。そうすると、来年度新しく来るだろう班長の面倒も見なくちゃいけなくなりますよ」
「俺も八ヶ月前まで班長でしたから、班長の苦労も覚えてます。少しでもお力になれるよう、頑張ります」
「それ逆でしょう? 班長が係長の力になれるよう頑張らないと」
「じゃあ、課長にお願いしておいてもよろしいですね」
「癖の有る奴を抱えているので、担当地区が変わらないのはありがたいです」
「あ……そうですね。先に俺の担当地区が変わらないことを確認しておきます」
「いやいや。係長クラスはよほどの事が無い限り担当地区は変わりませんよ。地域の顔になる人たちと繋がり持っているんですから。特に丹波長はまだ来て挨拶回りしたばかりじゃないですか。少なくとも二三年は同じところです」
「そうなんですね。判りました」
「会社や学校なんかの長が付くような人たちは、何か有れば係長のところに相談に来ますから」
「そうですね。ええ、そのための挨拶回りも含まれていたのでしたね」
前担当者の尻ぬぐいだけではなく。




