余波
翌日、朝の挨拶を交わしているときに
「丹波。ちょっと来てくれ」
いきなり課長に呼ばれた。
「今すぐですか?」
脱ぎかけたサマースーツをもう一度着直そうとすれば、課長は手を振って
「服を脱ぐくらいは待ってやる」と。
だから脱いだスーツをハンガーに掛け、内ポケットから警察手帳とスマホを引っ張り出した。警察手帳はワイシャツのポケットに、スマホはズボンのポケットに入れ、引き出しの鍵を開けて中からノートと筆記用具を取り出して再び、鍵を掛けた。
「いつでも大丈夫です」
「別に尋問するわけじゃないからな」
課長は少しばかり笑って先に立って歩き始めた。それに着いて、小さめの会議室に入る。
「お前がこの連休に、他県の警察に喧嘩を売ったかどうかだけの確認だよ」
「他県の? 他所轄じゃなくて?」
「は? そっちなら心当たりが有るのか?」
「ありませんよ」
春久は言い切った。前日の高速道路の事では、春久が警察だとは名乗っていないし、第一、喧嘩を売ったわけじゃない。用事が済んだのなら帰らせてくれと頼んだだけだ。
「他県の警察なら、一昨日の夜中から昨日に掛けて呼びはしましたよ。管轄じゃなかったので。呼んだと言うよりも、呼ばせたというか」
キャンプ場での出来事を話す。確認の為に管理人を通じて警察に連絡をし、怪しい行動をしていた三人組は窃盗犯として逮捕された事。
「それで、犯人も証拠物品も全て向こうに渡したんだろう?」
「そうです。あくまでも俺は私人の立場で休暇を満喫していただけなので」
「なのになんで、お前が喧嘩を売ったって話になっているんだ?」
「俺の方が聞きたいですよ」
「まあ、状況は判った。謝るにしろ文句を言うにしろ、状況を知らないわけにはいかないからな」
「なんなら自分で連絡しますよ?」
課長は顔の前で手を振った。
「感謝の連絡ならお前にさせるんだが、こう言ったのは上が間に入った方が良いんだ。直接で無ければ向こうも頭も冷えるしな。相手の立場は確認したのか?」
「しました。お互いに名乗ってます。現場指揮は巡査部長が担ってました。俺はたまたまキャンプに行っていただけなので、必要があれば証人にもなるが、必要無ければそのままでということも話してます」
課長は手に持っていた紙をペラリと回して、春久にメモが書かれている面を見せた。
「お前に対してのクレーム連絡だと来た。お前がそんなことで嘘を吐くとは思えないし、悪意があるのはこの連絡してきた相手か、電話を受けた相手か、どっちだろうな。受けた奴だったら、飛ばす。お前のところの下っ端だが、問題は無いな」
連絡してきた相手のことは書かれているが、電話を受けた者の名前は書かれていない。でも、癖のある筆跡で判る。
「五月の終わりに、班長越しに認められない経費の書類を他の書類に紛れて出してきたので、班長経由で突き返した奴ですね」
「ああ、判った」
課長は業務用電話を取り出すと、目の前で、メモに書かれている電話番号に掛けはじめた。
挨拶をして、電話をしてきた相手を指名する。しばらく待たされたけれど相手は在席していたようで、雑談混じりで当日の事を話しているが、課長が少しばかり低姿勢だ。相手を怒らせるような行動に心当たりは無いのだが。そう思っていると、課長が電話を渡してきた。
「お前に礼を言いたいそうだ。それと調査の進展具合の報告」
急いで電話を受け取った。
捜査協力の礼を言われ、彼らが窃盗したものが次々とあげられ、盗品と判って売買をしていた業者も摘発に至ったらしい。彼らがいくつかの県を跨いであちらこちらのキャンプ場でいろいろやっていたため、他県にも捜査協力を要請するハメになったそうだ。
「そっちの県で捕まえられたら、そちらの手柄になったのに。なんか、うちが美味しいところを貰ってしまって申し訳無い」
「いえいえ。私は休暇中でしたから。仕事を増やしてしまいこちらこそ、済まないと思っています」
「一緒に居た方たちもお仲間(警察官)か? 民間人なら、感謝状ものなんだが」
「彼らは民間人ですが、名前を出してくれるなと言うことなので、善意の協力者と言うことで」
善意の協力者。前日から何回この言葉を口にしただろう。戸野原も垣内も何よりカイが、善意そのものだ。彼らに何も無ければそれで充分だと思う。
自分たちも必要なら捜査協力しますと口にしたところで、課長が電話を替わってくれと手を出してくる。なので春久も相手に断って、電話を戻した。
「うちの連中ががさつで、電話番一つまともに出来なくて。そちらにご迷惑をおかけしていたら申し訳無いと、私の一存で私から連絡を差し上げました。丹波が相手を怒らせるならよっぽどですし。安心しました。それから先ほど彼が言った通り、こちらで手伝えることがあれば。ええ。では」
課長はそう言って話を終わらせ、電話を切ってから、春久を見る。
「相手は(所轄の)刑事課の課長だ。自分のところの下が世話になったのと、お前が若くして警部補だっていうんで、面識を持ちたかったらしい。キャリアかとは聞かれたので違うとは言ったが、それ以上は何も伝えていない」
大筋は聞いていたから知っている。たまに相手からの質問に「はい、いいえ」で答えていたので、その時だけは内容が判らないが。キャリア云々は、その「はい、いいえ」の時だろう。
「ってことで、こいつは飛ばす。班長交えて三人で話をしたいが、班長は居るか?」
課長が電話メモをピラピラと振りながら。
「今日は出勤ですよ。見てきます。ついでに飲み物を取ってきて良いですか?」
変に緊張した。
「ああ、俺も行こう」
二人で一度外へ出た。春久は特に、来てすぐに呼び出されたから、自席のパソコンすら開いていない。
「先に班長と話をするんで、少し遅れてきてくれ。普段の勤務態度も把握しておきたい」
「了解しました」
課長が班長に声を掛け、二人で出て行く。
「丹波長、どうかしたのか? そっちの班長」
「彼の下から人が減るかもしれないのでその話です。改めて課長から連絡があると思います」
隣の係長席から声を掛けられたので、そう答えた。他のメンバーも大勢居るところで、バカ正直に答えるべき話じゃない。
それにしても、と、空いている席を見る。ホワイトボードには出先と書かれているが。
しばらくして班長が戻ってきて、春久に
「係長、一緒にお願いします」と声を掛けてきたので、頷いて立ち上がった。パソコンの蓋を閉じれば画面にロックがかかる。引き出しの鍵も確認して、先ほどと同じノートを持って立ち上がった。
「済みません、監督不行届きで」
「本人は? 出先になっているけど」
班長はホワイトボードに目をやると、大股で歩いて行き、その行を消した。赤いマジックを取って「無断欠勤」と書き殴り、春久の隣に戻ってきた。彼も腹に据えかねているようだ。
二人が部屋に戻ると、課長が後から入ってきた。
「ちょっと話も長くなりそうだからな」
自動販売機で買ってきたのだろう、冷たいペットボトルのお茶を二人の前に置いてくれ、自分はパキッと音を発てて蓋を開けると、一気に半分近くまで飲んでいる。
「いただきます」
班長も蓋を開け、すぐに口にする。春久も目の前に置いてくれたペットボトルに手を伸ばしたが、蓋を開けただけだ。
「もしかして、先ほどヒートアップしてました? 二人で」
「してたな」
「してましたね」
課長と班長が頷き合う。それは、お茶をがぶ飲みするのも、判る。
春久も一口お茶を飲み、きゅっと蓋を閉めた。これからの事を話し合わなくてはならない。
「今日は無断欠勤とのことでしたが、昨日は来ていたのですよね? あのメモを残せるぐらいなのですから」
春久は課長の手元にあるメモに視線を向けてから、班長に聞いた。
「居ましたよ。一日部屋に居たはずです。私も途中何時間か抜けましたし。夕方帰ってきたときには、早上がりだと、隣の席の奴から聞いたので、朝しか顔を見ていませんが」
「出先と書いていたのは?」
「ずっと、ですね。書き直したことが無い。基本外か机の前か、どちらかなので」
言われると確かにそうなのだが。ホワイトボードの役目を果たしていない。
「きちんと書くように再通知だな。行き先を書かないと意味が無い」
課長が溜息を吐いた。
「で、窓際と忙殺されるところと、どっちが良いと思う?」
今回問題を起こした警察官の異動の話。
「窓際だとこれ幸いにサボりますよ。かといって、忙しいところに放り込むのは相手への迷惑かと」
「確かにその通りだな。丹波、良さそうなところ、知らないか?」
「本人に聞くのが一番では。長続きしないとは思いますが」
「それならそれで良い。要は辞めたときに逆恨みさえされなければ、だ。最近はデタラメ広める奴も多いからな」
課長が零した本音。
「希望部署に行って開花してくれればとは思いますが。辞めるときには自分が希望したってことも忘れているんでしょうね」
「ちなみに、うちを希望したのも本人ですけどね。前回の例の書類問題の後で、以前の勤務態度確認の為に以前の上司に連絡を取りました。私服組を希望して、かと言って刑事になれるだけの実力も無く、生活安全課で良いと答えてこちらに来てるんですよ。「で、良い」って何だ、とは思いましたが。仕事に誇りを持ってないから、自分がなんで五年経っても巡査のままなのか、少しも理解してない」
班長がきちんとフォローしていることを、教えてくれた。
生活安全課にも私服と制服はいる。地元の見回りには制服が信頼と抑止力になる。ただ場所によっては、制服の警察官に出入りされると外聞が悪い、痛くも無い腹を探られる、と、私服を希望したりもする。特に組織の代表格との折衝時。春久の下は訪問先比率の関係で私服と制服が半々、春久に関してはたまに民家巡回などで制服を着るが主に私服、逆に課長は常に制服を着ている。
「年が三歳しか離れていない丹波が係長で、自分が平巡査じゃあ面白くないってことか?」
課長が春久を見ながら。班長も同じように春久を見て
「そうでしょうね」と、同意を示した。
「普通に考えればなんでそれだけの差が付いたのか、努力の結果だってことぐらい判りそうなものなんですけどね。自分も、若い係長だと思いましたよ、最初は。でも、一緒に動けば判る。話術も人心掌握術も長けている。
下っ端の中には、今大学に行ってるって事は高卒だろう、どんなコネで係長なんだなどとこそこそ噂する奴も居ますけど。大学では法律を学んでトップの成績で卒業しているし、仕事のために知識の不足分を補おうと休みにまで勉強漬けだと教えたら何も言わなくなりますね。少なくとも上に行こうとする気概が有る奴は」
「ありがとうございます。いろいろ庇っていただいて」
まずは礼を言って頭を下げた。
「ただし、買いかぶり過ぎです。話術も人心掌握術も、全くです。なんというか、友人を怒らせたり拗ねさせたりして付き合い方を学んでいるところなんですよ。恩人にいろいろアドバイスを貰いながら」
「友人? 女か?」
なんで課長が身を乗り出すか。
「違いますよ。ツーリング仲間の一人です。自分に自信が持てない奴なので、こっちが言い方を間違えると殻に籠もります。お陰で、引きこもっている子供たちへの対応の練習になります」
言い方は少しオーバーだけれど、そうやって言っておけば課長のおかしな期待は消えてくれるだろう。
「ま、確かに。少年課にでもなれば、メインはそっちだからなぁ」
課長は椅子に座り直した。
「人事に状況とどこか引き取り手が無いか、声を掛けておく。で、補充は必要か?」
「十月の定期異動で二人」
即座に希望を出した。




