帰路の途中で
カイがトイレに向かうのを見て、春久は立ち上がった。
ひとまずは営業スマイルだ。警察官が営業?と思うかも知れないが、初対面の相手には顔に笑みを貼り付けた方が、何かとスムーズに進む。
警察官二人が、男三人と話をしている。じっくり男たちを見て、は?と眉を顰めた。誰がバイクだ? 通路の側にバイクを停めているということは、その中の誰かがバイク乗りなのだろうけれど、半袖とか、ぺらぺらのシャツとか、短パンとか。肌むき出しの格好で高速道路百キロ出して、怖くないのだろうか。春久でも怖い。なので、カイの元に飛んでくるときも、バイク用のブーツにパンツジャケット、フルフェイスのヘルメットと、完全装備だ。
真面目なバイク乗りを大勢見てきただけに、あまりにも無防備な格好に、思わず笑みが固まりかけていた。軽く息を吐いた。平常心。
春久は道路の進入規制をしているもう一台のパトカーを見た。そちらも、通路の分かれ道にパトカーを停め、赤く光る指揮棒を振って車を他車線に誘導している。
三人の男と話をしている警官を見て、また小さく溜息を吐いて車の誘導をしている警察官に向かった。
「すみません」
「はい。どうかされましたか?」
「友人が、事故の目撃者なんですけど」
言いながら、背中の方へと親指を突き出した。
「ああ、あの接触事故の」
「目撃者だからと言われて待っているけど、話を聞かれるでも無く、ずっと放置されているので、そろそろ解放してやってくれませんか。明日から仕事だと言うのに、まだこれからしばらく走らないと駄目なんで」
「ええ? いや、それはぁ」
「おまけに暑いところでずっと立ちっぱなしで、あれじゃあ熱中症になりそうなので、ひとまず顔を洗ってこいとトイレに行かせましたけど。当事者ならともかく、聞くこと聞いたら、早く帰らせてやるのが筋じゃ無いですか?」
「まだ聞くこともあるかも知れないし」
「連絡先、聞いてますよね? 協力はあくまでも要請であって、強制では無い。この炎天下、今まで黙って待っていてくれた彼に感謝と謝罪をして、帰宅を促してやって貰えませんか?」
「捜査は向こうの……」
「まだ揉めていてただでさえ長引きそうなのに邪魔をしては悪いと思ったから、こちらに話をさせていただいているんです」
笑みが威圧に変わりそうになるのを押しとどめる。優先順位を考えろと言いたい。けれど、カイを優先させろと言うのは私情では無いのか。自分に再度問いかけつつ、心を落ち着ける。
「ハルさん、ごめん手伝って」
カイの声? 春久は振り返った。
「救急道具取り出したいんで荷物押さえておいて」
「どうした?」
警察官など放って置いて、カイのバイクに。パニアケースの蓋の上にまで覆い被さっていた荷物を持ち上げると、カイはその下にあるパニアケースから小さな救急道具を引っ張り出した。
「子供が転んだんだ。絆創膏で間に合うと思う。行ってくる」
「ああ。よく洗ってからだぞ。俺の渡したハンカチ、濡らそうが血で汚そうが構わないからな」
「判った。ありがとう」
カイがまたトイレの方へと走っていく。それを見送ってから、春久は警察官の元へと戻った。
「中断して済みません。でも、事故当事者と話をするのはあなた方の仕事ですが、彼は目撃しただけで善意で残ってくれている。俺はあなた方がその善意を無碍にしているんじゃないかと、それを心配しているだけです」
子供のために走って行くカイ。彼が警察官だったら、きっと人のために走り回って、それから上司にそんなことまでと叱られるのだろう。要領は良くない。けれど、いつも一生懸命だ。
「ちょっと待ってて」
目の前の警察官は、もう一人に自分の立っていた場所を任せると、当事者たちと話をしている警察官のところに。ぱらぱらと聞き取りをした紙を捲っている。
カイが戻ってくるのと前後して、春久のところに。だから春久はカイの方へと移動した。警察官も一緒に。
「ハルさん、お待たせ」
「いや。俺も話をしていた」
そう言うと着いてきた警察官に視線をやった。
「えと、秋津さん?」
「はい?」
名前を呼ばれて、カイは首を傾げている。今、返事が上がり口調になってなかったか?
「連絡先を聞いただけで一時間近くそのままにしてしまったようで、申し訳ありませんでした」
「え、あ、いえ」
カイは春久を見る。春久はカイを見下ろす。
「申し訳ついでに、当事者が全員居るのと、本部の鑑識も到着する頃なので、帰って頂いて大丈夫です。もしかしたら後日ご連絡させていただくかも知れませんが」
「ありがとうございます。ハルさんもありがとう。それからハンカチ、洗って返す。次のツーリングか、面接授業の時に」
「血が付いたのなら捨てて良いんだぞ?」
「でも、ちゃんと染み抜きすれば綺麗になると思うよ」
「まあ、お前は優しいからなぁ」
春久は頭を掻く。
「それは捨てた方が良いと思いますよ。ハンカチがどうとか、相手がって話じゃ無く。体液越しに移る病気も有るから」
一緒に居た警察官がそうやって説明をしてくれる。昔と違って、最近は見知らぬ相手の体液には皆慎重になっている。警察官、医療関係者、などなど。特に血液に触れることの多い職業では。
「要らない紙、一枚貰えません?」
春久が聞けば、警察官はポケットから四つに折った白い紙をくれた。両面何も書かれていないことを確認して、カイに出させたハンカチを包んだ。
「これならハンカチだとも判らないだろう」
「高そうなハンカチなのに、ごめんなさい」
「良いよ。お前が悪いわけじゃ無いんだから、謝るな。人助けしただけだろう?」
「じゃあ、ハルさんの誕生日プレゼント、ハンカチにする」
「四ヶ月は先だな。ま、楽しみにしておくよ」
無理にこんなところで否定することも無い。本当に誕生日が来るまでには忘れているだろう。
春久が包んだハンカチをゴミ箱に捨てている間にカイは救急箱を荷物の間に挟み込んだ。カイがジャケットとヘルメットを被るのに合わせて春久も同じようにする。
通路の入り口はパトカーが塞いで入ってくる車は居ないのに、先ほどの警察官はなおも二人のバイクが駐輪場から出るのを誘導してくれる。ぺこりと頭を下げて、そのエリアを出た。
後はカイの家に一番近いインターと思っていたら、カイは次のパーキングエリアに入った。
「どうした?」
隣にバイクを停め、ヘルメットのひさしを上げる。
「ちょっとだけ一緒に授業一覧見て。それで、ハルさんは次のインターで下りて上がり直せば、多分俺と同じぐらいには家に着くよね? まだ荷物片付けてないよね?」
「判った」
カイの気遣いを無にする必要も無い。
「飲み物買ってくるんで、その間に資料を出しておいてくれ」
「判った」
パーキングエリアは小さい。他にバイクも無い。だから二人とも自分のバイクに腰を下ろして、カイの出してきた授業一覧に目を通す。周りに人が居なければ、荷物の底に入れた資料を取り出すために荷物を広げるのも気兼ねする必要が無いし、必要な物だけ出してその資料を入れる隙間だけ作って詰め直しておけば、すぐに帰ることも出来る。
「ああ、これとこれと、これだな」
カイに借りたペンで、春久が受けるつもりになっている授業に印を付ける。心理学以外の三教科、カイが印を付けている四教科。県外の一教科、県内の一教科がズレている。もっとも、県内に関しては春久が心理学を優先しているから仕方が無い部分も有る。同じ日に別の教室なら、一緒だと思うことにする。少なくとも一緒に昼飯は食べられる。
「これ、雪が降るかもしれなくて、諦めた奴。そんなときに高速、車でも走りたくない。凍結する」
「スタッドレスでキツくても、チェーンがあれば大丈夫だろう。早朝の凍結でも」
「トンネルが連続しているときにそれだと道路傷めるよ。その前に、俺はやだ」
「二泊三日で、前日入りは? お前受けたいんだろう?」
カイが好きそうな奴だと思って選んだのだから。その点は間違いないはずなのだ。ただ、路面凍結という不確定かつ不安要素があるために。今年の冬が、雪深いかどうかなんて、今から判るはずが無い。
「雪や寒気が来そうなら、前日出来るだけ近くまで走って、どこかに泊まる。ああ、終わった日も、遠回りして戻ればなんとか」
「でも、ハルさん休みは?」
「前もって有給入れておけばなんとでもなる。お前、五回、県外三回行けるのか?」
「あ~。四ヶ月で五回……。ツーリング行けなくなる」
「県外(授業)に行くならツーリングメインだろうが」
「それもツーリングだけど、キャンプも出来るツーリングとか、昼飯食って帰るツーリングとか、いろいろ有る」
「平日に有休を取れ。そうしたら付き合ってやる。それ以外はソロで走ってこい。俺が居るときなら、うちを休憩所だろうが中継所だろうが使って構わないんだから」
バイクに腰掛け、たまにお茶やコーヒーを飲みながら、ああでもない、こうでもないと口にする。カイもきちんと自分の希望を主張出来るのだ、初対面でなければ。何回か会って話して、友人になりさえすれば。
「この頃、県内で冬キャンプにチャレンジしたい」
冬真っ盛り、県外での授業を止めて県内で遊ぼうと誘ってくる。
「焚き火有りのところ。あ~ストーブにする? ドームテント欲しいな。カンガルータイプか、インナーテント二つ入れて。そうしたらさすがに焚き火はテントの外かな」
「テントに薪ストーブインストールするか?」
「それ、メッチャクチャ欲しいとは思ってる。でも、多分手入れ出来かねる。置く場所も無い。電源サイトで電気ストーブが一番安心だよねぇ。インナーテントにはインフレータブルマットに電気毛布とか。まあ、普通の毛布でもいいや。炭が落ち着くまではテントの外だけど、落ち着いたら真ん中に入れて、換気だけ注意して、熾火で暖まるのも良いよねぇ。ソロ用だと前室小さすぎてそこで火を使えないから、ちょっと大きなテント」
「授業は良いのか? お前好きな奴だろうに」
「また機会があるのを待つ! 授業は興味有るけど安全を優先する。さすがに事故でも起こしたら職場に迷惑掛けるからね。そこまで自分の運転、過信できない。ハルさん一人に運転させるつもりも無いからね!」
「判った。だったらまた、平日お前が休みを取れるときに、ショッピングセンターに行って、テントでも見るか? 今持っているのより大きい奴。ドームテントで左右にインナー付けられるような奴なら、多分ファミリー用になるんだろうけど、二人で立てるなら何とでもなるだろう。お前が俺と同じテントで良いのなら、だが」
インナーテントが別だと何度も言っているから、問題は無いと思う。思うが、カイは少しばかり考え込んでいる。
「俺のとハルさんのテント、すっぽり覆えるぐらいの大きい奴有るかな」
そうすれば二人のインナーテントがそのまま使える。
「有るだろう」
「判った。探す。またハルさんの休みが決まったら教えて。それに合わせて休み取る」
「判った。一日遊んでも良いようにしてくれ。昼はお前の奢りで、夜は俺が奢ってやる。それで良いな?」
「え~。いっつもハルさんが高いの奢ってくれてる」
「少なくとも休日手当、夜勤手当、危険手当なんかが付いている俺の方が、給料は多いからな。その分お前には知恵を出して貰うよ。県外は、お前が選んだ奴二回、県内は一回は同じ奴で一回は同じ日、それ以外に俺が県内一回」
言いながら忘れないようにメモを取る。それで大学に申請しなくてはならないのだ。
「二人とも抽選に受かって、俺の休みが潰れないことを祈っておいてくれ」
「了解。それと、ショッピングセンターだね」
「そうだな。ああ、そういうことだ」
「それから……さっきは悪かったな」
春久が謝れば、カイはきょとんと首を傾げている。
警察に不当に時間を拘束されたことだと言えば、カイは「ハルさんが謝ることじゃないよ。むしろ俺は、ハルさんが来てくれて助かったんだから」と急いで謝罪は必要無いと手を振った。
「そうだな。俺は警察の代表じゃ無いしな。では、友人として。気をつけて帰れよ」
「もちろん」
それでカイと別れを告げた。途中まで少し後ろ走り、インターで下りる前に隣に並んで手を挙げた。カイも手を挙げ返してくれ、そのまま別れた。春久は入り口から入り直して再び反対車線に上がり、自宅を目指す。




