引っ越し 独身寮からマンションへ
春久の異動にともなう引っ越し。ここから物語が動き始めます。
春久の住む官舎とカイの実家は、車で三十分程度の距離にあった。待ち合わせ場所の相談で、インター入り口か途中のサービスエリア、どこが一番便利かを確認していて知った。玄関を出て車に乗り込み、官舎の駐車場に車を置いて到着したと連絡が有るまでを含めるから、車に乗っているのは二十分? 信号や渋滞込みでそれだから、案外近い。その気になれば、走っても行き来できる。
カイは実家暮らしのため、ツーリングや県外授業に行く時の集合場所は、基本的に春久の住む警察独身寮の駐車場だ。本当なら建物内に入って待ってろと言いたいところだが、エントランスに入れるだけでも手続きが必要で煩わしい。なので天気が悪くて車で出るときや最初からドライブの気分の時は、春久の車を前もって来客用駐車場に移動させておく。カイは空けておいた、春久の指定駐車場に停めて車の中で待っているし、ツーリングの時はヘルメットも脱がずにバイクの側にしゃがみ込んでいる。待ちながらやっているのは読書だ。どれだけ本の虫かと思う。小さく鼻から息を吹き出し「お待たせ」と声を掛け、そのまま春久の車に乗り換えるか、バイクを連ねて出かける。
春久は仕事柄も有り、常に鍛えて筋肉質だ。対してカイは細いくせに丸っこいというか、矛盾しているようだが輪郭がほんわかしている。本人が「インドア派」と口にするだけ有って、腕を掴んでみればあまり筋肉が無いように見える。後、春久の身長が百八十を余裕で越えている横で百七十少々のカイは、遠目にはかなり身長差があるように見えるようだ。
なので同じように鍛えている独身寮仲間には、女性に見えることもあるらしく、「昨日寮まで来てたの彼女さんですか?」などと直接春久に聞くことはあっても、カイに話しかけるようなことは無かった。
昨年の冬、今から四ヶ月前に異動命令が出た。主任から係長への抜擢で栄転だけれど、寮からは高速道路を一時間の距離で、通うことは現実的では無かった。基本的には待機や災害時の出動を考慮して、住居は歩いて職場に行ける距離だ。ただ、急な辞令のうえに年末異動で官舎も空いてなかったため、急ぎアパートか賃貸マンションを探して貰った。
「人手が要るなら手伝うよ? ああ、一般人が入っちゃダメかな」
引っ越しを聞いたカイはすぐにそうやって手伝いを申し出てくれた。一般人がと言うのは、今の寮での待ち合わせ時は必ず駐車場だから、だ。待ち合わせの時はそのまますぐに出かけるので、特に不便を感じたことも無い。トイレを貸してと言われるようなことも無かった。
「次のところは賃貸マンションだから、そんなルールは無い。貴重品は自分で運べば良いだけだから、手伝ってくれるなら夕食奢るが? 職場に挨拶に行くついでに、近所で旨い店聞いておく。寝袋で良ければ貸してやるぞ」
「ええ~。じゃあ自分の寝袋とインフレータブルマット持っていく。車で行くんで、差し障りのないもの積んでくれたら運転手するよ」
「なら悪いが、二台で荷物運んだら一台にしてもう一度戻ってきてくれるか? どっちの車でも構わない。高速料金とガソリン代は払う。で、二回目に俺はバイクを運びたい。延べにして車三台分有れば、荷物は運び終わると思う」
「オッケー。ガソリン代は良いよ。今度ツーリングで昼飯奢って」
「それぐらい、お安いご用だ」
「荷室が広いのは多分俺の方だよね。二回目は俺の車かな」
「助かる」
当日は寮でも、非番のメンバーが何人か手伝いに顔を出してくれた。
カイの車にも荷物を載せる為、自然車の持ち主にも挨拶をする。カイも頭を下げていた。けれど、何かぎこちない? 最初は気のせいで終わりそうなほど小さな違和感だった。普通にリアゲートを開けて後部座席を倒してと、荷物を運び込む準備をしてくれた。
「タンさん、でかい家具とか無いから、引っ越しトラック使うほどでもないんですよね。これから揃えるんですか?」
「次のところも家具付き賃貸なんで基本的なものは有るよ。カイ!」
カイがびくりと顔を上げた。
「何?」
「そっちの車に荷物積み込み終わったら、先に行ってくれ。家の鍵渡しておく。荷物は俺が着いてから下ろすんで車に積んだままで良い。代わりに、配達の受け取り頼む」
「良いけど、何を受け取れば良いの?」
「ソファーとテレビ台が届く。設営もしてくれるから確認とサインだけしておいてくれ。俺宛の荷物だから俺の名前で、だからな」
「判った」
「一緒に行って、荷下ろし手伝ってきましょうか?」
一人がそう言ってくれたけれど「大丈夫。むこうは友人たちが夫婦で手伝いに来てくれるんで、手は足りているよ。それより運び出しを急ぎたい」ので、こっちで引き続き手伝ってくれと口にした。
カイの肩が小さく落ちた気がする。安堵だろうか。ツーリングやドライブで見せる表情とは少し違う。どうかしたのかと聞く代わりに大股で隣に寄り、住所と部屋番号、大家への連絡先まで書いた紙と一緒に、新居の鍵を渡した。住所が有れば、ナビで到着出来る。
「業者は二時頃の予定だから、今からなら余裕で着くだろう? 俺も早めに着けるとは思う。後、むすびで良ければ買っていく。向こうにも友人が手伝いに来てくれるんで、荷物を部屋に入れたらすぐこっちに戻ってバイクと残りの荷物の移動、手伝ってくれ」
「判ってる。うん。行ってくる」
「気をつけてな」
カイは周りに居る春久の同僚に頭を下げて、車を出発させた。
「誰か付いて行った方が良いんじゃないんですか? 任せてしまって大丈夫ですか? 貴重品とかも有るんじゃ」
心配されたのだろうけれど、カイを疑うような的外れの忠告は聞きたくない。毎年異動で入れ替わるこの寮に住むメンバーより付き合いが長いのだ。
「大丈夫だよ。あいつの人となりは判っている。生真面目で責任感も強くて、ちょっと離席するにも鍵を掛けるぐらい用心深い。それに向こうに直接行ってくれるメンツにも、大体の到着時間は伝えている」
第一、警察官としての貴重品は自分のバッグに入れてから段ボールに詰め、助手席の足下に置いてその上からもいくつか段ボールを置き、ドアには鍵を掛けた。ここにいるメンバーにすら見せない。
「運んで貰っているのは日用品ばかりで、大学の授業ノートはあいつも同じ授業を取っているから、見られて困る物も無い」
「さすがタンさん」
後はキャンプ道具やバイク用品なども積み込んでいるけれど、そんな情報をここで披露する必要も無い。
「ああ、そう言えば彼、男性だったんですね」
「は?」
「偶に見かけるというか、本当に偶にしか見かけないから、どこでデートしてるのかなって噂になっていたことがあるんですよ。独身寮だから女性禁止で中に入れてあげられないんじゃないかって話したり」
今更ながらにしてそんな噂があったと知った。退去時で良かった。こんなことが耳に入れば、確実に膨れる。趣味の友人は楽しいを共有するからこそ、肩の力を抜いているときの仕草が目に付く。同じ物を見て同じものを食べて、キャンプでは夜中に周りに気を遣いながらぽそぽそと語り合う。年齢に比べて少しばかり幼い仕草のカイが、唇を突き出して不満を表すところが目に見えるようだ。
荷物を新居に放り掛けたら早めに戻ってきて最終の荷物を積み込むからと宣言、まだ段ボール箱がいくつか残っている部屋に鍵を掛けて車を走らせた。
新しい職場には既に挨拶を済ませ、引っ越しの為一週間の休みを貰っている。最初の四日で今までの部屋の片付けと掃除、今日一日を荷物の移動、明日明後日の残り二日で大体の片付けを終え、その後は季節物とか、必要に応じて少しずつ片付けていく。
貴重品だけ自分で運び、後は引っ越し業者に任せるという手も有るけれど、数年で異動になることを見越して物を増やしていなかった。おまけに断捨離も兼ねて古い荷物も確認すれば、独身寮に入るときに詰めたままだった荷物の奥から、妻だった女の物がいくつか出てきた。衣類や食器類。全てゴミとして片付けたので、普通車の荷室で充分間に合う程度の量だけになった。
新居は官舎と違って、入室に許可を取る必要が無い。2LDKで寝室には鍵も掛かる。貴重品はそちらに入れておけば友人を呼ぶことも出来るようになる。大学時代にやっていた友人との宅飲みは、社会人になって遠ざかった。同じ警察官では可能でも、異業種の友人を官舎に招き入れることも出来ず、そうやって話をしたい友人たちは殆どが家族持ちでそちらの家でというのも無理がある。デリバリーを抓んでたわいない話で夜更かししてと、十年近く前とは顔ぶれも変わるが、誰でも呼べるようになった今、またやりたいと思う。
一人暮らしの家なら集まりやすい。その代わり、女物が転がっているのを見られた日には、勘ぐられかねない。大学時代それで元妻と付き合っていることがバレたのも、今にしてみればまだ取り繕うことも知らなかった未熟さが招いた結果だ。
特に、遠方になった分、翌朝早いから泊まっていいぞと言えば……。
「ああ、ツーリング。前日から泊まっていれば早朝から出発できるんだから、いつもより遠出も可能だ」
車の中、相づちを打つ相手も居ないのに、つい口にして、思考の区切りを付けた。
玄関の鍵は開いていた。開いていないと困る。唯一の鍵はカイに渡したままだ。
「お帰り」
「ただいま」
まさか出迎えの声が掛けられるとは思わなかったから、急いで返事をした。
「今セッティング中。動かせる物から入れてくれてる。重い物はハルさんが場所をきっちり指示するよね」
下の駐車場に有ったトラックで、荷物を運んできたようだ。
「判った。ありがとう」
「じゃあ、俺は軽いものから持ってくる。重いのは無理」
いや、大型バイクに乗っている奴の台詞じゃ無いだろう。と、いつもなら突っ込みを入れるところだけれど、業者が居る。
「判った。任せた」
素直に了承を返せば、カイは家の鍵を返してくれて、外に出た。春久は業者に改めて挨拶。ついでに友人たちにも、到着したからと連絡を入れた。
業者がサービスだと新品のテレビ台にテレビをセットしてくれて帰って行く。入れ替わりに車が二台、僅差で着いた。
元警察官の戸野原は、春久が社会人学生になるのを後押しもサポートもしてくれた恩人。民間会社に入って結局は責任の有る立場で新人の指導を任されている。
高校時代の同級生は垣内。春久と二人、部活で合気道をやっていたのを今も続けているので、練習やら審査で時々顔を合わせる。戸野原も垣内も、バイクに乗る。なのでカイと知り合う前は、別々にではあるがツーリングに誘い合うこともあった。
知り合った頃の戸野原は既に子供も居たが、垣内もそのうち結婚してなかなか走りに行けなくなった。それでもこの三人ならツーリングを中心に話も合うだろうと、新居の手伝いを頼んだ。戸野原に関しては、独身寮に顔見知りも居てあれこれ詮索されるかもしれないことも憂慮したが。
簡単に三人の名前と今の関係を紹介した後は、車から荷物を下ろして部屋まで運ぶ。二人とも夫婦で手伝いに来てくれたので、体力の有る戸野原と垣内が車二台からまずは手頃な大きさの荷物を持って上がることに。仕事がらみの貴重品は到着時に運んでおいたので、春久は室内で女性二人とカイにセッティングの指示を出す。女性陣二人は主に水回り、カイは玄関まで運ばれた箱を、箱に書かれているメモに従って寝室前やキッチンへと運んでくれる。
「カイ」
「何?」
「ソファー、お前の今日の寝床だ。ソファーベッドになるやつだから、やり方読んでおいて」
荷ほどきをしてくれているソファーに着いていた説明書。それをカイへと差し出した。
ベッドにもなる三人掛けの大きさだ。重さも有るため、最後まで業者と微調整をした。途中キャンプ用のラグマットの存在を思いだして床に敷き、その上にソファーを置いて少しは後で移動させられるようにして、完了させた。食事場所についても、カウンターキッチンで食器棚まで付いているけれど、食卓と椅子は無かった。それもひとまずは荷物の中からキャンプ用ミドルテーブルを引っ張り出して代用しておかなくてはならない。椅子はソファーをそのまま使う。そのソファーが思いがけず大きな買い物になったので、数年は異動が無いと言われたのを信じておこう。さすがに次の引っ越しの時は、業者を頼まなくては。
独身寮より広い部屋だから、まだ買い足せる物が有るなと思っていたところに
「ええ? 俺は車で寝るつもりでマットと寝袋積み込んでる」
と、カイから聞こえた小さな不服の声。
そんなところだと思った。車中泊やキャンプ用にコットもインフレータブルマットも寝袋も持っているのは知っている。けれど、遠方から来て今日は二往復させる客に、さすがにそれは出来ない。中に入れるだけでもかなり面倒な書類の必要な前の官舎はともかく。
「妻帯者は家に戻る。泊まるのはお前だけだ。大体、この後もう一往復してバイクと残りの荷物全部積み込むんだから遅くなる。お前の車に荷物が残ったままになる可能性も有るんだ。それとも、そのまま家に戻ってまた明日来るのか?」
うぐぐと悔しそうに唇を尖らせ、小さく溜息を吐いた。
「判った。枕持ってくるんだった」
枕が替われば眠れないと言いたそうだ。いや、キャンプでグースカ寝るだろう。夜更かしして眠そうな事が多々有るけれど。
「ちなみに、布団の余分は無いから、その上で寝袋だからな」
枕は無くても寝袋は自分の物なんだからと口にすれば
「判った」
と、今度は素直に頷いた。
「お前の荷物もついでに持ち込んでおけよ。パソコンやら本、持ってきているんだろう? 後は着替えか」
車の中であろうと、泊まるつもりなら持ってきている。パソコンと本、大学に行くときですら手放さないのだから。実際、カイは持っていることを否定しなかった。
「丹波、滅茶苦茶可愛がってるんだな、その後輩」
「後輩?」
「秋津君だっけ、彼」
荷物を持ち上がって、たまたま二人のやり取りを見ていた垣内に問われた。確かに年下だから、知らなければ職場や学校の後輩に思えるのも無理はないかと、カイを見て、元同級生に視線を戻した。
「いや、通信制大学だから、特に学年の意識は無いな。たまに授業が一緒になる。一人で走りに行って適当にキャンプして戻ってくる奴だから、気遣いしなくて良いんで、日程が合えば一緒に走っている」
普通の大学なら学年毎にある程度講義も決まっているが、通信制ならば取得する講義は自由に選べる。だからこそ、年齢の違うカイと講義が重なって友人になれた。
「お、じゃあ、今度一緒に走ろう」
説明書に目を通していたカイが、自分に声を掛けられたと気づき、少しびくりとして顔を上げたが、にこりと笑って頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
先ほど、官舎で感じた気配は勘違いではなさそうだ。けれど今は気づかないふり。
「男性陣、手が止まってる。丹波さん、食器類は自分が取り出しやすい場所に入れるわよね? 包装から出して調理台に並べておくから」
妻たちからチェックが入って、男たちは止まっていた手を急いで動かす。が、あわあわと何をすべきかと慌てるカイに対してだけは、春久はその肩を押さえた。実家暮らしだから引っ越しの経験も無く、段取りが判らないのだ。
「お前の仕事は、まずその説明書を読み込むこと。それが終わったら、お前の車の中に荷物が残ってないか確認してくれ。俺の方には多少残っていても問題無いんで、運び込みが終わったら、すぐに寮に戻って、最後の荷物だ。それまで少し休んでろ」
「判った」
「お前には今日の夕食を奢る。外食だ。他の二人には今度ツーリングに行ったときに飯を奢るのと、奥さんたちへの土産も出す」
「そうと聞いたら、旨い物を探さないとな」
垣内はにやっと笑う。
「誰か、下で車両確認待機してくれ。大物持って上がる。一々ドアを閉められないからな」
戸野原が段ボールを玄関に置きながら声を掛けてきた。
「ああ、だったら下で説明書読みながら見ていてくれ」
家の中では奥さんたちが居て、見られても差し障りの無い荷物を引っ張り出してくれている。念のために貴重品の入った箱は寝室に入れ、鍵を掛けた。後を任せて、男たち四人で駐車場に降りた。
「じゃあ、鍵は任せる」
交互に荷物を持ち上がってくれていた二人から車二台の鍵を渡され、カイは素直に頷いた。




