星が落ちる夜
しばらく戸野原の次男と妻も含め、五人で星座を探していた。夏の大三角形、はくちょう座のデネブ、こと座のベガ、わし座のアルタイル。南へ落ちて、夏を象徴する赤い蠍座のアンタレス。それぐらいはなんとか見つけられたが、ともかく星が多い。
「北極星は?」
「カシオペア座見つけられる? Wの形。あれなんだけど……」
子供相手には緊張もしないのか、カイは戸野原家の次男に夜空を指さしながら教えている。
そこに二人分の足音。全員が振り返った。
「あの人は?」
次男はかなり気になっているようだ。戸野原はなんと言うべきか考えて、頭を掻いている。
「他にテントは無かった」
「え? テント取られたって事? だから急いで行ってあげれば良かったのに!」
戸野原は次男の頭を撫でている。優しい子だと、春久も思う。
「他のテント、だ。広いところで、さっきの人のテントだけだった。人を呼んでくる気配を感じて逃げたんだって言っていたが。この時間に何処に逃げるんだってことだな。後、駐車場もざっと見てきたが、さっき荷物を片付けるときと特別目を引く変化は無かったな」
クーラーボックスなどこの後必要無い物を入れに行ったのは、子供たちが風呂に行ってすぐの時だ。その時から変わりが無いと言うことは、車で逃げたわけでも無い。もちろん車の一台ぐらい戸野原の見落としも考えられるが、少なくとも戸野原が荷物を片付けているときにばたついている車は居なかったということで。そもそもこんな暗くなった時間帯に山道を下りていくとも考えられない。それも、男二人、逃げるいわれが無いだろう。
かと言ってテントを移動させたのであればそれなりに音もするはず。特に夜中にペグでも叩けば、かなり遠くからでも判る。それらも聞こえなかったのだから、最初から絡んできたという男たちは存在していなかった?
「で、移動は止めたんですか?」
「いや。うちのが侠気を見せたというか、さっき話をしているときに、心細かったら近くに立てれば良いと言ったらしい。隣と言わなかっただけまだ分別はあると思うんだが。ということで、丹波、秋津君とテントを替えてくれ」
思うことは同じらしい。
「そのつもりでした。カイ、俺のテントを使え。貴重品他、使う物は持っていけよ」
「大丈夫だよ」
「お前が大丈夫でも、俺たちが心配するんだ」
「……判った」
周りに心配を掛ける気はないようで、素直に頷いた。
「風呂の時間制限も有るんで手伝えないとは言っておいた。俺と垣内君が先に風呂に行ってくるんで、秋津君、引き続き星の解説頼む。ボディーガードに丹波を置いておく。俺たちが戻ってきたら、お前たちは寝ろよ」
寝るようにと父親に言われて、息子たちは唇を尖らせている。そんなに早く眠れないとばかりに。
「寝たふりで良い。俺たちが戻ってくるまでにあっちがテントを移動してきていたら、だ。してこなければそのままで良い。危機管理については丹波に教えて貰え。自分が事件に巻き込まれないようにすることも大事だからな」
戸野原が息子たちに注意を与えている間に、垣内は自分のテントに入って着替えを取ってきた。風呂に行くならサンダルの方が楽だろうが、やはりランニングシューズ。何かの時に飛び出せるようにしている。
「奥さんには、俺が風呂から戻るまでは起きてるように伝えてる。子供を見ているからテントの中に居るけど、何か有ったら遠慮なく声を掛けてやってくれ」
「ごめんなさい。俺がここを指定したから」
カイの小声に、春久は振り返った。
「お前が謝る必要がどこにある。俺たちもこの場所には満足している。想定外はお前の責任じゃない」
「そうだぞ。俺もまた来たいと思ってるぐらい、良いところだ。息子たちにはもう少し星座の勉強も必要らしいが。教えてくれた秋津君には感謝している」
「うちの子も、はしゃいでいるから、問題無い。不確定要素まで考えてたら身動きも出来なくなる。そこは、丹波が手柄を立てるチャンスってことで良いんじゃないのか?」
三人三様に、カイに責任は無いと口にした。手柄云々は聞き流した。他県ではあくまでも一般人。犯罪に巻き込まれれば、面倒な手続きが増えるだけなのだ。
「悪いのは、こんなところでも悪さをしようって連中だろう? 子供たちが危機管理の大切さを知る良い機会だってことだよ。二人とも風呂に行ってください」
「後を頼むよ」
戸野原と垣内が風呂に向かう。その後ろ姿を見送っていたが、春久はカイの背中を引っ張って横たわらせた。
「何?」
「寝転がった方が楽だろう。北極星を探す手伝いをしていたんだろう? そのまま眠ったらテントに突っ込むけどな」
カイが膨れ、戸野原兄弟は一緒に笑っている。
「カシオペアが判りづらかったら、わし座のアルタイルから、はくちょう座のデネブを繋ぐ線を、同じだけ北に延ばせばそのあたりに北極星が見つかるはずなんだけど」
「星が多すぎてわし座のアルタイルも見失った」
「はは。本当だ。あ~。受験勉強ばっかりで息が詰まっていた。押しつぶされるような星空って本当に有ったんだ」
戸野原の長男が思いっきり背伸びをしてから、うつぶせになった。
「父さんの言葉だけど半信半疑だったんだ。父さんが警察官だった影響で剣道も始めたけど、それも鳴かず飛ばずってやつで。何処の高校に行くのかすら、決められなくて。今回のことだって、夏休み中だよ? 普通みんな必死で受験勉強している。それなのにキャンプなんて、嫌だって言ったんだ。そんな時間無いって。でも、そしたら母さん連れて行くんで行くしか無いって無理矢理引っ張られて。あ~。こんな星空見せられたら文句言えなくなる」
「あのね。折角だから上を向かない?」
カイが言いつつ、空を指さしている。
「もうそろそろ始まって良い頃なんだけどね」
「何? 何が始まるの?」
次男の方が興味津々で、長男も再び空を見上げた。
「流星群。多いときは一時間に六十個っていうけど、ここならもっと見られるかも。ピークは深夜だけど、もう少し早い時間から」
「ええっ!」
「極大日はもっと多いかも」
そう言った後でカイは少しだけ言葉を句切り、すぐに続けた。
「俺は特に何も考えてなかったなぁ、志望校。今だったらなりたい物見つけて、それに有利な高校や大学も有ったかも知れない。でも、そうしたら社会人学生になろうと思わなかったかもだし、ハルさんと知り合うことも無くて、戸野原さんを紹介してもらう事も無かった。今日こうやって、みんなで星を見上げてなかったかも」
「みんなでなくてもお前一人なら見上げていたんだな」
春久が言えば、カイはニッと笑う。それは否定しないらしい。
「俺の行動原則が変わるわけ無いじゃん。でも、みんなで来られて嬉しい」
それには、春久だけで無く、戸野原の息子たちも少し照れくささを感じる。
しばらく星空を見ていたが
「そうだ。危機管理って何です? 危機管理って言葉の意味は知ってますけど」
戸野原の長男に問いかけられて、春久は指を二本立てた。
「初対面の相手に話しかけるって、二種類有ると思うんだ」
「二種類」
「自分が困っているときか、相手に対する興味」
「なるほど」
「相手に対する興味も二種類有る」
「好意と悪意、ですね」
「さすが戸野原さんだ。息子さんたちにもちゃんと理解させているんだね」
「ほら、二種類で、最初が自分か相手の二択だから、次も相反することの二択かと思ったんです」
頭も良い。二種類、から、二択と切り替えて二つで全てを包括出来るように選択する。
「俺はそれでカイをナンパしたと言われてるけどね」
「ええ~」
「お前が言い出したんだ」
驚きの声を上げるカイの、頭を軽く押さえる。慣れてきたのかそれとも春久だからなのかは不明だが、自然なスキンシップは許容範囲内らしい。
「同じ社会人学生で、同じ講義を受けて、同じようにバイクに乗って、年齢も比較的近かったから、興味を持った。それで、どんな人か気になって、というか、あのときはバイク乗りがバイクに乗ってない理由が気になった」
その時の状況を思い出すと、自然笑みがこぼれる。
「ただ、それでどうこうしようという気は無かったから、好意か悪意かと言えば好意、になる」
「悪意も興味に含まれるんですか?」
「含まれるけれど、それも、二種類有るかな。好意から転じる悪意、最初からの悪意。といっても、好意から転じる悪意は、受け止める側の問題もあるんだけど」
「あ、さっきの女の人の件ですね。男性側からすれば、困っているだろうから手伝ってあげようとしても、女の人からすれば言い寄られて怖い」
「下心の有無とか、本人が相手の機微を素早く受け止められるか、なんかも関係してくるけどね」
「あ、流れ始めた」
いきなりのカイの声に一瞬言葉を止め、四人で夜空を見上げる。糸を引くように、数えられるほどの星がいくつも落ちてくる。
「単位取れますように単位取れますように、単位取れますように!」
カイの早口。戸野原の息子たちと顔を見合わせれば、彼らも急いで
「高校合格合格合格!」
「小遣いアップ小遣いアップ小遣いアップ!」
などと、口にし始めた。
「なーんか、物騒な願い事が聞こえてきたんだが?」
戸野原と垣内だ。戸野原は早速、次男に「成績を上げてから言え」とげんこつを落としている。
それから近くを軽く見回す。
「来ませんでしたよ」
言いながら春久は座った。二人とは情報共有と作戦会議が必要なのだ、のんびり寝転がったままでは緊張感も有った物では無い。
「かもな。垣内君と二人、車から貴重品を取り出してきた。車上荒らしも考えられるからな」
「まさかこれだけ厳重だったとは思ってもいなかったのかもしれませんね。ファミキャンかと思って様子を見に来たら男の多いグルキャンで、さすがに手も足も出せないと見限ったか」
「ちなみに、戻ってくる途中戸野原さんに連れられるままキャンプ場を見回ってきたんだが、グルキャンやファミキャンが多くて、特にソロとかは見かけなかったな」
「さっきのエリアに女のテントは無かった。場所を知られたから片付けたんだろう。なので念のために駐車場に戻って貴重品を持ってきたんだ」
「確かにそれが良いですね」
「バケの皮が剥がれたけど、ここじゃあしっぽ巻いて逃げるわけにもいかないんで、その分画策している可能性は有るってことだな。どーする? 現役の警察官様は」
どうするべきか。もちろんここが町中に近ければ警察官を配置することも出来る。けれどここは山頂で、なにより他県。むしろ町中なら逃げられている。逃げられないから次の犯罪も考えられる。これだけ美しい星空の下で、何処までも無粋な奴ら。彼らは星を見ずに人の懐ばかり狙っている。




