星の下、火を囲んで
「え? お米も炊けるの? 災害の時には助かるわね。水は貴重だもの」
カイの言っていた朝食の仕込みとは、ナイロン袋に米と、運んでいる内に解凍されていた鶏肉のミンチ、トマトケチャップとコンソメ、水を入れて茹でるチキンライスだった。今回はフライパンもタマゴも持ってこなかったけれど、家ならそのチキンライスをタマゴで包んでオムライスも出来る。春久も初めて目にするやり方で、興味深かった。
もう一品。小麦粉とドライイーストや塩、砂糖などを入れている袋に水だけ量って入れ、今から揉み込んでおく。涼しい山頂では急な発酵はしないだろうから、朝、もう一度練って空気を抜いた後、伸ばして、常温保存の出来るトマトケチャップやツナ缶を使って簡易ピザの予定らしい。そのやり方は、戸野原の妻と垣内が頭を寄せて聞いている。
「丹波、独り者のお前こそきちんと聞いて、作れるようになっておけよ。外食ばかりじゃ飽きるだろう」
戸野原は相変わらず笑いながら、子供たちが食べなかった野菜を口にしている。春久も同じようにタマネギに手を伸ばした。
「ハルさん」
「何だ?」
タマネギを咀嚼しつつ、振り返った。
「今度は車で来よう? ダッチオーブンで、本格的なオーブン料理作りたい」
「それは良いが。秋か?」
「秋で良いよ。芋が美味しくなるよね。車ならダッチオーブン持ってこられるからね」
「判った。秋は平地だな」
「山の上でも良いよ。ここは標高が高すぎて寒いと思うから、もう少し低山で」
「車の乗り入れ出来るところか?」
「うん。荷物が重い」
「焚き火の出来るところを探すか……」
「料理は炭火で良いよ。冬場は焚き火で暖を取りたいけど」
「判った。ただし、秋から冬にかけて大学の授業があるのは覚えているよな。明日、山を下りたらうちで次の授業計画立ててから帰れよ」
「資料は持ってきてるから、後で相談に乗ってください」
ちらっと見れば、戸野原は小さく肩を竦めている。そうやって言い合える関係に、安堵しているようにも思える。
「カイ。食ってしまえよ。片付けは俺がやるから」
「あ、大丈夫。アルミ箔は折りたたんで新聞で包んで、ゴミ袋に入れる。メスティンは今仕込んでるご飯が出来たら、そのお湯を入れてふやかしておく」
「カイ」
「何?」
「海」
「だから何?」
「俺にも何か手伝わせてくれ。さっきから、お前は何もしないのかと、戸野原さんと垣内の視線が痛いんだ」
「え? ハルさん、今は食べる係りだよね? 今日は走っている間ずっと後ろから見守ってくれてたし。駐輪場から俺の荷物も運んでくれた。後、お金も出してるんだから。俺の楽しみ取らないでよね」
「何? お前の楽しみって。走ることとキャンプそのものじゃないのか?」
「料理もするよ。美味しいって言ってくれれば嬉しいし。後、片付け。というより、スタッキング。頭を捻っていかに上手く小さく片付けるか。家でキャンプ道具なんて使うこと無いからね」
親付きだから、家には普段使いの道具は何でも揃っている。いろいろ集めたキャンプ道具、使えるのはキャンプの時ぐらいだからと、カイは楽しそうにランタンを引っ張り出してきた。LEDランプ全盛だけれど、用意しているのはオイルランタン。小さなろうそくも出して。確かに、どこにそれだけの物を詰め込んできたのか。
それはともかく、昼過ぎに到着した時、春久は先にカイの荷物を運んだ。カイがテントを立てて料理に取りかかる間に自分の荷物も持ってきて寝床の用意をした。それ以外は本当に何もしていない。垣内も戸野原も、自分たちでバーベキューの用意をして焼くだけとは言え、それを子供たちに食べさせているのに。後片付けを断られてしまったら、他に何をすれば良いのか。
「判った。だったら明日、お前の荷物を駐輪場まで運ぶので良いな?」
「秋津君、丹波を甘やかせるなよ。仕事じゃ指示出ししてるはずなのに、こんな時に自分から動けないんじゃぁ、なぁ」
「ハルさんは普段から気遣いしてくれてますよ。キャンプでやることと言ったら料理ぐらいなのに、俺が取っちゃってるから、ハルさん手持ちぶさたでごめんなさい」
なんと答えるべきか。小さく咳払い。
「次は俺でも作れる料理を教えてくれ」
「車で来たら、炭火の準備と、シチューでも作って貰う。あでも、戸野原さんが焼いてくれたお肉が美味しかった。遠赤外線効果が目に見えて判るよね」
「判った。次回は良い肉を奮発してやる」
「じゃあ、次は何を作ろうかなぁ」
カイは、チキンライスを茹でた鍋の火を消して、湯を折りたたみバケツに入れ、汚れているメスティンを浸けた。鍋の中にはチキンライスの袋が残り、折りたたみバケツにはメスティン本体だけが浮かんでいる。蓋はまだ、カイの皿になったままだ。本当に片付けするほどのものが無い。その後元居た場所に座り、自分の皿にしている蓋を取り上げる。すっかり冷めた料理。
「温めるか?」
「大丈夫。美味しいよ」
春久も冷たくなった野菜を突いた。
「お前たち、風呂に入ってこい。その間に片付けて、臭いが出る物は車に放り込んでおくから」
戸野原は子供たちに車の鍵を渡して着替えを取ったら鍵を持って来いと言いつつ、肉や野菜を焼いていたコンロを見に行く。
「まだ火が残ってるな」
炭を触っていたが、鍋に家から運んだ飲料水を入れ、熾火の上に載せた。それ以外はバタバタとクーラーボックスに片付けているから、春久もその手伝いに飛んでいった。
「食ってて良いんだぞ?」
「それは後ほど」
見れば垣内も自分のテントの前に置いていた荷物を片付けている。カイは一人、レジャーシートの隅に座って料理を食べつつ、時折空を見上げている。それを見ていた春久も、釣られて上を見た。
「星が増えましたね」
春久の言葉に、戸野原も空に顔を向ける。
「町中じゃあ中々見られないな。綺麗に天の川が見えているじゃないか。夏の大三角形、どれがどれだか判らない程に全部の星が明るいな」
戸野原がクーラーボックスや食材の入っていたゴミを持って車に向かう。垣内もそれを真似て、ゴミをひとまとめにして袋に入れた。
「パパテレビ見たい!」
「今日はテレビはお休みだって言っただろう? 空が綺麗だからお兄ちゃんたちと一緒に外で寝転がっていろ。寝たらテントに入れてやる。テントで先に寝ても良いぞ? さっきから気になってたんだろう?」
子供たちは「きゃぁ~」と嬌声を上げて、テントの中に飛び込んだ。いつもと違う環境、けれどちゃんと両親が揃っているから安心して変化を楽しんでいる。円満な家庭だ。つい、警察官の視線で見ていることに気づいて、笑ってしまった。
戸野原から椅子を借りて並んで座り、ビールを飲みながら話をしていた。標高が高い上に、翌日の昼頃には出発するため、一本を少しずつ、だ。遮る物の無い夜空に、どんどん星明かりが強くなっていく様は圧巻だ。
「カイが、『宇宙の中にいる』と表現した意味が判るな。これは確かに、そう言いたくなる」
「はは。秋津君は詩人だな」
捜査で疲れたときもよく星空を見上げていたが、今はその何倍も深い呼吸が出来る。ここを教えてくれたカイには、心から感謝する。
「父さん、ちょっと」
母親と一緒に風呂に行っていた戸野原の息子たちのうち次男が帰ってきて、戸野原に声を掛けた。
「どうした?」
「この人が、こっちにテントを張らせてくれないかって」
彼の後ろには若い女性が居た。
「いきなりどうしたんだ?」
「この人一人なんだけど、近くに男の人二人のキャンパーが居て、何かと声を掛けてくるのが怖いんだって。母さんに話をしていたんだけど、先に来て父さんに声を掛けろって言われたから、一緒に着いて来てもらった」
不穏な会話に、春久は立ち上がった。
「ちょっと、管理事務所に行ってきます」
「それは俺が確認してくるんで、お前は秋津君に声を掛けておけ」
「ちょ! 父さん! 行くんだったら一緒に行ってテント動かすの手伝ったり」
戸野原は焦ったように言う息子の頭を軽く叩いた。それから、少しばかり離れた管理事務所に向かう。春久はそのまま、カイのところに。
困っているのであれば、一も二も無くOKしたい――戸野原の息子の父親譲りの正義感が、そう気を急かせているのだろう。
けれど、一方的な訴えだけで判断することは出来ない。状況検分も必要だ。どんなに仕事を離れているとしても、春久にとっての警察官の意識は消えない。何より、カイは人見知りで、春久だけでなく戸野原にとっても、その心の安全の方が切実だ。つまり、知らない人間を容易に近づけられない。
「空を見ているのか?」
声を掛けつつ隣に行くと、カイは手に持っていた空っぽの皿を横に置いた。
「綺麗だよね」
「全くだ。ところで、今ちょっと良いか?」
「何?」
春久はカイの隣に座った。
「客が来ている」
そう切り出して、戸野原の次男と一緒にやってきた女の話をする。
カイはちらりと戸野原のテントの前を見た。釣られて春久もそちらに目をやる。まだ火が残っているBBQコンロとその上に置かれた鍋以外は綺麗に片付いている。その向こう、先ほどまで戸野原と春久が座っていた椅子に、次男と女が座って話をしている。
「戸野原さんは管理事務所に行ってる。で、俺はお前の意見を聞きに来た」
カイは時計を見ている。それからテントの前を綺麗に片付け、家族全員既に寝静まっている垣内のテントまで。
「放っておいた方が良いと思う。垣内さんのところのお子さんは小さいからね。顔見知りになったお姉さんだったらついて行くかも知れない」
なるほど。子供の安全を考えると、関わらないのが一番だ。戸野原の次男が懐柔されているぐらいだから、垣内の幼子たちなら、もっと簡単に懐くかも知れない。
「第一、助けを求めるならもっと早い時間だ。その男たちが何時来たのかは判らないけど、遅くに着いたのならちょっかい掛ける暇なんか無かっただろうし、明るいうちからなら、もっと早い時間に管理事務所に駆け込むか、さっさと居場所を変更するべきだった」
「確かになぁ。お前はちゃんとそれが出来るんだな? ソロキャンで変な奴に絡まれたら、きちんと逃げろよ」
「何それ。あの女の人は出来なかったってこと?」
誰でもカイの言うように逃げられる人ばかりじゃないんだと、否定された気持なのかも知れない。が、春久にそんなつもりは一切無い。
「そうじゃないよ。純粋にお前の事を心配しているだけだ。お前はソロで動く上に人見知りだからな。お前の危機管理能力がきちんと働いているならそれで良い」
カイは少しだけ空に目をやった。
「で、彼女の言い分が本当なら、こっちの近くにテントを移動させるのは大丈夫か?」
「あの人、誰に声を掛けたの? 戸野原さんの奥さん? 息子さん?」
春久の問いには答えず、逆に聞き返された。
「奥さんと息子さん二人、風呂から出たときに、らしい」
話を聞いたカイは、黙って自分のテントの中を漁っていたが、二十センチほどのパラコードを四本持ってきた。手持ちのパラコードから切り出してきたのだろう。ついでにライターで切り口を焼いて、ほつれ止めをしている。
「垣内さんのところと、戸野原さんの子供さんのテント。入り口閉じたらファスナーにガイロープ通して、打ち込んだペグに引っ掛けて。内側からだよ。自分たちが出られないと意味が無いんだから」
ガイロープはテントやタープをガイドするためのロープ。パラコードがよく使われているから、キャンプを趣味としている人には大抵、どちらでも通じる。
「カイ?」
「人を疑いたくはないけど、相手から関わってきたら用心しておく。火事場泥棒じゃないけど、キャンプ場でもそんな人は居るからね。残念だけど」
戸野原が奥さんと長男を連れて戻ってきた。そのまま、春久たちの方へとやってくる。
「管理事務所、誰も居なかったよ」
「助けを求めるなら、本当ならもっと早い時間じゃないかと、カイが警戒してます」
基本何かあれば腕力勝負になる春久たちと違い、カイは体力が無い。その分、知識を増やして用心に用心を重ねる。
「そうだなぁ。嫁に確認したが、場所まで聞いていないと言うし。俺が息子と行ってくる。うちのも剣道をやっているから、そうそう怪我をするようなことは無いと思う。その代わりこっちを任せるが」
「垣内を起こします。これも渡さないとだし」
そう言って、カイから渡されたパラコードを見せた。戸野原たちが居ない間にここに男が乱入してきて暴力事件にでも発展してしまったとき、カイの腕力は当てに出来ないが、今日はもう一人、腕力担当が居る。この集団に乱入してくる場合、男一人だけとは思えない。
「テントの中からフライシートのファスナーにパラコード通してペグで固定するだけでも、防犯になるでしょう?」
「確かにな。じゃあ、先に起こしてきてくれ。それから出かける」
頷いて立ち上がった。垣内のテントに行き、眠っているだろう子供たちを起こさないよう、小声で垣内を呼んだ。何回か呼ぶと、奥さんに起こされたのか、垣内がテントから顔を出してきた。
「寝ていたところを悪いが、緊急事態だ。しばらくは星空を眺めていてくれ」
「おお? 判った」
「足下は固めておけよ」
それでサンダルに足を引っ掛けようとした垣内は、ランニングシューズに変更して、外に出てきた。固めておけ、で判ってくれるのだからありがたい。カイに言おう物なら、多分、疑問符だらけの頭になるだろう。激しく動くとき、足下不如意では動きが不安定で力も入らないし怪我をする。
背伸びをしつつ上空を見上げ「星を見るのを忘れていたよ」と、垣内はレジャーマットに移動した。
「この星空を見に来たんだったのに、もう少しで勿体ないことをするところだった」
言いつつシートに座るのを見て、戸野原が長男と一緒に自分のテント前に行き、女と一緒に離れて行った。
「で? 何があったんだ?」
寝ていたところを起こされたのだから、理由を聞く権利はあるだろうと、垣内が少しばかり片頬を上げた。
「用心の為、だな。トラブルが有ったと助けを求められたんだが、一応こっちにも女子供が居るんで、簡単に誰でも近づけられないって話」
「女か?」
「男に絡まれてると言われたらしい」
パラコードを一本渡して、使い方を説明する。こんなところで子供が浚われた、喧嘩に巻き込まれたとなっても、すぐに警察や消防が来られるはずが無い。だからこそ、用心に用心を重ねる。向こうから関わってこなければ、そのままでも良かったのだが。
「夜中に交互に見張りをするか?」
「いや、貴重品はテントの本人に近いところに片付けておけば大丈夫だろう。ファスナーが静かに開かなければ、騒ぎになるから諦めるはずだ。空き巣や夜中の泥棒はそうだ。強盗となれば腕力に物を言わせるけどな」
ぐるりとテントを見回した。レジャーシートを囲むようにテントが五つ。入り口もレジャーシートに向かっている。料理をするためシートとテントは少しだけ離しているが、それでもテント間の距離はそれなりに近い。
戸野原夫妻、戸野原兄弟、垣内一家、春久、カイの順番にテントは並んでいる。けれど、春久とカイのテントは場所を入れ替えた方が良いかもしれない。




