雨待ちと焼きそば
「六月頭から休みの予定が大きくずれた。山行きは死守するけど、日程についてはもうしばらく保留で頼む」
「来週、あじさい見に行くけど、行く? 梅雨入り前だけど咲いているって。あじさい見てお昼食べて戻るだけだけど」
「土日、大学だろう?」
「五月中の平日だね。有休消化」
前回のやり取りの中でカイにしばらくの休みを全部教えていることを思い出した。六月からは変更になるけれど、五月中なら伝えたままだ。平日ということは、春久の休みに合わせてくれる。
「行きたいが……来週のは休みという名の待機だからなぁ」
「ハルさんちからだと、車で二十分ぐらいのお寺だよ。呼ばれたら職場まで送ってあげるけど? 俺の車で良ければ」
それならマンションから直接行くのと時間的には変わらない。待機エリアの範囲内だ。そこまで気遣ってくれているのに飛びつかないはずがない。
「昼はどうする?」
「ん~。コンビニ弁当?」
「お前それじゃあ、あじさいのためにとんぼ返りじゃないか」
「この時期しか見られないからね。それにハルさんは散歩程度の距離かも知れないけど、俺はドライブだよ。ノンビリ走る。今度は水筒二個持ってく。後は後部座席倒してリヤゲート開ければ火器も使えるから、駐車場からもあじさい見えるといいなぁ。お抹茶と和菓子を持って行って、雨が降ったら荷室でノンビリ雨中茶会だ」
短い時間にメールがぽんぽん行き交う。
「抹茶ってペットボトルのか?」
「有るよ」
「だったらこっちで探して買っておく。和菓子は何が良いんだ? 弁当は当日買うからその時に一緒で良いか?」
「大丈夫だよ。ハルさん甘くない方が良いよね? おやつ何か欲しいものある?」
「お前が食う分ぐらいは付き合うぞ?」
「じゃあ、適当に買っていく。俺のむすびはタラコと梅干しと……後一個適当に。任せる!」
相変わらず安く上がる奴だ。
「判った。任された。インスタントのコーヒーを持って行くよ。それとカップと。ああ、水筒にお湯を入れておけば良いんだな」
「火器が使えない場合に備えて。使えれば熱々、使えなければ少しぬるめのコーヒーになるけどね」
「了解」
メーラーの履歴にはカイの名前が連なっていく。それを見ているだけで職場での積もり積もった鬱憤が消えていくのだから、今の春久にとっては何よりのストレス解消剤。戸野原には敵わない。彼の言う通り仕事を離れた友人がどれほどありがたいか。多少自分が折れようと下手に出ようと失わないようにしなければならないのだと、今日の出来事でなおさら骨身に染みた。
「戸野原さんの言う意味がつくづく分かりました。職場ではストレスが溜まっても直接相手に投げつけることも出来ない。仕事を離れた友人は、直接の原因は話せないけど、それ以外のことで気を紛らわせることが出来て、気づいたら深呼吸が出来る。まあ、昼間の事を思い出すとまた溜息も出てしまうんですが、それでも一人で抱えているより随分良い。ということで、夏山キャンプは決定です。俺の仕事の都合が有るので、日程が決定するのはまだ先になりそうですが、決まればすぐに連絡します」
三回読み返した。それで
「カイとは和解できました。ご心配をおかけした上にアドバイスもいただき、ありがとうございました」と追記した。
戸野原からは「良かったな。キャンプ楽しみにしているよ」と返事が入っていた。
それから季節が一つ進んだ。
「夕食にうちで焼きそばでも作ってと話をしているときに、電話を受けましたよ。買い物をしているところだと言ったら、冷蔵庫に片付ける時間ぐらいは待ってやると言われたんですが、買って帰ってもその日に食えるわけじゃなし。結局商品を元に戻して、手ぶらで出て、そのまま署まで送って貰いました」
「待機じゃなぁ」
「です」
山の上、垣内のところはCB缶カセットガスコンロを運んできて子供用食材ベースの焼き肉で、戸野原は炭火で豪快に肉の塊、カイはガスカートリッジに五徳、上に網を乗せまたその上に厚手のアルミホイルを置いて器用に焼きそばを作ってくれている。焼きそばになった理由がその、あじさいの後で予定していたのにキャンセルになった、夕食だ。春久ががっかりしていたのを、そんなに焼きそばが食べたかったのかと思ったカイが用意してくれた。折角の心づくしを無碍にする必要も無く、春久は戸野原と話ながら、それができあがるのを待っている。
「バイクなので保冷の必要な大物も運べませんでしたしね」
一応ソフトクーラーバッグを使っているけれど、真夏の炎天下、冷凍しておいた物もすっかり溶けた。山の上はまだ涼しいけれど、山に来るまでの下界が尋常じゃなく暑かった。車のエアコンが恋しかったけれど、バイクで走るのを楽しみにしているカイには、そんなこと、口が裂けても言えない。
「言ってくれれば買っておいてやったのに」
「はは。気持だけ頂いておきます。あいつ焼きそばだと言う癖に米まで用意しているんですよ。穀類ばっかりなんですけど」
「まあ、そんなものだろう。秋津君は親付きなんだろう? だったらたまにそうやって不摂生も有りだろう。お前はしっかりバランス考えて食えよ」
「判ってます」
カイは今度はアルコールストーブを出してそれに五徳を付け、メスティンで米も炊き始めた。その前に焼きそばが出来てしまいそうだ。
「それにしても秋津君はマメだな」
「そうですね」
焼きそばは出来たのだと思うけれど、アルミ箔の四隅を纏めて捻って封をしてしまった。それから鍋を持って水を汲んでくると、何か黄色っぽい袋を入れ、空いたガスバーナーに掛けている。
さすがに乳幼児は食事も待てず、垣内は子供たちに一足先に食事をさせている。戸野原の子供は父親に言われて肉を突いたり火加減を確認したり。ただ、彼らもそろそろ空腹が絶頂になりそうで、肉の焼け具合ばかり気にしている。
「そちらも先に食ってください。後で乾杯だけ一緒にしましょう」
「判った」
その間にカイは鍋に蓋をして、四隅をペグ打ちして固定しているレジャーシートの上に新聞を広げ、焼きそばを持ってきて封を解いた。ふわっとソースが香る。少しの間蒸し焼きにしたお陰で、肉や野菜にもしっかり火が通った上に麺がふんわりしている。新聞は、突いてアルミが破れたときのためらしい。そこは用意周到だ。
戸野原が同じレジャーシートに焼けた肉や野菜の入った大皿を置いていく。垣内の子供たちも隅っこに座っている。子供たちが外で過ごすときはこのシートが基本で、大人たちも目を光らせておける。
「これも食えよ。多めに用意しているからな」
「ハルさんの奢りで、二人だけじゃ食べられないほど有るので、こっちも突いてくださいね」
戸野原が春久を見る。
「奢りというか、前回の夕食分だって言ったでしょう? 俺が出したのは焼きそばの分ぐらいですよ。それ以外はカイが用意した物です」
なんだか言い訳じみたけれど、事実なのだ。
「ヨイショと」
言いつつカイが、メスティンの中身をアルミ箔で作った皿に空けた。厚手のアルミ箔は四辺を折り上げて高さを作れば、大きめの平皿代わりになる。アルミ箔だけなら、そんなに荷物にもならない。やはりこういったところは手慣れている。
「良い匂い」
シーフードピラフ? 普通の白い飯ではなかった。戸野原の子供たちがさっそくスプーンを突き刺して、自分の皿に移して味見をしている。
「いつの間に仕込んでいたんだ?」
「保冷剤の代わりに冷凍のシーフードを混ぜておいただけだよ。他の保冷剤代わりは今茹でてる」
「お前凄いな」
「凄くないよ。明日の分は後で仕込む」
「明日?」
「朝食」
「ははは。丹波、秋津君に食事代払わないとだな。焼きそば代だけじゃ足りないな」
「全くです」
カイはふわっと笑う。
「秋津君もしっかり食えよ」
「ありがとうございます」
奥さんに子供を任せた垣内が、自分の皿とビールを持ってやってきた。
「うちの奥さんと子供は飯を済ませたんで、風呂に行かせた。ようやくゆっくり食える」
ここのキャンプ場は、駐車場の向こう、管理棟の近くに有料の風呂が有る。温泉が湧いているわけでは無いので、多分湧き水を沸かしているのだろう、時間制限が有るので特に子供は早めに行く方が良さそうだ。
「お疲れ。じゃあ、子供はウーロン茶だぞ。秋津君はミニ缶が良ければそっちも有るぞ? うちの女房用にいくつか入れてる」
戸野原がクーラーボックスを開けてビールやペットボトルを取り出してきた。
「父さん、俺もビール」
「警察官の前でそれは無理だな」
「は? 父さんが警察官だったの、五年も六年も前じゃん」
「そこに現役が居るぞ」
それで戸野原の子供たちは急いでウーロン茶を自分の紙コップに注いだ。まあ、それで素直に従うと言うことは粋がっているだけで普段から父親の忠告はきちんと聞いているのだろう。家庭内での晩酌は……戸野原が居る事だし、無茶はしないはずだ。
「俺は緑茶なので」
カイは自分の水筒を持ってきて、コップにお茶を汲む。春久は礼を言って、戸野原からビール缶を受け取った。夏の空はまだ明るい。けれど外気は少しずつ、秋の気配を含み始めた。確かに、夏の暑さと喧噪から逃れるにはとても良い場所だ。
「乾杯」
紙コップにアルミ缶に、水筒のコップ。音が揃うはずも無いけれど、それでみんな好き好きに料理を突いている。
「これ、本当にメスティンだけで作ったのか?」
「米は最初に家で炒めておいた。シーフードと混ぜて炊いただけだよ。最後にバター少し」
「いいねぇ。この肉の赤身。子供が居ると牛肉でもしっかり火を通さないとだから、ぺらぺらの肉を硬くなるまで焼かれるんだよ。今度ステーキでも食いに行かないか?」
「そう言っていられるのも今のうちだな。うちは、今回女房も一緒に来ることになったんで子供たちも付いてきたが、そうじゃなければ多分来なかっただろうな」
戸野原の妻は、まだ火の側で番をしている。男たちがレジャーシートに集まったので、自分で焼きながら好きに食べているようだけれど。
カイが立ち上がった。まだ沸いている鍋の蓋を開いた。火を止めて蓋をし、戻ってくる。
「何を作ってるんだ? 保冷剤代わりだったんだろう?」
「そうだよ。簡易デザート」
それでまた、皿代わりにしているメスティンの蓋を拾い上げた。
半分に焼きそば、半分にシーフードピラフ。飲み物は自分の持って来た水筒から。なーんか自己完結している? 確かに料理もそれぞれが用意とのことにしたので、それで正しいのではあるけれど。一応、食事はグループキャンプだ。だからヘタをすれば意固地にも見える。戸野原はカイの性格を理解してくれているので悪気も無ければ天然にいつもやっている事をやっているだけだと判ってくれるのだが、その妻と子供たち、垣内はどうだろう。と、戸野原が厚く切ったステーキ肉をレタスで包んだ物を、カイの皿に載せた。同じ物が春久にも、垣内の手元にも置かれている。
「どんどん食わないと、うちの食材が余るんだ。秋津君、肉好きだろう? 遠慮しなくて良いからな。うちの子たちは君のピラフが気に入ったようで、食い尽くす勢いなんだ。そっちが後で空腹だなんてことの無いように、しっかり食ってくれ」
戸野原に言われて、カイは頭を下げる。それから、入れられたステーキのレタス巻きを口に入れる。またもや戸野原の機転に助けられた。食材を持ち寄ってみんなで食べる。正しくグルキャンの形だ。
カイはしばらく肉を咀嚼していたが、気づいたように立ち上がり、また先ほどの鍋に戻った。
「垣内さんの子供さんたちは、レーズン大丈夫? ラムとか入ってない普通のレーズン」
垣内はカイを見て
「大丈夫だよ。きちんと火が入っていれば、何でも食う」と答えている。
「判った」
その間に戸野原も妻のところに行き、焼けていた食材を持って二人で戻ってきた。なので今度は春久が立ち上がる。カイの隣でその手元を覗き込んだ。
「何これ?」
「簡易蒸しパンというか、ケーキ? 袋にホットケーキミックスと水とレーズン入れて冷凍していた奴を茹でただけ。袋のままなら茹で水は飲めない奴でも大丈夫だからね」
フワフワのそれをナイフで切って皿に盛り上げる。少し小さめに切った物は別の皿に入れて、それを春久に渡した。
「それは垣内さんのお子さんたちの分。あまり甘くないからどうするかな。小分けのジャムは持ってきてるけど」
「垣内のところの子供と奥さんが風呂から戻ってきたら聞こう。お前もしっかり食えよ」
「うん」
垣内の奥さんが、もう歯磨きをしたからと、それは翌朝食の時に食べさせると言う。小さな子供たちは欲しがっていたけれど、垣内は奥さんの言葉に逆らわない。それが家族円満のコツだろう。子供と一番接する母親の言うことを聞かなくなると、母親が困る。
戸野原の奥さんは作り方を聞いた。使ったナイロン袋はゴミ袋に使えるから、洗い物が無くなるのは良いと、喜んでいた。種を仕込んで冷凍しておき、食べたいときに茹でるだけ、だ。忙しい主婦には助かるし、職場の女の子にも教えてあげるのだと、張り切っている。




