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聖女ではないと追放されたので、カフェで働いています

作者: 佐倉穂波

 ふわりと香ばしい豆の香りが鼻をくすぐり、加奈子は閉じていた瞼を持ち上げた。

 そこには、いつもの見慣れた風景が広がっているはずだったが……。


(――え? ここどこ)


 加奈子は働いてるカフェで、閉店後いつものようにミルで豆を挽いていたはずだった。なのに気がつけば、大理石の床に立っていた。

 頭上には金糸で織られた天蓋が広がり、赤い絨毯の先には豪奢な玉座……まるで異世界もののアニメに登場するシーンのような光景が目の前に広がっていた。


 呆然と突っ立っていると、玉座に座っている金髪碧眼のいかにも王様っぽい人が、加奈子に向かって話しかけてきた。


「聖女よ。我らの召喚に応じ、姿を現したことに感謝する」


(は? 聖女?)


 きょとんと目を丸くし返事を返せずにいると、神官のような格好をした初老の男性が、占い師が使うような丸い水晶を持ってきて、半ば強引に加奈子の掌へ押し当てられた。

 

 しかし、水晶に変化はない。

 しばらく押し当てられたが、一ミリの変化もなかった。


 それを見つめる王様の表情はさっきの「感謝する」と満面の笑みを浮かべた表情とは打って変わって厳しくなった。

 加奈子の手を水晶に押し当てている神官が「はあっ」とため息を吐く。



「無能です」

「……失敗か」


 王様は加奈子に一瞬氷のような瞳を向け、その後は興味を失ったように目を反らした。


「国を救う力を持たぬ者に用はない。追放しろ」


 王様の命で、壁際に待機していたガタイの良い男たち……近衛兵に腕を掴まれ、加奈子は城からあっという間に放り出された。


 突然召喚されたあげく、無能呼ばわりで追放――頭の中は真っ白だ。


(まって……これって夢じゃないよね。うん、夢じゃない)

 ベターだが頬を抓ったら、痛かったので夢ではないようだと加奈子は結論付けた。

(夢じゃないってことは、私、異世界転移しちゃったってことなの!?)

 マンガやアニメで異世界転移や異世界転生についての知識はあるが、実際に自分が体験するなんて考えたこともなかった。

 しかし、夢でない以上、加奈子は異世界転移してしまったというのは間違いのないことだった。



 幸い、異世界といっても言葉は日本語で通じた。

 

(もとの世界に帰れるのかとか、無断欠勤になっちゃうし、家賃とかどうしたらって、色々心配事はあるけど……まずは!)


 加奈子は町の人に役所の場所を聞き、役所に向かった。元々加奈子は、思い立ったら即行動が信条の行動力あふれる女子だった。


 この世界には、異世界人が時折迷い込んでくるらしく、役所の人は対応に慣れていた。

 もっとも、加奈子の場合、迷い込んできたというよりも、無理やり連れてこられ(問答無用で放り出され)たのだが、そこは黙っておいた。

 異世界人には先立つものーーつまりお金がない。なので、役所の人に仕事を紹介してもらった。

 希望を聞かれたので、カフェで働いていたことを告げると「じゃあ、ここが良いかな。少し離れているけど」とカフェを紹介してくれた。

 カフェがある町までの路銀は役所が補助してくれるということで助かった。


 現実世界では乗ったことのない馬車を乗り継ぎ、辺境の小さな町に辿り着いた加奈子は、古びた木造の小さなカフェで働くことになった。

 加奈子が異世界人であることはカフェのオーナーも承知してくれているため、とても親切だ。

 

 石畳の通りから差し込む西日が、窓ガラスに柔らかな橙色を落とす。店内には丸テーブルが二つとカウンターだけ。飾り気のない空間だが、湯気と香りで少しは居心地の良さを出せている。


 加奈子が淹れる珈琲やお茶を飲んだ人たちが、皆口をそろえて「疲れが取れた」と言ってくれるため、お世辞でも嬉しかった。


「肩が軽くなったよ」

「夜、ぐっすり眠れたんだ!」


 そんな言葉を聞くたびに胸が温かくなった。



 ある日の夕暮れ。

 夕刻を知らせる鐘が町に響いた頃、扉の鈴がかすかに鳴った。

 振り返った加奈子は、思わず息を呑む。


 長い外套に身を包み、フードを深くかぶった大柄な男。

 店内の空気が一瞬で張り詰め、背筋に冷たいものが走る。


「……珈琲を」


 低く響く声。加奈子はこくりと頷き、慣れた手つきで豆を挽いた。

 きゅるきゅるとミルの音が鳴り、やがて湯を注ぐ。立ちのぼる香りに、客の肩がわずかに動いた。


 カップを差し出すと、彼は静かにそれを口に運ぶ。

 ひとくち。

 その瞳がわずかに細められ、唇から低い吐息が漏れる。


「……久しく、こんなに心が静まる味を飲んだことはないな」


 その言葉に胸が跳ねる。

 だが次の瞬間、フードの影から覗いた男の風貌に凍りついた。

 闇のような髪に深い紅の瞳――。


 その風貌の男性について、加奈子は町の人から聞かされていた。


 王国を震え上がらせる存在。

 彼は、魔王その人だった。


❊❊❊❊❊


 その日から、魔王がカフェを訪れる日が多くなった。

 無口で、注文はいつも「珈琲を」だけ。

 けれど、飲み終えたカップの底を静かに見つめる横顔は、不思議と優しく見えた。


 加奈子は次第に、恐怖よりも「また来てくれて嬉しい」という気持ちの方が強くなっていった。


「珈琲を」

 聞き慣れた低い声。

 魔王は、いつしかカフェの常連になっていた。

 町の人達はまだ慣れないようで遠巻きだが、魔王が訪れはじめた当初に比べれば、張り詰めた雰囲気が軟化した気がする。

「まあ、ただ加奈子の珈琲を飲みに来るだけで、別に怖い思いをさせられたこともないしね」

 そうオーナー笑いながら言っていた。


 そのうち、少し砂糖を入れるのが好みだと気がついた。そして、ミルクを追加するときは、目元が疲れている変化にも気がついた。

 相変わらず無口だが、挨拶すれば返してくれるし、店を出る時には「今日も美味しかった」と言ってくれる……魔王は噂とは違い優しい人ではないか__魔王が店に訪れると、ついつい加奈子は目で追ってしまっている自分にも加奈子は気がついた。


(彼のことが気になる……でもこの気持ちが何なのかまだ分からないわ)


 気になるけど、好き未満の気持ちーー魔王に対する想いが恋心なのかはまだ分からないが、加奈子にとって気になる存在になっていた。


 ここでも加奈子の行動力は発揮された。

 これまでの会話は、「いらっしゃいませ」「ご注文は?」「ありがとうございました」だけだったが、少しずつ会話を増やしていった。

 はじめは天気の話から、それから日々のちょっと出来事など……積極的に話しかけてくる加奈子に、魔王ははじめ戸惑った様子だったが、次第に小さく笑うようになっていった。


「ジオルドさんって言うのね」

 そして、魔王を名前で呼ぶようになった。

 無口だけど、その瞳の奥には優しさが浮かんでいることに加奈子は気がついた。

 “好き未満”だった気持ちが、“好き”に育っていった。


 町の人達も、加奈子が話しかけるのを見て、以前のように遠巻きにすることはなくなり(加奈子のように話しかけることはないが)、ジオルドの存在はカフェに馴染んでいった。



 ある日の午後、加奈子がカフェの窓越しに夕日を眺めていたとき、石畳の通りがざわつきはじめた。

 何事かと見ていると、見覚えのある甲冑姿の兵士たちが列をなしカフェに近付いてきた。その中央には加奈子を「追放しろ」と言った王様の姿があった。


 カフェと扉を開けるや、王様は言った。

「聖女としての力を再判定するため、わざわざこのような辺境の地まで来てやったぞ」

 ものすごく偉そうな態度の王様の後ろには、神官も立っていた。


「え、どういうことですか? あのとき、私には何の力もないと言っていたじゃないですか」

 再判定とは一体どういうことなのか。

 王様は、加奈子の質問には答えず、カフェの中へ足を踏み入れてきた。

 そして、神官が加奈子の手を、あのときと同じように無理やり水晶に当てる。

 すると、前回は全くの無反応だった水晶が、今度は淡く光りだしたのだ。

「おお、やはり癒やしの力が……あのとき聖水晶に不具合が生じていなければ、もっと早くに聖女を迎え入れられたはずだったのにな」

 王様の言葉に、神官が「ーーっ、申し訳ございません」と神妙な顔つきで頭を垂れる。

 このやり取りで、何となく察することができた。

 要するに器具の不具合による誤判定だったということだ。

 加奈子は、間違いなく聖女の力を持っていたのだ。


 カフェの客たちが「加奈子ちゃんの淹れる珈琲を飲むと癒やされる」と言っていたのは、世辞ではなく本当に癒やされていたのだった。


「聖女であるならば、手厚く饗そう。さあ、王宮へ来るのだ」

 王様はさも当然かのように、加奈子を連れて行こうとする。だが、加奈子はこの王様のことを信用出来ない。何と言っても、異世界から突然召喚されたと思ったら、身一つで放り出されたのだ。

「い、いやです。行きません」

「なっ、拒否するのか? 高待遇で迎え入れると言っているだろう。何が不満なのだ」

 王様は、加奈子が拒否する理由がわからないという表情だ。加奈子の腕を掴み、無理やり連れて行こうと引っ張る。


「待て。その娘から手を離せ」

 王様相手にどうすることも出来ず遠巻きで見守っていたカフェのオーナーと客たちの中から声がした。

 王様の前に出てきたのはーージオルドだった。


「何者だ無礼な……なっ、どうして、隣国の王がこんなところに?」

 不快そうに顔をしかめ振り返った王様は、ジオルドの存在を認めると目を見開いた。


(ん? 隣国の王??)

 加奈子は王様のセリフに疑問を持ったが、それを尋ねる雰囲気ではなく、脳内に疑問符を浮かべる。


 ジオルドが、静かに王様に向かって一歩前に出る。

 紅の瞳が王様を射抜く。


「この娘は、私の保護下に置く」

 低く響く声に、王様の顔色が変わる。

「な、何を勝手な事を! これは我が国の問題だ。口を挟まないで頂きたい」

「聞くところによれば、勝手にこちらの世界に召喚したあげく、無能だからと放り出したらしいな。どちらが勝手なのだ?」

「ぐ……」

 王様はジオルドの言葉に言葉を詰まらせた。勝手だという自覚はあったらしい。

「この娘を無理やり連れて行くというのならば、それ相応の覚悟があるのだろうな」

 ジオルドが冷たく王様に言い放つ。

 王様はしばらく口を挟もうとしたが、隣国の軍事力がこの国を上回ることを重々認知しているため、口を閉ざすしかない。自分勝手な王様だが、自国を滅ぼされては困るのだ。

 悔しそうに言った。

「くっ……その代わり、穀物の流通制限を緩和を」


 ジオルドは軽くうなずき、それを承諾する。

 王様たちは悔しそうにしながらも撤収していった。


 通りには静寂が戻る。


 加奈子は戸惑いながらジオルドを見あげた。

「隣国の王……? え、魔王じゃなくて?」


 加奈子の言葉に、オーナーが慌てて訂正する。

「加奈子! そうか、あなたは異世界人だから知らなかったのね。ジオルド陛下は隣国の王様――戦場ではその圧倒的な魔力から『魔王』と呼ばれているのよ」


 加奈子は目を丸くした。

 ――ジオルドは、実は隣国の王。

 魔王『魔王』というのは、渾名だったのだ。


 ジオルドは、加奈子の手を取った。

「加奈子……私は貴女が好きだ。一緒に来てくれるか?」


 ジオルドの告白に、加奈子の頬が赤く染まり、胸が高鳴る。

 周囲のオーナーや常連客も、ほほ笑ましそうに二人へ笑顔を向けている。


 加奈子はゆっくりとうなずいた。

「はい……一緒に行きます」

 ジオルドの瞳が、優しく、深く輝く。


 カフェは、祝福の雰囲気に包まれたのだった。



ー完ー

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カフェで働くのか…(困惑) 面白かったです!
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