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風の輪郭

図書館《知識の塔》の最上階——風属性術理と霊理融合の専門区画。


 ここは、属性契約者の中でも“風”に深く関わる者が通う閲覧層であり、学術的にも最も資料が断片的で整理されていない“難解エリア”のひとつとされていた。


 ルリとは、入口で分かれていた。


 「混合属性の資料は、下層にあるみたい。……終わったら、寮前で」


 そう言い残し、彼女は微笑んで階を下りていった。


 ライルは一人、古びた本の並ぶ棚に向き直っていた。


 (……あの時の“風”は、なんだったんだ)


 風刃エア・スライスを超えた術。名前も詠唱も知らない。

 だが、確かに“力”が流れた。風が意思を持って、空間を裂いたあの感覚。


 それをもう一度、掴まなければならない。


 “たまたま出た”じゃ意味がない。“出せるようになる”ことが、必要なんだ。


 重い本を開く。古い紙の匂いが鼻をかすめる。中身は数式と術式理論の羅列。読み慣れた基礎術理とはまるで違う、“応用理論”の集合体だった。


 《風は意思に応じ、形を変える。だが、意思は未熟であれば“風を裏切る”》


 そんな一節に、心を突かれた。


 (……裏切る、か)


 数時間。ページをめくる手は止まらなかった。だが、それでも決定的な“答え”には辿り着けない。


 ──閉館五分前。


 図書館の高音魔鐘が響いた。


 「閲覧はここまでとなります。残存閲覧者は速やかに下階へ降りてください」


 魔導音声が繰り返されるなか、ライルの目がふと、一冊の背表紙に止まった。


 《風律外典——“古の契約と消失した精霊群”》


 埃をかぶっていた。題名の文字は、ほとんど消えかけている。管理票にも閲覧履歴がない。


 躊躇いながらも、その書を開く。


 中には——ぼろぼろに風化した羊皮紙が何枚か、綴じられていて、はっきり見える部分は以下だけだった。


《風律外典》第八章断片――“風の終律オリジと黒翼の災厄”

………此れは記録なき戦史の一葉、

誰が語ったでもなく、誰が記したでもない、

されど確かに、大気のことわりに刻まれた戦いである。


―――


 その日、大地は裂け、空は叫んだ。


 帝暦二〇三年、北辺の《灰燼域》にて突如として現れた虚獣――《バル=ザレオン》。

 黒翼を持ち、空の法則を乱すその虚獣は、既知のいかなる術も通じぬ災厄として、帝国史において「黒翼の災厄」と後に呼ばれることとなる。


 四大貴族の精鋭部隊を含む討伐隊は三度派遣されたが、いずれも帰還者なし。

 その身は、雷も火も通じず、霊術の回路さえ呑み込む“虚の渦”に包まれていたという。


 帝都は、沈黙した。


 ――そのとき、現れたのが、**《風律の精霊――オリジ》**である。


 彼は名乗らず、記録にも残されず、ただ一人の契約者と共に灰燼の空を翔けた。


 彼らの名は、後に記すべき者を失い、伝わっていない。


 ただ、わずかに残る記述に曰く――


 > 『風は、呼吸のようにあった。誰もそれを特別とは思わなかった。

 >  けれどあの戦い、あの時だけは確かに、“風が意志を持った”』


 オリジは、現在の精霊のように術を貸し与えるのではない。


 その存在こそが“風律”だった。


 呪文も印もなく、大気が動き、虚を裂いた。


 黒翼の災厄が天を支配しようとした時、天空に浮かぶ律紋コードが現れ、風が逆巻いた。


 術ではない。武でもない。


 それは“自然そのもの”による応答だった。


 《オリジ》はその身をもって虚の核を抱き、共に空へと消えた。


 残されたものは、静かな風と、空に刻まれた傷。


 そして、契約者の残したただ一文の碑文。


 > 『精霊は消えた。だが、風はまだ、答えてくれている。研鑽と強き意思の果てに。』


―――


……この精霊は以後、名を記されることなく封じられ、記録も禁され、

精霊名オリジは、律の外にあるものとして“外典”に追放されしと推測される。



 ——


この章のほかに、断界刃ダンクレストなども記述されていたが、ほかにそれらしい発見は得られず、風律といわれており風属性ではあるがほかにも特異な術式を用いて虚獣に対抗したとも読み取れる描写が存在した。が、それ以上はわからなかった。


 かつて“虚獣”を一刀両断したと言われる、失われた風精霊術の一つ。


 契約精霊の名は《オリジ》であり、発動者の名は不明。記録はここで途切れていた。だが、書の最終頁にはこう記されていた。


 《霊技に至るには、心を整え、技を磨き、体を鍛えること。精霊は、言葉ではなく生き様に応じて応える》


 その一文が、すべてを締め括っていた。


 ——道は、努力の先にある。


 ライルはそっと本を閉じた。閉館の鐘が、塔の外に消えていく。


 ◇


 その夜指定された寮へ帰宅し、ライルは“型”を作り始めた。帝都の郊外にある《大密林エレメンター》の近くに、見習い術士がよく活用する訓練施設があり、そこへ通っていく。


 瞑想。体術。術式構文の筆写。呼吸制御。風属性への感応訓練。

 一日のうち、数時間は必ず訓練に充てた。誰もいない中庭、寮裏の影、夜風の吹き抜ける裏道——どこでも構わなかった。


 “明確に出力されない力”を、自分の中に“輪郭”として固定するために。


 ルリも同様に術式の訓練をするが、ときおり薬茶や包帯を持って現れた。


 「……やりすぎはだめ。ほんとに、倒れたら意味ないから」


 そう言いながらも、ライルの目が変わっていくのを、彼女は見逃さなかった

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