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皇族と貴族の苦悩

午後の陽が傾きはじめた頃、講堂の退出を終えた新入生たちは、それぞれに“許された自由”を噛みしめるように学府内へと散っていった。


 その動きに合わせて、学府の管理官が伝達した。


 「本日午後は自由時間とする。入学する2週間後より本格的な属性別授業・魔力診断・適性課題へ移行する。希望者は図書館・訓練場・講義閲覧室など、各自確認の上行動すること」


 まるで軍の通達のような文言に、貴族子弟たちはため息交じりに腕を組み、どこかの噴水前で集まり始めた。


 ライルは人波を避けるように、校舎裏の回廊を選び歩いた。

 足音は整然と敷かれた白石に吸い込まれ、風が静かに吹き抜けていく。


 「……で、どこ行くの?」


 隣に歩くルリが、微笑を浮かべて問いかけた。


 ライルは肩を竦める。


 「とりあえず、図書館。学府の構造や制度、精霊階梯の詳しいところ、ちゃんと調べておきたいし」


 「ふふ、ライルらしいね。……じゃあ、わたしもついていく。読みたい薬草の資料もあったし」


 二人は回廊の角を曲がる。通りの向こうに見える、古い尖塔を冠した石造の建物——そこが、アルカナ学府の中央図書館だった。


 だが、その手前で——ふと、前方から足音が響いた。


 姿を現したのは、赤い髪。整えられた癖のない長髪が、陽光を反射して光を帯びている。

 群を抜いた存在感。その立ち姿ひとつで空気が変わった。


 「……っ、」


 ルリがほんのわずかに足を止める。


 サリア・アストリア——第三皇女。皇族の中でも異端であり、同時に才幹の象徴。


 彼女は、ゆっくりと二人の前に立ちふさがった。


 「へぇ。なるほど……。あなたが“あの”市民契約者”、ライル・なんとかっていうわけ?」


 言葉は、柔らかくも棘があった。


 ライルはその視線を正面から受け止めた。


 「……はい。セイル村出身、ライルです」


 ぎこちない貴族への言葉遣いをごまかすようにわずかに頭を下げたが、彼女の目は冷たいままだった。


 「学府長の前で、熱っぽいこと言ってたわね。『護りたい』、だっけ? ……ちょっと笑いそうになったわ」


 ルリの眉がぴくりと動いたが、ライルは手でそれを制した。


 「笑われても仕方ないですよ。俺は、そう言った」


 サリアは小さく鼻を鳴らした。


 「ほんと、謙虚でよろしいこと。……でもね。勘違いしないで」


 彼女は一歩、ライルの間合いに踏み込んだ。


 「“精霊術”は、願いじゃ使えない。“血”が、道を開くの。あなたの“力”なんて、精霊の“気まぐれ”でしかないのよ。ギガントを倒したくらいで調子に乗らないことね。」


 その声音には、どこか怒りに近い熱があった。


 ライルは視線をそらさなかった。


 「……それでも。俺は俺のやり方で、進みます」


 サリアは、ほんの一瞬、目を細めた。


 ——観察するように。


 だがすぐにくるりと背を向け、歩き出す。


 「せいぜい、精霊に“見捨てられないように”祈ってなさい。市民くん」


 そして、そのまま去っていった。だがその顔が切れる直前、なぜだか少し寂しそうな、それでいて悲しそうに見えた気がした。ライルは、すぐに気のせいだと思いなおしたが、なぜか、脳裏に焼き付いた。


 風が過ぎ、空気が戻る。


 ルリが、ため息まじりに呟いた。


 「……あれが皇女様かぁ……でも言い方ってあるよね……」


 ライルは、小さく笑った。


 「……あれが“世界の上の人間”か。なかなか手厳しいな」


 けれど——


 (俺のことを、わざわざ“見下ろす”時間を割いた)


 それが、なぜかほんの少しだけ、嬉しかった。



図書館《知識の塔》は、学府本棟の西端にそびえる五層構造の学術施設であった。


 円形の塔状建築で、内部は属性ごとの研究書、歴代精霊契約者の記録、戦術書、薬草図鑑、魔導理論まで数万冊が所蔵されているとされる。昼下がりの光がステンドグラス越しに落ち、空気は静寂そのものだった。


 ライルとルリは受付を通り、最下層の〈精霊基礎理論〉の書架を見て回っていた。


 「……これ、契約階梯の仕組み? すごいな……魔力回路まで図解されてる」


 「うわ、こっちは精霊の分類図……! 風属性だけで、こんなにいるんだ……」


 二人は夢中になって書をめくる。ライルにとって、書物は“言葉で証明される真実”であり、今の自分を見つめ直す手がかりだった。


 (……やっぱり、“契約”すら成立してない俺は、精霊術士としては未満だ)


 現実を突きつけられる。それでも知りたかった。なぜ、あのときあの術が出せたのか。なぜ、自分に風が応じたのか。


 そのとき——


 ふいに、空気が変わった。


 風が流れるような気配とともに、ひとりの少女が書棚の合間から姿を現した。


 静かに、まるで誰の気配も意に介さぬような無音の足取りで。


 淡いミントグリーンの長髪。冷たい灰銀の瞳。感情を閉ざすような面差し。

 ——フィノア・エスフェリア。風帝の名門、四大貴族の一角。


 ルリが一歩下がる。ライルも自然と背筋を伸ばしていた。


 彼女は、まっすぐライルの方に視線を向けていた。


 「……君が」


 その声は、静かで、平坦だった。


 「“ギガント”を倒したという、市民の術士……ライル」


 「……あ、ああ。そう……だけど」


 思わず間の抜けた返事になった。だが、フィノアの瞳はまったく揺れていない。そして、相手は貴族なのにも関わらず、砕けた口調になってしまったと、様子を伺っていると。


 彼女は一歩だけ近づくと、視線を逸らすことなく言った。


 「……不愉快だと思うなら、最初に謝る」


 ライルは、一瞬言葉を失った。


 「え?」


 「わたしは、こういう物言いしかできない。不機嫌に見える。よく言われる。でも、これが普通」


 ライルは、ふっと小さく笑ってしまった。貴族の中でも、比較的身分を気にしないらしい。フィノアに対して、ライルはとても好印象をもった。口調も、貴族へのそれではない。ただ、何故か大丈夫なきがした。


 「いや、なんか……いいと思うよ。すごく“わかりやすい”から」


 フィノアは眉ひとつ動かさず、微かに首を傾けた。


 「……変わってる」


 「よく言われるよ」


 フィノアは、静かに書架に目をやった。


 「……私の家は、風を“力”としか見ない。“速さ”と“先手”と“切断”。でも、本来、風は“見えないもの”」


 彼女は、本の背表紙に指を添えながら続ける。


 「……私は、政争に巻き込まれるのが嫌い。名を継げと言われるのも、才能で序列を測られるのも。正直、もう“うんざり”してる」


 その言葉には、ようやくわずかな“感情”がにじんでいた。


 「でも……平和になった世の中で、市民なのにギガントを倒したって聞いて、“本物かもしれない”って思った。……この世界、形だけじゃ測れないって、少しだけ思い出せた」


 ライルは、静かに彼女を見つめた。


 「俺はまだ、何者でもないよ。でも、証明したいと思ってる。“偶然”だったなんて、言わせたくないから」


 フィノアはしばし黙っていたが、やがて小さく——本当に小さく、息を吐いた。


 「……期待してる。だから……裏切らないで」


ここで、フィノアはルリに顔を向きなおし、次の一言で、ピリついた空気が、一気に弛緩した。


「二人は付き合ってるの?」


この言葉に、ルリがすぐさま反応した。


「ち、違う!違うから!フィノアさんちょっと早とちり過ぎるよ!」


その反応で、そこまで否定しなくても、と落胆したライルであったが、ルリの耳が真っ赤に染まっていることまでは見えなかった。


「そっか。なるほどね……」


 何かを感じたようにそう呟くと、彼女はふいに背を向けた。


 書を一冊、抱えるとそのまま風のように去っていく。感情を言葉に出すことすら少ない彼女の中で、それは精一杯の“関心”だったのだろう。


 少し冷静になったルリが、ぽつりと呟いた。


 「……あれで、すごく気にしてるんだろうね」


 「……あ、ああ。でも、悪い感じはしなかった」


 風のように、通り過ぎる。だが確かに何かを残していった。


 ライルの中に、新たな目標がまた一つ、芽吹いていた。


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