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風の再来

風が一閃。


 それは、先ほどまでの“導き”ではない。明確な“意志”だった。


 ルリの術により、かろうじて意識を取り戻したライルの全身を、その流れが包み込む。


 彼のまぶたがわずかに開く。視界はまだ霞み、意識は霧の底にあったが、ただ一つ、はっきりと感じ取れた。


 風が——怒っていた。


 いや、違う。怒りではない。


 「……護ろうとしてる……?」


 かすれた声が漏れた。ライルの現状は呼応であり、共鳴どころか契約すら不十分の部分契約ともいえる状態だ。この状態では精霊の力を具現し属性のバリア、武器をまとい戦う共鳴には絶対的に満たず、その一段階下の契約。一部を具現するような状態にすら劣るはずだった。しかし呼応の段階でライルは属性のバリア。つまり共鳴の力を得ているのだ。


 風は今、自分を守ろうとしている。誰かが、自分の代わりに立ち向かおうとしている。


 そんな錯覚すら覚えるほどに、風の“意志”は鮮明だった。


 足元で、蒼と翠の光がまだ残滓のように漂っていた。ルリが倒れた自分に駆け寄り、放った回復術の名残だ。彼女の両手はまだ震えたまま、自分の胸に触れている。


 「ライル……お願い、生きて……!」


 その声が、確かに届いた。


 脳裏で、風が応じる。


 それは、確かに“精霊の声”ともいえるものだった。脳に直接術式が送られてくる感覚。しかし同時に理解した。この術式は己の魔力容量を大きく超えていると。

エア・スライスではこの魔物は倒せない。

 風は、ライルの呼びかけに応じようとしていた。


 「……くそ、そうかよ」


 膝に力が入る。だが、すぐに崩れた。全身が限界を訴えていた。だが、それでも、立たなければならない。


 「護られるだけなんて、御免だ……!」


 目の前には、なお生き延びている異形の魔物。ルリのバフを受け威力を増したエア・スライスを何度も受け立ちはだかるフィジカルをもち、裂けた脚からは粘性のある黒血を滴らせ、それでもまだ立っている。


 六本の脚で地を掻き、焦点の合わぬ赤黒い眼がライルを見据える。


 殺意。それは、単なる生存本能ではない。明確な敵意が込められていた。


 ルリが倒れた彼を支えようとするが、その手は震えていた。


 「ダメ、もう無理だよ……! あんなの、私たちじゃ——!」


 「違う」


 ライルが小さく呟いた。身体を引きはがすように、ルリの手から離れる。


 「無理じゃない。……無理でも、やるんだよ……!」


 槍を拾い上げる。かろうじて握れた柄の感触が、彼の意識を地に繋ぎとめ、槍に、風が纏った。【ウィンドブレード】。それは、風の精霊と契約した際にその力を一部具現する。


風が——咆哮した。


 それは風音ではなかった。確かな“声”だった。空気が、音もなく震え、周囲の木々が揺れる。葉が逆巻き、草が押し伏せられる。


 ライルの背後に、円環の陣が描かれた。緑と白の光。だが、それは通常の発動陣ではない。呼応段階の術者には、本来見えるはずのない“術式の構図”だった。


 契約精霊の名前は、まだ明かされていない。だが、その力は、確かにこの場に“宿った”。


 「……一撃でいい。止まれ……!」


 力を集中させる。


 既に魔力量は限界のはずだった。それでも、何かが、どこかから魔力を供給し、“溢れてくる”ような感覚があった。


 詠唱が、口を突いて出る。


 それは既知の《風刃》ではなかった。


 もっと“深く”、もっと“鋭い”——


 ……穿て。風よ——断界刃ダンクレスト


 光が、爆ぜた。


 槍の刃先から、風が放たれる。


 だが、それはただの空気の刃ではない。


 “空間”を断ち、“世界”を斬る。断界だんかいの一閃。


 風が、軌道を描くことなく、ただ“在った”。


 次の瞬間。


 魔物の上半身が、崩れ落ちた。


 ——音は、なかった。


 ただ、静かに、甲殻が割れ、内部の肉塊が重力に従って落ちた。


 ライルは、その場に膝をついた。


 もう何も感じなかった。息を吸うことも、瞳を開くことすら、意識の外に追いやられていた。


 ただ、“やりきった”という感覚だけが、彼の胸に微かに残っていた。


 そのまま、彼の身体は地に伏した。


 完全な——気絶だった。魔力切れにより気を失った。魔力は健全な肉体に宿り、栄養状態が良くないライルは魔力の容量という面で大きく劣っているのだ。


 ルリが叫ぶ。


 「ライル……! ライル!」


 だが、彼はもう応えなかった。


 ◇


 それから、わずかにして。


 森を割くように風が吹いた。


 正確には、“術式風”だった。


 空間を飛ぶ音。着地の音。術士の歩調。


 ルリが顔を上げたとき、そこに立っていたのは、ひとりの術士だった。


 長身。帝国の術士用ローブ。肩には階級章。年齢は三十代前半ほど。


 その男は、風の痕跡を確認するように足元の陣を見やると、小さく息を吐いた。


 「……これはまた。市民の術か?エア・スライス……ではあるのか。だがこの魔物。ギガントだな……対応できるのはA級の術式のはずだが……。」


 男はそう呟き、倒れたライルに近づいた。


 ルリがとっさに遮ろうとするが、男は手を上げて制した。


 「おっと、違う。悪意はない。私は《都市警戒術団》第三師団所属、術階Aライナス


 「……都市から、来てたんですか?」


恐る恐る尋ねるルリ。それにライナスは。


 「この区域で異常魔力反応があった。緊急対応で派遣されたのだが……まさか、討伐済みとはな」


 と答える。彼は、ライルの顔と、血を拭った槍を見て言う。


 「市民階級が、これを倒したとは思えん。出力は、A級に迫っている」


 「でも……本当なんです。ライルが……一人で倒したんです」


 ライナスは黙ってルリを見た。その目は冷静で、だがその奥には、深い疑念と、わずかな敬意が混じっていた。


 「報告には……“一般の覚醒者”と記載しておこう。だが——」


 彼は、再びライルの顔を見る。


 「この少年は、いずれ“帝都”に来るだろうな」


 その予感は、彼の中で確信に近かった。

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